2018年5月27日更新

【連載】カルト(少数の熱烈な信奉)を産む映画たち⑤『サンタ・サングレ/聖なる血』

サンタ・サングレ/聖なる血

アレハンドロ・ホドロフスキー監督によって生み出された1989年の映画『サンタ・サングレ/聖なる血』。難解とされる同監督の映画の中では比較的やさしいと言われるこの映画。いざ見てみると、そこにあるのはおぞましい残虐描写と、涙なしでは見れない切ない愛でした。

グロすぎる?ホドロフスキー初の“一般向け映画”『サンタ・サングレ/聖なる血』

『エル・トポ』や『ホーリー・マウンテン』、そして2010年代に作られた自伝的な『リアリティのダンス』や『エンドレス・ポエトリー』。アレハンドロ・ホドロフスキー監督が手掛けてきた映画の多くはまさにカルト映画の極北ともいうべきもので、その残虐な表現とエロティシズム、宗教的な描写は賛否両論を巻き起こしつつも、熱狂的な支持を集めてきました。 そんなホドロフスキーのフィルモグラフィの中でも1989年の『サンタ・サングレ/聖なる血』は、彼自身が「初めて一般的な観客を意識した」という一本です。 とはいえいざ観てみると、残虐な描写はいつにも増して多く、必ずしも万人に勧められる映画とはいえないのかもしれません。しかしその先にあるのは、家族というものの危うさと、あまりにも切ない愛の物語なのです。

「サンタ・サングレ」その過激なあらすじ

主人公・フェリックスの悲惨な境遇

舞台はメキシコシティ。少年フェリックス(アダン・ホドロフスキー。ホドロフスキーの三男)は、両腕のない少女の像を崇拝する宗教の熱烈な信者である母・コンチャ(ブランカ・ゲラ)と、とんでもないサディストで浮気性なサーカス団団長の父・オルゴ(ガイ・ストックウェル)とともにサーカスで暮らしています。 フェリックスの家庭は荒んでいましたが、新しくサーカスに入ってきた聾唖の少女・アルマ(ファビオラ・エレンカ・タビア)に唯一の拠り所を見出し、惹かれてゆきます。 しかし、ある晩、アルマの母である全身刺青だらけの女(セルマ・ティゾー)とオルゴが浮気している現場を目撃したコンチャは、怒りに任せてオルゴの下腹部に硫酸をかけてしまいます。それに対し、オルゴはコンチャの両腕を切り落とした上で自殺。一部始終を見てしまったフェリックスは、精神病院に入院します。

退院後、フェリックスは連続殺人鬼に......

数年後。成長し、精神病院を出たフェリックス(アクセル・ホドロフスキー。ホドロフスキーの次男)の前に両腕のなくなったコンチャが現れます。フェリックスは付け爪にマニキュアを塗ってコンチャの両腕を演じ、二人で奇妙なショーを始めることに。 ところが、復讐に燃えるコンチャはフェリックスを操り、彼に近付いてくる女たちを次々に惨殺。かくして連続殺人鬼と化してしまったフェリックスはコンチャから逃れようとしますが、うまく行きません。どこまでもコンチャはついてくるのです。 そんなフェリックスの前に、美しく成長したアルマ(サブリナ・デニソン)が現れます。果たして、フェリックスは真の幸福を手にすることができるのでしょうか?

ここで、アレハンドロ・ホドロフスキーについておさらい

アレハンドロ・ホドロフスキー
©PHOTOPQR/NICE MATIN/MAXPPP

1929年にチリのトコピージャという小さな町でロシア系ユダヤ人の子として生まれたアレハンドロは、詩やパントマイムにのめり込み、パリへ。 その後、映画制作にも着手し、1970年に『エル・トポ』を発表し、ニューヨークのミニシアターで深夜上映されるやいなや熱狂的な支持を集めます。 その大ヒットを受け、潤沢な制作費で生み出した1973年の『ホーリー・マウンテン』もロングランヒット。しかし、1990年代以降は新作が作れない不遇の時期が続きました。 2013年『リアリティのダンス』を実に23年ぶりに発表。その続編『エンドレス・ポエトリー』共々自伝的な要素の強いこの映画は、日本でも話題になりました。

「サンタ・サングレ」そのあまりにも切ない結末とは【ネタバレ注意!】

ついに再会を果たしたフェリックスとアルマ。そこへまたしてもコンチャが現れ、フェリックスの体を操ってアルマを殺そうとします。しかし、アルマは全く物怖じしません。フェリックスはアルマの導きによってようやく真実に辿り着きます。 そう。実はコンチャはオルゴに腕を切られた時に死んでおり、フェリックスがコンチャだと思っていたのは彼女を模したただの人形だったのです。フェリックスは、母親の幻に囚われながら凶行に及んでいたのでした。 母を模した人形を燃やすことでコンチャの呪いから脱けだすフェリックス。悲しい事に、今までそばにいてくれた世話役の小人たちも幻で、彼らは手を振りながら消えて行きます。 アルマに導かれるままフェリックスは、「僕の手だ」といって喜びながらようやく自分の意思で両手を挙げ、外に集まっている警察の前へ姿を現すのでした。

ホドロフスキーが描く「親殺し」

ホドロフスキーは自らの作品の中で、度々父親に抑圧されたり、虐待される子供を描いています。『エル・トポ』ではエル・トポによって置き去りにされた息子が彼に復讐しようとしますし、『リアリティのダンス』と『エンドレス・ポエトリー』での主人公・アレハンドロの父は息子に対して暴力的に振る舞って抑圧します。 これは、ホドロフスキー自身の父が非常に厳格で暴力的な人物であったからだと言われています。若い頃のホドロフスキーは父の支配に苦しみ、そこから脱け出すために詩人の道を選んだのです。 本作でも、映画の最初の方でフェリックスの父オルゴの暴力性が描かれます。オルゴはフェリックスを「男にしてやる」といって胸にフェニックスの刺青を彫るのです。 そんなフェリックスの刺青にアルマが手を添えて、羽ばたいてゆく仕種を見せます。この時だけ、フェリックスは父から解放されるのです。刺青が父の抑圧の象徴として映画の中で機能しています。 母の呪縛を描いているのもこの映画の特徴ですが、元を辿るとこれは父の身勝手な振る舞いと暴力性が招いたもの。映画の最後でコンチャの人形を燃やした時、フェリックスは母親の呪縛だけでなく、父の支配からも脱し、初めてアルマによって与えられる幸福を手に入れたのです。

他にもある!「親殺し」をテーマにした映画

子供が母親を愛するあまり自らの父を憎む状況を、フロイトは「エディプス・コンプレックス」と定義しました。また、ユングは、母親から独立するために母親を憎んでしまう「母殺し」という概念を提示しました。 こういった題材は古来より様々な作品で見られてきました。古くは「エディプス・コンプレックス」という単語の語源ともなった古代ギリシャ悲劇『オイディプス王』でこうした「親殺し」の題材が扱われています。 映画でいうと、寺山修司の『田園に死す』は母殺しがテーマの作品として知られています。実はホドロフスキーの映画を日本で紹介したのは、寺山なのです。そう言われて改めて観てみると、両者の映画はどことなく作風も似ているような......。 大人になってしまうと忘れてしまうと言われている、親殺しの感情。ホドロフスキーの映画は、そんな忘れてしまった言い難い感情を呼び起こしてくれるのかもしれません。 それではまた。次回は、第6回目でお会いしましょう。