2019年11月18日更新

『火の鳥』の魅力を全編ネタバレ解説!手塚治虫が手掛けた不朽の名作

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『火の鳥』の魅力を全編ネタバレ解説!手塚治虫が描いた壮大な物語

『命』をテーマにした手塚治虫のライフワーク

手塚治虫は、戦後から漫画家として活動し、彼の作品はいまだにリメイクされたり読み返されたりと、親しまれ続けています。その中でも『火の鳥』は手塚治虫のライフワーク的な作品で、漫画家活動初期から晩年まで描き続けられてきました。 その血を飲めば、永遠の命が得られるいう火の鳥。その火の鳥を巡り、はるか古代から遠い未来まで、「命」をテーマにした物語が紡がれます。手塚治虫の思想をベースに、人間の「生きるが故の苦しさ」が壮大に描かれました。 物語はそれぞれの「編」として完結しつつも、そのすべてが繋がっています。手法としては、過去、未来、過去、未来と交互に描かれ、徐々に「現代」に近づいていくというもの。そしてこの「現代」は、手塚治虫自身が「自分の死亡時刻」と位置づけていました。自らの死をも作品構想に入れ込むという、まさに桁外れなスケールで描かれた人間ドラマなのです。

長い歴史の中に生まれた壮大なストーリー

『火の鳥』が最初に連載されたのは1954年の漫画少年における「黎明(れいめい)編」です。その後、いくつかの雑誌で連載され、1986年に野生時代で連載した「太陽編」にて一旦終了。 しかし、実際はその後の構想もありました。最終的には、手塚治虫自身が死を迎える直前に、たとえひとコマでも「現代編」を描いて完結としたかったようです。その願いは叶いませんでしたが、手塚治虫はまさに「死の瞬間」までペンを放さない執念の人でした。 そしてもうひとつ、「大地編」という続きがあったとも言われています。『火の鳥』は各雑誌によって、未完の発表作もありました。単行本化の際には大幅な加筆修正などもあり、ひとつの作品ながら複数のバージョンが存在する『火の鳥』。ここでは、本格連載開始後の12編と幻の「大地編」について解説します。

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『火の鳥』黎明(れいめい)編

日本の神々をなぞらえたエピソード

舞台は3世紀の日本。ヤマタイ国の卑弥呼は、若さと永遠の命欲しさに火の鳥を狙っていました。卑弥呼は、火の鳥が住むクマソを猿田彦に襲わせ侵略します。 そして、ひとり生き残ったナギという少年は猿田彦に捕らえられますが、ともに暮らすうちに親子愛のようなものが芽生えました。一方、そのヤマタイ国も高天原族のニニギによって侵略され、ニニギの子孫が大和朝廷を開くという流れになっていきます。

「永遠の命」と「限りある命」の対比

「黎明編」は『火の鳥』のスタートに位置していることもあり、「火の鳥の生き血が永遠の命を与える」という設定がまず前面に出ます。そして、ストーリーのなかで「永遠」が素晴らしいわけではなく、「限りある命」にこそ意味があると説く。これが『火の鳥』全編をとおしたメインテーマだと、表現しています。 また、ナギと猿田彦に芽生える愛情も『黎明編』のテーマです。国や家族を失ったナギの孤独、醜い自分を蔑み続ける猿田彦の孤独、それらも愛の力で乗り越えられる。そんな力強いメッセージがあります。そしてラストシーン。クマソの子孫・タケルがまだ見ぬ世界を目指して崖を上るシーンには、「生きること」こそが「希望」を生み出すと教えてくれます。

『火の鳥』未来(みらい)編

人類の行き着く先

舞台は西暦3404年。文明の進化が行き詰まり、逆に懐古主義にひたる人類は滅亡の危機に瀕していました。地上は既に荒れ果ててしまったため、人類は地下都市でAI統治のもと暮らしています。 しかし、ついにはそのAIの対立がもとですべての地下都市が消滅。シェルターで生き残った山之辺マサトは、火の鳥からこの滅亡は歴史のリセットが目的だったと告げられました。 そして、マサトは火の鳥から永遠の命を授かり、地球の復活に向けて彷徨っていきます。

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早くも描かれたすべてのエンディング

「未来編」は『火の鳥』のラストエピソードであるとともに、「黎明編」へとつながる無限ループが仕掛けられています。 手塚治虫いわく「最初と最後をまず描いてしまうという試み」をやってみたかったとのこと。はるか古代と遠い未来、そのふたつを描き切って「現代」を目指していく。その壮大さがこの「未来編」を読むことで実感できます。 「未来編」では、戦争の愚かさをさまざまな角度から示しています。そこにあるのは、「歴史は繰り返す」ことを認識した上で「その過ちを教訓に」しようというメッセージ。そして、「いつかきっと……」といった未来への希望です。

『火の鳥』ヤマト編

古墳時代のロマンス掌編

舞台は4世紀の日本。ヤマト国の大王は自分の名声を後世に残すためにと、巨大な墓やデタラメな歴史書をつくらせていました。 そして、クマソの長・川上タケルが真の歴史書を書きはじめたと聞き、ヤマトの大王はオグナにタケルを殺しに行かせます。 しかし、タケルとオグナは真の男同士と分かり合い、オグナはタケルの妹・カジカと恋に落ちました。さらに、火の鳥の生き血によって、古墳で生き埋めにされた人たちを救おうと……。

人としてどう生きるべきか?を教えてくれる

「ヤマト編」は、タケルとオグナが認め合う姿、オグナとカジカが愛し合う姿が色濃いロマンス展開が特徴です。そのなかで、「人は何のために生きているのか? 誰のために生きているのか?」といった命題を突きつけられます。 また、歴史書の編纂、それぞれの国解釈といった辺りからは「真実はひとつの側からでは計れない」ということを教えられます。そして、「観察し、想像する」ことが知恵を持った人間にできることなのだと。登場人物それぞれの死に際も、悲しくもあるけど納得がいく、そんな趣です。

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『火の鳥』宇宙(うちゅう)編

宇宙が舞台のミステリードラマ

舞台は西暦2577年の宇宙。5人の宇宙飛行士が宇宙航海中に事故に遭い、宇宙船が大破してしまいます。原因は運転していた牧村が操縦席で死んでいたことでした。 止むなく残りのメンバーは救命艇で脱出。宇宙を漂いながら、4人は死んだ牧村のことについて無線で会話します。と、後方から近づいてくる牧村の救命艇。果たして中にいるのは!? 実は、牧村は実は死んでおらず、過去に犯した悪行の報いとして火の鳥によって「死ねない体」にされていました。そして、罪びとが送られる流刑星に生き残った猿田、ナナとともに流れ着きます。 結局、ナナは牧村を想い流刑星で生きると宣言。逆上した猿田は牧村を殺そうとするも殺せず、火の鳥から罰を受けることになってしまいます。

猿田の起源はここだった

「宇宙編」は「黎明編」とは別の意味ですべてのスタート地点。『火の鳥』のキーパーソンである猿田が、火の鳥から永遠の呪いをかけられるエピソードだからです。 死ねない罰を受けている牧村を殺そうとしたことで、火の鳥は猿田にも「永久に醜い顔が子々孫々受け継がれていく」という罰を与えました。そこには、「命をないがしろにしない」という教訓があります。 最後まで残酷で救いのないストーリーですが、それだけにもうひとつ教えられることがあります。他人を疑い、決めつけや妄想で悪い方へ悪い方へと結論づけるのが人間。それこそ根拠のない空想論というわけです。このあたり、手塚治虫の思想が色濃く反映されているのでしょう。

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『火の鳥』鳳凰(ほうおう)編

ふたりの芸術家、それぞれの境遇

舞台は奈良時代の日本で、主人公は我王と茜丸のふたり。生まれながらに片目片腕がない我王は、殺戮や強奪の限りを尽くしていきます。誤解から自身の妻をも殺してしまいますが、その後悔の念、そして良弁僧正との出会いを通じ、仏師としての才能を開花させます。 一方、同じく仏師の茜丸は、我王に利き腕を斬りつけられるも立ち直ってその名を上げていきました。 その後、東大寺の鬼瓦をつくるという大仕事をふたりで争い、結果は我王の勝利。我王は命の儚さや尊さを重んじ、茜丸は地位や名声を追い求めるといった具合に、正反対の芸術家になっていたのです。その後、茜丸は無残に焼死し、我王は山へ追放されるも悟りを開いて聖人となりました。

人間の成長とその美しさ

「鳳凰編」は、人間の成長を描いた物語です。傍若無人だった我王は、良弁僧正との旅を経て成長し、「人に喜びを与える感動」を知ります。一方、茜丸は権力争いに巻き込まれる形で自らの心も見失う始末。このふたりの対比が、力強い「生」のエネルギーを「美しさ」とともに表現し切っています。

『火の鳥』復活(ふっかつ)編

生き返る人間と感情のあるロボット

舞台は西暦2482年の地球。レオナという少年がエアカーから墜落死するも、最新科学の治療で生き返ります。しかし、脳まで人工細胞だったために認識障害を起こし、有機体が無機体に、無機体が有機体に見えるようになってしまいました。そんなある日、レオナは旧式ロボット・チヒロを人間の女性と認識。レオナとチヒロは互いに愛し合うようになります。 時代は巡って西暦3030年。なぜか人間味を持った旧式ロボット・ロビタが集団自殺するという事件が発生。ロビタは自分を人間だと主張しはじめました。それは、最初のロビタがレオナとチヒロが合体した姿だったからなのです。ロビタたちは、「自殺」という人間にしか考えつくことのない思考で、自己主張していきました。

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「復活」の意義は果たして……

「復活編」は、「人間が生き返るということの是非」と「ロボットが感情を持つことの意義」の2軸展開となっています。そのどちらも、明確な答えは出まいまま。そこには一定の「幸せ」と「不幸せ」が常に存在します。 手塚治虫もそこに答えは出しておらず、判断するのは読者自身にゆだねられているかのような構成です。

『火の鳥』羽衣(はごろも)編

手塚流・天の羽衣伝説

舞台は10世紀の三保松原。漁師のズクが松の木に引っ掛かった衣を見つけて売ろうとしますが、持ち主のおときが現れて返却を求めます。ズクはおときを天女だと思い、衣を返す代わりにおときを妻にしました。数年後、ズクに来た徴兵令をおときが衣を使って見逃させますが……。

隠された反戦思想

「羽衣編」は『火の鳥』のなかで最も短いストーリーで、客席から演劇の舞台を観ているような視点のみで描かれています。当初は「放射能の影響で奇形児が生まれる」という表現があったため、なかなか単行本化はされませんでした。それを後年、全面的に描き直したのが、現存する「羽衣編」です。 おときは天女ではなく未来人で、核戦争となっている1500年後の世界から逃げてきていました。このことは次の「望郷編」につながる設定でしたが、今ではお蔵入り。しかし、その斬新な表現手法は変わることなく、漫画っぽくない余韻が魅力になっています。

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『火の鳥』望郷(ぼうきょう)編

常識を覆すストーリー展開

舞台は宇宙時代の惑星エデン17。若夫婦・ジョージとロミが地球からエデンに移住してきました。しかし、早々にジョージが事故死。途方に暮れたロミでしたが、身ごもっていたジョージの子を産み、ある決心をします。それは自分が冷凍睡眠で眠り、成人した我が子と結ばれて子を産み、星を栄えさせるという決心でした。 しかし、近親婚の影響からか女児が産まれず、ロミが何度冷凍睡眠を繰り返しても結果は同じでした。そこで、火の鳥がムーピーという異星人と混血させるよう促し、エデンは文明を築いていきます。そんなある日、ロミは望郷の念に駆られ、地球を目指す旅に出ていくのですが……。

つながる発想、つながる設定

「望郷編」は、無限に広がる手塚治虫の発想力を存分に楽しめる物語です。 冷凍睡眠を繰り返しての近親行為、常軌を逸する異星の特徴など、まさに手塚ワールドの真髄。さらには堕落と希望を呼ぶ展開など、読者の感情を大いに揺さぶります。 そして、ムーピー、牧村、チヒロと別の編に登場したキャラが現れ、『火の鳥』全体のつながりをより実感できるでしょう。

『火の鳥』乱世(らんせい)編

まさに乱世を象徴する合戦の物語

舞台は平安時代末期の日本。主人公は木こりの弁太とその恋人のおぶうです。ある日、弁太が櫛を拾っておぶうにプレゼントしますが、それが藤原成親の持ち物だったために大惨事に発展。家族は殺害され、おぶうも連れ去られます。その後、弁太はおぶうを追って都へ向かい、牛若の家来に。一方、おぶうは平清盛の侍女となっていました。 やがて、権力争いは源平合戦に発展し、牛若は鞍馬天狗の元で修行して源義経と改名。義経は源氏の大将として平家と戦っていきますが、その卑劣な手段に弁太は反発していきます。結局、争いは源氏が勝利しますが、今度は火の鳥を巡って源氏間での内紛がはじまりました。

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歴史の組み合わせが独自の視点を生む

「乱世編」は、『平家物語』『弁慶伝説』『鳥獣戯画』を組み合わせ、そこに手塚治虫オリジナルの世界観が加わった歴史創作作品です。著名な歴史書から多くの教訓を導き出し、そこに手塚エッセンスをミックスして新たな価値観を提示。さらには、「鳳凰編」から我王が鞍馬天狗として登場するあたりも見どころです。

『火の鳥』生命(せいめい)編

命を弄ぶ人間がたどる運命とは

舞台は2155年の日本。TVプロデューサーの青居は、クローン人間を使った殺人番組を企画します。ところが、その青居自身がクローン化されてしまい、番組の標的に。 番組によって殺されそうになった青居は、なんとか脱出して逃亡し、ジュネという少女と出会います。青居はジュネとともに暮らすうちに、自らの行為を反省し、命と真正面から向き合っていき……。

「命」がテーマである『火の鳥』の心臓部的一編

「生命編」は文字とおり「命」をテーマとした物語。『火の鳥』という作品自体のメインテーマが「命」ですので、この「生命編」はある意味作品全体の心臓部ともいえます。火の鳥は「命」を弄ぶ者に容赦はしません。よって、クローン人間を私利私欲のために殺そうとする青居を許すはずがありませんでした。 物語は、青居が一転して殺される側になることから大きく展開していきます。最低な人間として登場した青居が、その立場が逆転したことで「命の尊さ」を学び、「命の使い方」を真剣に考えていく。そして、自らの人生と使命を全うするという、まさに人生を問われる一編となっています。

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『火の鳥』異形(いぎょう)編

殺す左近介と殺される八百比丘尼

舞台は戦国の世、室町時代の日本です。女ながら武士として育てられた左近介は、父親を憎んでいました。その父が奇病に侵され、治せるのは八百比丘尼(やおびくに)ただひとりと知った左近介は、寺で八百比丘尼を殺します。しかし、それ以後左近介は、不思議な力によって寺から出られなくなりました。 八百比丘尼は近隣住民の治療を続けていたため、日々病人が訪れます。止むなく左近介は八百比丘尼に成りすまして病人を治療。それを続けるうちに、自分がタイムスリップしていたこと、八百比丘尼は自分自身で、殺す、成りすますを繰り返していたということに気づきます。

無限ループになかに秘められた希望の光

「異形編」はタイムリープの物語です。殺人という罪を犯した左近介は、火の鳥によって「生まれては殺される」無限ループの罰を与えられました。八百比丘尼を殺すときの左近介は未熟ですが、八百比丘尼として人々を治療していくうちに無心の境地に達します。そして、ときが来れば左近介に斬られるループ。 しかし、八百比丘尼が左近介に斬られる際のセリフが、1回目と2回目のシーンで微妙に異なっています。これはつまり、無限ループのなかにも「希望」は秘められており、「未来編」のラストで見せた「いつかきっと……」という思いと同義。こうして、『火の鳥』は最終編に向けて「つながり」を濃くしていきます。

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『火の鳥』太陽(たいよう)編

ふたつの時代を駆ける狼の兵士

「太陽編」の舞台は7世紀と21世紀、ふたつの時代が交互に描かれます。7世紀では、百済の兵士・ハリマが敵に捕らえられて顔の皮を剥がれます。そして狼の皮を被せられますが、老婆に助けられて命はとりとめました。やがて、倭に渡ったハリマは狗族の少女・マリモと出会い、その身は壬申の乱に巻き込まれていきます。 一方、21世紀の日本は光一族なる宗教団体によって支配されていました。ある日、光に対抗するシャドーのひとりであるスグルが光に捕らえられ、狼のような洗脳ヘルメットを被せられます。そこでスグルは少女兵士・ヨドミと出会い、互いに惹かれ合うようになりました。

過去と未来が交差する世界

過去の世界では壬申の乱が拡大し、未来の世界ではシャドーが武装決起。ともに大規模な戦争へと発展していきます。そんななか、ハリマはスグルになった夢を見て、スグルはハリマになった夢を見るという具合に、物語は交互に入れ替わって進行。やがて、旧勢力はともに敗退しますが、勝ち上がった新勢力も結局同じ統治を繰り返していきます。

太陽こそ火の鳥、そして太陽こそ命の源

「太陽編」はふたつの時代が交互に描かれ、そのスパンが徐々に短くなり、最終的には過去が未来に取り込まれます。スグルとヨドミはハリマとマリモの生まれ変わりであり、ラストでは未来に復活した2体の狼が火の鳥と一体化していくところで終了。ここに『火の鳥』は完結します。 最後の編だけあって、「太陽編」は『火の鳥』全編のクライマックスシーンを思い起こすシーンが満載です。そして、各編で絶望を希望に変えてきたのは紛れもなく「太陽」でした。火の鳥は、その太陽の象徴として、太陽のごとく命を燃やして熱く生きよとメッセージを送ったのです。

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幻の続編「大地編」とは?

『火の鳥』は「太陽編」にて終了しましたが、実は続編の構想が残っていました。それが「大地編」です。手塚治虫によるプロットのみが残されており、1938年の日中戦争が舞台。おなじみの間久部禄郎や猿田博士などが登場します。 その「大地編」ですが、手塚治虫のプロットをもとに桜庭一樹が小説化。2019年4月より朝日新聞土曜別刷りbeにて連載がはじまりました。巨匠の意志を受け継ぎ、また新たな「命の物語」が生まれていきます。

『火の鳥』は人生の処方箋

以上のように、『火の鳥』は壮大な「命の物語」であり、手塚治虫がまさに生涯かけてメッセージを発信し続けた傑作です。 われわれ人間にとって永遠のテーマである「生」と「死」、そして「絶望」と「希望」をあらゆる視点から表現してくれました。その緻密な構成は間違いなく一級品であり、人生を見つめ直す良き処方箋となること請け合い!  まだ読んだことがない人は、ぜひ1度手に取ってみてください!