2018年9月16日更新

映画『グッドナイト・マミー』の恐怖がガチ

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映画『グッドナイト・マミー』が本当に怖い

まずはジャケット見てくださいよ。これ。見た瞬間に怖いってわかるじゃないですか。

映画『グッドナイト・マミー』は物語の展開をひっくり返す仕掛けが施された、所謂どんでん返し映画です。しかしこの映画は一般的などんでん返し映画に留まりません。クライマックスには思わず目を覆いたくなるようなショッキングなシーンと、深い絶望を味わうことができます。 この記事では巧妙に設計されたストーリー展開を追いながら、映画が用意した特大の恐怖構造を解き明かします。物語の核心に触れるので、ネタバレ全開です。ぜひ鑑賞後にご覧ください。今(2018年9月8日現在)ならNetflixで見放題となっていますのでお早めに!

【あらすじ】

舞台はオーストリアの湖畔に佇む豪邸。双子の少年、エリアスとルーカスの元に整形手術を終えた母親が帰ってきた。顔面を包帯で巻いた母親の様子がどこかおかしい……。双子は母親の言動に違和感を覚え、次第に「帰ってきた母親は偽物では?」という疑念に囚われていく。

偽物の母親に対抗するため、強くなる双子の映画……?

目の前の女性が母親であるか否か、など当然大人であればすぐに確かめる方法を思いつくかと思います。しかし少年にはそんなこと思いつかない。なんとか確かめようと試みますが、どれも決定的ではありません。母親が本物ではなく、例えば自分たちを襲おうとしている妖怪か何かなのではないか、というあまりに残酷な発想です。 オーストラリアの片田舎という閉鎖的な舞台がその考えを加速させているのも確かでしょう。この舞台は傑作小説の映画化『悪童日記』を思わせます。『グッドナイト・マミー』には双子がお互いを叩き合う、という『悪童日記』そのままのシーンもあります。 『悪童日記』風に後半を予想するならば、偽物となった母親からの暴力に自らを鍛えることで対抗し、最終的には本物の母親と出会えてハッピーエンド……。といった感じでしょうか。 しかし!!この映画ではどんでん返しが発生します。つまり『悪童日記』の演出はミスリードだったということ。う〜ん、意地悪!(でもそこが好き)

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どんでん返しの仕掛けと、そのタイミング

実はルーカスは死んでおり、画面に映るルーカスはエリアスが見る幻、つまりイマジナリーフレンドだったのです。えええ!そんな!まさか!……と、なれば良いのですが、この映画にたどり着く多くの映画ファンたちは、双子と聞いた瞬間に「う〜ん、これは片方死んでいる」とうっすら気づいてしまうはず。ちなみに私は予告編でうっすらしちゃいました。「信頼できない語り手」の中でも王道中の王道としても過言ではない。 『グッドナイト・マミー』の特徴的な点は、この仕掛けをかなり早いうち(中盤)に示唆するのです。つまりルーカスが死んでいることがバレても全然気にしていない。そのことはあまりに露骨なヒントが出されていることから伺えます。確かに映画のクライマックスで、母親の口から「ルーカスが死んでいる」と出るまで確定ではない事実ですが、多くの人はほぼ確定の状態で映画を鑑賞することになります。 とはいえこの仕掛けをぞんざいに扱っているわけではありません。母親が電話で誰かと話しているのを双子が盗み聞きするシーンでの母親のセリフ「これ以上フリを続けられない」(日本語訳)は素晴らしいと思います。「これ以上(母親の)フリを続けられない」とも「これ以上(ルーカスが存在している)フリを続けられない」とも受け取ることができる。 この映画の感想で「どんでん返しの仕掛けが途中でわかっちゃってつまらなかった」というのを時々目にしますが、それではもったいない。映画の目的はどんでん返しで驚かせてやろう、というわけじゃないのです。クライマックスはその先にあります。

どんでん返しを期待して鑑賞するなら、こちらの記事で紹介されている映画の方がおすすめです。

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クライマックスはあまりに残酷な拷問

グッドナイト・マミー
© RADiUS-TWC

愛する息子に拘束され、拷問をされる。息子は妄執に取り憑かれ母親の悲痛な叫びは耳に届かない……。考えうる拷問シチュエーションの中でも「最悪」に分類されるかと思います。 拷問の内容は、虫眼鏡で太陽光を集光し頰を焦がす、口を接着剤で固定し無理やり剥がす、という幼稚で、計画性のない拷問です。しかし、だからこそ怖い。「心が崩壊した子ども」という行動を読むことができない人による加虐は、被虐者の心の準備ができないからです。 常に予測不能な暴力と隣り合わせ。 ここで連想されるのは鬼畜胸糞映画として名高いミヒャエル・ハネケ『ファニーゲーム』(あるいは『ファニーゲーム USA』)です。『ファニーゲーム』は別荘を訪れた三人の家族に対し、突然現れた二人の青年が理由なき暴力を振るうという映画です。 『グッドナイト・マミー』の終盤の展開と『ファニーゲーム』との類似は無視できません。どちらも映画のオチは凄まじいまでの絶望がやってきます。『グッドナイト・マミー』のオチは『ファニーゲーム』に匹敵する救いのなさです。

『ファニーゲーム』の監督ミヒャエル・ハネケも、『グッドナイト・マミー』の監督ベロニカ・フランツもオーストリアの出身です。オーストリア怖い。

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『グッドナイト・マミー』はジャンルスイッチムービー

『グッドナイト・マミー』の構成は以下のようになっています。 「偽物の母親に対抗する双子の話」かと思いきや 「死んだ兄弟を幻視する息子と、偽物だと疑われる母親の話」に止まらず 「地獄のような拷問と特大の胸糞悪さで締めくくられる話」になるのです。 ここまでストーリーが転換していれば、ジャンルスイッチムービーと呼べるかと思います。ラストの胸糞悪さは、ジャンルスイッチにより観客を徹底的に翻弄した効果とも言えるのではないでしょうか。 いくつか映画を引用して紹介してきましたが、『グッドナイト・マミー』に最も近い映画を一つ挙げるならば『悪を呼ぶ少年』です。双子の片方がイマジナリーフレンドで、その仕掛けは中盤にネタが明かされ、胸糞悪いクライマックスが用意されています。 『グッドナイト・マミー』における母親の最後も『悪を呼ぶ少年』での”あの人”と同じ。『グッドナイト・マミー』が気に入った方は必ずお気に召すはずです。共通点を確認しながら鑑賞するのも面白いかと。

考察:『グッドナイト・マミー』における"虫"とは?

映画におけるアイコンとして虫が登場します。とにかくたくさん登場するので苦手な方にはかなりキツいはず。ですが、『グッドナイト・マミー』においては単にヴィジュアルの不気味さを高めるために登場しているわけではない、と考えます。 寝ている母親の口の中に虫を入れるシーン、母親の腹を切ると中から虫が溢れ出すシーンがありますが、これはどちらもエリアスが見た夢の話。「母親の中身が虫で成っているのでは」という妄想に囚われていると読み取ることができます。つまり虫とは虚構のメタファーとして配置されているのです。このことを裏付けるのが、虫が初めて登場するシーンです。 エリアスが洗面所でフロスをしている最中、天井近くで虫を発見します。しばらくすると交代の時間を知らせるベルが鳴り、エリアスはルーカスを呼ぶ。やってきたルーカスが洗面所に立ったその時、上から虫が落ちてくるのです。場面は切り替わり、ルーカスは虫を飼う水槽の中に捕まえた虫を入れます。 エリアスが洗面所に立った時に落ちてこなかった虫が、ルーカスが立った時に落ちてくる。これはルーカスが虚構の存在であることを暗に示している、と考えられないでしょうか。

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『グッドナイト・マミー』の綿密に計算された、地獄のような恐怖

『グッドナイト・マミー』はあまりの胸糞悪さから何度も観る気は起きない映画かもしれません。しかし脚本の良さは超一級です。 綿密な計算に基づく凄まじい恐怖と絶望は、繰り返し鑑賞による気づきによって増幅されます。ぜひもう一度鑑賞して、最初は気づかなかったポイントを探してみてはいかがでしょう?