2018年4月5日更新

【ANAISによる“恐竜と映画とわたし”】②『アーロと少年』ドラッグあり、涙ありなピクサーの怪作

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アーロと少年 ゼータ
©Supplied by LMK

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過酷な人生が描かれた、恐竜が主人公のピクサー映画を紹介しよう

恐竜連載

こんにちは、恐竜をこよなく愛するナードな映画ライターANAIS(アナイス)です。最近はfunko pop!から遂に発表された念願の「ジュラシック・パーク」シリーズが可愛すぎて全部集めようと企てています。ちなみにこれはリミテッドエディションのディロフォサウルスです。可愛い……。 そんな私が「恐竜」と「映画」この二点を軸に進めて行く連載「ANAISによる“恐竜と映画とわたし”」。第二回目は現在絶賛公開中、全世界の涙腺をガバガバにした『リメンバー・ミー』のピクサーがおくる『アーロと少年』です。

第一回目はこちら

『アーロと少年』

この作品の魅力と言えば、やはり冒頭でも描かれる「隕石が地球に衝突せずに、恐竜が絶滅しなかった」という世界観でしょう。彼らは生き続け、今日の人類のように言語を会得し、農耕をはじめていました。 物語の主人公である、アロサウルスのアーロの一家もまた、トウモロコシを栽培し、サイロに貯蔵して冬に備えていました。草食恐竜が自分たちの食物を生み出すだけでなく、サイロまで作って、鶏にエサをあげるシークエンスには度肝を抜かれてしまいます。

臆病な草食恐竜、アーロと原始人の少年が旅にでる

さて、このアーロとは三人兄弟の中でも極めて身体が小さく、臆病者です。他の兄弟が畑仕事で一躍買うのに対して、まともに与えられた小さな仕事さえ全うできない彼。「恐怖心に打ち勝て」と父・ヘンリーは常々語るのですが、アーロは常にビビリまくりで、ヘマばかりしてしまいます。「成功体験さえあれば、彼も自信をつけるはず」と思った父は、ある日サイロからトウモロコシを奪う犯人を捕らえて殺すという、簡単で安全な(!?)仕事を彼に任せるんですよ。 早速仕掛けた罠にひっかかった犯人を殺そうとすると、それが人間であった事がわかります。ビックリしたアーロは彼を逃がしてしまい、その後事件が起きます。なんと、川沿いに逃げた少年と父とアーロが追いかけるうちに、嵐がおきて川が氾濫し、父が濁流に流されて命を落としてしまうのです。 そして、再び畑に戻ってきた少年の息の根を今度こそ止めようと追いかけて迷子になってしまったアーロが自分の家に戻ろうと奮闘する、というのがこの映画の大筋です。

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トリップシーンにPTSD、ダークすぎる怪作とも言える

ディズニー映画って、大人になって観れば観る程そのダークさに驚かされるばかりです。父親がまだ小さい子供であるアーロに、トウモロコシ泥棒を木の棒で「撲殺する」という極めてバイオレンスな仕事を任せるんですよ?更に、ディズニーの得意カードといっても過言でないプロット「主人公の父親が死ぬという悲劇」が今作でも発動! そして劇中では、謎の木の実を食べてハイになる、『トレインスポッティング』ばりのトリップシーンの他に、アーロが父の死によって抱えたPTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ様子が頻繁に描かれる。 そう、この映画はまるで“子供向け”ではありません。しかし、そこが肝なのです。大人が今作を観るからこそ、気づける深みがそこにあるのです。

優しいティラノサウルス、やっぱり悪者なラプトル

今作にはアロサウルスに、翼竜のプテロダクティルス、トリケラトプス、ティラノサウルスにラプトルらが登場するのですが、この恐竜たちの描かれ方も面白いので、注目していただきたい。 迷子になったアーロが少年と仲良くなって、帰路を探している際に彼らはプテロダクティルスに遭遇します。「嵐に巻き込まれて助けを求める動物をレスキューしている」と言う彼らでしたが、実は非情で猛禽。ほ乳類を補食し、アーロと共にいる少年に目をつけて攻撃してきます。 しかし、そこで彼らを助けたのが肉食恐竜であり、本来ならアロサウルスを補食するはずのティラノサウルス。彼らもまた、牛を放牧して暮らしていました。草食恐竜が野菜を耕せば、肉食恐竜は食用牛を育てる。なんて理性的な世界なのでしょう(笑)

ただ、全ての肉食恐竜が文明的になったわけではありません。後に、このティラノサウルスの牛を狙って襲いかかるラプトルの集団は依然として狩猟生活を続けていて、プリミティブな生活を送っている事がわかります。やっぱりラプトル、悪者なんですね(笑)

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ノンバーバルコミュニケーションで築かれる友情に涙

さて、この少年ですが恐竜のアーロに「スポット」というポチ的な犬につけるような名前を与えられたり、彼のために食料を調達してきたり、友達というよりペットに近い存在です。しかし、スポットもまた家族を亡くしてひとりぼっちである事が判明します。互いが木の枝を自らの家族に例えて、自分の身の上を語るシークエンスは、彼らが言葉を一切使わずに心を通わせる事ができる事を証明しました。

スポットはアーロに食べ物を与える事で命を守り、アーロはスポットの命を自分の身を駆使して守る。「愛する」「相手を大事にする」という事の原点でもあるこの行為こそが、彼らの友情を強固なものにさせました。 兄弟の中でも身体が小さく、それ故に色々な事ができなかったアーロは、自分よりも身体が小さいのに何倍も勇敢なスポットから、沢山の勇気をもらったことでしょう。 クライマックスでは再びアーロのトラウマである嵐が訪れ、追いかけて来たプテロダクティルスの集団にスポットを攫われてしまいます。今までの彼なら、尻込みして立ち向かう事ができなかった。しかし、パニック状態に陥り入りながらも人生で初めて守るべきものを見つけたアーロは、彼を助けに行くのです。

「家族大事」のメッセージより深く描かれる、「傷だらけな人生」

さて、先述の通り今作を大人が観ると何故刺さるかというと、ディズニーとピクサーが得意とする「家族大事」というメッセージ以上に、このアニメ映画を通してびっくりするくらいリアルに描かれた「人生」にあるのです。 とにかく、アーロがよく怪我をする。スポットを追いかけて川に流され、自分の住むエリアから遠のいてから、5分置きくらいに崖から落ちたり、転んだりして足をくじきます。しかも、川に沿って自分の家に帰ろうとするのですが、何度も何度も川に落ちて溺れるという、学習能力のなさ。 彼の痛がるシーンの多さたるや!「なんで怪我完治させるどころか、増やすんだ!」と突っ込んでしまいたくなるかもしれません。

しかし、これが“人生”なのです。実写、アニメ問わず映画で怪我をすれば、ご都合主義で暫くしたら治る事が多いので、視聴者側も深く気にする事はありませんよね。ただ、人生というのは怪我の連続であり、すぐに治るどころかすぐにまた新たな傷ができてしまう。 危ないとわかっていながらも、つい行ってしまう場所や・人がいて、何度も溺れてしまう。アーロがそういった人生という名の旅路で成長していく過程は、決してアニメの世界として限定されたものではなく、我々が今行きている旅路でもあるのです。

アーロと少年 ゼータ
©Supplied by LMK

さらに、アーロは道中スポットと同じような人間を見かけるも、自分が一人になりたくない、寂しいので無視して彼を連れて進んでいくのです。しかし、ラストシーンで再び人間の家族に遭遇した時、彼はスポットの幸せを考えて、人間の元に行くように促します。 どんなに強い友情や愛が築けていても、本当は住む世界が違う。それに気づきながらも、その相手が自分の元で暮らせば自分が幸せでいられるから手放せない、なんて事ありませんか?アーロ達が旅の途中に出会ったトリケラトプスも、自分の保身のために多くのほ乳類を身の回りに置いて彼らに依存していました。しかし彼と違い、スポットと別れる事を決意したアーロ。その姿に感動せざるを得ないのです。

冒険する事も、決して自分のテリトリーから出る事もなかった父・ヘンリーは、息子アーロに「恐怖心を失くす」事が大切だと説き続けていました。しかし、旅をしながら色々な事を経験してきたティラノサウルスは「恐怖を失くす事はできない。恐怖心を抱えながら、どう動くかが重要」と彼に語るのです。 できない自己を否定するのではなく、自分は何ができるのかを考え行動に移す事の大切さをティラノサウルスに教わるなんて。さすがピクサー、深いっす。

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【ANAISによる“恐竜と映画とわたし”】第3回目は4/7(土)公開予定!

ゾンビ・レックス 殺人ゾンビ恐竜 誕生(プレス)
(C)2016 Cyclopsdome and THE GAM3

この度第2回目は、ちょっと大人向けな恐竜アニメ映画『アーロと少年』の魅力を綴らせていただきました。 来週4/7には、私も大ファンである海外ドラマ『ウォーキング・デッド』シーズン8も佳境に差し掛かっているということで、ゾンビ×恐竜なB級映画『ゾンビ・レックス』をメインに、B級恐竜映画を紹介したいと思います。お楽しみに!