2018年4月13日更新

なぜアンハッピーエンドの恋愛映画がうまれるのか?バッドエンド恋愛映画が伝えたいメッセージとは?

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ラ・ラ・ランド

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複雑な感情を生み出すアンハッピーエンドの恋愛映画

プロポーズ、カップル、告白、恋人、フリー素材

皆さんは「恋愛映画」と聞いた時、どのようなイメージを持ちますか? 多くの方が、男女が出会い・愛を育み・時にぶつかり合い・最後には結ばれるというストーリーを浮かべたのではないでしょうか。しかし中には、出会った男女が結ばれず、切なく儚く終わっていく映画が数多く存在します。 しかしそういった恋愛映画には、ハッピーエンドじゃないからこそ伝わるメッセージが隠れています。 今回は実際の作品を紹介しながら、「アンハッピーエンド」の恋愛映画がなぜ生まれるのかを紐解いていきたいと思います。

ボタンの掛け違いから切ないクライマックスを描く『ブルーバレンタイン』

『ドライブ』(2011)のライアン・ゴズリングと『マンチェスター・バイ・ザ・シー』(2016)のミシェル・ウィリアムズの二人を主演に迎えた本作。公開当時「絶対に夫婦で見てはいけない」という触れ込みで、大きな話題を呼びました。 出会った頃の二人には壁などないように感じられましたが、夫はペンキ屋でのらりくらりと、妻はキャリアアップを目指す看護師と次第にその格差が生まれます。小さな行き違いと話し合いの欠如で、二人の関係は修復不可能なものに。喧嘩が絶えなくなっていく二人は、ついには離婚してしまいます。 これまで多くの映画が描いてきた"永遠の愛"に疑問を投げかける、美しさと残酷な現実が同居する悲しきラブストーリーです。

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夢のために生きる2人を描いた『ラ・ラ・ランド』

2016年度アカデミー賞ノミネートをきっかけに、日本全国に『ラ・ラ・ランド』旋風を巻き起こしました。主演はまたしてもライアン・ゴズリング。ヒロインには『アメジング・スパイダーマン』(2012)のエマ・ストーンを迎え、ハリウッドの夢と現実を歌に乗せて描くミュージカル映画となっています。 夢を食べて生きる街L.Aで、女優志望のミアと売れないジャズピアニスト・セブが出会い、二人は意気投合。徐々にその距離を縮め、恋に落ちます。しかし生活のために売れっ子ミュージシャンの道を選んだセブと、自己出資で行った一人芝居が大失敗に終わったミアの心はすれ違っていきます。 夢にひたむきであったからこそ出会い、夢を見ていたからこそ離れた二人。そこには「必然」という儚さが漂っています。

世界の違いに戸惑う『アデル、ブルーは熱い色』

2013年第66回カンヌ国際映画祭で見事パルムドールを獲得し、歴史的名作となったこの作品。 女子高生のアデルが、同級生の男子と交際中に出会った青髪の女性エマと恋に落ちます。同性との恋愛に、はじめは戸惑いながらも愛を深めてく二人。時は流れアデルは教師、エマは画家となり同棲をはじめました。しかし、次第にお互い全く違う世界で生きていることに気づくのです。 理解したいのに理解できない苦しみや、戻らない過去に打ちひしがれる作品です。愛しているからこそ理解できない、愛しているからこそ許せない……。そんな交差する思いが、二人を別れへ導いてしまいました。

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人の心は移ろいやすい『ラストタンゴ・イン・パリ』

イタリアの巨匠ベルナルド・ベルドリッチ監督による、複雑に絡み合った心模様を描いた名作です。 パリのアパートの空き部屋で見知らぬ中年男に犯される若い女性・ジャンヌ。彼女には恋人がいたものの、男の悲哀と情熱に惹かれ、幾度にも渡って体を重ねていきます。しかし、彼女の結婚を期にその関係は突然終わりを迎えます。二人の関係は逆転し、中年男は彼女に惹かれていたことに気づくのです。 その大胆な性描写で、世界中で物議を醸した本作品。ただのエロティシズムでは終わらない、美しい関係と崩れた時の醜さの対比に心が動かされること必至です。 タイトルにもある「ラストタンゴ」を踊る時、その切なさと無情な現実が襲う大人な作品に仕上がっています。

執拗な思いが悲劇を生む『めまい』

言わずと知れたサスペンスの巨匠・アルフレッド・ヒッチコックによる、謎が謎を呼ぶミステリー映画の金字塔です。 過去の事故によって高所恐怖症となった男が仕事の最中で出会った金髪の女・マデリンと恋に落ち、二人は結ばれます。しかし彼は、自死を望む彼女を止められず失ってしまいます。 それから時が経ち、偶然街で彼女によく似た栗色の髪の女性・ジュディを発見。男とジュディは次第に惹かれあっていくのですが、マデリンことが忘れられない彼は、ジュディに金髪を強要します。さらには、マデリンの死んだ教会へ連れていってしまいます。恐ろしくなったジュディは不注意によって落下。 奇しくもマデリンと同じように亡くなってしまうのでした。

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気づいた時にはもう遅い『浮雲』

日本が世界に誇る映画監督の一人・成瀬巳喜男による傑作です。同情の余地もない非道な男が、その愛に気づくまでの長い道のりが描かれました。 農林省のエリート・富岡は仏印(フランス領インドシナ)でゆき子という女性と出会い、不倫関係になります。日本に帰った後もその関係が続くかと思われましたが、「妻を裏切れない」という理由でゆき子を無碍にする富岡。その後娼婦になったゆき子とひょんなことから再会し、二人はまた関係を持つことになります。 その間も浮気を繰り返す富岡に、愛想を尽かさずついていくゆき子。最後には病魔に冒され、亡くなってしまいます。二度と目覚めることのないゆき子に、泣きながら死化粧を施す富岡は、最後の最後で大切なものに気づいたのです。

複雑に絡み合う愛の終着点『贅沢な骨』

2004年公開の『世界の中心で愛を叫ぶ』で「セカチュー」ムーブメントを巻き起こした、行定勲監督の意欲的初期作です。 ホテトル嬢のミヤコとその同居人のサキコ。不感症のはずのミヤコが、ある日であった客の男・新谷とのセックスで人生初のエクスタシーに達します。そのことを発端に、プライベートでも頻繁に合うようになった二人。同じころ、骨折で入院していたサキコが部屋に帰ってきました。 嫉妬が嫉妬を呼び、自分自身に翻弄されて破滅していくミヤコと、通りすぎる男・新谷、それを見つめるサキコの三者三様の悲しみが詰まっています。 複雑に展開される奇妙な三角関係と、ラストでたどり着く悲劇的な結末に涙する1作です。

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ハッピーエンドよりも心に響く恋愛映画にハマってみる?

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ここまで幸せにはたどり着かないアンハッピーエンド恋愛映画を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。 ひと口に「恋愛映画」と言っても、苦渋の決断から悲劇的な別れまでその形は様々。恒久的な幸せなどありえないというメッセージなのでしょうか。 いいえ、そうではありません。登場人物たちの人生を擬似的に体験することによって、あなたが悲しい恋をした時に寄り添ってくれる友達のような存在になるのではないでしょうか。 またハッピーエンドよりも作品が伝えたいメッセージをよりダイレクトに感じられるのも、アンハッピーエンド恋愛映画の魅力です。 1杯の温かいコーヒーを片手に、あなたのかつての恋に思いを馳せて見てはいかがでしょう。