1:木村拓哉主演のドラマ『ギフト』でドラマデビュー
加藤あいは、愛知県清須市出身、1982年12月12日生まれの女優・タレントです。中学校在学中に、雑誌「プチレモン」のジュニアモデルを経て、中学3年生の時に上京。1997年、木村拓哉主演のドラマ『ギフト』でドラマデビューを果たしました。
『ギフト』は、記憶喪失になった青年の葛藤を描いた社会派サスペンス。加藤あいは、第1話に女子高生役としてゲスト出演しました。その後は、1999年に『ベストフレンズ』で連続ドラマ初主演を飾るなど、数多くの作品に出演しています。
2:実は『学校へ行こう!』のレギュラーだった
あまり知られていませんが、『学校へ行こう!』にレギュラー出演していました。『学校へ行こう!』は、1997年から放送されていた学校教育バラエティ番組。「学校を楽しくしよう。」という合言葉をもとに、V6を中心とするメンバーが全国の学生と共にロケや企画を行いました。
加藤あいは、1999年4月から2001年3月までスタジオメンバーとして出演。番組卒業後も、『みのりかリズム4』はじめとする多くの名ゲームを生んだ「休み時間向上委員会」コーナーに再登場し、当時の加藤あいの貴重な制服姿が見られました。
3:人気ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』で知名度を上げる
『池袋ウエストゲートパーク』は、2000年に、石田衣良の原作小説を宮藤官九郎の脚本でテレビドラマ化。窪塚洋介、坂口憲二、佐藤隆太など現在でも活躍する人気俳優たちを輩出した大人気ドラマです。
加藤あいは、主人公・マコトの彼女の渋沢光子役で出演しています。やきもち妬きで泣き虫なお嬢様ですが、かわいらしい笑顔の裏に恐ろしい面を秘めた二面性ヒロインという役柄でした。ふたつの顔を演じ切った演技力が評価され、知名度を上げました。
4:CMの女王と呼ばれるほど引っ張りだこに
1998年、広末涼子の後を継いでNTTドコモポケットベルのCMに出演するなど、2000年前後には10本以上のCMに起用され、「CMの女王」と呼ばれるまでになりました。デビュー直後から、カネボウやイーオンなどをはじめとして多数のCMに出演しています。
特に、NTTドコモは8年間に渡ってイメージキャラクターを担当。目立ったスキャンダルがなく、クリーンなイメージが企業広告として好まれるのでしょうね。
5:『24人の加藤あい』で初の冠番組を持つ
2001年4月から半年間、TBSテレビで制作された「おちまさと」プロデュースのバラエティ番組。『24人の加藤あい』と題して、加藤あいにとって初の冠番組がスタートしました。
内容は、24人の映像クリエイターが限られた予算と時間で、「CMの女王」加藤あいを被写体に、30秒のイメージCMを24パターン作る制作過程を追うというもの。それぞれのクリエイターが毎回異なった表情を引き出し、大ヒットしました。同時に、加藤あいの演技の幅広さも証明された番組です。
6:ヒロインの環菜を演じた『海猿』シリーズが大ヒット!
2004年に、作者・佐藤秀峰、原案・取材小森陽一による漫画『海猿』を、伊藤英明主演で映画化。主要キャスト出演の連続テレビドラマを挟み、第3作まで公開された大ヒット作品です。
海上保安庁に転職した主人公・仙崎大輔を中心に、厳しい訓練に耐えながら潜水士を目指す若者たちの、友情や恋、挫折を通して成長していく様子を描いています。加藤あいは、シリーズを通して仙崎大輔の心の支えとなる、明るく屈託のないヒロイン・伊沢(後に仙崎)環菜を演じました。
シリーズ第1作目から、10年以上という付き合いになった伊沢環菜について、「一緒に年を重ねてきた」と語る加藤あい。仙崎大輔と出会い、ぶつかり合いながらも夫婦となり、妻として母親として成長していく一人の女性を演じ切ったこの作品は、加藤あいにとって1番の代表作となりました。
7:雑誌の表紙でセミヌードを披露し美貌をあらわにする
2007年に女性誌「an・an」1月号、2013年には「FRaU」3月号の表紙で大胆なセミヌードを披露。「FRaU」の撮影は、30歳の誕生日の前日に行われたそうで、「本当にこのようなカラダをみなさんにお見せしていいものか」と悩んだそうです。
本人の心配もよそに、バストを腕で隠し、女性らしい体のラインが強調された美しい美貌にファンは釘付けに。撮影前には、カーヴィーダンスでお馴染みの樫木由実トレーナーのもとでトレーニングを積んだそうです。いくつになっても変わらない美しさの裏には、相応の努力があるのですね。
8:一般男性と結婚しアメリカで子育て中?
2013年11月14日、一般男性との結婚を発表。婚姻届は、11月22日の「いい夫婦の日」に提出しました。加藤あいよりも年上だそうで、「居心地が良くて包容力がある。かわいいクマさんみたいな人」と紹介しており、頼れる大人の男性なのかもしれませんね。
2年後の2015年9月14日には、アメリカで女児を出産したと発表しました。夫の仕事の都合で、出産前から日本とアメリカを往復していたのだとか。落ち着いた環境で、との理由からアメリカでの出産したのでは、という意見もあります。育児は日本で行うようで、体調を見て仕事にも復帰するそうです。