2019年1月24日更新

『北の国から』はなぜ愛された?20年続いた名作ドラマについて知っておきたい12のこと

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北の国から

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ご長寿ドラマ『北の国から』って一体どんなドラマだったの?

1981年に連続ドラマとして24話が放送された『北の国から』。その人気から定期的にスペシャルドラマが作られ、2002年の放送終了まで、軒並み高視聴率を記録した秀作ドラマです。 本編を見たことがない方でも、田中邦衛の五郎のモノマネや、吉岡秀隆の純のモノローグのパロディをバラエティ番組などで、お笑い芸人がおもしろおかしく演じる姿を一度は目にしたことがあるでしょう。 それほど名物キャラクターが多く、人々に愛されたドラマなのです。この記事ではドラマ制作の経緯から、作品が伝えてくれたメッセージ、ドラマがもっと面白くなるトリビアまで紹介!読めば『北の国から』が愛され続けている理由が分かるはずです。

1.『北の国から』のあらすじ

東京で妻の令子に去られた黒板五郎は、2人の子ども、純と蛍を連れて、故郷である北海道の富良野に帰郷します。 市街地から奥まったところにある過疎村・麓郷(ろくごう)で、朽ちかけた五郎の生家をなんとか修復し、そこで生活をはじめる3人。家の裏手には原生林が広がり、電気もガスも水すらもありません。あまりにも原始的な生活環境に、拒絶反応を示す都会っ子の純。 純は東京のガールフレンドや母親が恋しくて仕方がありません。しかし、ここでは東京で情けなかった父親の五郎が生き生きとして、頼もしく見えます。 やがて純は大自然のなかで成長を重ね、家族のありかたや、愛の意味や、生きていくとはどういうことなのかを学んでいくことになるのです。

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2.脚本家・倉本聰の経験が名作ドラマを生み出した

そもそも『北の国から』が生まれたのは、倉本聰のNHK大河ドラマの降板による、東京から北海道への逃避行がきっかけでした。倉本は1977年に富良野に移住し、麓郷木材工業で冬の昼休みに大きな焚き火をしているのを見て、ドラマの制作を決意したのです。 撮影前にはフジテレビの常務が富良野にやって来て、「オールロケに近い、映画に近い撮影をしたい」と、協力を頼んだことを仲世古が明かしました。 その言葉通り、予算的にも既存のドラマの枠組みから外れた作品に。当初の制作費予算は総額約6億円で、1話あたり約2,500万円。倉本によると実際は1話で5,000万円ほど費用がかさみ、放送前の時点で赤字となってしまいます。当時のプロデューサーだった中村敏夫は、心痛から心因性膵臓炎になり入院していたのだとか。 結局は当初の2倍以上、15億円もの制作費を必要とし、長期のスケジュールに一つの田舎町を巻き込んだ大々的な撮影に対しての地味目なキャスティング。もはや博打の域と言えますし、プロデューサーの胃が痛くなるのもわかりますよね。

3.倉本聰が伝えたかったこととは?

本作が放映された1980年代は日本はバブル景気。当時はその好況がバブルだという認識は当然なく、大量消費社会を多くの人が享受した時代です。そのなかで家族の形態も変化してきました。父性は失墜し、家庭内暴力などの問題も顕在化してきました。 そんな時、世間の注目を集めたのが本作です。倉本は金ですべてが買え、無駄の溢れた都会に対して疑問を感じ、『北の国から』の脚本を練り始めます。主人公たちはカネとモノと情報の溢れた都会を捨て、大自然のなかで生活を始めるのです。 現代社会が置き忘れてきた、お金では買えない大切なものが本作には描かれ、それが長い時間を越えて、視聴者の心を掴んで離さないようです。 それでは名作ドラマを作り上げたキャストを振り返り、ドラマがもっと面白くなるトリビアを紹介していきます。

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4.ドラマ『北の国から』の主演キャストと言えば田中邦衛

黒板五郎/田中邦衛

五郎役はもちろん田中邦衛。この人なしではこのドラマは語れません。 80年代当時、他の高視聴率ドラマの主演と言えば美女やイケメン揃いでした。それまで脇役が主だった田中邦衛を主演に抜擢したことが、本作品の勝因といえます。情けない父親像がぴったりのハマり役で、彼の代表作となりました。

5.五郎とともに北海道に引っ越すことになる子供たち

純/吉岡秀隆

「僕は……なわけで……」という本作のナレーションがあまりにも有名な純役には吉岡秀隆。東京のガールフレンドに語りかけるという体裁のこの独特の独白は、山下清風に演出されているそう。脚本を担当した倉本聰のドラマ『前略おふくろ様』から転用された手法です。 吉岡秀隆は少年時代から青年期までの純を演じ、ドラマと共に大きくなってゆく姿を見ることが出来ます。

蛍/中嶋朋子

純の妹で優しい性格の蛍。この役柄を演じたのは中嶋朋子です。富良野の生活にもすぐに順応した父親っ子の蛍ですが、大人になるにつれて五郎の意志に反した道を進むようになります。 吉岡秀隆とともに、ドラマ内で成長の軌跡を見せてくれる中嶋朋子。この2人の大きくなってゆく姿を見られるのも、本作品の大きな魅力です。

6.ドラマ『北の国から』に出演していたその他のキャスト

さかのぼること約35年前に始まった「北の国から」では、様々なキャストが出演しています。主要なキャストを紹介していきたいと思います。

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黒板令子/いしだあゆみ

五郎の妻であり、純と蛍の母である令子。東京生まれの美容師ですが、浮気をして五郎の元を去ります。演じたのはいしだあゆみ。 「ブルー・ライト・ヨコハマ」などのヒットソングを持つ歌手としても有名な彼女、本作の令子役は女優として当たり役でした。

宮前雪子/竹下景子

令子の腹違いの妹で、純と蛍の叔母にあたる雪子。純と蛍に懐かれ、富良野の家に同居するようになります。演じたのは竹下景子です。 70年代から80年代にかけて非常に多忙な売れっ子女優であり、政治家の発言がきっかけで「お嫁さんにしたい女優No.1」と称され人気を博しました。

北村草太/岩城滉一

富良野の牧場で働く北村草太。純と蛍から慕われる青年ですが、女性関係にルーズで、恋人がいるにも関わらず雪子に恋をします。 この役柄を演じるのは岩城滉一です。1977年に覚醒剤により逮捕されていますが、その後更生の道を歩み、本作の出演でキャリアを確固たるものにしました。

中畑和夫/地井武男

五郎の幼馴染みであり、親友である中畑和夫。木材屋の経営者で、様々な場面で黒板家を助けます。この中畑役には、悪役からマイホームパパまで幅広く演じ分ける実力派俳優の地井武男。 バラエティ番組などでも活躍しましたが、2012年に惜しまれながら他界。本作品はそんな俳優・地井武男の代表作です。

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7.『北の国から』は異例のドラマだった!

現在の連続ドラマは放送と並行して撮影が行われ、放送期間中に「クランクアップしました!」などと、ニュースになるのがパターンですよね。 ストーリーは全12話構成で、1クール(3ヶ月)での放送が基本。これは視聴率を見て脚本を書き換えるためで、当然、最終話まで脚本が完成しているケースはほぼありません。その点に関して『北の国から』は、ひと味もふた味も違いました。 当時でも珍しい2クール(半年)放送で、放送開始までに脚本が完成していたのです。それだけでなく、撮影すらも終わっていたという肝の据わりようでした!

8.田中邦衛が演じた黒板五郎のあだ名"一発屋の五郎"

主人公の黒板五郎は、完璧とは言い難いけれど『北の国から』を象徴するようなキャラクター。本作には、人間味にあふれた魅力的な人物が多く登場します。 五郎と言うと頑固オヤジのイメージを持つ方が多いのではないでしょうか?しかし、倉本聰の設定では女性にだらしなく、高校時代に関係を持った女性たちを"一発で"妊娠させたことから"一発屋の五郎"という二つ名があったそうなのです。 農業を継ぐのが嫌で実家を飛び出したにもかかわらず、いくつもの会社に勤めては辞めての繰り返し。子どもが生まれてもそんな生活を続けていたため、妻に不倫されてしまいました。 そこから反省して、父親として何ができるか考え、富良野での生活が始まったのでした。

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9.中畑和夫にはモデルがいた

故・地井武男が演じた中畑和夫のモデルは、仲世古善雄という実在の人物。富良野にある「麓郷木材工業」の経営者で、彼は妻と共に本作に大きく貢献しました。 「2002遺言」の作中で、中畑の妻がガンで亡くなりますが、これは放送の前年に仲世古の妻がガンで亡くなった事実を反映して描かれた設定なのだとか。仲世古曰く、彼の妻の死を知った倉本聰が「酷なようだが奥さんの話を書かせてもらいたい」と言ってきたので、「事実だからいいですよ」と答えたそうです。 ここで運命的なのが、辞退する予定だった地井に出演を勧めた妻も、夫の背中を押した1週間後に亡くなったこと……。中畑の妻が亡くなるシーンを、何度も声をつまらせながら演じました。 ちなみに、仲世古は私財を投じて「北の国から資料館」を建て、2016年8月末に閉館するまでの21年間、民間の力だけで運営を続けました。

10.岩城滉一はボクシングのシーンで病院に搬送されていた

純と螢の兄貴的存在、北村草太役の岩城滉一については、連続ドラマ第21話の撮影時にボクシングの試合で気を失い、病院に搬送されたことも有名。 ドラマや映画ではアクションシーンなどで代役を立てるのが通例ですが、岩城は「吹き替えにすることで、ありきたりなドラマになるのが嫌」だと、自ら演じました。しかしその結果、ノックアウトして本当に気を失ってしまい、自分の想像以上に心配をかけたと言います。 迫力のあるシーンですが、演技ではないと知って観てみると、凄味が増すかもしれません。

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11.『北の国から』その後を描いた短編小説と倉本聰の構想

富良野市麓郷では、作中で五郎が作った"拾ってきた家"などが実際に建てられており、2004年にはその一角に「純と結の家」が仲間入りしました。 倉本聰は完成を記念して、純の語りだけで構成された短編『北の国から2005 純と結の家』を書き下ろし、「季刊 富良野塾」にも掲載。純と結の結婚生活と、五郎が街中に住む2人に麓郷で暮らしてもらおうと、内緒で"拾ってきた家"を作るまでが綴られました。 時系列的には、ドラマシリーズの最終章「2002 遺言」の続編になります。

倉本が明かした五郎たちの「その後」の断片

さらにその後の話として、倉本はこれまで「頭の中の『北の国から』―2011『つなみ』」(『文藝春秋』2012年3月号に寄稿)や本当の最終章、2015年の中村敏夫の葬儀・告別式で棺に収められた極秘の企画書などなど、数々の構想の存在を語ってきました。 時系列はやや曖昧ですが、純と結は2006年に離婚して、純は初恋相手のれいと再婚。3.11(東北地方太平洋沖地震)を扱い、福島で看護師として働く蛍が夫の正吉を津波で喪うこと、五郎は初期認知症が進行していることなどが明かされています。 時をさかのぼって、『北の国から』のルーツを探る物語「北の国から1900」の構想もあるそうです。倉本の頭の中で、五郎たちは生き続けているようですね。

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12.15年以上経った今でも続編を望む声がある

『北の国から』は放送終了後、15年以上経った今でも続編を強く望まれる作品。ロケ地の富良野や資料館には観光客が絶えず、根強いファンに愛されてきました。 実際問題として、倉本聰の頭の中にある続編は形になるのでしょうか? 倉本は2016年の朝日新聞のインタビューで、今後新作を出すことは「出演者の事情から無理だが、脚本を考えることはある」という旨を話しています。プロデューサーの中村の死、引退こそしていないものの、休業状態の田中邦衛の現状などから難しいかもしれません。 田中は一時期施設に入居しており、現在は歩行も困難だと2017年に報道されました。彼の存在は作品に不可欠ですし、続編があるにせよ無いにせよ、復帰を祈りたいですね!

1度は観ておきたい名作ドラマ『北の国から』

名作ドラマ『北の国から』を振り返って見ると、脚本家・倉本聰の想いが強く反映された教訓ドラマだったことが分かりました。人間味に溢れた人々の織りなす物語だからこそ、長年にわたって多くの人に愛されているのでしょう。 是非この機会に、『北の国から』の世界に浸ってみてはいかがでしょうか?