2023年2月6日更新

映画『太陽の子』ネタバレあらすじと感想解説!ラストシーンがドラマ版と違う理由は?

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太陽の子、映画
©2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ

戦時下の日本を舞台に、実際に行われていた「原爆の研究」を題材に作られた映画『太陽の子』(2021年)。 この記事では本作のスト―リーをネタバレ込みで徹底解説!様々な憶測を呼んだラストシーンの考察やドラマ版との違いも含めて本作の魅力を紹介していきます。

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映画『太陽の子』のあらすじ

映画 『太陽の子』
©2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ

1945年夏。日本は第2次世界大戦のまっただなか、そしてその戦いは佳境を迎えていました。京都帝国大学の学生である石村修(柳楽優弥)は、国からの命を受けて教授らと共に原子爆弾について研究を開始。 そんなとき、彼のもとに家を失ってしまった幼馴染の世津(有村架純)と、戦地から一時帰宅した弟の裕之(三浦春馬)が訪れ久しぶりの再会を果たすことになります。 戦時下の先が見えない日本で、それでも何とか前を向こうとする3人の若者たち。果たして彼らは、どんな未来を迎えることになるのでしょうか。

映画『太陽の子』の結末までのネタバレあらすじ

【起】日本がおこなっていた「原爆研究」

第2次世界大戦で窮地に立たされた日本。国は逆転の要として、極秘裏に京都帝国大学に新型爆弾の研究開発を命じます。その研究には原子物理学の権威である教授らに加え、当時学生だった石井修も参加することになりました。 修は従軍していた父を亡くしており、家族は母と弟だけ。父は自身の子も軍人にと考えていましたが、修は父の遺志に反し、自身が信じる科学者の道をひたすら歩む青年でした。そんな彼は原子爆弾の研究にも意欲的に取り組んでいきます。 研究のために焼き物の釉薬として使用される硝酸ウランを譲りうけ、そこから微小な物質を取り出そうと試みる修たち。しかし実験は停電などの影響で中断されことごとく失敗。メンバーはこの結果に苦悩する日々を送っていました。

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【承】幼馴染と心に傷を負った弟

研究に没頭する修。そんなとき、建物疎開により家を失った幼馴染の世津が、彼女の祖父と共に修の家に身を寄せることに。修は世津に思いを寄せていたため喜びましたが、内心では幼い頃によく遊んでいた弟の裕之の身も案じていました。 すると図ったかのように、裕之が所属部隊の配置換えを機に一時帰宅。彼は肺を病んでおり、その療養もかねた帰宅のようでした。久しぶりに再会し3人で語り合う修たち。しかし裕之はどこか暗い表情を見せ、修たちは彼が心に抱えた闇を感じるのでした。 私生活が賑やかになる一方、修の実験は難航の一途を辿ります。修をはじめとする研究メンバーは、自分たちが「科学の進歩を追い求めているのか」、それとも「沢山の人々の命を奪う兵器を作りたいのか」と葛藤。少しずつ自分たちの行動に疑問を持っていくのでした。

【転】未来を見つめる若者たち

修は母に言われ裕之・世津とともに海へ行き、休息をとることにしました。海へ行っても研究のことばかり考える修。世津と裕之は彼に寄り添い、そして裕之は軍へ戻ることを伝えるのでした。 海からの帰り道、バスがトラブルで動かなくなり野宿することになります。夜、修がふと目を覚ますとひとり海の中へと入ってゆく裕之の姿が見えました。裕之を止める修と世津。涙ながらに戦争への恐怖と憎悪を吐き出す裕之に、彼らは寄り添い続けました。 京都に戻った後、酒を組み交わす修と裕之。そこに世津も加わり、世津は戦争が終わったあと教師になりたいと打ち明けます。未来を見つめる彼女の視点に驚きますが、3人は改めて未来に向けて、生きていきたいと願うのでした。

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【結末】戦争の終結と様々な憶測を呼ぶラスト

1945年8月6日。アメリカは原子爆弾を広島へ投下。修たちの研究チームはアメリカが同じ研究をし、そのうえ先を越されたことにショックを受けます。研究のため広島へ出向き、原爆の威力を知った研究者たち。ここで改めて、自分たちが作り出そうとしていたものへの恐怖を感じるのでした。 京都に戻ると、修の家には1通の手紙が。そこには裕之が特攻に参加することが綴られていました。そして今度は長崎へ原爆が投下。次は京都が狙われていると噂が出回り、修はその様子を見届けるために比叡山へ登ることを決意します。 しかし比叡山で待っても、爆弾はいつまでも落ちてきません。山を下りた修は世津のもとへ行き、しずかに涙を流しました。 場面は移り、修たちが3人で海へ行ったシーンへ。戦争のことも忘れ、ただ3人で楽し気に過ごす彼らの姿。鑑賞者へ様々な考察の余地を与える、静かなラストを迎えました。

ラストのテロップ

三浦春馬さんは7月18日にお亡くなりになりました 謹んで哀悼の意を表します 本作の最後には上記のようなテロップが表示されました。『太陽の子』は三浦春馬が完結まで演じ切った最後のドラマであり、最後に公開された映画です。

映画『太陽の子』の感想・評価

太陽の子
©2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ
太陽の子』の総合評価
4 / 2人のレビュー
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40代男性

日本も原爆を作ろうとしていた。この事実にまずは驚きました。本編は戦時下で生きる若者たちの苦悩が丁寧に描かれていて、時には胸が締め付けられる場面も。戦争を知らない世代にも、是非見てほしい名作です。

吹き出し アイコン

30代女性

戦争を描いた作品ということもあり、内容的にはかなりヘビーです。そのぶんヒューマンドラマの部分は強く心に響いて、涙なしには見られませんでした。戦争に対してのメッセージ、そしてそこで生きた人々の強さを感じられる作品です。

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【解説】ラストシーンに込められた意味

映画のラストでは修たちが海で無邪気に遊ぶシーンが描かれていました。そこには研究に没頭する修の姿も、戦争を憎み涙する裕之の姿も、彼らを見て心配する世津の姿もありませんでした。 ストレートに読み取れば、このシーンは戦争反対のメッセージが込められているものと解釈できるでしょう。戦争がなければもっと続いていたはずの青春時代。彼らが失ったものを見せることで、失う原因となった戦争の非道さを知ってほしいという意図を感じることができます。 それと同時に、これは戦争を終えたあとの未来を描いているとも解釈できそうです。世津が見据えていた希望溢れる未来。戦争が終結したことで、彼らの青春時代は次世代の子どもたちへ受け継がれていく。戦時下を生きた人々の作った、未来を示唆していたようにも思えるシーンです。

【考察】映画とドラマでラストが違う理由は?

映画 太陽の子
©2021 ELEVEN ARTS STUDIOS / 「太陽の子」フィルムパートナーズ

映画に先行してNHKで放送されたドラマ版『太陽の子』。実はドラマ版のラストは海のシーンではなく、現代の日本。広島に立つ原爆ドームのなかで、修と思われる青年が太陽を見上げるシーンで終わっています。 このシーンについてはこんな憶測が飛んでいます。太陽は原子力の象徴とも言える存在。それを見上げる修は、京都で原爆が爆発するところを見れなかったことを残念に思っているのではないか。このシーンは原爆を求める修の研究者としての執念を描いたものではないか、というものです。 確かにそういった見方をすることもできます。ですが太陽が「希望の象徴」であれば、このシーンは原爆に負けず未来を勝ち得た人々に対する、修の敬意と喜びが込められたシーンにも見えます。読み方次第でどちらにも捉えられるラスト。制作者側の込めた様々なメッセージが感じられます。

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『太陽の子』はどこまで実話?

『太陽の子』は実話をもとにはしていますが、基本的にはフィクションです。登場人物たちはあくまで架空のキャラクターですが、日本が原爆を開発していたという歴史は本当にありました。 この映画は実在した「F研究」というプロジェクトがもとになって発案されています。「F研究」とは、旧海軍が京都帝大の研究室に委託していた「fission (核分裂)」についての研究のこと。遠心分離法によるウラン濃縮を目指していましたが、物資の不足によって終戦までに完成にはいたりませんでした。 終戦後、GHQによって原爆に関連する物理学の実験機材は破壊されたり持ち去られたりしましたが、当時の研究ノートは今も残っています。その研究レベルはアメリカにも劣らないほど高く、物資さえあれば日本が原爆を完成させていた可能性も十分にありました。 この研究成果は皮肉にも、広島に原爆が落とされたのちの現地調査で大きく役立ったのでした。

映画『太陽の子』をネタバレ解説・考察でおさらい

意味深なラストシーンと重厚なストーリーで世間を大きく騒がせた『太陽の子』。 この機会に本作を見返して、自分なりにラストシーンを考察してみてはいかがでしょうか。ドラマ版とも併せることで、また新たな発見があるかもしれません。