夏目雅子、『西遊記』の三蔵法師でもおなじみの大女優を紹介!

2017年7月6日更新

27歳の若さでこの世を去った、日本を代表する美人女優、夏目雅子。美しいばかりか、数々の映画やドラマで演技派としても足跡を残しています。今回は、そんな美しき名女優・夏目雅子のデビューからの活躍ぶりと魅力をご紹介します。

夏目雅子のプロフィール

夏目雅子は、1957年12月17日生まれ、東京都出身。1985年9月11日、27歳の若さで他界しましたが、今もなお、その美しさと数々の出演作は、燦然と輝いています。

小学生の頃から女優に憧れていたと言いますが、17歳の時、映画『ひまわり』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品)を観たことで衝撃を受け、本格的に女優を目指すようになります。そして1976年、日本テレビ・愛のサスペンス劇場『愛が見えますか』のオーディションに参加。486人の応募者の中から見事ヒロイン役に選ばれ女優デビューを果たしました。

「お嬢さん女優」と揶揄されたデビュー当時

夏目雅子のデビュードラマ『愛が見えますか』は、事件の目撃者と犯人の間に芽生える愛を、事件の真相に絡めて描いたサスペンス作品です。夏目は、強盗殺人事件を目撃したことから事故に遭い盲目となった娘・夏村道代を演じました。当時は、本名である小達雅子を名乗っていました。

しかし、演技者として未熟だったために、撮影で57回連続のNGを出されることもあったといいます。また、周囲からは「お嬢さん芸」と呼ばれ、それ以来、夏目雅子にとって「お嬢さん」と見られることはコンプレックスのひとつになってしまいました。

CM出演をきっかけに「夏目雅子」と改名

デビュー後は主に広告やCMで目覚ましい活躍をみせます。1977年には山口銀行のイメージガールや、カネボウ化粧品のキャンペーンガールに抜擢。中でもカネボウ化粧品のファンデーションのCMでは、「クッキーフェイス」のキャッチコピーで注目を集めました。

また、このファンデーションが夏の目玉商品だったことから、芸名を小達雅子から夏目雅子へと改名。CMの人気とともに、夏目雅子の顔と名前も広く知られるようになりました。

ドラマ『西遊記』への出演で一躍人気を集める

1978年に放送された連続ドラマ『西遊記』は、当時抜群の人気を誇っていた堺正章が主人公を演じたこともあって、高い視聴率を記録します。同時に、三蔵法師を演じた夏目雅子は、その美しさだけでなく、演技力も高く評価され、一躍人気を集めました。

『西遊記』は、石から生まれた孫悟空が天界から追い出された500年後の物語。三蔵法師・沙悟浄・猪八戒と出会い、天竺への旅をする冒険劇で、道中起こる様々な困難が描かれます。

三蔵法師は、4人の中では、心美しい指南役。男性である三蔵法師を、女性の夏目雅子が演じたことで独特の中性的な魅力を放ち、話題になりました。

美しい画像で紹介!演技力が高く評価された夏目雅子の出演作

初主演ドラマ『虹子の冒険』【1980年】

1980年に放送されたドラマ『虹子の冒険』。プロデューサーから推薦され、初めての主役に抜擢されました。夏目雅子は、期待に応えて迫真の演技をみせ、演技者としての評価を高めました。

『虹子の冒険』は、弟が作った借金を返済するため、銀座のホステスになるOL・河野虹子(夏目雅子)が主人公。同じくホステスへ転身した親友の瀬戸かおり(田中好子)らとの人間模様や恋愛、女性の自立といったものが描かれました。

共演した元キャンディーズの田中好子とはプライベートでも親友となりました。

ドラマ『ザ・商社』【1980年】

1980年に放送されたドラマ『ザ・商社』は、松本清張の小説が原作。中堅商社・安宅産業の経営破綻の過程を描いたドキュメント作品をドラマ化しました。本作で演出を務めた和田勉が、将来性のある女優として、夏目雅子をヒロイン役を抜擢したといいます。

『ザ・商社』は、辣腕の商社マン・上杉二郎(山崎努)を主人公に、江坂産業の経営破綻を招く様々な画策や取引、人間模様が描かれた作品です。本作で、ピアニスト・松山真紀を演じたのが夏目雅子。アメリカへの音楽留学がきっかけで出会った上杉と関係を持つようになります。上半身裸のヌードシーンもあり、話題になりました。

戦争の時代を生きる女性を熱演!映画『二百三高地』【1980年】

1980年に公開された映画『二百三高地』は、日露戦争での攻防戦と、戦時を必死に生きる人々の姿を描いた作品です。夏目雅子は、これまでの「お嬢さん女優」のイメージを完全に覆し、実力ある女優として確固たる地位を築きました。

本作では、反戦活動を行う松尾佐知に扮した夏目雅子。一人の男性・小賀武志と出会い、やがて戦争に召集されていく小賀を想いながらも逞しく生きていく女性を熱演しています。

享年27歳、あまりにも早すぎる別れ

夏目雅子は、1985年、舞台『愚かな女』の公演中に口内炎や強い頭痛の症状を覚えます。極度の体調不良に陥りながらも、「這ってでも舞台に戻る」と出演続行を望んでいましたが、共演者らの説得を受け緊急入院。急性骨髄性白血病だと診断されます。

それから闘病生活に入るも、同年9月11日に急逝。人気絶頂の27歳の若さでこの世を去ることになり、多くの人に大きな衝撃を与えました。

今も愛され続ける名女優・夏目雅子

逝去の翌年1986年、夏目雅子の生前の女優活動に対して、ブルーリボン賞特別賞が送られました。また近年でも、2000年に映画雑誌「キネマ旬報」の「20世紀の映画スター・女優編」で7位。2014年には「オールタイム・ベスト日本映画男優・女優」で8位に選ばれるなど、亡き後も、その人気と評価は衰えることはありません。

「夏目雅子ひまわり基金」

また、闘病生活を支えた夏目雅子の母親が代表となり1983年12月に「夏目雅子ひまわり基金」を設立。治療の副作用でみられる脱毛時のカツラの無償貸与や、骨髄移植・臓器移植の普及、正しい知識の啓発など様々な推進活動を行っています。