【ネタバレ感想】『未来のミライ』がつまらないと評価された理由とは?鑑賞後のモヤモヤを整理・考察してみた
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【ネタバレ感想】『未来のミライ』がつまらないと評価されている理由を考察
映画『時をかける少女』などの名作を世に送り出した細田守監督が、”兄妹”をテーマに描く長編オリジナル作品第5作『未来のミライ』(2018年)。 本作では甘えん坊の4歳児”くんちゃん”が、未来からやって来た妹・ミライちゃんと出会い、家族の歴史をめぐる不思議な冒険に出発します。第42回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を獲得したほか、米アカデミー賞長編アニメーション映画賞ノミネート、第71回カンヌ国際映画祭の「監督週間」選出など特に国外で高評価を得ました。 その一方で、日本では「面白くない」「つまらない」という感想・評価が少なくありません。 今回は映画『未来のミライ』がなぜ賛否両論を巻き起こし、これまでの細田守作品のように広く受け入れられなかったのかを考察していきたいと思います。 この記事には映画のネタバレが含まれますので、未鑑賞の方はご注意ください。
『未来のミライ』にマイナス評価が集まった理由はストーリーにあり?ネタバレ注意
予告編の段階では「くんちゃんがミライちゃんに導かれ、”一緒に”時間を旅するワクワク冒険活劇」を想像した人が多いのではないでしょうか?かく言う筆者もそのひとりで、多くの鑑賞者が抱いた困惑、裏切られた気持ちは理解できました。 ミライちゃんの出番は全体の半分もないですし、心底から共感できるキャラクターも、万人ウケするエンタテインメント性もありません。 と言うのも、イヤイヤ期の4歳児と家族の日常を描きつつ、「時かけ」でお馴染みの「タイムリープ」要素で、成長した妹が現れ、過去と未来を行き来しながら白昼夢的な異世界にも迷い込んで……という複雑な場面転換が、脈絡なく行われるからです。 何のトリガーもなく、エピソードが唐突に始まり、また唐突に終わる。そこに、例えばくんちゃんが擬犬化するといった意味深な伏線(のようなもの)を挟んでいくため、「何がどうなってるの?」状態のまま観終わってしまう恐れがあるでしょう。 こうしたストーリーになったのは、細田守監督とその息子の実体験が原案になったこと、初の細田守単独脚本であることが影響していました。
解決しない謎が多すぎ!?なぜミライは未来からやってきたのか?
『未来のミライ』は”未来のミライちゃんの登場”が重要な要素なのですが、その原理や理由は最後まで不明のままでした。「お雛様ミッション」を一応の理由している一方、タイムリープの仕組みがブレブレなのも相まって、納得できない……! しかし、ミライちゃんの右手の痣、擬犬化など解決されていない疑問のいくつかは、監督インタビューなどを読めば腑に落ちる点もありました。
くんちゃんのモデルは細田守監督の息子?4歳の男の子の夢から始まった!
細田守監督は家庭を持ったのと同時期、『サマーウォーズ』辺りから自身の”家族観”を作品に盛り込むようになり、新しい作品ほどそれが顕著になります。 そもそも本作も、監督の息子が妹に親の愛情が奪われたと嫉妬し、泣きながら床を転げ回った姿や、「大きくなった妹に会った」などの息子の”夢”に着想を得た作品でした。実際の4歳児の夢をつなぎ合わせた結果、オムニバス色が強くなり、各要素が結びつかなくなったのでしょう。 タイムリープも、整合性のとれない謎も、幼い男の子の夢だからと言われてしまえばそれまでですが、SF的要素があるだけに「深い意味があるはずだ!」と考察する人もいるようですね。
脚本家・奥寺佐渡子の不在で、細田守の作家性がより強くなっている
タイムリープなのか、白昼夢なのか、果ては”未来の”くんちゃんの精神世界説まで考察される大混乱となった原因のひとつは、脚本家・奥寺佐渡子の不在です。 奥寺は『時をかける少女』から前作『バケモノの子』まで、単独にせよ監修のみにせよ何らかの形で関わっていましたが、本作の脚本には参加していません。前作『バケモノの子』には脚本協力として参加した奥寺。細田守が大半を担った脚本は、バランスの悪さ、特に後半の展開が批判の的になりつつ、彼女の監修によって成立したと指摘されています。 さらに『未来のミライ』の細田守単独脚本で変化した点は、説明口調の台詞が増え、作品テーマをキャラクターにそのまま語らせてしまったこと。メインターゲットは「子ども(とその親)」なので、ある程度の説明は必要でしょうし、そこが悪いのではありません。 観客からすると「奥寺不在で納得できないストーリー展開が多くなった上、観ていれば伝わるであろうことをペラペラと語らせるのに、本当に意味が知りたいシーンは謎のまま」なことに萎えてしまった、というわけなのです。
共感しづらい設定だけど“とある家族の日常”がリアルだった
『未来のミライ』が万人ウケしなかった理由に、メインターゲットから外れた観客には共感しづらかった、ということもあるかもしれません。 すべての発端となる”妹への嫉妬心”に共感するのは、年齢の近い妹弟を持つ兄姉がほとんど。「子育てあるある」も、親でないとピンとこないでしょう。ただし、監督の身近にモデルがいるだけに、くんちゃんや赤ちゃんミライの動きはとてもリアル! 小さな手がくんちゃんの指を掴もうとするシーンは繊細かつ美しく、肌の柔らかさまで伝わるようで、天使過ぎる愛らしさ……。一歩離れた冷静な視点から、“現実の家族関係を作品に落とし込む”細田守の作家性が強く出ており、ホームビデオにも思えました。 「こんな家族がどこかで生きているかも」と感じられるものの、写実的すぎる故に目を塞ぎたくなるシーンが存在し、評価が割れるポイントとなってしまいました。4歳児にはあり得るのかもしれませんが、「好きくない!」と泣きわめき、妹の頭をおもちゃで殴るといったくんちゃんの問題行動を延々と観せられ、気持ちが疲弊していくという声も。 リアルさが裏目に出た部分もあり、独自の家族観や子育て描写に見える男女観に迎合できないと、居心地の悪さを感じる人もいたでしょう。
『未来のミライ』で上白石萌歌がくんちゃんの声優になった理由
細田守は俳優の声優起用が多い監督と言われ、『未来のミライ』のメインキャストにも、本業の声優はほぼ起用されていません。その是非はともかく、本作では「上白石萌歌の声が4歳の男の子に聞こえない」という、批判の声が目立ちました。 実は主人公の声優は、同年代の6~10歳くらいの男の子から選ばれる予定でした。上白石もくんちゃんではなく、ミライ役でオーディションを受けたのですが……。 これには、監督が彼女にくんちゃんの泣き声、犬の鳴き声も演じてもらい、イメージとぴったりだったため主演に選ばれたという経緯があります。泣きわめく演技は作品のキーポイントとなる”妹への嫉妬心”を表すものであり、重視したのは納得ですね。 泣き声を含め演技は上手でも、出演時間が最も長い主人公の声に違和感を覚えてしまうと、最後まで引っかかり続けるのかもしれません。ですが、声優初挑戦の女優に女性声優でも難しい男の子、まして幼児の声のクオリティを求めるのは、少し酷かもしれません。 細田監督が、嫉妬心を表す泣き声を重視し選ばれた上白石萌歌の声は、それ以外の場面で4歳の男の子像とはかけ離れていたため、観客との間にギャップが生まれてしまったようです。
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東京駅のシーンは圧巻!各界のプロによる映像美は一見の価値あり!
本作はプロの建築家、谷尻誠が設計した不思議な一軒家という小さな世界を舞台に、異なる時間・世界を巡る壮大なストーリーが展開されます。くんちゃんは小さな木が立つ箱庭を「ゲート」として、それぞれ異なる雰囲気に包まれる世界を旅しました。 その中でも、東京駅のシーンは圧巻!絵本作家のtupera tupera(ツペラ ツペラ)が生み出した駅員は不気味で、60を超えるホームが複雑に入り組み、無表情な人々の中で取り残されたくんちゃんの心細さを強く感じさせる空間でした。 制作を担当したのは『おおかみこどもの雨と雪』などにも参加した映像企画・制作会社「デジタル・フロンティア」で、精密なCGをふんだんに使用! 黒い新幹線も鉄道車両を実際に設計、製造する川崎重工業にデザインを依頼しており、各業界のプロたちと作り上げたシーンでした。この東京駅のために映画を観る価値はありますし、映像への並々ならぬこだわりが魅力となり、国外の評価にも繋がりました。
4歳児の冒険に、大の大人が教えられたことがある【ネタバレ感想】
東京駅からの帰還。
赤ちゃんのミライちゃんを救い、中学生のミライちゃんに助け出されたくんちゃんは、もうそれまでのくんちゃんではありませんでした。もちろん4歳児であることには変わりないのですが、お兄ちゃんとしての自覚が大きな変化をもたらしたようです。
そして、くんちゃんの様々な異世界・異空間での冒険の中で、大の大人の心にも刺さったセリフがひとつ。横須賀のひいじいじが、馬に乗ることを怖がるくんちゃんに告げます。 「下は見ねえで、遠くだけを見ろ。遠くだけを見ろ。」 くんちゃんは自転車に乗れるようになりました。下を見ずに遠くを見る。前を向く。そういう生き方ができたからこそひいじいじが愛する人と一緒に幸せになることができたのだ、と知るのは、それからちょっと経ってからのことです。 非常にシンプルなセリフですが、生きていく上で大切なことがぎゅっと詰まってるこの言葉。そしてその言葉を信じ、一歩ずつ前へ進んでいくくんちゃんの姿。私たちもついつい嫌なことや怖いことに目を向けがちですが、明るい未来が待ってると信じて前向きに行動することが大事なんだと、感じさせらるシーンでした。
細田守が『未来のミライ』で描きたかったのは家族のあり方の多様性だった
細田守監督はciatrのインタビューに対し、『未来のミライ』のポイントは「時間軸で縦に広がっていくこと」だと語ってくれました。 作品のメッセージにも通じており、終盤の「会ったことのない、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんまでずっと繋がっている」という、ミライちゃんのセリフが全て。些細な偶然を積み重ねた歴史=家族で、その連続した時間の中で人は成長するのです。 両親も祖父母も昔は子どもで、くんちゃんだったということ。本作ではくんちゃんがそれを理解し、他者を認識して”未来ちゃんの”お兄ちゃんになる過程を描きつつ、”子どもは親の知らぬ間に突然成長する”神秘を可視化したのではないでしょうか。そうであれば、唐突な場面転換はひとつの演出であるように思えます。 一見、理想的な家族像を「気持ち悪い」「押し付けだ」と批判する声もありますが、監督は自らの家族観すら冷静に捉えています。それは台詞の端々に感じられますし、実は小説版ではおとうさんおかあさんの欠点を、辛辣に批判していました。 歴史はそれぞれ違うのだから、子どもの成長と見守る親のあり方、関わり方は家族ごとに模索すれば良いのではないか、という提案と言えるかもしれません。
『未来のミライ』の感想・評価は人それぞれ。立場によって見方が変わる作品
細田守ワールドはどこへ向かうのか?次回作にも期待!
本作で特に批判されたのは、「脚本のバランスの問題」「誰もが共感できる設定ではない」「声優のキャスティング」の主に3つでした。 細田守の作家性が最も発揮された一方、子どもの夢が原案であるために日常パートと異世界パートが一本の軸で繋がらず、脚本バランスが崩れることに。声優はともかく、観客の受け取り方次第な部分で、監督の狙いや意図が悪い方にはたらいた感も否めません。 たとえ今は共感できなくとも、年齢を重ねたり、親になったりして立場が変わると、その時どきで感じ方が変わる映画ではないでしょうか。映像美がますます進化し、円熟味を増して行く細田ワールドが今後どうなるのか、次回作にも注目ですね!