原作と映画が全然違ってびっくり!
本が映画化されて、映画を観に行ってみたら、原作と設定やストーリーが変わっていてがっかりした経験は誰にでもありますよね?特にエンディングが全然違ってた場合、面白いと思う人もいれば、原作ファンからすればとんだどんでん返しだったりします。
今回はそんな原作とは全く異なるエンディングを描いた映画を10選ご紹介します。
1.有名なあのエンディングも実は違う [1968年]
Sakurako_Kita
この時代にこの発想!てのが何より凄い!!!!
最後のネタバレは。
何となく予想できたけど。あれがあってこそ。
Ryosuke__Inaba
猿の惑星一作品目。今の時代にはない撮影方法をとっていたと考えられ、動きが独特で面白い。また、あり得るかどうかは分からないですがこれが近未来と考えるとおもしろい。また、最後の絶望感もたまらないです。
飛行船に乗った4人の宇宙飛行士が地球への帰還を目指していましたが、ついたところは猿が社会を支配する惑星だったというストーリー。映画では、猿に支配された別の惑星に宇宙飛行士であるテイラー船長がエンディングで、ずっと別の惑星だと思っていた惑星は、未来の地球だったという衝撃的な最後を迎えるのですが、原作は違います。
原作では主人公の男が別の惑星を旅して、自分の意思で動く猿や支配された人間を見ます。それから地球に帰ってみると、なんと700年後になっていて、その惑星で見た猿が人間を支配するような光景が地球にもあるというエンディングです。
2.ラストを変えることでその後の解釈は観客に任せた? [1980年]
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美しい空撮で幕を開けることからもわかるように輝かしい冬が暗喩されている( ͡ ͜ ͡ )
トランス一家は冬の間休業する展望ホテルでの住み込みの管理を引き受けてこの山にやってきた。静かな環境で執筆に専念したかったジャックはいわくつきとはいえかえって好都合と微笑む。それが盛大なフラグだとも知らずに…。
あまりにもポスターが有名な今作、やっとみました。
“映画狂人”スタンリー・キューブリックの構図の妙味やドリーの丁寧さは言うまでもなく、効果的に配置される鏡や気をつけて見るとあちこちに配された「赤色」といった色彩設計にもこだわりを感じる。全編鳴り止まない不協和音がひたすら不快感を煽る。
ウェンディお母さんの驚き顔もダニーの良ショタっぷりもよかったですが、やはり一番は疲弊と憔悴と狂躁のすべてを体現するジャック・ニコルソン!かっこよかった。というか怖かった。
開始すぐの赤色の奔流、撮影大変そうだけどとてもかっこいい。
ririri511
キューブリックらしい色彩感覚とインテリアセンスにジャック・ニコルソンの怪演が気持ち悪すぎて凄い。
霊的なオカルト現象がストーリーに関与してるとは知らなかったけどネズミの着ぐるみの幽霊などトラウマになりそうです(笑)
凍死したジャック・ニコルソンの死に顔もインパクト有りすぎ。
この映画は、小説家志望のジャックが冬には閉鎖されるというホテルに管理人の職を求めて、家族を連れてくるところから始まります。ジャックの息子には「輝き」という力があり、そのホテルで超常現象などを目撃するのです。実はこのホテルは昔、一家の父親が斧で家族を殺し、自分も自殺したといういわく付きだったのです。
原作では、ホラーの舞台となったホテルと主役のジャックがホテル共々燃えてなくなってしまうというラストですが、映画では、ホテルはそのまま残り、ジャックは迷路で凍死しています。
また映画ではジャックの写った写真が映る場面もあり、そのシーンの解釈は見る人々によって違うようです。
3.ティラノサウルスをヒーローに? [1993年]
yamamo26
ワールドも面白かったですがこれも面白かったです
yuji_li
ハラハラ・ドキドキの連続で、オトナなのに声出して驚いてしまった。
想定以上に面白かった。
大富豪の作ったジュラシックパークを視察することになった博士とその家族ですが、呼ばれた孤島に行ってみると、そこにはクローンの恐竜達が作られていたのでした。
博士が視察を続ける中、安全装置の担当者が恐竜の胚をライバル社に秘密で売るため、孤島を抜け出そうとしました。その際に、誤って安全装置を壊してしまいます。そして恐竜達が博士達に襲いかかるのでした。
有名なジュラシックパークのエンディングであるティラノサウルスが人間を助けに戻ってくるシーンは、スティーブン・スピルバーグ監督の演出。原作では兵隊達が助けに来るという設定です。
この変更について監督のスピルバーグはこう語っています。
この映画の主役はティラノサウルスだと思ったんだ。だから、最後にティラノサウルスを登場させなきゃ、観客に怒られると思ってね。
4.歌うセバスチャンもなし [1989年]
chomo410
ディズニー映画で一番好き!
Keita_Odawara
劇中の音楽が本当に良い。
アンデルセン童話「人魚姫」を下敷きに、まだ見ぬ人間の世界に憧れる人魚のプリンセス・アリエルの恋と冒険を、大人の自由を求めるティーンの成長に重ね合わせて描いたミュージカルアニメーション。
ディズニーの映画『リトルマーメイド』は、人魚のプリンセス・アリエルが主人公。人間や陸での生活に興味津々の彼女が、ある日溺れていた王子様を助け、恋に落ちその恋をかなえる為に奮闘すると言うストーリーです。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの原作をディズニーが子供向けに映画化した本作。最後はアリエルが人間になり王子と結婚しますが、実際のエンディングでは、アリエルという名前すらない人魚で、大好きな王子様は別の人間の王女様と結ばれてしまいます。そして、人魚は泡になってしまうのです。
また、劇中に登場するセバスチャンが歌う「アンダー・ザ・シー」は有名ですが、そんなシーンは原作にはありません。
5.原作者が嫌いと公言した? [1961年]
copparman
20160409
午前十時の映画祭7
ムーンリバーを歌うオードリーの歌声に惚れる!
ニューヨークで気ままに生きるホリーは猫のようだった。
chibinaochin
色褪せないとは このことだ!
トルーマン・カポーティの代表的作品である「ティファニーで朝食を」は自由奔放に生きるホリーに惑わされていく男達を描いた物語。原作のラストには、ホリーは飼い猫に道ばたで別れを告げ、次の旅へと出てしまいます。
映画でオードリー・ヘプバーン扮するホリーは猫の元へ戻り、またご近所さんのポールと熱いキスを交わします。しかし原作では、ポールとホリーの恋模様を描くシーンはないのです。
これについて原作者のカポーティはこういいました。
当時、映画化のオファーをたくさんいただいたが、このパラマウント映画に映画化を託したのは、彼らがここは変更しないというリストをくれたからだ。しかし、そのリストの1つも守られなかった。
6.ハリウッドの作ったハッピーエンディング [1995年]
独立戦争以前にイギリスからアメリカに渡ってきたへスターは、宣教師のアーサーと激しい恋に落ちてしまいます。彼女はイギリスで好きではなかった人と結婚させられていました。しかしその夫がアメリカへ来る途中で亡くなったと言う報告が入り、へスターとアーサーはさらに愛し合っていくのでした。
17世紀が舞台の最後が悲劇的なナサニエル・ホーソーンの原作も、ハリウッドが1995年に映画化したこの作品では、ハッピーエンドで幕を閉じます。主人公は愛する人と逃亡し、新しい生活を始めるという輝かしい最後で終わります。
ハリウッドが無理矢理エンディングを変えたお手本のような作品だといわれています。
7.監督が実際の患者さんにインタビューして変えたエンディング [2009年]
Ayan
家族愛。
母親と娘の絆。
めちゃくちゃ泣いた。
toshibakuon
生と死を深く考えさせられた。最初はうわ〜重い映画見始めちゃったなと思ったけどそれぞれの立場や思いに泣けてくる。キャメロンディアスが頑な意思で嫌な感じに映ることがあったけどそれは娘を思う愛であっての事。後悔なく素晴らしい人生だったと言える最後を迎えたいな。
原作では、姉であるケイトへの臓器移植を拒みながらも、最後は交通事故に遭い亡くなってしまう妹のアナ。そのおかげで、ケイトは臓器提供を受け、生き延びます。しかし、映画では、ケイトはもう死ぬ覚悟をしていて、妹の臓器提供を拒みます。そして、ケイトは亡くなり、妹のアナが生き延びるのです。
この映画の監督がエンディングをこのように変えたのには理由がありました。
病院にいた患者さん達を何度も訪ねて、話しを聞いたんだ。それで分かったことは、現実には、原作でのエンディングのような話しはないってことだった。
8.現実味を増したラスト [2004年]
Yuzukappa
ラストでつきぬけた。
人が人を愛するということのすばらしさ。
最近の映画は、とくに日本のラブストーリーを見る気がしないのは結局、花より団子ストーリー、王子様が何人もでてきて、どの恋を選ぶか、というテーマで終わっているからだ。またはこの逆の方面へいこうとすることが多い、破滅の快楽というか、、もしくは、愛するがゆえに崩壊していく様をよくみる、園子温とか。
しかし、この映画は愛を賛美し続けて終わる。
途中、けっきょくこういう三角関係で悩む悲劇のヒロインなのねー、と思ってトーンダウンしかけた。しかし、そこでプロットポイント、
前半までのこの恋がどうなるのかから、中盤から、どうしてそうなったのか、に変わるタイミングが見事だった。
しかし、なにより素晴らしかったのはラストだ。映画はあるわけないことが起こらなきゃ意味がない。映画は奇跡をおこさせ、見ているひとが自分の人生にもそれを期待するようなものであってほしいとおもう、
このラストはまさにそれを体現していたと思う。
恋人にあいたくなる映画だ。
Ayan
1番好きな映画!感動泣ける大好き。
愛し合いながらも、戦争、家族の反対などですれ違うノアとアリー。年を取り、記憶を思い出せなくなったアリーにノアはある物語を彼女に聞かせてあげるのでした。
ニコラス・スパークスの原作では、年を取ったノアとアリーが、最後のときを2人で過ごしていくというエンディングです。映画では認知症を煩ったアリーは、2人の過去を少しの間思い出しますが、またすぐに忘れてしまうというエンディングでした。
9.2つの原作の要素を大きく変えた [1994年]
hoanchan2
名作中の名作をやっと見ました。自分に向けられた愛を2倍も3倍も大きくして返すフォレストが大好きになった。
Chiaki_1
ずっと観たかった超有名作品をようやく鑑賞しました。名作と言われているだけあって、期待していたよりもずっと素晴らしい作品でした。
純真さと強運で、次々と成功を手にするフォレストと、反対に時代に流されどんどん落ちぶれていくジェニー。アメリカ現代史の光と闇をその2人が体現している、ということも後から気がつきました。
観終わった後に解説を読み漁りましたが、もっとしっかり世界史を理解していれば、メインストーリーとは違うところで、より細かい描写に気付けて楽しめただろうなと後悔しています。
観ながら物語のいろんなところでウルウルしていましたが、後半のフォレストが自分の子供の知性を心配するシーンの、トム・ハンクスの演技でとどめを刺されました。
145分間、全く飽きません。共感できるようなすごくリアルな部分と、反対に絶対ありえないような部分がうまく混じり合って、とても映画っぽい良い映画でした。
何年かしたらまた観たいです。
#ネタバレ
本作は、知能数が低くいじめの標的になっていたフォレスト・ガンプの生涯を振り返りながらストーリーが進んでいきます。最後にずっと好きだったジョニーに再会しますが、彼女は不治の病におかされていたというエンディング。
この映画の脚本家は恋愛を1番手、ガンプの冒険を2番手にしたかったと言っています。そのため、映画のラストでは最愛のジョニーの死を乗り越え、1人で子供を育てていく様子が描いています。しかし原作では、ジョニーは別の人と結ばれ、ガンプはエビのビジネスを始めるところで終わっています。
10.モンスターからヒーローに [2007年]
pleiades_gin
緊張感の中に描かれた日常なのか、日常の中に描かれた緊張感なのか、心地良く揺さぶられるうちに物語りが進むのはお見事!
主人公がゴーストタウンの商店で買い物をしながら"一人で会話する"シーンは確信した心細さを怖いほど感じさせる。
SXE_syoya
何回も繰り返し見たい
3年前に1人だけ人を食べるダーク・シーカーになってしまうウイルスを逃れたネビルは、飼犬のサムと2人で自分はニューヨークにいると無線を送り続けていました。誰かが聞くかもしれないと希望を持ちながら。そんな中ダーク・シーカーになった人を人に戻す方法があると聞き、人々を人間に戻す為、ネビルが立ち上がるというストーリーです。
映画では主人公のネビルは女性を助け、伝説の存在として扱われます。しかし原作では、ヴァンパイアのような生き物に支配された世界になっており、ネビルはモンスターとして投獄され、死刑にされてしまうところでエンディングを迎えているのです。