「エヴァンゲリオン」アニメ最終回「おめでとう」は意味不明ではない?ラストシーンを紐解く
『新世紀エヴァンゲリオン』TVアニメ版の最終話は、多くの視聴者が意味不明、不条理だと感じた伝説の最終話です。なぜ碇シンジは「おめでとう」と言われたのか、最終話のセリフについて考察していきます。 ※この記事は『新世紀エヴァンゲリオン』の重要なネタバレを含みます。 ※ciatr以外の外部サイトでこの記事を開くと、画像や表などが表示されないことがあります。
「エヴァンゲリオン」アニメ最終回の内容をおさらい!舞台はシンジの精神世界
最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」は主人公・碇シンジの精神世界が描かれます。前半はシンジが自問自答し、他人がいるからこそ自分が存在できるのだと気づくまでのプロセスです。 以降はエヴァも使徒もいない平和な学園生活へ。シンジが「僕はここにいたい!」と叫ぶと、彼を取り囲む登場人物たちが一斉に「おめでとう」と祝福。本編では死んだキャラも全員笑顔で彼に拍手を送り、最後にテロップが出て物語は終わりました。
「おめでとう」というセリフが意味不明?最終話ラストシーンを解説
エヴァに乗ることでしか自分でいられなかったシンジ

極端に自己肯定感の低いシンジは、「ここにいていい」理由がつねに希薄であり、それを渇望しながらも、傷つくことが怖くて一歩踏み出せずにいました。 そんなシンジが唯一得た父親に認められる手段がエヴァに乗ることでした。「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせてまでエヴァに乗る彼は、そうすることでしか自分が存在することが許されないと感じていたのです。 最終話の前半でも彼は「エヴァに乗ってるからここにいられる」と語っていました。
「おめでとう」はシンジの自己肯定への祝福
精神世界の中で、自分の存在意義と向き合っていくシンジ。彼はやがて、こういう自分がいてもいいのだと気づきます。すると精神世界に亀裂が入り壊れはじめ、「僕はここにいてもいいんだ!」と新しい世界が生まれました。 周囲からの「おめでとう」の嵐は、シンジが自分を認められるようになったことへの祝福です。
「父に、ありがとう」「母に、さようなら」の意味とは
エヴァに乗らなくても自分の存在価値はあると気づけたのは、皮肉ではありますが父・ゲンドウがエヴァに乗れと言ったから。そのことへの感謝の言葉です。 母へ別れを告げるのは、母・ユイ=初号機への決別の意思表示。エヴァに乗らなくても自分は自分だし、LCL化も拒否する、そんなシンジの精神的成長を示唆しています。
最終回に込められた哲学的なメッセージとは
シンジは問答を続けるなかで、自分という人間は、他人の主観によってしか認識できないのだと思い至っていました。 「我思う、故に我あり」はデカントの有名な言葉です。これはまさにシンジのこの気付きの過程とも通じます。またサルトルやラカンの他者を通じて自己を認識するという理論とも重なる部分があるのではないでしょうか。
アニメ最終回がひどい・手抜きと言われる理由

24話までの伏線が放棄され、突如始まった精神世界の描写。テロップの多用や抽象的表現の多さから放送当時「意味不明」と大きな騒ぎになりました。近年、ある意味伝説となった最終回は再評価される動きも出てきています。 またラスト2話は劇場アニメ『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』としてリメイクされました。
旧劇場版ラストでアスカが言った「気持ち悪い」の意味

旧劇場版ラストではLCLの海からシンジとアスカだけが復活。シンジはアスカの首を絞め、アスカに優しく頬を撫でられると今度は涙を流します。そんなシンジを、アスカは「気持ち悪い」と一蹴。 他者と向き合う覚悟をしたのに、他者を恐れて殺そうとする。だけど優しくされたら感激する。そんな独りよがりなシンジの在り方が気持ち悪かったのでしょう。
アニメ最終回で描かれた綾波レイの食パンシーンが伝説に?
26話では転校生の綾波レイが食パンをくわえて走ってくるザ・ラブコメヒロインとして描かれました。本編では当然あり得ないシーンなので、インパクトは大。視聴者全員で存在しない記憶を共有するような不思議な感覚に……。 綾波役の林原めぐみもコミカルにこのシーンを演じており、多くの混乱と衝撃を生み出た迷シーンです。
「エヴァンゲリオン」アニメ最終回の「おめでとう」の意味は想像以上に深い
TVアニメ版「エヴァ」の最終回について解説してきました。不条理ながらも深いメッセージ性が潜んでいるラスト2話。旧劇場版とあわせて考察してみると、新たな発見があるかもしれません!





