2020年7月20日更新

映画『ファイト・クラブ』を徹底解説!散りばめられたサブリミナル効果の意味は?【ネタバレ注意】

ファイトクラブ
© 20th Century Fox/zetaimage

1999年公開『ファイト・クラブ』は、エドワード・ノートンとブラッド・ピットが主演を務めたサイコスリラーです。この記事では、難解映画と呼ばれる本作のラストの意味や伏線について詳しく解説します!

目次

難解映画『ファイト・クラブ』を解説!サブリミナル効果とは?

1999年に公開した、デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』。本作ではエドワード・ノートンとブラッド・ピットが主演を務め、映画後半のどんでん返しが大きな話題を呼びました。 この記事では、難解映画と言われる『ファイト・クラブ』のラストシーンの意味や、張り巡らされた伏線について徹底解説していきます!

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【ネタバレ注意】『ファイト・クラブ』のあらすじを振り返る!

自動車会社のリコール調査員として働く「僕」は、ブランド品に囲まれ物質的に満たされた生活を送りながらも心は満たされず、不眠症に悩んでいました。 そこで精神科医に勧められたがん患者の集いに参加してみると、死に直面した悲痛な告白を聞くことで自然に泣くことができ、不眠症も改善。しかしそこで偽患者のマーラと出会い、平穏な日々がかき乱され、再び眠れなくなってしまいます。 そんな中、事故と見られる爆発で自宅が焼失したことをきっかけに、飛行機で偶然出会ったタイラー・ダーデンという男と過ごすようになります。2人は素手で殴り合う会員制の地下組織ファイト・クラブを立ち上げ、「僕」は不満に思っていた会社での悩みを解決していきました。 ところが徐々に、クラブの会員はタイラー率いるテロ集団「スペース・モンキー」へ変貌。社会への破壊行為に反対する「僕」はタイラーの大規模な金融ビル爆破計画を知り、阻止しようと動き始めました。 その過程で主人公は、実際にはタイラーという人物は存在せず、自分の別人格だったことを知ってしまいます。 「僕」は爆弾を解除しようと金融ビルへ突入し、自ら仕掛けた爆弾を解除することに成功。しかしそこで再びタイラー=「僕」が暴走し、また爆弾をセットしてしまいます。追い詰められた「僕」は自分の妄想を止めるため、自分の顎に銃を突き付けるのでした。

実は伏線のカギだった!マーラという女性の存在

ファイトクラブ
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重い病気を患った患者が集うセミナーに参加していた主人公は、そこでマーラという女性に出会います。彼女は金銭的に余裕のある主人公と立場は違うものの、同じ心境を持った人物でした。 主人公にもマーラにも友人がおらず、人生の目的を失った2人の様子はとても似ています。主人公がマーラを邪険に思うのは、まるで自分を見ているかのように感じたからです。 マーラがタイラーと関係を持っていると思っていた主人公でしたが、実際には主人公が別人格タイラーとしてマーラと関係を持っていたのでした。 よって主人公がマーラにタイラーの話をした時には、「誰?」と聞き返されています。主人公とタイラー、マーラの3人での会話は1度も成立しておらず、タイラーが主人公の別人格であることの伏線となっていました。

『ファイト・クラブ』の名言が響く理由

主人公の「僕」の名前がはっきり映画に現れない理由は、本当の名前がタイラー・ダーデンである可能性もありますが、不特定の現代人を表しているためだと考えることができます。主人公のように、金銭的に自立した存在でも、日々生きている意味を感じられずにいる人は多いはずです。 作中で数々の名言が飛び出す『ファイト・クラブ』。タイラーが発する「生きること」についてのセリフが心に響くのは、彼の言葉が主人公「僕」だけでなく、現代人にも共通するアドバイスだからではないでしょうか。

ファイト・クラブにおける暴力と痛みとは

ファイトクラブ
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「僕」とタイラーが立ち上げたファイト・クラブのルールが意味するものはいったい何なのでしょうか? 『ファイト・クラブ』は時に、男性の力強さを強調し、暴力を推進する映画と捉えられることもあります。しかしクラブのルールには、むしろ暴力を楽しむことを控えるような表現があります。1対1の戦いや降参に関するルールは、暴力が行き過ぎることを抑圧するものです。 さらにクラブで行われるファイトの意味は、殴られて痛みを感じることにあります。人は痛みを感じることで生きていることを実感するというタイラーの言葉通り、本作は暴力ではなく、“生きていることの感覚”をテーマにしています。

深層心理に訴えかける!本作に隠されていたサブリミナル効果

サブリミナル効果とは、知覚できない速さの刺激を与え、潜在意識に影響を及ぼすことです。映画の1コマに、知覚出来ない何らかの画像などを挟むことで、潜在意識へメッセージを送ることが出来るとされています。 本作では物語が始まってすぐに、このサブリミナル効果が使われています。主人公がまだタイラーと出会っていないシーンに、タイラーの映像が何度も映し出されているのです。 例えば会社でコピーを取っている主人公の目の前に、精神科医の背後に、患者の会を立ち去るマーラの前にと、それはもうしつこいくらいにタイラーが一瞬だけ現れます。決定的なのは空港で、「僕」が「違う人間になれる?」と自問する場面でしっかりタイラーとすれ違っていました。 このようにタイラーが登場する前から、彼の存在は潜在意識に刷り込まれていたのです。サブリミナル効果を利用して商品イメージを垂れ流すCMをあざ笑うかのごとくタイラーを出現させ、まるで消費社会を批判しているようです。 さらに『ファイト・クラブ』のラストシーンには、男性器の1コマが挿入されています。これはタイラーが映写技師として働いていた時の「ファミリー映画にポルノをはさむ」遊びと同じですが、本作で強調されている「男性像」を表してしているともいえます。

行き過ぎたタイラーを止める主人公

『ファイトクラブ』
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「僕」と正反対とも言える存在のタイラーは、主人公の理想とする人格でした。不眠症で悩んでいる主人公は「気づくと知らない場所にいる」と語っており、たびたびタイラーとして生活を送っていたことが予想されます。 ファイト・クラブを始めてから、タイラーに感化された主人公は自信を持ち始め、会社関係の問題を解決していきます。 自身の理想に少し近づいた主人公でしたが、タイラーの影響が自身だけでなく社会へと向けられた時、理想であるタイラーになることを拒んで彼を止める事を決心しました。

衝撃のラストシーンの意味を解説!

『ファイト・クラブ』のラストでは、「僕」が自分の頬を打ち抜くことで、タイラーという人格を消すことに成功します。彼は自信に満ち溢れた表情でマーラに声をかけ、ビルが崩れていく時も落ち着いた様子でした。 マーラと手を繋ぎ、2人が死に直面しながら「生きている」ことを実感する場面で、映画は幕を閉じます。主人公はタイラーでもなく「僕」でもなく、2人を統合した「真実の人格」を得たといえるでしょう。 また資本主義を代表する金融街のビルが軒並み崩れていく様子は、物質至上主義の崩壊を示していると考えられます。これを目の前にして主人公が「これからはすべてよくなる」と口にするのは、皮肉にもタイラーの目指した「革命」が達成した結果でもありました。

男の教科書『ファイト・クラブ』の魅力

ファイトクラブ ブラッドピッド
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消費主義社会の中で「モノ」に躍らされ、コマーシャルのサブリミナルで購買意欲を操られる現代社会。『ファイト・クラブ』は、強迫観念で物を買い続けていた「僕」が物質至上主義と決別し、死を身近に感じることで本来の「生きる」感覚を取り戻して社会と闘争する姿を描いています。 ファイト・クラブによって物質に取り込まれた自己を破壊し、男の戦う本能を目覚めさせた本作。だからこそ今でも「男の教科書」であり、タイラー・ダーデンというキャラクターが支持され続けているのではないでしょうか。