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面白い、けど難しい!映画『ダンケルク』の凄さを調査・考察してみた

2018年10月30日更新

クリストファー・ノーラン監督の映画『ダンケルク』。こちら、大変素晴らしい傑作だったんですが、「これはどういうシーンなんだ……?」と首を傾げる場面もいくつかありました。そこでこの記事では、筆者が思わず首を傾げた難しい場面の解説をしていきます。

映画は好きだけど世界史は苦手、そんなあなたのための『ダンケルク』解説

クリストファー・ノーラン。「ダークナイト」シリーズや『インターステラー』などを手がけた映画監督としてご存知の人も多いかと思います。 一方で、話題が「第二次世界大戦」となるとどうでしょう?「日本に原爆が落とされた戦争」「ヒトラーとかいうヤバイおじさんがいた戦争」など、曖昧な知識しかない人もいるのではないでしょうか?(もちろん、例外もいるとは思いますが)。ちなみに筆者は、高校時代も日本史を選択していたため、第二次世界大戦の知識がかなり乏しいです。 そんなわけで、ノーラン監督の最新作『ダンケルク』の鑑賞中も、「凄い臨場感や!」「なんか傑作っぽいぞ!」と作品のクオリティにワクワクしつつ、同時にどこか作り手に対して申し訳ない気持ちを抱えていました。 というのも、映画を鑑賞する上で前提となる史実への知識が足りないので、「今、何が起きているんだ……?」とポカンとしてしまう場面も少なくなかったのです。 せっかくの作品を、自分の知識や理解力不足で存分に楽しめないのはあまりにもったいない!ということで、この記事では、筆者が視聴中に思わず「ポカンとなった」ことを中心に、作品の理解を深めていきたいと思います。 なお、記事の性質上、ネタバレ要素も含んでしまいますので、ネタバレを回避したい人はUターン推奨です。

なんか急に始まった!そもそも「ダンケルクの戦い」ってなんだ!?

映画『ダンケルク』は、基本的には難しい話ではありません。全体を通して、第二次大戦におけるある撤退作戦を描いた作品です。同時に、本作はこの戦いに関すること以外の部分、つまり「なぜこの戦いが始まったのか」など、戦争に関する説明的な描写は極限まで排除されているのが特徴といえるでしょう。 それは冒頭から顕著です。主人公の兵士は、いきなり敵対する軍の狙撃を受け、逃亡することになります。彼がなぜ狙われ、敵が誰であるか、といった説明は省かれ、劇中では徹底してこの攻防のみをスリリングに捉えているのです。 ノーラン監督の過去作『ダークナイト』同様、導入の「掴み」のシーンとしてはバッチリなシークエンスで、多くの観客は冒頭からスムーズに作品世界に没入することができるでしょう。 しかし、筆者がこの場面で「誰と誰がなぜ戦っているのか?」と、ポカンとしてしまったのも事実です。そこで、まずはこの「ダンケルクの戦い」の史実を簡単にまとめてみたいと思います。

ダンケルクの戦い〜開戦前/ドイツVSイギリス・フランスの戦い〜

ダンケルクの戦いとは、第二次世界大戦初期の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘のことです。 当時、ドイツ軍は突如としてオランダ、ベルギー、ルクセンブルクへと侵攻。さらにベルギーとフランスの国境を突破し、北フランスを席巻。 イギリス・フランス両軍はドイツ軍によって包囲され、フランス本土最北端のダンケルクにまで追い込まれる事態となりました。

ダンケルクの戦い〜その決着/「ダンケルクスピリット」とは?〜

イギリス・フランス両軍の撤退作戦を、イギリス側はコードネーム「ダイナモ作戦」と称しました。この作戦における両軍のミッションは、331226名の兵士を、フランスのダンケルクから救出することでした。この戦いでは、貨物船や漁船といった様々な民間の小型船も利用され、最終的に両軍は約70%の兵士を救出することに成功します。 これらの小さな船たちが起こした奇跡はイギリス国民の心に深く刻まれ、のちの西部戦線において彼らが士気を高めるきっかけにもなりました。 彼らが一致団結して困難に立ち向かう際には、「ダンケルクスピリット」という合言葉が用いられるようになりました。日本でも「大和魂」などの言葉が使われることがありますが、それに近い感覚なのかもしれませんね。

話があっちこっちに……!陸海空、それぞれの戦いを整理したい!

ノーランはイギリス人だから説明が少ないのか……?でも、もう少し説明が欲しい!

ダンケルク
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本作を手がけたクリストファー・ノーラン監督はイギリス出身の監督です。それだけに、本作は監督にとっては相当馴染み深く、思い入れもある題材なのでしょう。また、自国の出来事だけに、「ダンケルクの戦い」に対しての前提となる知識が日本人とは比べ物にならないほど多いことも容易に想像できます。 本作の導入部での過度な説明が排されているのは、映画的な効果・説明の取捨選択を踏まえた上での結果だとは思いますが、監督がイギリス人であるということも少なからず影響しているのではないでしょうか。 とはいえ、筆者が本作を構成する「陸」「海」「空」の3つの戦いを見て少なからず混乱したのも事実。そこで次は、この三つの戦いを整理していきたいと思います。

「陸」の戦い

本作の起点となるのが、「陸」の物語です。このパートでは、英国陸軍二等兵のトミーが敵から逃げ惑いながら脱出を目指す「1週間」の物語が描かれます(この1週間というのがポイントですね)。

「海」の戦い

次に出てくるのは、小型船の船長・ドーソンとその息子・ピーターが兵士たちの救出を目指す「海」を舞台にした「1日」の物語。 これは、「陸」の物語のラスト1日と交差して描かれています。

「空」の戦い

最後に登場するのは、「空」を舞台にした物語。英国空軍のパイロット・ファリアが、ドイツ軍の戦闘機から味方の兵士たちを守ろうとする「1時間」の物語が描かれます。 なお、「空」の物語は「陸」「海」の物語のラスト1時間と交差する形で描かれているのも特徴です。

「陸」「海」「空」の時間軸と各パートのコンセプトがわかれば見やすくなるかも?

こうして改めて「陸」「海」「空」を並べてみると、それぞれが描いている時間軸と、物語のコンセプトがグッとわかりやすくなりました。 これらを念頭において作品を見直してみると、物語への理解度がより深まったのではないでしょうか?

そもそも日本ではフィルムで『ダンケルク』は見れない……?

ここまで『ダンケルク』のストーリーの背後関係などを振り返ってきましたが、その過程で、実は日本では『ダンケルク』を監督の意図した形で楽しむことは極めて難しいのだということもわかってきました。 本作の撮影は、IMAX70mmフィルムで行われました。これは通常の映画に用いられることが多い35mmフィルムより高品質とされ、現在のデジタル処理より解像度が高い唯一のフィルムフォーマットです。 美しく、広範囲な撮影が可能になるIMAX70mmフィルムは画面も大きくなるのですが、日本ではIMAX70mmフィルムを上映できる施設はなく、上映のためにフィルムのデジタル処理をするため、画面の上下40%がカットされた状態で上映されることもありました。また日本最大級の「109シネマズ 大阪エキスポシティ」ではフルサイズで上映されましたが、フィルム上映はできませんでした。 大画面での臨場感なども魅力の本作を鑑賞する上で、監督の意図した形で作品を視聴できないのは残念ですね。

大画面に爆音、ノーラン監督は何を狙っていたのか?

このように、IMAX70mmでの撮影は本作の特徴の一つとして挙げられますが、それと同じく、音響にもノーラン監督のこだわりが伺えます。 本作の効果音は、全体的にボリュームが強めに設定されているのか、作品を鑑賞したダンケルクからの本物の帰還兵は「実際の爆撃よりも映画の音の方が大きかった」と感想を漏らしたとか。その他にも、一般の観客から作品に対して「音が大きすぎる」とクレームが寄せられることがあったそうです。 本作は、説明的なやりとり等をかなり削っているので、一歩間違うと観客は「理解不能」と飽きてしまう可能性もあります。ノーラン監督は可能な限りダイナミックな映像や音響で観客を作品に惹きつけると同時に、それらを使って、観客が実際に戦場にいるような没入感を与えようとしたのではないでしょうか。 上のインタビュー動画での発言からも、それを読み取ることが出来ます。

あれ、人が少ない……?何故ノーランはCGを避けるのか?

ノーラン監督は、一部の例外的な作品を除いてCGをほとんど使用しない作風で知られています。例えば、過去作品の『ダークナイト』では、大型の車両を実際に転倒させて撮影したというエピソードなどは有名です。 そうした作風は、『ダンケルク』でも踏襲されており、劇中に出てくる軍艦は本物、撮影場所は実際に戦闘が起こった場所など、ノーラン監督の「本物」に対するこだわりを挙げていくとキリがないほど。 一方で、CGを使わずに33万人を超える兵士を表現する為に、本作では1500人のエキストラと厚紙を切り抜いて作った兵士を使ったという一風変わったエピソードも明らかになっています。 このような監督のこだわりは広く知られていますが、その弊害としてか、クライマックスのあるシーンでは「人が少ない」と指摘されることもあります。徹底して本物にこだわるノーラン監督がこうした指摘を事前に予想できなかったとは考えにくいです。 監督は、批判を承知の上で、それでもCGに頼ることを拒んだのでしょう。 そこまでして、ノーラン監督は一体何を表現しようとしたのでしょうか?

本物志向のノーラン監督は本作でいったい何を伝えようとしたのか?

ダンケルク
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ここで注目したいのが、本作が史実に基づく物語という点です。 「本物」が大好きなノーラン監督。そして、今回の映画で描かれているのは史実、つまり「本物」です。この物語をなるべく史実に描くために尽力してきたノーラン監督は、そこでCGに頼ることができなかったのではないでしょうか? そこには、観客にこのダイナモ作戦をリアルに体感させようという狙いがあったように思います。 観客が作品に没頭し、物語の中に実際に入り込んでいるような感覚を持っていた場合、スクリーンに映る人数の少なさは気にならないでしょう。例えば自分が実際に人混みの中にいる時に、集団の全体像が把握できない状態と似ているかもしれません。 スクリーンに映る人の物理的な少なさは、観客一人一人の没入感で補えると、監督は考えたのではないでしょうか。

「陸、海、空。戦場の全員が英雄だった」という哲学

また、全編を「陸」「海」「空」の3つのパートで構築する群像劇という構造にも、監督の哲学が感じられました。 本作では、「陸」「海」「空」のそれぞれのキャラクターの活躍が、比較的対等に描かれています。そして、例えば単身で敵を殲滅するようなヒーローは出てこず、本作で描かれるのは、あくまで「集団のヒロイズム」です。 物語を3つの視点から描き、それぞれに突出した人物を配置しないことで、監督は「この作戦に参加した人間全てが英雄である」という自分なりのメッセージを描こうとしたのだと思います。 全てをリアルに描こうとした結果、監督は「この戦いに参加した全員が英雄」ということこそが本作をリアルに描く上での必須条件と考え、このような構造を持った物語として映画『ダンケルク』を生み出したのだと、筆者は思います。

『ダンケルク』の作風には監督の強い意思が込められている

映画はわかりやすくなくてはいけないのか

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実は、本作を通して筆者が一番わからなかったのが、「監督が作品を通して何を描こうとしたのか?」という点だったのですが、色々と調べていくうちに、監督は純粋に「ダイナモ作戦」をできるだけ忠実に描こうとしたのだということがわかってきました。 史実をできるだけ忠実に描くだけで、一本の映画として十分に魅力的なものになる。監督は、それだけこの題材に敬意を表していたのでしょう。本作で、キャラクター一人一人に特別なドラマを用意しなかったのも、監督のそうした意図があったからこそだと思います。 通常の映画ではカットされてしまうような「その他大勢の人々」が英雄となった「ダイナモ作戦」を描く上で、とってつけたような個々人の特別なストーリーは不要だったのでしょう。そうしたことを踏まえて見返してみると、また違った形で作品を楽しめるのではないかなと思います。 とはいえ、本作がわかりにくいのも事実だと思います。 ただ、ノーラン監督があえてわかりにくい構造を選んだのにも、「映画は一回で理解できないといけないのか?」「繰り返し見て、自分なりの解釈をする方が有意義な映画体験となるのでは?」という意思が見え隠れしているような気がします(事実、筆者は説明的な情報が極端にカットされているからこそ、こうして本作を考察するに至ったわけです)。 ただし、この記事にはあくまで筆者の解釈に過ぎない部分が多分に含まれているので、要注意。これから『ダンケルク』を見返したい人は、是非、自分なりの答えを探してみてください。きっと筆者とはまた違う答えが導き出されることでしょう。そしてそれこそが、この映画の醍醐味なのだと思います。