2017年10月31日更新

アラサーほいほい!どれ観てた?グループ・タックの良作アニメ【タッチ、ぼのぼのなど】

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グループ・タック、数々の名作を手がけた会社とは?

グループ・タックというアニメ会社をご存知でしょうか。スタジオジブリのように、会社としての知名度は高くありませんが、『まんが日本昔ばなし』を生むなど、日本のアニメ史を語るうえでは欠かせない制作会社がかつてありました。 この会社の発起人は、アニメにおける音響監督の肩書きを日本で初めて用いた田代敦巳。彼は虫プロダクションの技術進行でしたが、多忙な監督や演出家の代わりに音響演出を一手に引き受けはじめした。 2008年の東京国際アニメフェアで第4回功労賞を受賞した彼は、庵野秀明の初監督作品『トップをねらえ!』のタシロ・タツミ艦長(画像左下に描かれた髭の男性)のモデルでもあります。

田代がグループ・タックを発足したのは1968年で、アニメ制作会社としては異色の5人が集まりました。音響の田代とその同僚だった明田川進に、映画評論家の河野基比。作曲家でグラミー賞に4部門ノミネートされた冨田勲。そして演出家の杉井ギサブローです。 設立後まもなくは他社作品の音響制作が中心。田代が音響監督をつとめた作品には『宇宙戦艦ヤマト』や『ムーミン』(1969年版と1972年版。1990年の『楽しいムーミン一家』とは別物)があります。 会社は、1974年のミュージカル映画『ジャックと豆の木』を皮切りに、アニメ制作を本格化。翌1975年には代表作の1つ『まんが日本昔ばなし』の放送がはじまります。ちなみに『ジャックと豆の木』はスタッフとキャストが超豪華で、音楽構成を阿久悠が担当し、市村正親、山本リンダ、樹木希林が出演しています。

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アニメ界を一度離れて放浪していた杉井ギサブロー監督とは

『ジャックと豆の木』の監督で、その後のグループ・タック作品の多くに携わったのが、前述の杉井ギサブローです。彼は映画『銀河鉄道の夜』で毎日映画コンクール・大藤信郎賞を受賞するなど、高い評価を受けています。 杉井がアニメを志すきっかけはディズニーの『バンビ』です。感銘を受けたもののアニメ会社への入り方が分からなかった彼は、中学3年生で漫画家のうしおそうじに弟子入り。17歳で入社した東映動画ではアニメーターとして、移籍した虫プロダクションでは演出のキャリアを開始しました。 ところが自ら立ち上げに携わったグループ・タックが軌道にのってきた矢先に、彼はあてのない旅に出ます。初めて会社が元請制作した『まんが日本昔ばなし』が好評を博しているさなかのことでした。

アニメでできることに限界を感じたーー、そう語る杉井は日本各地をめぐり、絵を売って生計を立てます。弟子の前田庸生から発注された『まんが日本昔ばなし』の絵コンテを描くことはありましたが、そのほかのアニメの仕事は基本的にNG。 『まんが日本昔ばなし』のクレジットでも「漉田実」や「杉田実」といった名義を使い、「杉井ギサブロー」としてはアニメ業界と距離をとったのです。 やはり巨匠になるような人物は一味違う!しかしアニメと一線を画していた杉井が、素性を隠しながらとはいえ、『まんが日本昔ばなし』の仕事を受けたのはなぜなのでしょうか。 実際のところは本人にしか分かりませんが、この作品がほかにはない制作体制をとっていたために、放浪中でも参加しやすかった可能性があります。では『まんが日本昔ばなし』はどのように作られていたのでしょうか。

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グループ・タックの代表作!あの大御所も名を連ねる『まんが日本昔ばなし』

放送期間は3ヶ月のはずだった!

日本人なら1度は観たことがある『まんが日本昔ばなし』。この作品を企画したのは、『月光仮面』の生みの親である川内康範の娘で、童話作家の川内彩友美。川内康範はシリーズの監修にあたり、OP「にっぽん昔ばなし」の作詞も手がけました。 他方EDは放送時期によって異なり、全部で7曲ありました。しかし多くの視聴者が思い浮かべるのは「にんげんっていいな」ではないでしょうか。この曲は小林亜星が作曲、久石譲が編曲を手がけました。耳に残るのも納得! テーマ曲の良さも相まって、国民的アニメに成長する『まんが日本昔ばなし』(1期:1975年1月7日〜同年3月25日。2期:1976年1月3日〜1994年9月24日) 。しかしそこに至るまでには、スポンサーがつかなかったり、やっと見つかっても放送枠が番組改編の都合で空いたワンクール分しか用意してもらえなかったりと、試練も経験しました。 しかし放送がはじまると、高視聴率をマーク。やめないでという反響が多かったことから、2期目の放送がとんとん拍子で決まり、結局18年続く長寿番組となりました。 番組終了から20年以上経っていますが、本作は2017年10月からはAbemaTV(家族アニメチャンネル)で再放送されています。またこの番組の系譜に連なる別番組『ふるさと再生 日本の昔ばなし』(2012〜2017年)が別の会社の手によって制作されました。

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作り手の自由にしたことで多様な作品が誕生!

『まんが日本昔ばなし』では1話完結のアニメを30分で2本放送していたのですが、この放送形態のおかげで、自由度の高い制作条件が生まれました。 まず注目したいのは、作り手と昔話のマッチング。一般的なアニメでは、前後の回とのつながりを考慮してストーリーを作り上げ、その内容で作れる人を探します。しかし『まんが日本昔ばなし』は1話完結。しかも物語がむかしむかしに出来上がっています。制作サイドはお願いしたい作り手(演出家)をピックアップして、その人に合いそうな昔話を3つ以上携えて交渉に行くことが可能でした。 また各作品が独立していて同時発注できたこともメリットでした。続きものだとどうしても締切が動かせませんが、『まんが日本昔ばなし』はできあがったものから放送すればOK。作り手は好きなだけ制作期間をとれました。 作り手にはまた、どこまでやるかの裁量権も与えられました。一般的なシリーズでは、作業量や時間の関係で、演出家・作画・美術は完全分業しています。しかし時間的制約の少ない『まんが日本昔ばなし』では、演出家が作画も美術も1人でやってもいいし、美術だけ別の人に依頼することもできました。 そのために様々な実験的アニメが誕生します。例えば杉井は、昔話にも関わらずモーターボートを登場させた「3枚のお札」や、背景にろうけつ染めの技法を取り入れた「火男」を手がけました。またセルアニメにこだわらず、版画(「神さまとみかんの木」演出:しもゆきこ)や貼り絵(「月夜の果報者」演出:三善和彦)を用いた作品も放送されました。

また声優兼ナレーターが2人に固定されていたことも作り手にとって好都合でした。各キャラクターに1人の声優が必要な作品では、どの声優をいつ抑えるか管理しなければいけませんが、本作はもちろん心配無用。ちなみに印象的なナレーション兼声優の市原悦子と常田富士男がキャスティングされたのは偶然だったそう。当初は別の2人が予定されておったそうな……。 このように作り手にとって喜ばしい柔軟な制作環境があった『まんが日本昔ばなし』。杉井が作品に関われた理由もこのあたりにあるかも?ところで、杉井以外にも本作に携わったビッグネームがいるのでご紹介しておきましょう。 『銀河鉄道999』のりんたろうは「雪女」と「舌切り雀」を、ガンダムシリーズの富野由悠季は「山の神と孝行娘」(富野喜幸名義)を担当しました。また『あしたのジョー』や『ガンバの冒険』で知られる出崎統は「雷さまと桑の木」(多井雲名義)を手がけました。 さらには、なんと手塚治虫や宮崎駿に発注する話もあったらしい!のですが、残念ながら実現には至りませんでした。作っていたらどんなアニメになったか、気になりますね。

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放浪中に生まれた杉井監督の傑作『銀河鉄道の夜』

宮沢賢治原作の映画『銀河鉄道の夜』(1985年)について監督の杉井は、アニメ業界で生きていこうと思っていない旅人が、ヒットさせようと力まずに作ったものであると発言。ただ"映画言語"とはこういうものだと観客に伝える目的意識はあり、今作を賢治の宗教観の集大成と位置づけているそう。 あらすじをまとめておきましょう。主人公ジョバンニは、貧しい家庭環境や長いこと不在にしている父親のことで同級生たちにからかわれている孤独な少年です。しかしクラスの人気者カムパネルラだけは違って、ケンタウル祭の夜、2人は不思議な銀河鉄道の旅に出ます。(本作には2人のモデルが賢治とその親友だという興味深い説があります。興味がある人は菅原千恵子 『宮沢賢治の青春―“ただ一人の友”保阪嘉内をめぐって 』を読んでみてください。) キャラクターのほとんどは猫。これはますむらひろしが描いた漫画版『銀河鉄道の夜』を原案としているためであり、この凛とした目を持った猫は多くの観客を魅了しました。

絶賛される音楽を担当したのは元YMOの細野晴臣。賢治の詩集『春と修羅』が朗読されるED曲は特に印象的ですが、彼を抜擢したのはグループ・タック社長で音響監督の田代です。 田代のもう1つの功績は、主人公ジョバンニを田中真弓に演じさせたこと。『ONE PIECE』のルフィ役や、映画『天空の城ラピュタ』のパズー役等の元気な少年役が多い田中ですが、繊細なジョバンニ役も見事!終盤のセリフ「カムパネルラ、僕はいつまでも君と一緒に行くよ」は大評判だったと杉井は述べています。 幻想的な美術も忘れてはいけません。今作に登場する美しい天の川は、砕いたガラスにライトを当てながらコマ撮りするという地道な方法で表現されました。これは『天空の城ラピュタ』を制作中の宮崎駿監督の目にとまり、「あの銀河、どうやって作ったの?」と問い合わせがあったそう。

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"描きすぎない"杉井の演出が光る『タッチ』

『銀河鉄道の夜』を意図せずヒットさせた杉井は、さすらい生活中に出会った漫画によって本格的に業界に復帰します。それが、あだち充原作の『ナイン』や『タッチ』です。杉井はこう振り返っています。 放浪前に思ったのは、アニメが外面的な事柄しか描けず、人間の内面や情感を描けないなら、一生続ける仕事ではないということ。しかしあだち漫画には、若い男女の情のやりとりが描かれていて、漫画でできるならアニメでもできるかもしれない、と。 『タッチ』(1985〜1987年)のあらすじを簡単にお話ししましょう。主人公・上杉達也は、双子の弟・和也と幼馴染の浅倉南と3人1組で育った高校1年生。兄弟はそれぞれ南を意識していますが、出来のいい和也と南は周囲から公認カップル扱いを受け、達也はもっぱらオチ役に落ち着いています。 しかし南が好きなのは達也。関係を壊したくない達也は見て見ぬ振りをしますが、まっすぐな和也は諦めません。南の夢である「母校が甲子園に行くこと」を叶えるべく、野球部のエースとして奮闘するのです。しかし甲子園の地区予選決勝直前に事件がーー。

キャラクターの内面を描きたかった杉井は、大胆な演出を取り入れます。それは余白を持たせること。まず、原作ファンが好きだと話した「さわやかさ」を表現するために、背景には白い部分をあえて残しました。また心の変化を表現するために、キャラクターが黙って動かないカットや、道路標識などの、ストーリー進行上は必要ないカットを3〜4つ重ねるなどしました。 しかしこのような演出は、手抜きであるとしてテレビ局から叱責されます。けれども杉井はリテイクを拒絶。1クール放送して不評だったら打ち切りでも構わないと主張したのです。そして実際放送がはじまると、事態は一変します。視聴率は20%を超え、180度態度が変わった局からはお祝いのビールが贈られたのだとか。

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サザン原由子×森絵都『眠れぬ夜の小さなお話』&『ともだちでいようね』

OVA『眠れぬ夜の小さなお話』(1992年)とテレビアニメ『ともだちでいようね』(1期:1992年、2期:1993年。ともに『ひらけ!ポンキッキ』内で放送)は、サザンオールスターズの原由子が原作と音楽を手がけた良作アニメで、直木賞作家の森絵都が脚本を書いています。 ささやかな毎日を描いた絵本テイストアニメには、大切なことがいっぱい。星くんやヤーサマネコと出会い成長していくネコクンを、子どもたちは大好きになるでしょう。 もちろん主題歌も秀逸。OP「友達でいようね」はわくわくするようなメロディで、他方ED「夜空を見上げれば」はしっとりとした大人っぽい雰囲気。 どちらも歌詞が良いのですが、特に「夜空を見上げれば」は優しさに溢れる1曲。「疲れ果てても迷わないで 誰かが君を愛してる」の歌詞が妙にじーんときたら、あなたも大人かも?

グループ・タック流魔女っ子アニメ『ヤダモン』

『ヤダモン』(1992〜1993年)は、異色の魔女っ子アニメ。魔法界を追放されて人間界にやってきた魔女ヤダモンは、自ら正体をばらしてしまうし、魔法を使って人助けをするどころか、トラブルを起こしてばかり。しかも「やだ、やだ、ヤダモン!」が口癖で、超わがまま。 シリーズ前半はヤダモンのせいで起こるドタバタ劇が繰り広げられますが、後半は一転してシリアスなストーリーに。謎の魔女・キラのせいでおかしくなっていく人間界と魔女界を救うべく、ヤダモンが立ち上がるのです。 教育テレビで毎日10分ずつ月曜日から金曜日まで放送されていた本作。小さいころ見ていたお母さんはお子さんが駄々をこねたら一緒に『ヤダモン』を観てみてはいかがでしょうか。

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可愛い猫たちの日常に癒される『3丁目のタマ うちのタマ知りませんか?』

タマの文具、使ってた!そんなアラサー女子も少なくないのでは?それもそのはず。『3丁目のタマ うちのタマ知りませんか?』(1期:1993年、2期:1994年)は、ファンシー文具のキャラクター「タマ&フレンズ」を元に作られたアニメなのです。ちなみに第1期の監督は、杉井の弟子で前述の前田庸生がつとめました。 3丁目の飼い猫タマとその友達の日常は、全体的にほのぼのとしています。しかし子ども向けと侮ることなかれ。死や戦争をストレートに描いた回もあり、そうとは知らずに見てトラウマになってしまった人が、特定の回に対する注意報をネット上に出しています。 タマと仲間たちは放送終了後も人気で、荘内銀行・きのくに信用金庫のキャラクターとして採用されたほか、ケロロ軍曹とのコラボグッズが販売されました。

新撰組がモチーフとなったグループ・タックのアニメ『飛べ!イサミ』

杉井ギサブロー総監督の『飛べ!イサミ』(1995〜1996年)はNHKオリジナルアニメです。新撰組の子孫であるイサミ・トシ・ソウシの3人は、蔵に隠されていた光る刀「龍の剣」を発見。「しんせん組」を結成し、ご近所の平和を守ります。しかしその背後には、イサミの父を狙う黒天狗党が迫っていたのでした。 見所は、マヌケな黒天狗党のメンバーたち。ネタバレになってしまうため詳しくは書けませんが、切実な事情があって活動しているのに手ぬるいところが愛されている模様。特に中盤以降のギャグ要素はぶっ飛んでおり、NHKなのにやりすぎなところが視聴者の爆笑を誘いました。 OP『ハートを磨くっきゃない』を歌ったのはTOKIO。余談ですが、90年代のアニメ主題歌でジャニーズが起用されたものには、同じくTOKIOが担当した『キテレツ大百科』のED「うわさのキッス」。また『忍たま乱太郎』のOPである光GENJIの「勇気100%」なども挙げられます。

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『ぼのぼの』は実は奥深いアニメなのでぃす!

2本立て30分番組『アニメ缶』(1995〜1996年)で放送された『ぼのぼの』。30分の枠を『ビット・ザ・キューピッド』と分けていたので、週に1度観られるのは1話15分だけでした。ちなみに2016年放送開始の『ぼのぼの』はエイケン制作の別物です。 何にでも疑問を抱き、その答えを探すラッコ・ぼのぼのは、キレやすいアライグマくんや、発言に毒のあるシマリスくんと、ちょっとした事件にまきこまれながらも今日ものんびり生きているーーいがらしみきおの原作漫画が持つ人生哲学や教訓を時折登場させた、このギャグアニメは当時の子どもたちの心を鷲掴み。 そのほかにも、物知りでミステリアスなスナドリネコさんや、どこでもトイレにしてしまうクズリくん、そしてぼのぼのが脳内で生み出した「しまっちゃうおじさん」など個性豊かなキャラクターが多数登場。知名度の低い動物も登場しているので動物にも詳しくなれちゃいますね! また、『ぼのぼの』のED「近道したい」には思わず口ずさみたくなってしまう魅力が。まったりとしたテンポの曲で、嫌なことがあっても聞けば気持ちが軽くなってしまう名曲です。

グループ・タックの王道ファンタジー!『YAT安心!宇宙旅行』

宇宙旅行が身近になった時代。行方不明の父を探している主人公の星渡ゴローは、参加したツアーで宇宙船を壊してしまいます。「YAT」という、ツアーを企画した会社で無償で働くことにより弁償することにしたゴローですが、同僚はみんな変人ばかり、さらには訪れる惑星ではいろいろなトラブルが起きてしまいます。 『YAT安心!宇宙旅行』(1期:1996〜1997年、2期:1998年)の監督は、『ぼのぼの』の監督もつとめた難波日登志。音楽は、アニメ・実写を問わず多くの劇伴を手がけてきた川井憲次が担当しました。 主人公ゴローを演じたのは、くまいもとこ。くまいのキャリアにはこのほかに、『カードキャプターさくら』の李小狼役や『メジャー』の本田吾郎役があります。またヒロイン天上院桂役には、『魔法騎士レイアース』で獅堂光を演じ、歌手としても活動する椎名へきるが選ばれました。

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国民的お菓子から生まれた『キョロちゃん』

森永製菓のチョコレート菓子「チョコボール」のマスコットを主人公にしたテレビアニメ『キョロちゃん』(1999〜2001年)は、エンゼルアイランドに暮らすキョロちゃんと仲間たちの日常を描いた作品。 監督は初期の『クレヨンしんちゃん』を支えた本郷みつる。音楽は「やる気のないダースベイダーのテーマ」や『ピタゴラスイッチ』の音楽で知られる栗コーダーカルテットでした。 ED「キョロちゃんでしゅ」は、CMでおなじみの「クエ クエ クエ キョロちゃんでしゅ」のフレーズが盛り込まれた、このアニメらしい1曲なのですが、この曲を含んだサントラは生産が終了して以来、入手困難になっています。

涙なしには観られない感動作『ふたつのスピカ』

『ふたつのスピカ』(2003〜2004年)は、柳沼行の同名漫画が原作で、この漫画は桜庭ななみ主演で実写ドラマ化もされました。 有人宇宙探査ロケット「獅子号」の墜落によって、鴨川アスミは2人の命を失います。1人は事故に巻き込まれた母。そしてもう1人は、死んでからアスミの前に現れた人物、ライオンさんことロケットの搭乗員・高野でした。ライオンさんの夢を託されたアスミは宇宙飛行士養成高校に入学。同じ志を持つ仲間たちとともに、宇宙を目指すのでした。 アスミを演じたのは、『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけ役でおなじみの矢島晶子。ライオンさんは子安武人が演じました。子安は『楽しいムーミン一家』のスナフキン役として有名です。

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観客動員数120万人を記録した『あらしのよるに』

ある嵐の夜のこと。真っ暗な山小屋で雨宿りしていたヤギのメイ(声:成宮寛貴)は、同じようにやってきたガブ(声:中村獅童)と話す内に意気投合し、また会う約束をします。 翌日あらわれたのは、1匹のオオカミ。風邪気味で鼻が効かなかった2匹は、相手が友達になれない存在であることに気づかなかったのです。2匹は最初こそ戸惑いますが、やがて捕食関係を乗り越えた「ひみつのともだち」になることを誓います。しかし、仲間たちに関係がばれてしまいーー。 この不思議な友情を描いた映画『あらしのよるに』(2005年)は、木村裕一の同名絵本が原作で、監督は杉井ギサブローがつとめました。この作品で杉井がこだわったのは、動物の毛並みの質感。『銀河鉄道の夜』制作時にはなかったデジタル処理を採用し、新たな表現方法を手に入れました。 観客動員数は、漫画を原作に持たないアニメ映画としては異例の120万人を突破。また2007年の日本アカデミー賞では、優秀アニメーション作品賞に選ばれました。

グループ・タック最後の作品『はなかっぱ』

頭に色々な植物を茂らせることのできる男の子・はなかっぱ。わか蘭という若返り効果を持つ植物をほしがる蝶兵衛は、孫娘のアゲルちゃんと弟子のがりぞーを使って、はなかっぱにわか蘭を咲かせようとしますが失敗ばかり。 2010年放送開始の『はなかっぱ』はグループ・タック最後の作品にして唯一放送中のアニメ(2017年現在)。放送開始から半年足らずで会社が倒産しますが、教育テレビ内の視聴率1位を記録するなど健闘しています。 それにしても会社が倒産したのに放送が続いているなんて不思議ですよね。もしかして再放送?いいえ、そんなことはありません。たしかにNHKなので再放送の回もありますが、別の2つの会社(OLMとXEBEC)が引き継いで新作も順次作られています。

グループ・タックはなくなっても、残された作品は不滅!

いかがだったでしょうか。これまでグループ・タック立ち上げの経緯から、『まんが日本昔ばなし』等の黄金期の作品、そして最後の作品となった『はなかっぱ』をご紹介しました。 それにしても、どうして会社は倒産してしまったのでしょうか?理由は1つではなかったようですが、転機となったのは社長・田代の死。田代は、倒産の1ヶ月前に急死しました。(このあたりの事情について興味のある方は、本記事の参考文献でもあるシネマノヴェチェント刊『グループ・タックのきらめき』をお読みください) 多くの名作を生んだ会社がなくなってしまったこと、そしてもう新作が観られないのは残念なことです。しかし残された作品はこれからも私たちを魅了してくれるはず。観たことのあるなしに関わらず、オトナ借りしてもいいかもしれませんね!