2019年3月24日更新

「脳死」した娘は死体なのか?映画『人魚の眠る家』をネタバレ考察

(C)2018「人魚の眠る家」 製作委員会

2018年11月16日に公開された東野圭吾原作・映画『人魚の眠る家』。親子の間にある愛情は果たして異常なものなのか?「脳死」と「心臓停止」、どちらをもって死とするのか?物語を紐解きながら、本作の主題である「死とは何か」について迫っていきます。

映画『人魚の眠る家』が描く「死」とは何か?

東野圭吾の作家デビュー30周年記念作品にして、ベストセラー小説がついに実写化されました。 監督の堤幸彦は、2015年の東野圭吾原作映画『天空の蜂』でも監督をつとめており、原作ファンにとっても期待の膨らむ本作。 「生」と「死」の境目はどこにあるのか?映画『人魚の眠る家』だけでなく、他作品や医学的観点においての「脳死」と「死」の関係性に注目しながら考察します。

映画『人魚の眠る家』のあらすじ【ネタバレあり】

「臓器移植」か「延命措置」か

人魚の眠る家
(C)2018「人魚の眠る家」 製作委員会

娘の小学校受験が終わり次第離婚することが決まっている、播磨和昌(西島秀俊)・薫子(篠原涼子)夫妻のもとにかかってきた電話は、娘の瑞穂(稲垣来泉)がプールで溺れたというものでした。 集中治療室にいる自分たちの娘が脳死状態であることを知った夫婦は深い悲しみに暮れますが、心優しい娘なら誰かのためになることをするだろうと考え、臓器提供を決断。 しかし、別れの挨拶をしようとしたところ、娘の手がわずかに動いたのを夫婦は目撃してしまいます。 これがきっかけで、脳死状態からの回復を夫婦は望むようになっていくのです。

奇跡への期待は狂気に

和昌はIT系機器メーカーを経営しており、社内で行っている研究では、障害者に対する人工知能の適用に力を入れています。 彼は最先端の医療情報に触れることのできたため、人工呼吸器を外し人工知能呼吸コントロールシステムを装着する手術を、娘に受けさせることができました。 上記の手術の成功後、和昌は自社の部下で研究者の星野祐也(坂口健太郎)と知り合います。彼の研究は、身体的障害を負っている人がロボットを介さずに、自らの身体を動かせるようになることを目的としていました。 薫子は、寝たきりの娘が軽い運動をすることを目的に、星野の開発した最新の技術で神経に信号を送り、身体を動かしはじめました。そして、どんどんエスカレートしていき、ついには表情神経にまで手を伸ばし人工的に笑顔を作るように。 死んだはずの娘がまるで生きているかのように感じた薫子は、娘が生きていることを周りに知らしめるため、車椅子に乗せた状態の娘を外に連れ出し・・・。

そして起きる衝撃的な事件

人魚の眠る家
(C)2018「人魚の眠る家」 製作委員会

どうしても周りに娘が生きていることを認めて欲しい薫子は、車椅子で眠る娘に包丁を向け、自ら警察に通報します。 周りにいる家族がパニック状態な中、薫子は駆けつけた警察に対して、自分が脳死状態の娘を殺したら有罪になるのかと尋ねます。もし殺して自分が裁かれなければ、娘は死んでいたということになり、殺人犯として有罪になれば、娘は生きていたと国のお墨付きをもらえることになると薫子は考えたのです。 そんな薫子に正気を取り戻させたのは、事故の起こったプールに娘の瑞穂と一緒に出かけた若葉でした。若葉が大切にしていたおもちゃの指輪を排水溝の近くに落としてしまい、瑞穂はそれを取ってあげようと潜ったことが事故の原因だったのです。 事態が悪化し、そのことを言い出せなかった若葉は薫子に対し、大きくなったら自分が瑞穂の世話をする、と何度も詫びるのでした。娘と同年代の子供が告白する姿に、薫子は正気を取り戻します。

最後に下した家族の決断とは、そして「死」とは

瑞穂を含めた家族での、幸せな時間が再び流れ始めます。そんなある日の夜、薫子は夢の中で瑞穂に別れの言葉を告げられ、起きてみると瑞穂は重体で、病院に運び込まれます。 そこで再度医師から「臓器提供」か「延命措置」かの選択を迫られた和昌と薫子は、迷いなく「臓器移植」の道を選んだのでした。 自宅で行われた瑞穂の葬式にやってきた担当医師は和昌に対し「死」はどのタイミングで訪れるのかと尋ね、和昌は「死んだと実感して、心臓が止まった時」と答えます。 この和昌の答えに対して医師は「だとすれば、まだお父様のなかでは生きているんですね。瑞穂ちゃんの心臓はどこかでまだ動いていますから。」と答えるのでした。

「脳死」=「死」なのか

医学的に見る「死」とは?

以下、映画内での説明を中心に、脳死とは何なのか簡単に解説します。 まず、脳死状態であると医師に判断されると、臓器提供か延命措置かの選択を迫られます。脳死状態というのは脳波が確認されない状態を指し、この時点では「脳死」と判定はされません。ドナーとして臓器提供することを決断した場合にのみ、脳死判定を受けることができるのです。 本作では脳死状態になったのが14歳以下の、臓器提供意思表示をしていない子供だったため、臓器提供か延命措置かの選択は保護者に委ねられています。 脳死状態と言われても、動いている心臓を止めるなんてことはできない。でも臓器を移植することによって救われる命があるかもしれない・・・委任されている家族にとって難しい決断なのです。

過去作品での「脳死」の扱われ方

過去に『グッド・ドクター』、『僕の初恋をキミに捧ぐ』など多くのドラマや映画の中で脳死、そして臓器移植の話は扱われてきました。脳死および臓器移植を、それら作品内ではどのように描いていたのか見ていきましょう。 多くの作品では臓器を提供する側を中心に描きますが、『グッド・ドクター』や『僕の初恋をキミに捧ぐ』では提供される側の立場も描かれています。 順番が回ってきたとしたら、提供される側の家族はわらにもすがる思いで移植を受けたいと考えます。しかし提供される本人にとっては、誰かの命を譲り受け、引き継ぐということになり、自分は人間として、誰かの命を奪ってまで生きる資格があるのかどうか悩むことも。 臓器を提供する側にとっても、される側にとっても、脳死=死と単純には考えられないのです。

夫婦で食い違う意見

薫子の言動について「瑞穂が死んでるなんて誰にも言わせない」

瑞穂が事故にあってからは彼女の介護にかかりきりとなり、薫子は次第に周りが見えなくなっていきます。 最初は不安視していた和昌の勧める最新技術も、何度も試すうちにまるで瑞穂が生きているように感じられて、脳死状態と医師に告げられたこと自体、嘘だったかのように考えるようになるのです。 視野はどんどん狭くなっていき、瑞穂の事実上の死を受けとめ始めた家族や周りの全ての人に対し、自分の考えを押しつけるようになります。 そしてついに薫子は、瑞穂に包丁を向けるという衝撃的な行動に出ます。薫子にとって瑞穂はまだ生きているし、愛する娘を死んだものとして周りに見られるのが許せなかったのです。

和昌の言動について「自分の価値観を押しつけるな」

そもそも最新技術で瑞穂の身体を動かすことを提案したのは和昌でした。 瑞穂の事故後も仕事であまり家に帰ることができず、気が付いた時には薫子は娘を人形のように扱い、無理矢理生きさせようとしていました。 瑞穂を救いたい気持ちは薫子と同じですが、価値観を押しつける薫子の姿には賛同出来ず、いつしか瑞穂は死んでいるのだと自覚し始めます。 そんな時、同級生が携わっている海外での心臓移植のための募金を知り、自分のしている「脳死患者を延命させる」ことに罪悪感を抱くようになります。

原作者・東野圭吾も答えに到達できなかった難問

本作の公式ホームページで、原作者である東野圭吾自身による小説と映画に対するコメントが以下のように述べられています。

「自分の愛する存在が、健やかに眠っているようにしか見えないのに、もう命はありませんと宣告されたらどう感じるか。そしてどうするか。単純そうで複雑なこの問題に向き合うことから、私の執筆作業は始まりました。(中略)書き上げた今も、何らかの答えに到達できたという自信はありません」

「臓器提供」と「延命措置」の選択において、どちらも不正解ではありません。作者自身その部分に結論を出すことは出来なかったようです。

本作で描かれた「生」と「死」の境界線

「人魚の眠る家」
(C)2018「人魚の眠る家」 製作委員会

確かに法律として定められた「死」の定義は存在します。しかし脳死状態だとしても、臓器移植を決断し命日を迎えたとしても、どこかでその人の一部が生き続ける限りは「死」ではないと、本作の中では語られたのでした。 ラストで瑞穂の心臓移植を受けた男の子は、導かれるように瑞穂の家へ走ります。そこにはもう家は建っておらず、たくさんのクローバーがはえているのでした。 映画内では、瑞穂が自分はすでに幸せだからと、四つ葉のクローバーを他の誰かのために持ち帰らず、その場に残していくエピソードが薫子によって語られていました。瑞穂を含めた家族全員が幸せに包まれていたからこそ、ラストで描かれた播磨家の跡地にはクローバーが残っていたのでしょう。 日本で臓器の移植を希望して待機している人は、およそ14000人。それに対して移植を受けられる人は、年間たったの400人です。そして順番が回ってきたとしても、適合しなければ移植することはできません。 この事実と正面から向き合うべきは、提供される側だけでなく、提供する側にもなりうる私たち一人ひとりなのです。 本作での深すぎる愛は混乱を招きますが、最後には愛こそが「生」と「死」の仲立ちとなり、幸せを訪れさせるのでした。