2017年7月6日更新

今では信じられない!?超厳しい映画のルール、ヘイズコードって知ってる!?

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『七年目の浮気』

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アメリカ映画の倫理規定=ヘイズ・コード

ヘイズ・コードとは、1922年に設立された、アメリカ映画製作配給業者協会(MPPDA)が定めた自主検閲制度です。同制度は、1929年、数名のカトリック関係者が映画に関する倫理規定を作成し、映画スタジオに送ったことに端を発します。 基本理念としては「誘惑に弱い子供たちに映画与える影響」を懸念して作られたのであり、MGMなど映画スタジオの代表者たちは修正を施した上で、規定を作成することに同意しました。ハリウッドは政府の介入を恐れて、自主的に規制することにしたのです。 「ヘイズ・コード」というのは通称で、その由来はMPPDAの初代議長、ウィル・H・ヘイズから取られています。

一語が5000ドル? 冒涜的な言葉の禁止

ヘイズ・コードに「冒涜的な言葉("hell," "damn," "Gawd,"など)をいかなるつづりであっても題名・もしくはセリフに使うこと」を禁止する条項があります。これは、宗教的な配慮によるものと思われます。 アメリカで1939年に製作された名作『風と共に去りぬ』(日本公開は1952年)のラスト。ヒロインであるスカーレットが、出て行こうとするレット・バトラーに「これから私はどうすればいいの?」と引き留めるシーンがあります。 レットは「知らないね、勝手にするがいい(Frankly, my dear, I don't give a damn.)。」という捨て台詞を吐いて、立ち去るのです。もちろん、「damn」は禁止語ですが、原作の台詞を一語たりとも変えないと決めていたプロデューサーは、予め5000ドルの罰金を払って、この語を残したそうです。

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出産シーンも性病もNG

驚くべきことに「出産シーン(シルエットのみの場合も含む)」を禁ずる条項まであります。「性衛生学および性病ネタ」もNGですから、性的なものは一切排除しようというポリシーの表れなのかもしれません。 これに関しても『風と共に去りぬ』(1952)に、出産をめぐる一連のシークエンスがあります。スカーレットの義妹メラニーが妊娠しているので、北軍が迫っているのに逃げることができません。しかも、医師によるとメラニーは難産が予想されるのです。 いよいよ陣痛が始まりますが、南軍は負傷兵が続出し医師は離れることができません。やむを得ずスカーレットが出産に立ち会うことになります。ところが、肝心の出産シーンは示されず、台詞で簡単に処理されるだけなのです。やはり、出産シーンの撮影は難しかったようです。

残虐な殺人も殺人の手口も描いては駄目

違法行為、犯罪に関しても多くの規制があります。特に、「殺人の方法は、模倣願望を誘発しないやりかたで示さなければならない。」という細かい項目が印象的です。 ここで思い起こされるのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の『サイコ』(1960)撮影の舞台裏を描いた、『ヒッチコック』(2011)でしょう。有名なシャワールームでの殺人シーンでは、ヘイズ・コードに引っかからないように、絵コンテをもとに綿密に撮影された様子が描写されます。 その上、「トイレを映してはいけない。」と言われて、ヒッチコックが大いに不満を漏らす場面があるのです。50年代後半からヘイズ・コードの強制力は弱まっていたと言われていますが、まだまだうるさかったのですね。

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同衾は御法度、キスは3秒まで!

性的なシーンや裸体を曝すことが禁止対象であることは言うまでもないでしょうが、「男女が同じベッドに入ること」や「過激もしくは好色なキス」も駄目なのです。 これを逆手にとって、男女が喧嘩しながら恋愛に落ちる、所謂「スクリューボール・コメディ」が発明されました。フランク・キャプラ監督の『或る夜の出来事』(1934)で、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールは同じベッドで寝なければなりません。そこで、ベッドの真ん中に毛布でカーテンを作り、「ジェリコの壁」と称する有名なシーンが生まれます。 また、「キスは3秒以内」という細かい規制に対しては、ヒッチコックが『汚名』(1946)で抵抗します。ケイリー・グラントとイングリット・バーグマンのカップルが3秒以内の短いキスを、何度も何度も(約2分半)続けるラブラブな場面を撮ってしまったのです。

婚前交渉、不倫なんてもっての外

カトリックの教義上、「不倫を肯定的に描くこと」も御法度です。ビリー・ワイルダーは、ヘイズ・コードに抵抗し続けた骨太の監督として有名ですが、『深夜の告白』(1953)でも、『七年目の浮気』(1955)でも、不倫を扱っています。前者はフィルム・ノワール、後者はコメディという違いはあるのですが……。 また、巧妙に不倫を回避して、大ヒットした名作もあります。マイケル・カーティス監督『カサブランカ』(1946)のラストで、イングリット・バーグマンは明らかにハンフリー・ボガートが好きなのに、ボガートはバーグマンを説得して夫と一緒に行かせるのです。 その男気ある態度が賞讃されたことも、この映画のヒットにつながったのかもしれません。

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ヘイズ・コードと戦った巨匠たちの足跡

上記以外にも、「性的倒錯やそれを示唆することは禁じられる。」などの禁止事項もあります。男性が女装することも性的倒錯と見なされたのです。 これについても、ビリー・ワイルダーが『お熱いのがお好き』(1959)で、ギャングに追われて、やむを得なくという理由で、ジャック・レモンとトニー・カーチスに女装させています。ヘイズ・コードをあざ笑うかのような状況を作り出したのです。 このように、1930年代から1960年代のハリウッドの監督たちは、ヘイズ・コードと戦っていました。ヘイズ・コードの規制をかいくぐることで、名作を産出していたのです。あなたもそんな巨匠たちの足跡をたどってみては?