2017年7月6日更新

三船敏郎、日本を象徴する名優の素顔についてもっと知りたい!

『七人の侍』(2枚組)[東宝DVD名作セレクション]

三船敏郎は「世界のミフネ」と呼ばれるほど世界中から愛された名優。巨匠の黒澤明監督とタッグを組んだ数々の作品出演の他にも、海外作品への出演や、「スター・ウォーズ」への出演依頼のエピソードやプライベートなど、映画とともにご紹介いたします。

目次

「世界のミフネ」と呼ばれた男・三船敏郎の葬儀

アメリカのニューヨークタイムズは、日本人俳優の三船が亡くなった1997年12月24日の翌日、「サムライ映画の最初のヒーロー 三船敏郎死す 77歳」と銘打った特集記事を掲載。「日本のジョン・ウェイン」といわれている俳優の死を惜しみました。

ヴェネアツィア国際映画祭で公式上映された、新作ドキュメント『ミフネ ザ・ラスト・サムライ』

三船敏郎の葬儀日、世界各国から送られた弔電は、当時のフランス大統領のジャック・シラク、スティーブン・スピルバーグ監督、俳優からはマーロン・ブランド、アラン・ドロン、ジョン・ボイド、チャールトン・ヘストン、ジョディ・フォスターなど数十通に及んだそうです。

「世界のミフネ」、「ラストサムライ」といわれた、日本を象徴する名優を映画とともにご紹介いたします。

世界に「サムライ」の三船敏郎を印象付けた黒澤明監督の『用心棒』

1961年に公開された『用心棒』で、三船はヴェネチア国際映画祭で主演男優賞受賞。この作品で世界中に「サムライ・三船敏郎」が誕生しました。

この物語は、2人の親分が対立する宿場町でが舞台。そこへ浪人侍の桑畑三十郎がやって来ます。桑畑は、高く自分を買ってくれた方の用心棒になると言い出します。やがて、桑畑三十郎の巧みな策略で双方を欺き、戦わせていきます。

演出を務めた黒澤明監督は「のびのびと楽しんで撮った」と言う通り、誰が観ても痛快娯楽時代劇となっています。

また彼の運動神経を活かした殺陣は、斬りつける相手を2度斬りするなどリアルさを見せることに成功。他にも、斬られる時の効果音や、斬られた後に血しぶきが出るなど工夫も、三船敏郎の動き回る圧倒的な存在感があってこそ可能な表現だったと言われています。

無許可でマカロニウエスタンにリメイク『荒野の用心棒』

『用心棒』の三船敏郎の侍姿に魅了されたセルジオ・レオーネ監督は、製作者の東宝や黒澤明監督に無許可でリメイク版を制作。クリント・イーストウッドを主演に迎えて、1964年に『荒野の用心棒』を制作すると映画は大ヒットとなります。

映画を観てからこの事実を知った東宝は、セルジオ・レオーネ監督サイドを裁判訴訟を起します。それほど設定や物語は酷似しており、サムライが、ガンマン置き換えられたものでした。

『用心棒』も『荒野の用心棒』も、演出、脚本もそれぞれ見事でしたが、ともに主役の名優の存在があってこその成立した映画とも言われています。サムライの三船敏郎、ガンマンのクリント・イーストウッドという偉大な俳優を印象付ける映画史の金字塔的な作品と言われています。

その後、再び黒澤明監督とタッグを組み、1962年に公開された続編『椿三十郎』でも主役を務めています。

この作品は、続編という表記はないものの、三船が演じた桑畑三十郎とおぼしき人物が、桑畑ではなく今度は椿をみながら「椿三十郎、最ももうすぐ四十郎だが…」というギャグ的な台詞があることからも続編といえる作品です。

前作の『用心棒』がたった一人で宿場の悪人どもを全滅させたのに対して、この物語では、上役の汚職を暴こうと立ち上がる若い侍9人を支えながら、椿三十郎の凄腕で御家騒動の渦中にいた黒幕と対決をしていきます。

三船敏郎の気迫溢れた有名なラストシーンの決闘は圧巻。なんと一太刀で勝負をつけます。ちなみにこの時の予想を越える血しぶきの量が、その後の時代劇に大きな影響を与えました。

『スター・ウォーズ』へ出演依頼があった三船敏郎にあった?!

「遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。」とはじまる、1977年に公開された、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』。現在はルーク・スカイウォーカーを主人公とした、旧三部作の第1章の『エピソード4新たなる希望』と言われているものですが、当初、この作品には三船敏郎への出演依頼がありました。

『スター・ウォーズ』は、黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』を元にしたと言われています。その他にも、『用心棒』や『椿三十郎』をリスペクトしたシーンも存在するなど、黒澤明監督のみならず三船を強く意識した作品です。

そこまで彼にリスペクトしたジョージ・ルーカス監督が、初めに出演依頼をした役は、オビ=ワン・ケノービです。

オビ=ワン・ケノービ役のアレック・ギネスに変更された

オビ=ワン・ケノービという人物の設定は、アナキン・スカイウォーカーと、ルーク・スカイウォーカーの二世代の師匠としてフォースを教える重要な人物。

そのこともあってか、俳優のアレック・ギネスもあまりこの役について自ら多くを語ろうとはしていないようです。

三船敏郎の出演に諦めきれないジョージ・ルーカス監督が、次に出演依頼したのは、ダース・ベイダー役。

伊達政宗の戦国兜をデザインモチーフにしたダース・ベイダー卿

彼が出演依頼を固辞したのは、生真面目で頑なサムライ魂を持った男だからにほかありません。"日本文化を誤解された映像”や、"武士道をコミカルにする”事への難色があったようです。

父親の三船敏郎が悩んでいた事実は、娘の三船美佳が、2016年に放映されたテレビ番組「ダウンタウンDX」に出演した際に語っています。

しかし、顔出しが無い役なら出演してもらるのではないかと、なおも食い下がるジョージ・ルーカス監督の熱意も凄さを感じますね。結局、『スター・ウォーズ』への俳優としての出演依頼は幻に終わりました。

ジョージ・ルーカス監督の三船敏郎へ愛の執念は終ってなかった!

1983年に公開された『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』は、ダーズ・ベイダーのマスクが外れた時のアナキン・スカイウォーカーの素顔が見られます。

その際の特殊メイクは、三船敏郎に似せて欲しいというジョージ・ルーカス監督の指示とともに、撮影中には「もっと似せろ」と指示が飛ぶほどの執念がメイキング映像にもしっかり残っています。

これほど一途なまでに愛され、尊敬される俳優は、彼の他にそうそうはいないのではないでしょうか。

三船敏郎の趣味は自動車というカーマニアだった

三船敏郎の趣味は自動車。プライベートでは45年間の愛車1952年型MG-TDを所有。他にも1962年型ロールスロイスシルバークラウド、オールドモービル、ジャガー、メルセデスベンツ、多数を所有するカーマニアぶりでした。

その中でも、1962年型ロールスロイス・シルバークラウドを所有したきっかけとなった映画があります。ジョン・フランケンハイマー監督の1967公開作品の『グラン・プリ』に出演した際に購入をしたものでした。

初めてハリウッド進出を作品『グラン・プリ』は、社会派アクションの巨匠ジョン・フランケンハイマー監督作品です。当時の世界トップレーサーの出演はもちろん、「世界のミフネ」で知られた三船が出演したことが世界中で話題になります。

この物語は、F1シーズンの開幕戦、伝統のモナコグランプリで大事故が突発。アメリカ人のピートは、地中海に投げ出されてしまい、幸に軽傷ですんだが、イギリス人のスコットは、壁に激突して重傷を負ってしまいます。彼ら二人をスポンサーのジョーダンは激しく非難します。そんな彼らを弁護したのは、優勝栄冠を勝ち取ったはフランス人のサルティ。

しかし、彼らの誰もが、華やかなレースと違って家庭生活では妻たちと上手く関係が築けてはいません。事故や家庭生活でのことに傷心するピート。やがて、救いの手をさしのべたのは、ホンダの矢村でした…。

『グラン・プリ』の撮影現場で談笑する国際俳優のキャストたち

迫力あるレースシーンを再現する為に、撮影は65mmフィルムで行われ、当時流行したシネラマで公開されました。大きな画面サイズを活かしたマルチ分割のスクリーンを多用することで、リアルなレーシングシーンの迫力と、緊迫感のあるスリルを、エキサイティングに組み合わせて見せる全編となっています。

三船敏郎が演じていた役は、公開当時にF1参戦していたホンダをモデルにしています。もちろん、矢村の参考にした人物とは、本田宗一郎です。

また、運転好きは自動車だけではなく、モーターボートを所有していたそうです。ジャパン・モーターボートクラブの会長に就任していたこともあったようです。

異種格闘技?はじめて西部劇にサムライが登場『レッド・サン』

1971年に、フランス、イタリア、スペインの共同制作で公開された『レッド・サン』に黒田重兵衛役で出演します。

制作サイドとの企画の打ち合わせで渡米した際に、テレンス・ヤング、エリア・カザン、サム・ペキンパーの3人の監督が集められていたそうです。プロデューサーは、「トシローこの中から監督を選びなさい」といわれたと言います。

監督たちと別れ際に、テレンス・ヤング監督だけが、「あなたに会えて幸せでした」と挨拶をして去ったそうです。『007』の撮影を終えて、事前に『レッド・サン』のシナリオも読んでおり、企画に熱心でもあったテレンス・ヤング監督に決まります。

日本刀と拳銃という対決が見どころ!三船敏郎ありきの夢の企画

この物語は、日米修好の任務を受けた日本国大使の坂口備前守と、随行の武士の黒田重兵衛と名室源吾は、特別列車でアメリカ西部を東へ向っていた。しかし、同じ列車の金貨の積まれた郵便車両を、強盗団ボスのリンクと相棒のゴーシュの一味が襲撃。

その際に、リンクとゴーシュは、初めて見る日本人の奇妙な姿に好奇心を抱き、大使一行の乗車する特別車に乗り込んで来ます。ゴーシュは、大統領に献上する宝刀の輝きに驚嘆の声をあげ持ち去っています。大使は重兵衛に7日間の猶予を与え、宝刀奪還を命じます…。

ちなみに、あまり洋画を観たことがなかったため3人の名匠監督を前にした際、即答をさけていたようです。

また、俳優のアラン・ドロンの出演は、三船敏郎サイドのブレーンの提案で配役が来まり、自らアラン・ドロンに電話を掛けたと言います。『世界のミフネ』からの電話による出演依頼には、世紀の二枚目も嬉しかったのではないでしょうか。

三船敏郎の名言と、世界のミフネへの名言

三船の名言といえば、サッポロビールのCMキャッチコピー「男は黙ってサッポロビール」。このコマーシャルは三船敏郎のイメージと見事にマッチしていて流行語にもなりました。

今なお三船を愛する往年男性ファンには、吞むビールをサッポロビールと決めてる人も案外多いようです。世界で活躍した彼への憧れなのでしょうね。

また俳優に関する名言に「俳優は人間のクズではない。人間の宝石が俳優になるのだ。何故なら神なくして人間を創造するには、人間のクズでは出来ないはずだ」というものがあります。誇りを持って俳優活動をしていたことが理解できる言葉ですね。

他にも外国映画の中で日本人の描写の不正確さに関して、三船敏郎は、「私は日本と日本人のためにこれからも正しい日本人が描かれるよう断固戦っていく」や、「残酷な軍人やエコノミックアニマル。日本人は、そんなやつらだけじゃあないと、世界中に知らしめたいんだ」とも述べています。

三船は"男は黙って”と耐え忍びながら、直向きに日本人や俳優活動として行動には、強い哲学があることがわかります。

ここからは「世界のミフネ」と呼ばれた俳優・三船敏郎へ贈られた名言にはどんなものがあるのか、盟友の黒澤明監督をはじめ、俳優や著名人の彼への名言・金言をご紹介します。

世界の映画人が尊敬する巨匠・黒澤明監督

黒澤明監督は、三船敏郎の日本人離れした型破りで素早い演技を見て、「猛獣使いになったようだ」と語っています。

また、「殺陣のシーンのフィルムを編集していていたら、コマの中に三船の刀が写っていない。あまりにも速すぎて写らないんだ。もし刀を使った殺陣のオリンピックがあったら、間違いなく三船が金メダルをとるだろうね」とも述べています。

三船と黒澤監督の関係は、「三船無くして、黒澤無し」と言われるほど、黒澤映画に彼の存在は欠かせないと言われています。1943年に主役を演じた『醉いどれ天使』から、1965年の『赤ひげ』までの16年間、出演しなかった作品は『生きる』1作のみ。

"黒澤映画の顔”として、時代劇や現代劇を問わず、三船敏郎がいた!。

黒澤明監督は、撮影現場では「クロサワ天皇」と言われるほど妥協を許さない監督として有名でした。しかし、三船敏郎にだけは、演じたいように演じさせていたそうです。

撮影にあたり用意したアイデアノートに書かれたものや、演技の注文をつけたことは無く、批判的な眼では見ていたことはなかったようです。それほど、黒澤映画には三船のアイデアがたくさん取り入れられています。

スティーヴン・スピルバーグ監督が三船敏郎に贈った言葉

スティーヴン・スピルバーグ監督の1979年公開映画『1941』では、アキロー・ミタムラ中佐役として出演し、それ以後、2人の親交は三船が亡くなるまで続きました。

彼の葬儀でスピルバーグ監督は、「あなたは何にもまして、今日の世の中ではまれな何かを持っていました。それは威厳そのものです」と惜しむ言葉を去りゆくサムライに贈りました。

またスピルバーグ監督の自宅には、三船敏郎が筆書きでたしなめた“すてぃーぶん・すぴるばーぐ”という書があることや、娘の三船美佳に直筆サインが入った映画『E.T.』のポスターを誕生日にプレゼントするなど、2人の親交の深さを物語るエピソードはいくつもあります。

ご存知!芸能界のご意見番の美輪明宏も語っていた

美輪明宏は三船敏郎について、

「三船さんはもっと高い評価を受けるべき俳優です。日本の映画評論家やジャーナリストのほとんどが、三船さんは黒澤明監督の映画に出演したおかげで「世界のミフネ」になったと思っているようですが、それは大きな間違いです。」

「本当は「世界のミフネ」がいたから黒澤監督は「世界のクロサワ」になれたのです」と述べています。

他にも世界中の映画監督や俳優たちが彼をリスペクトした名言は山ほどあり、挙げたら切りがありませんね。

やっぱり!カッコイイ三船敏郎の写真まとめ

徴兵後の際は満州陸軍第七航空部隊に入隊した三船敏郎

三船敏郎は、1920年4月1日に中国山東省で生まれ。5歳から19歳まで大連で過ごしました。三船の父親が写真館を営んでいたことから、写真技術に詳しくなっていきました。

第七航空部隊に入隊後の主な任務は、偵察機が撮影してきた写真を組み合わせながら、敵地の地図を作る作業だったそうです。

しかし、デビュー前にも関わらす、三船敏郎の写真写りは映画俳優のようですね、

ヤクザ役の三船敏郎が観られる『酔いどれ天使』(1948)

三船敏郎と黒澤明監督が初めてタッグを組んだ作品。闇市を取り仕切る若いヤクザを演じた三船の気迫に衝撃を受けた、今村昌平は、俳優から映画監督に転身したといわれています。

この映画は、第22回キネマ旬報ベスト・テン 第1位、第3回毎日映画コンクール 日本映画大賞、撮影賞、音楽賞をを獲得しました。

若き医師役の三船敏郎が観られる『静かなる決闘』(1949)

野戦病院で移された病と闘いながら生きる若き医師。まるで、眼光の強さと恰好良さは、まるでブラックジャックみたいですね。

東宝を脱退した黒澤明監督が、初めて他社で製作した作品として知られています。

世界が認めた『羅生門』(1950)では多襄丸役の三船敏郎

三船が『羅生門』で演じたのは盗賊の多襄丸。三船が演じる役はどんな役でも三船敏郎のように見えますよね。

このことについて、グルジアの名匠オタール・イオセリアーニ監督は、多くの俳優は自身の個性を潰していくものですが、三船とジャン・ギャバンを例外にあげ、彼は彼自身という役を演じていたと述べています。

この作品では、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞、イタリア批評家賞など多数の栄冠を得た作品です。

娯楽映画の傑作『七人の侍』(1954)の菊千代役の三船敏郎

暴れん坊の菊千代のコミカルな演技は、三船のアイデアを黒澤明監督が受け入れたものです。それが菊千代の死に様でも良い効果を与えています。

旧ソ連出身の巨匠アンドレイ・タルコフスキー監督は、『七人の侍』を観て、菊千代の死の際に泥だらけの尻が雨に洗い流される場面について、死の浄化作用を見出したと考察。また、映画評論家の四方田犬彦も三船が演じた菊千代の尻を黒澤映画のベストシーンに選んでいます。

眼光の鋭い顔だけでなく、全身全霊の運動能力の高さの他にも、お尻さえも映画史に大きな感銘を与えています。このような俳優は他にいたでしょうか。

この作品は、1960年にはアメリカで『荒野の七人』としてリメイクされ、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞を見事に受賞しました。

『蜘蛛巣城』(1957)では、「マクベス」に挑んだ三船敏郎

『蜘蛛巣城』は、シェイクスピアの戯曲の「マクベス」を、戦国時代の日本版として制作した作品。三船は、マクベスを置き換えた鷲津武時役を演じています。三船敏郎は威厳ある姿も似合いますね。

『市民ケーン』などで知られる天才俳優であり監督でもある、あのオーソン・ウェルズもまた「三船氏の演技はスケールが大きく深みがある」と述べています。「世界のミフネ」に関しての賛辞は挙げれば切りがありませんね。

ラストシーンでは、鷲津武時が無数の矢を浴びる命がけで撮影された場面はあまりにも有名です。

三船敏郎は、この先品で第12回毎日映画コンクール 男優主演賞を受賞。また、海外ではリスボン映画祭 特別賞、第1回ロンドン映画祭 最も独創的な映画賞を獲得した作品です。

『用心棒』の三船敏郎がいなければ、あの映画もこの映画も有り得ない!

『用心棒』については、前にもふれましたが、三船敏郎の演じた桑畑三十郎の姿に感銘を受けて、リスペクトした映画はたくさんあります。

「マッドマックスシリーズ」で有名なジョージ・ミラー監督は、『マッドマックス2』の撮影の際に、主演を務めたメル・ギブソンに、『用心棒』を見せて参考にするように指導しました。

「マトリックスシリーズ」のウォシャウスキー兄弟監督は、『マトリックス リローデッド』では、モーフィアスが日本刀を手に大立ち回りするシーンがあり、この場面は三船敏郎へのオマージュを捧げたものと言われています。

また、『マトリックス レボリューションズ』では、、機動防衛軍の隊長の名前が「ミフネ」として登場。やはり、「世界のミフネ」なのです。

漫画の世界でもサムライの三船敏郎に続々リスペクト!

漫画やアニメの中には三船の名前をそのまま使用したものがいくつもあります。

例えば、『マッハGoGoGo』の主人公の名前の三船剛は、三船敏郎へのオマージュで付けられたものです。『勇者特急マイトガイン』の中にもショーグン・ミフネが登場し、決め台詞は「男は黙ってぇ〜」というから驚きです。

大人気の『NARUTO』の中にもミフネへのリスペクトキャラクターがいます、名刀「黒澤」を手にして戦う鉄の国の侍大将で登場。作品中では屈指の強さを誇りました。

他にも『BASTARD!!』や『新テニスの王子様』などにも登場するほど、漫画家たちにも三船ファンは予想以上に多いようです。

三船敏郎の妻と家族、愛人美佳、そして転落の晩年

三船敏郎は、1950年の30歳の時に東宝の同期ニューフェイスであった女優の吉峰幸子と結婚。やがて、子どもにも恵まれ、長男の史郎、次男の武志と暮らすようになりました。

しかし、順調であった夫婦生活も1970年代に入ると冷め切ったものとなっていたようです。ひとつの原因は、三船の酒乱、もうひとつは愛人問題にあったようです。

家庭では子煩悩で真面目。映画の撮影現場では、大スターでありながらも、スタッフへの機材運びから掃除まで気遣いな仕事ぶりで有名でしたが、その一方で酒癖の悪さはかなりの悪評があったようです。

例えば、黒澤明監督に遅刻を咎められたその晩、酒に酔った三船敏郎は、愛車に乗って黒澤明邸まで行き、撮影用の日本刀を振り回し、「バカヤロー」と叫びながら、邸宅の周囲を走り回ったりしたそうです。

他にも俳優の石原裕次郎や、元安藤組の組長で俳優になった安藤昇に酔っぱらって喧嘩を売ったりと、幸子夫人は悩まされていたそうです。

そして、ついには自宅から追い出されてしまいます。とはいえ、幸子夫人は関係修復を望んでいたようで、三船敏郎が離婚するも拒否。離婚届に判は死ぬまで押さなかったようです。

1969年に公開された岡本喜八監督の『赤毛』という作品に出演した際に、女郎役のエキストラで出演していた喜多川美佳との愛人関係が始まったそうです。

また、愛人問題と平行するように、仕事面で大きな事件が起きました。三船敏郎が代表を務めた三船プロダクションの経営で、三船が信頼をして片腕としていた腹心の専務が、所属俳優の大半を引き抜いて独立するという内紛騒動が起きたのです。

これをきっかけに、三船プロは打撃をうけて衰退してしまいました。それでも俳優として三船敏郎は生き続けました。

このころ、1984年に、喜多川美佳との間に娘が生まれます。喜多川美佳の芸名である「美佳」を娘にそのまま名付けたのが、現在タレントとして活躍中の三船美佳になります。

1992年に、心筋梗塞で倒れて入院したのを機に喜多川美佳との関係を解消します。その後は、三船の看病を希望した長男の史郎夫妻が面倒を見る為に引き取ることにしました。そこで21年ぶりに幸子夫人と再会して、暮らすようになります。

遺作『深い河』の出演にも俳優としての威厳を持つ三船敏郎

三船敏郎は、晩年は俳優業は付き人すら付けずに1人で撮影現場に訪れていたそうです。

最晩年の出演作品は、1994年に最後に出演した海外作品『ピクチャー・ブライド』に出演。遺作は、1995年の熊井啓監督の『深い河』。

しかし、俳優業を続けていた三船敏郎の事態は、より深刻なものでした。1991年に公開された『シャドウ・オブ・ザ・ウルフ』の撮影で極寒のアラスカロケを敢行した際に体調を崩し、物忘れなどの老いの症状が現れ始めたそうです。

エスキモーの族長クルマク役を演じた三船敏郎

三船敏郎の認知症は進んでいくと、妻の幸子夫人を「おばさん」と呼びます。それでも幸子夫人は介護に寄り添いました。まるで、それは夫婦の穏やかな日を取り戻したかのようだったと長男の史郎は述べています。

やがて、認知症の三船敏郎は、度々近所を徘徊するようになるなど症状はかなり重かったようです。1995年に幸子夫人は膵臓癌で先立たれると「おばさん、死んじゃったのか…」と言いながら、気落ちした様子だったそうです。

そして、その2年後の1997年12月24日、三船敏郎は多臓器不全で入院していた病院で77歳で死去。「ラストサムライ」の幕を閉じたのです。

三船敏郎を知らない世代にお薦めの書籍があった!

松田優作の元妻・松田美智子が執筆した三船敏郎のすべて

「愛人問題」「三船プロの内紛と裏切り」「三船敏郎と黒澤明の愛憎」など、波瀾万丈の生涯や晩年まで、詳しく調べられた評伝が2014年に発行されました。

「世界のミフネ」、その輝かしい栄光と挫折は、突出した俳優の三船の宿命だったことがよく分かる書籍です。人間としての強さも弱さもあった三船敏郎。

しかし、こんなスケールの大きく、魅力的な俳優は、2度と現れないでしょう。

「サムライ評伝 三船敏郎」の筆者・松田美智子

筆者の松田美智子は、三船敏郎を知らない世代に、三船作品を観る入口に映画を5本薦めています。『酔いどれ天使』『蜘蛛巣城』『羅生門』『レッド・サン』『無法松の一生』です。まずは、興味を抱いたらこちらを観るのも良いのかもしれまん。

「ワンピース」の原作者・尾田栄一郎の顔が誰かに似てないか?!

『ONE PIECE』の作者の尾田栄一郎は、映画好きで知られていますが、コミックの70巻にある筆者紹介の顔は、三船敏郎をモデルにしてはいないだろうかという噂もあります。

尾田栄一郎は、好きな映画を漫画の参考にしたり、好きな俳優を漫画の中に取り込むことで知られています。"ワンピース世代”の中には、三船敏郎は知らないし、古い映画は苦手だという人も多いのではないでしょうか。

三船敏郎の出演した作品は、どれもがお薦めなばかり。「世界のミフネ」と呼ばれた「ラストサムライ」の凄さを改めて見直す映画鑑賞も案外楽しいかも知れませんね。