『万引き家族』はなぜカンヌでパルムドール受賞となったのか?直近4年の受賞作と比較考察【傾向と対策】
カンヌ映画祭で是枝裕和『万引き家族』がパルムドール受賞!
2018年5月20日(日本時間)、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞・パルムドールを受賞した是枝裕和監督の映画『万引き家族』。日本映画としては今村昌平監督の『うなぎ』以来、実に21年ぶりの快挙に。 本作は、古い家屋で身を寄せ合いながら、祖母の年金と万引きで得た生活品を宛にしながら暮らす一家の日常を描いた作品です。 是枝裕和監督は過去に5度、カンヌ国際映画祭に出品。そのうち、2013年の『そして父になる』は審査員賞を受賞していましたが、今回、ついに悲願のパルムドール獲得に至ったというわけです。 一体なぜ『万引き家族』は、難関のパルムドールを獲得できたのか。今回は、直近4年間でパルムドールを受賞した他作品と『万引き家族』という5本の映画を徹底比較。そこから見えてくる共通の傾向を解説し、今の時代で世界に通用する映画とは一体なんなのかを考察していきたいと思います。
カンヌの最高賞・パルムドールとは
カンヌ国際映画祭にはいくつかの賞がありますが、その中でも最高賞であるパルムドールは、映画界における最も重要な賞としてその名を轟かせています。 他に、監督賞や脚本賞、男優賞や女優賞などもあります。また、パルムドールの次に大きい「二番手」とされる「審査員特別グランプリ」(Grand Prix)や、主に独創性が高いとされる映画に対して審査員の判断で贈られる「審査員賞」(Prix du jury)も毎年注目されます。 ただし、同じ映画に対し複数の賞を授与することは禁止されているため、一つの映画には一つの賞しか与えられません。
ここで、直近4年間のパルムドール受賞作を一挙ご紹介!
2014年『雪の轍』 (ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督)
トルコ・カッパドキア。ホテルを経営しながら地元紙にコラムを書く元俳優のアイドゥンは、うら若き妻・ニハルや夫と離婚した妹・ネジラとともに裕福に暮らしています。 しかし、些細な行き違いが積み重なり、ニハルやネジラとの関係が徐々に悪化。さらに、イスマイルという男の家賃未納問題がこじれていき......。 トルコの巨匠・ヌリ・ビルゲ・ジェイランが静謐な映像と文学的な台詞の応酬で描く、三時間の大作です。
2015年『ディーパンの闘い』 (ジャック・オーディアール監督)
内戦によってそれぞれの家族を失い、スリランカから逃れてきた三人の難民。彼らは家族を装いながらフランスに流れ着き、団地の管理人として暮らし始めます。しかし、彼らの暮らす団地は麻薬組織の巣窟となっており......。 『預言者』、『君と歩く世界』のジャック・オーディアール監督が手掛けた本作は、疑似家族が本当の家族になるまでの「闘い」を描いた衝撃作です。
2016年『わたしは、ダニエル・ブレイク』 (ケン・ローチ監督)
重大な心臓病によって医師から仕事を止められた大工のダニエル・ブレイク。彼は公共の援助を受けようとしますが、複雑極まりない社会福祉制度のシステムによってそれを拒否されてしまいます。 そんな中、シングルマザーのケイティと彼女の子ども達を助けたことから彼らの交流が始まるのですが......。 イギリスの名匠ケン・ローチが英国の社会福祉制度にメスを入れながら、人間の尊厳を力強く訴えた感動作。ローチ監督は引退を宣言していましたが、それを撤回して本作を制作。2006年の『麦の穂をゆらす風』に続き、見事二度目のパルムドールを獲得しました。
2017年『ザ・スクエア 思いやりの聖域』 (リューベン・オストルンド監督)
バツイチで二人の娘がいるクリスティアンは、現代アート専門の美術館で働くキュレーター。彼は、人々の平等と思いやりをテーマにした「ザ・スクエア」というインスタレーション作品の展示を発表します。しかし、そんな彼を「思いやり」などとは全く真逆の理不尽な出来事が次々と襲い......。 『フレンチアルプスで起きたこと』を手掛けたスウェーデンの鬼才リューベン・オストルンドが現代アートの欺瞞や悪化する階層格差をモチーフに、現代社会の不条理を痛烈に描写したブラックコメディです。
パルムドール受賞作を比較すると見えてくる傾向とは?
ここまで、直近のパルムドール受賞作をご紹介しました。製作国に目を向けると、トルコ、フランス、イギリス、スウェーデンと実に多種多様。さらに、今回の『万引き家族』は日本映画ですから、全く別の映画のような気がします。 しかしパルムドールを受賞し世界的に評価されたこれらの映画と、『万引き家族』を比較すると、いくつかの共通する傾向があるのです。
1. 貧しい人々が登場する
先に挙げたいずれの作品にも、物語に何かしらの形で貧しい人々が関わっています。『ディーパンの闘い』の主人公たちは劇中通して貧しく、彼らの周囲を取り巻くのは犯罪と貧困に他なりません。 『わたしは、ダニエル・ブレイク』のダニエル・ブレイクとケイティたちも充分な公共の援助を受けられず、貧困の中で苦しみます。 それに対し、『雪の轍』と『ザ・スクエア 思いやりの聖域』の主人公はそれぞれ裕福な立場にありますが、貧しい人々によってもたらされる思いがけないトラブルに巻き込まれていきます。 『万引き家族』はどうでしょうか。主人公の一家が粗末な家に住み万引きを繰り返すのは、もちろん貧しいからに他なりません。 この事からも、世界中のどこに行っても貧困が重要な問題として存在していることは明らかです。そしてその「貧困」という題材にこそ、映画を通して訴えるべき物語があるのではないでしょうか。
2. 何かしらの「社会構造」が描かれている
いずれの映画にも何らかの形で社会の構造が背景として描かれています。例えば『雪の轍』のアイドゥンはイスマイルから家賃を滞納されていますが、ここには搾取する者とされる者の関係があります。 『ザ・スクエア 思いやりの聖域』では貧しいホームレスが度々画面に映し出される反面、すぐそばの美術館には着飾った上流階級の人々ばかりが集まっており、階層社会をあぶり出しています。そして、本来「一点物」であるはずのアート作品がネット上で拡散されることで、それが大衆に「消費」されているという表現も見られます。 『万引き家族』では、いくらかのやりとりを除けば、基本的に主人公の家族は外側の人間と深いつながりを持ちません。それにより、彼らが社会の誰からも忘れ去られた存在であることが浮き彫りになっています。 世界で評価される映画を生み出すためには、個人の物語だけではなく、社会に目を向けなければならないのかもしれません。
3. 様々な事情を抱えた「家族」
5本の映画全てに「家族」が登場しています。そしていずれの家族も、何かしらの「事情」を抱えているのです。 『わたしは、ダニエル・ブレイク』のケイティも『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のクリスティアンもバツイチであり、子どもたちとどう関わるかで悩む様が見受けられますが、これはまだ序の口です。 『雪の轍』のアイドゥンは若い妻・ニハルに対しての接し方が原因で夫婦の距離が開いていきますし、妹のネジラは夫婦生活を終えてアイドゥンに寄生しており、アイドゥンを悩ませます。 最たる例が『ディーパンの闘い』。ディーパンら3人はそもそも全くの赤の他人であり、お互いの本名も知りませんが、生きてゆくために疑似家族を演じ続けるのです。 そして『万引き家族』。一家の主・治は家族に見捨てられた女の子・ゆりを家に連れ帰り、そのまま娘として育て始めます。さらに物語が進むにつれ、徐々に家族のそれぞれの秘密が明らかになっていくのです。 もはや伝統的な家庭にこだわるのは時代遅れであり、あらゆる「家族」のかたちを求めることが許されつつあるのかもしれません。
4. 光がどこから来ているのか視覚的に明確である
ストーリーとは無関係な技術的な話ですが、いずれの映画も映像における光の表現が非常に明確で、技巧的な傾向があるのです。 これに関しては、実際に見てもらう他ありません。『雪の轍』のアナトリア高原の雪景色や窓からの日差しや『ディーパンの闘い』の暗闇から突然現れるネオンカラーや薄暗い室内での弱い光、『わたしは、ダニエル・ブレイク』の天気が不安定な英国らしい曇り空、あるいは『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のアート作品の人工的な蛍光灯やパーティーの場面でのオレンジがかった室内......。 そして『万引き家族』にも、様々な「光」があります。雑然とした部屋の中の白熱電球の暖かさ、突然の雨によって変わってしまう外からの光、押入れの中のかすかな灯。これらの「光」が家族の情景を彩り、いつまでも見ていられるような画を生み出しているのです。 光がなければ、映画は生まれません。そしてどのような光で何を描くか、という点に注目した時、真の名場面が生まれるのでしょう。
5. 映画の結末に余白を残す
映画のラストというと、ハッピーエンドかバッドエンドか、といった話題がよく上がると思います。しかしそのいずれにも分けられない、いわゆる余白を残した結末の映画も、実はかなりの数存在していることを忘れてはいけません。 これはネタバレになるため詳しく言及はしませんが、今回取り上げた5本のうち、明確に「ハッピーエンド」と言える結末を迎えたものは1本だけでした。それ以外の4本は悲劇的な結末を迎えたり、結末に余白を残したものとなっているのです。これは一体何故なのでしょうか。 余白を残すことで観客は困惑を覚えることでしょう。しかし、あえてそうすることで、作り手は観客に対してより深く映画のテーマや物語の解釈を考える余地を与え、忘れがたい映画体験をさせようとしているのではないでしょうか。 では、『万引き家族』の結末は?これに関しては、実際に観て確かめていただきたいと思います。
『万引き家族』カンヌ受賞から見る、世界に通用する映画とは?
どのような映画が世界に通用するのか。どのような映画が観客を感動させるのか。その絶対的な正解はありません。 しかし、結局のところ世界的に評価される物語というのは、いつの時代のどこの物語か、といった壁を超えた普遍的なものに他なりません。そしてそれを生み出し、国や人種を超えて感動した時、この不安定で混乱した世界も少しは幸福になるのではないでしょうか。