1.西田敏行のプロフィール
西田敏行は、1947年11月4日生まれ、福島県郡山市出身の俳優です。
1967年、テレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』に出演し俳優デビュー。その後、本格的に役者の道へと進むために、青年座俳優養成所に入ります。養成所卒業後は、青年座の座員として活動を始めました。
座員として数々の作品に出演しますが、2004年に青年座を退団。芸能プロダクション・オフィスコバックへ移籍しました。2016年現在も俳優、また司会者やタレント、歌手としても活躍を続けています。
2.西田敏行の肩書きがすごい!
西田敏行は長年の経歴から、今では大物俳優のひとりです。その功績から「日本俳優連合理事長」や、「日本アカデミー賞組織委員会副会長」といった肩書きも持ちます。
また東北出身ということもあり、野球チーム・東北楽天ゴールデンイーグルスを応援。「東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会長」という肩書きも持っています。
3.代表作『釣りバカ日誌』は22年に及ぶ超長編シリーズ!
映画『釣りバカ日誌』は、1988年に1作目が公開。それからほぼ毎年新作が制作され、超長編シリーズとして人気を集めます。2009年公開の『釣りバカ日誌20ファイナル』が最終作。全22作が公開されました。
サラリーマンの浜崎伝助(通称、ハマちゃん)と、友人で社長の鈴木一之助(通称、スーさん)が釣りをするために様々な土地へと足を運び、その先で起こる出来事がメインとして描かれたものです。
全シリーズ通して、主人公の浜崎伝助を西田敏行、鈴木一之助を三國連太郎が演じています。
ハマちゃんとスーさんとのやりとりを始め、会社や家庭での定番シーンというものもありますが、毎回釣り先での新たな出会いとともに描かれる様々な人間模様も魅力となっている作品です。
4.「もしもピアノが弾けたなら」で歌手としても大ヒット!
歌手としても活動している西田敏行。
なかでも、1981年発売のシングル「もしもピアノが弾けたなら」は、オリコンランキングで最高4位を獲得し、レコード大賞金賞獲得など大ヒット作品となりました。
またこの曲は、西田が主演をつとめたドラマ『池中玄太80キロ』第2シリーズの挿入歌として作られたものでしたが、反響の大きさから主題歌となった作品でもあります。
歌手としても成功た西田敏行は、『NHK 第23回紅白歌合戦』にも出演しました。
5.番組企画で南米最高峰の登山にチャレンジ
2000年には、標高6,962mある南米最高峰アコンカグアの登山に挑戦します。
テレビ朝日系列のドキュメンタリー番組『ネイチャリングスペシャル「風雪の聖地アンデス横断4000キロ」~西田敏行53歳 米大陸最高峰アコンカグアに挑む~』での企画で登山に挑戦することに。
2000年8月からネパールでの高地トレーニングを開始し、11月にアコンカグア登山へと挑みましたが天候悪化により登頂はできず、高度6,830m地点で無念の断念となりました。
しかし当時の西田敏行は、ヘビースモーカーの大酒飲み、運動の習慣もないといった身体的な不安要素を抱えての挑戦でもあったため、この結果は見事なものといえます。
6.西田敏行の受賞歴がすごい!
西田敏行は、長い俳優活動の中で多くの賞を受賞してきました。
「日本アカデミー賞」では、最優秀主演男優賞を2度、2009年には三國連太郎と共に会長功労賞を受賞。「ブルーリボン賞」では、主演男優賞を受賞。さらに、「日刊スポーツ映画大賞」でも、主演男優賞と助演男優賞を受賞しています。
また、1975年に第30回文化庁芸術祭賞優秀賞、1977年には第12回紀伊國屋演劇賞を受賞しました。
2008年には、演劇界での業績が認められたことから紫綬褒章を受章。紫綬褒章は日本国天皇の名で授与される、名誉ある賞です。長年の活躍と共に、多くの受賞歴も持っているのですね。
7.複数回の入院、手術を経験・・・
西田敏行は、2001年に頚椎性脊髄症の治療のために入院。症状の原因となる頚椎の神経が圧迫されている部分を除去するという手術を受けました。
2003年には、自宅で心筋梗塞を起こし緊急入院。処置が早かったこともあり、1ヵ月も経たないうちに症状は安定し退院し仕事にも復帰しています。
2016年2月には、自宅ベッドから転落したことから頚椎亜脱臼を起こし、一部の腰椎を頚椎に移植するという手術が行われました。また、その手術の後に胆のう炎を発症したことから、胆のうを摘出。それからは順調に回復し、2016年5月に無事仕事復帰を果たしました。
8.とにかく涙もろい・・・?大物俳優、西田敏行の性格は?
西田敏行は涙もろいことでも有名です。自身が司会を務める『探偵ナイトスクープ』では、その涙もろさも見所になりそうなほど、涙を流している姿が多くみられます。
涙もろさからも分かるように、人情家な性格の持ち主。俳優という仕事柄、ひょうきんな役から悪役まで様々な役をこなしているので、人それぞれに持つ印象もあるかもしれません。しかし、それは俳優として素晴らしい証拠でもあり、努力を続けてきた証であるかもしれません。