アメリカを代表するドキュメンタリー映画監督マイケル・ムーア
マイケル・ムーアはアメリカ合衆国のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画監督、テレビプロデューサー、テレビディレクター、政治活動家です。1954年4月23日アメリカ合衆国ミシガン州のフリントで生まれました。 ミシガン大学フリント校でジャーナリズムを専攻し、校内新聞「ミシガンタイムス」のライターとしてジャーナリストとしてのキャリアを踏み出します。そして、1986年にマザー・ジョーンズ誌の編集者を務めるためカリフォルニア州に引っ越します。 その後、映画製作に転向し、1989年に制作されたマイケル・ムーア初の映画『ロジャー&ミー』に必要な予算を集めるため、自身の住む地域でビンゴゲームを運営したことも有名なエピソードです。
6位:マイケル・ムーアが米国防省に代わって世界を侵略!『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』【2016年】
今までアメリカ政府と対立してきたマイケル・ムーアが一転、ヨーロッパやアフリカの様々な国へ「侵略者」として訪れ、様々なモノを略奪しようとします。 しかし、行く先々の国で見たのは、アメリカでは考えられない様々な社会の仕組みでした。
5位:資本主義とは何なのか?【2009年】
リーマンショックやサブプライム問題といったアメリカ合衆国が抱える経済問題にスポットライトを当てた『キャピタリズム マネーは踊る』は「ユーモアと憤慨」を交えながら「アメリカ人は何を代償にしながら資本主義を求めているのか?」という疑問を追い求めるドキュメンタリー。 ウォール街の富裕層たちとアメリカ政府との癒着が暴かれます。
4位:カンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールを受賞した作品【2004年】
マイケル・ムーア独自の視点で、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件の後、どのようにブッシュ政権がその悲劇を政治利用し、アフガニスタン紛争・イラク戦争の講義事項を前面へ押し出したかを追い求めたドキュメンタリー映画。 パルム・ドールを受賞するなど評価が高い反面、2004年にブッシュ大統領が再選するのを防ぐために制作されたため、マイケル・ムーアの個人的な映画とも言え、評価が分かれる一本です(結局、ブッシュは再選してしまいました)。
3位:アメリカの医療問題に切り込む!【2007年】
アメリカの医療制度と他国の医療制度を比較。国民皆保険がいまだにないアメリカにおいては、手術のために破産するということもありえない話ではないのです。 そんな恐ろしいアメリカの医療保障がなぜ改善されないのか。マイケル・ムーアが迫ります。そして、最後は社会主義国であるキューバに向かいます。ちなみに、タイトルの『シッコ』は「狂人」「変人」を意味するスラングです。
2位:マイケル・ムーアの初監督作品!【1989年】
我らがマイケル・ムーアの記念すべき監督デビュー作。 GMによる大規模な予算削減により、マイケル・ムーアの生まれ故郷であるミシガン州フリントで工場が閉鎖し、3万人の失業者が発生。 この危機的状況について、マイケル・ムーアがGMのCEOロジャー・スミスにアポイント無し取材を敢行しました。
1位:銃社会に切り込んだアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞受賞作【2002年】
1999年に発生したコロンバイン高校銃乱射事件をモチーフに、「何故、多くの人が銃により殺害されてしまうのか?」という問題の核心に迫ったドキュメンタリー。 エンターテインメントにおける暴力表現、アメリカの暴力の歴史、銃の有効性、貧困等を考察する一方で、ライフル協会会長であった俳優のチャールトン・ヘストンや銃乱射事件の加害者に影響を与えたとされたマリリン・マンソンへのインタビューも交えるなど、ユニークなつくりです。 銃の所持率はアメリカより多いのに、銃犯罪は圧倒的に少ない隣国・カナダとの比較も興味深いです。
新作映画『華氏119』ではトランプ政権を暴く!
そして2018年。マイケル・ムーアは、『華氏119』でトランプ政権にメスを入れます。 多くの識者がヒラリー・クリントンの当選を予想する中、見事にトランプ政権の誕生を的中させてしまったマイケル・ムーア。なぜトランプ政権は誕生してしまったのか。そして、なぜトランプはここまでの批判を受けながらも、大統領の地位を守れるのか。 そういった疑問に、マイケル・ムーアが斬り込みます。