2018年2月22日更新

【反抗と逃避】アメリカン・ニューシネマの傑作映画10選

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アメリカン・ニューシネマとは

アメリカン・ニューシネマとは1960年代の後半から70年代にかけて発表された、社会体制に対して反抗的あるいは逃避的な人物を描写した作品群を指します。 定義については諸説存在しますが、従来のスタジオシステムや検閲制度から解脱し、ロケーション撮影や現実的なダイアローグの導入といったリアリティ重視の演出を特色とする傾向があります。

誕生の背景

1950年代以前のハリウッドでは、メジャーな映画製作会社が製作から配給、興行のあらゆる側面において独占的な決定権を保有しており、映画監督は会社が定めたスタンダードの枠内での表現を強いられていました。 そして会社の制約と需要を踏まえて製作された映画とは、ミュージカルや叙事詩的な作品、米国の既存の価値観を賛美する前向きな作品が主でした。 スタジオシステムと呼ばれるこの厳しい管理体制ですが、テレビの普及や客層の変化を受けて映画業界の経済状況が悪化すると、弱体化の一途をたどります。 更には1968年に、ヘイズ・コードという従来の検閲制度が新しいレイティングシステムへと置き換えられたことにより、バイオレンスやセックス、政治に関する表現の幅が広まり、過激な言葉やロックミュージックの使用も解禁となりました。 スタジオシステムの弱体化とヘイズ・コードの終焉。 これらはアメリカン・ニューシネマ誕生の上で重要な要素と言えます。

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アメリカン・ニューシネマが代弁する時代精神

アメリカン・ニューシネマには、ファシズムの台頭と第二次世界大戦を経たイタリアが生んだネオレアリズモ映画との関連性を見ることができます。 すなわち、アメリカン・ニューシネマの映像作家たちは、抗しがたい権力や出口の見えない社会問題を目前にして立ち往生する人々の心情を、ドキュメンタリー的表現を用いて描写したのです。 ゆえにアメリカン・ニューシネマには、1960年代から70年代の米国社会の世相と精神性が色濃く反映されることになりました。

1960年代後半から70年代の米国が直面していた現実

60年代後半から70年代にかけて米国社会を揺るがした出来事、その最たるものはベトナム戦争です。当初の予想をはるかに超えて泥沼化したベトナムへの軍事介入は、73年の和平協定により米国が撤退するまでに250万人以上の兵力の動員を要し、5万人以上の戦死者を出しました。 ベトナム戦争当時は徴兵制度を有していた米国。一般家庭に普及したテレビが映すベトナムの戦況に、米国の若者たちは動揺します。明日にも徴兵される可能性がある若い世代にとって、ベトナムでの戦争は遠い異国の出来事ではなく、個人的な脅威なのです。 そしてトンキン湾事件を経た1965年の7月に、時の大統領リンドン・ジョンソンは、ひと月に徴兵する人数を17,000人から35,000人の2倍へと引き上げ、学生主体の反戦集会の活発化に拍車がかかりました。

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1968

閉塞感が社会を覆い尽くす中で迎えた1968年には、公民権運動の指導者で、非暴力主義を提唱していたマーティン・ルーサー・キング牧師が凶弾に倒れ、その2ヶ月後には人種差別撤廃とベトナムからの撤退を掲げて大統領選への出馬を表明していたロバート・ケネディ上院議員も暗殺されるという悲惨な事件が立て続けに発生しました。 国内の大都市ではキング牧師の暗殺を受けて暴動が起こり、ベトナムでは1月から展開されたテト攻勢で人的被害が拡大。米国人兵士の戦死者はこの年だけで16,592人を数えるという事態に陥ります。 米国の混乱は限界点に達したとも見える1968年。1963年の奴隷解放100周年を経て、僅かながらも前進を遂げたと思われていた人種差別廃止運動の支持者二人の暗殺は、多くの人々の希望を打ち砕きました。 この年の米国の人々は、ソ連に先立ち人類初の有人月周回飛行を成功させたアポロ8号が、遠い宇宙で成し遂げた快挙に朧げな光明を求めるのがやっとでした。アポロ8号の船長に寄せられた「ありがとうアポロ8号。君は1968年を救った。」という匿名の電報が、当時の米国社会の凋落を物語ります。

観客を魅了するアメリカン・ニューシネマの代表的な10作品

1968年以降も、雇用率の低下や72年のウォーターゲート事件、73年のオイルショックで政治と経済の信用は失墜し、社会体制に対する国民の反感は鬱積する一方でした。 このような時代背景の中で誕生したアメリカン・ニューシネマ。スクリーンの中で反抗し、逃避し、自滅するキャラクターたちは、当時の米国の人々の共感を大いに獲得することになります。 ここからはアメリカン・ニューシネマの代表的作品を10点セレクトし、ネタバレを除外した基本情報をお伝えいたします。

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『俺たちに明日はない』

アーサー・ペン監督の『俺たちに明日はない』は、世界恐慌下の1930年代のテキサスを舞台に、刺激を求めて銀行強盗を繰り返すボニー(フェイ・ダナウェイ)とクライド(ウォーレン・ベイティ)の刹那的な逃走劇を描いた作品です。 1930年代に実在した銀行強盗のカップルであるボニーとクライド。史実同様、銃弾の雨が降り注ぐ局面における綿密で激しい暴力描写は60年代の観客の心を奪いました。1967年12月のタイム誌は「ニューシネマ」と題した号でその斬新さを評価し、エステル・パーソンズがアカデミー賞助演女優賞を、バーネット・ガフィが撮影賞に輝いています。

『卒業』

1963年発表のチャールズ・ウェッブの小説を『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966)のマイク・ニコルズ監督が映画化した『卒業』。アカデミー賞監督賞に加え、ゴールデングローブ賞最優秀作品賞、最優秀主演女優賞及び最優秀監督賞を獲得しました。 大学を卒業したばかりのベンジャミン(ダスティン・ホフマン)は周囲の期待とは裏腹に、自分の将来に明確な目標を見出せずにいました。ロビンソン夫人(アン・バンクロフト)との情事の末に、彼女の娘エレーン(キャサリン・ロス)を愛するようになったベンジャミン。エレーンを手に入れるべく、ある行動を起こすことに。 将来に対する責任から逃避し、道徳にもとるベンジャミンに社会の人々が浴びせる視線は仄暗く、エンディングには鬱蒼とした不安が滲みます。「暗闇よ、こんにちは」と語りかけるような歌い出しが印象的なサイモン&ガーファンクルによる挿入歌「サウンド・オブ・サイレンス」は、日米共にヒットを記録しました。

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『真夜中のカーボーイ』

英国出身のジョン・シュレシンジャー監督の『真夜中のカーボーイ』は、成功を夢見てテキサスからニューヨークへ移り住んだジョー・バック(ジョン・ヴォイト)が、詐欺師のラッツオ(ダスティン・ホフマン)と出会い、貧困や病といった苦難を抱えながらも懸命に生き抜こうとする物語です。 アメリカン・ドリームという幻影に人生を賭け、社会の低層へと落伍する若者たちが見る世界をレイプや売春の描写を用いて表現し、成人指定を受けましたが、第42回アカデミー賞では作品賞、監督賞及び脚色賞に輝きました。

『イージー・ライダー』

デニス・ホッパーが監督と主演を務めた『イージー・ライダー』。同じく主演のピーター・フォンダが脚本を兼任しました。カンヌ国際映画祭ではデニス・ホッパーが初監督作品賞を受賞。 ワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)は、麻薬の密輸で得た利益を元手にカルフォルニアからルイジアナ州ニューオリンズを目指し、大型バイクで米国縦断の旅に出ます。自由を体現したかに見えるワイアットとビリーですが、人々は彼らに意外な反応を示します。 公民権運動や女性解放運動、反戦デモが吹き荒れ、従来の社会秩序が揺らぎつつある世の中で「自由な奴を見るのは怖い」という米国民の本質を知る二人。米国が提唱する自由とは虚構なのか。 本国でのキャッチコピーは「男はアメリカを探し求めた。そしてそれはどこにも見つからなかった」

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『明日に向かって撃て!』

ジョージ・ロイ・ヒル監督の『明日に向かって撃て!』では、19世紀の西部開拓時代を舞台に、実在の伝説的強盗ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とザ・サンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)が、南米ボリビアへの逃避行を展開します。 自らの生き方が時代遅れになろうとも、絶望的状況に追い込まれようとも揺るがない男の友情を、ユーモアを交えつつ清々しく描いた作品です。 ロバート・レッドフォードの出世作として知られる本作品は、第42回アカデミー賞で撮影賞と脚本賞を受賞。挿入歌の「雨に濡れても」を作曲したバート・バカラックはアカデミー賞とゴールデングローブ賞を獲得しました。

『いちご白書』

ジェームズ・クネンによる1968年発表の同名の書籍をベースに、学生運動に感化されてゆく男子大学生の恋と闘争を描いたスチュアート・ハグマン監督の『いちご白書』。 サイモン(ブルース・デイヴィソン)の通う大学は、新しい施設の建設をめぐって学生運動の真っ只中にいました。一目惚れした活動家のリンダ(キム・ダービー)を追い、当初は受動的に闘争の中にその身を置いたサイモンでしたが、次第に学生運動に熱を入れるようになります。 これから突入しようという警官隊を前に、輪になった学生たちがプラスティック・オノ・バンドの「平和を我等に」を歌うシーンには、ドキュメンタリー映像と見紛うほどの臨場感があります。カンヌ映画祭では審査員特別賞を受賞しました。

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『ファイブ・イージー・ピーセス』

音楽家の一家に生まれるという上流階級的バックグラウンドを持ちながら、カリフォルニアの石油採掘現場で労働者としてその日暮らしを送るボビー(ジャック・ニコルソン)。裕福な家庭、労働者の集う石油採掘現場、妊娠中の恋人。そのいずれにも建設的な絆を形成できないボビーは、無軌道な逃避を繰り返します。 他者を見下し、社会と向き合おうとしないボビーの行動の根底に存在していたのは、徹底的に低い自己肯定感。自分を愛することのできない彼が、その心情を車椅子の父親に独白するシーンでは痛々しさが胸に迫ります。 監督は『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1981)や『お気にめすまま』(1992)で知られるボブ・ラフェルソン。ボビーの恋人レイを演じたカレン・ブラックは、この作品でゴールデングローブ賞最優秀助演女優賞を受賞しました。

『バニシング・ポイント』

ベトナム戦争で名誉勲章の受賞歴を持つ元海兵隊員のコワルスキー(バリー・ニューマン)は、制限時間までに車を陸送するという賭けをして、コロラド州デンバーからサンフランシスコまでの約1,900kmをハイスピードで爆走することに。 白のダッジ・チャレンジャーで警察の追跡を振り切り、米国西部の風景を駆け抜けるカーアクション満載のロードムービーです。監督はリチャード・C・サラフィアン。 戦争や恋人の死の記憶を抱きながら、ただひたすらにカリフォルニアを目指すコワルスキー。彼の存在を知ったネバダ州のラジオDJ、盲目でアフリカ系のスーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)は「美しく孤高のドライバー」「自由な魂」といった賞賛の言葉をコワルスキーに贈ります。 その行く手に待ち受けるブルドーザーのバリケードに、彼の下した決断とは......。

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『スケアクロウ』

刑務所から出所したばかりのマックス(ジーン・ハックマン)は、船上生活を終えたばかりのライオン(アル・パチーノ)と意気投合し、ペンシルベニア州ピッツバーグで洗車場を開業するためにカリフォルニアを出発。 短気で不器用なマックスと、人懐っこくも繊細なライオンという凸凹コンビの絆は、道中の様々な出来事を通して強固なものへと発展していきます。 暴力以外の解決法を知らず、自分には血も涙もないというマックスですが、妊娠した妻から逃げ出した過去への贖罪を果たそうと苦しむライオンに、有りっ丈の友情をぶつけます。監督はジェリー・シャッツバーグ。カンヌ国際映画祭では、グランプリの受賞を果たしました。

『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』

新しい車の購入資金のためにスーパーマーケット強盗を働いたNASCARレーサーのラリー(ピーター・フォンダ)とメカニックのディーク。ラリーが一夜を共にした女性メリーも加えて車に飛び乗り、警察の追手を巧みにかわしてゆくカーアクション映画です。 1963年発表のリチャード・ユネキスによる小説『追跡:チェイス』を『ヘルハウス』(1973)で知られる英国出身のジョン・ハフ監督が映画化しました。 シボレー・インパラやダッジ・チャージャーによるカーチェイスシーンは、CG抜きの本物の迫力に満ちあふれ、とりわけヘリコプター相手に繰り広げるカーアクションは高く評価されています。

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色褪せないアメリカン・ニューシネマ

媚びずに生きたいという若者の一途な思いを投影し、その潔さが心に余韻を残す作品も多いアメリカン・ニューシネマ。当時の米国の鬱屈した社会情勢を色濃く反映しながらも、僅かな希望を恋人や友人との絆に見出そうとする普遍的な人生観も兼備し、現代の日本に生きる私たちの共感をも獲得しうる魅力があります。 今回セレクトしたアメリカン・ニューシネマの代表作10点、ご参考になれば幸いです。