【え、あの映画もこの人が?】世界の名カメラマン11人【国内外を徹底紹介】

2018年4月12日更新

映画の撮影には欠かせない撮影カメラマン。けして目立つ存在ではありませんが、映画製作には欠かせません。今回はそんな撮影カメラマンにスポットをあてていきます。

カメラマンの腕によって決まる映画の良さ?

映画製作には欠かせない撮影。そしてその作業を担当する撮影カメラマンには出演者の演技をいかに効果的に撮影するか、監督の意向をいかに汲み取るかの技術とノウハウが必要になってきます。 つまりその映画を撮る撮影カメラマンの腕によって映画の良さが決まると言っても過言ではありません。 今回は映画製作の縁の下の力持ち、影で映画製作を支える撮影カメラマンを紹介いたします。

最高齢でアカデミー賞にノミネート中井朝一

世界的に有名な日本を代表する映画監督、黒澤明。1901年生まれの中井朝一は数多くの黒澤監督の映画を多く撮影してきた日本を代表する名カメラマンのひとりです。 1988年に亡くなるまで、『七人の侍』や『裸の大将』『私は貝になりたい』『天国と地獄』『赤ひげ』など数多くの作品を撮り続けました、そして1985年公開の黒澤明監督の映画『乱』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされました。 ノミネートされた際の年齢は85歳。歴代のアカデミー賞撮影賞で最高齢でのノミネートで現在もその記録は破られていません。

『乱』でアカデミー賞ノミネート斎藤孝雄

黒澤明監督の映画には欠かせなかったと言われる撮影カメラマン斎藤孝雄。中井朝一とともに、1985年公開の映画『乱』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされました。 黒澤明監督の映画のほか、三船敏朗が代表をつとめていた三船プロダクションが手がけた映画やテレビドラマを撮影していたことでも有名です。 代表作に『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』『影武者』『八月の狂詩曲』などがあり、日本を代表する撮影カメラマンに数えられています。

同じく『乱』でアカデミー賞ノミネート上田正治

中井朝一、斎藤孝雄とともに『乱』でアカデミー賞にノミネートされた上田正治。1936年生まれの上田は現在も撮影カメラマンとして精力的に活躍しており、日本アカデミー賞優秀撮影賞の受賞経験も数多くある撮影監督です。 代表作には『影武者』『乱』『八月の狂詩曲』などの黒澤明監督の映画があります。また田原俊彦主演の『グッドラックLOVE』や『ウィーン物語ジェミニ・YとS』や窪塚洋介の『俺は、君のためにこそ死ににいく』などアイドルや若手俳優が主演する映画の撮影カメラマンを務めるなど、様々なジャンルの映画の撮影を手がけています。

日本アカデミー賞で2度の受賞 、柳島克己

コメディアンと活動するほか、『ソナチネ』や『キッズ・リターン』『座頭市』などの話題作を世に送り出し、世界的には映画監督として有名な北野武。北野武監督の映画に欠かせない撮影カメラマン柳島克己。 1987年に撮影監督としてのキャリアをスタートさせた後、数多くの日本映画の撮影を手がけています。 そして2002年、また2004年に日本アカデミー賞の最優秀撮影賞を受賞を果たしました。また現在も精力的に活動を続ける柳島克己は2011年から2018年まで、東京芸術大学大学院映像研究科において教授として後進の指導にもあたりました。

日本映画界を代表する映画カメラマン、宮川一夫

1999年に亡くなるまで、数多くの映画を撮影しつづけた宮川一夫。 日活京都でそのキャリアをスタートさせた後、京都太秦、大映映画の時代劇で斬新な撮影技術を見せつけ、『羅生門』『無法松一生』『東京オリンピック』『座頭市と用心棒』『舞姫』など数多くの日本を代表する映画を撮影し続けました。 アカデミー賞などの受賞経験はないものの、宮川一夫が生みだしたフィルムの発色部分の銀を残すという「銀残し」という手法は、世界中で広く用いられました。日本を代表する撮影カメラマンとして世界にその名を馳せました。

3年連続アカデミー賞撮影賞受賞!エマニュエル・ルベツキ

メキシコ出身の撮影カメラマン、エマニュエル・ルベツキ。 1980年代からメキシコで活動を開始し、1990年代には入りその活動の場をアメリカに広げました。 代表作には『リアリティ・バイツ』や『ジョー・ブラックをよろしく』『スリーピー・ホロウ』『ゼロ・グラビティ』『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』『レヴェナント:蘇りし者』などがあります。 そして現在までにアカデミー賞の撮影賞に7度ノミネートされ、2013年の映画『ゼロ・グラビティ』、2014年公開の『バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』、2015年公開の『レヴェナント:蘇りし者』で、3年連続撮影賞を受賞しました。 3年連続の受賞は史上初であり、その後もその記録は破られていません。

アカデミー賞撮影賞最多受賞のレオン・シャムロイ

1901年生まれのアメリカ出身のカメラマン、レオン・シャムロイ。1974年に亡くなるまで、『キリマンジャロの雪』や『ショウほど素敵な商売はない』『猿の惑星』など数多くの映画を撮り続けました。 それを象徴するかのように、アカデミー賞撮影賞に16回、18作品でノミネートされ、4度受賞をしています。 アカデミー賞撮影賞4度受賞は史上最多であり、現在もその記録は破られてはいません。

同じく撮影賞最多受賞のジョセフ・ルッテンバーグ

1989年生まれのジョセフ・ルッテンバーグはロシアのサンクトペテルブルクで生まれ、10歳で家族とともにアメリカに移住しました。 ジャーナリストとして活動したあとに撮影カメラマンの世界には入り、1968年に亡くなるまで『キュリー夫人』や『ジュリアス・シーザー』『傷だらけの栄光』『恋の手ほどき』など精力的に数多くの映画を撮影し続けました。 そして、アカデミー賞撮影賞にノミネートされること10回、レオン・シャムロイと並ぶ4回の受賞を果たしています。

アカデミー賞最多ノミネート、そして最年少受賞を誇るチャールズ・ラング

1902年生まれのアメリカ出身のカメラマン、チャールズ・ラング。パラマウント映画の撮影カメラマンとして多くの作品を手がけ、その後フリーに転身しました。 『荒野の七人』や『西部開拓史』などの西部劇映画を得意とし、その他マリリン・モンロー主演の『お熱いのがお好き』やオードリー・ヘプバーン主演の『麗しのサブリナ』や『シャレード』『パリで一緒に』などを手がけたことで有名な撮影監督です。 1998年に亡くなるまで数多くの作品を手がけ、アカデミー賞撮影賞には史上最多の18回ノミネートされ、この記録は現在も破られていません。 また1934年公開の『戦場よさらば』でアカデミー賞撮影賞を受賞し、受賞時の年齢は30歳で、こちらも記録は破られていません。

最高齢でアカデミー受賞!コンラッド・L・ホール

アカデミー賞撮影賞を最高齢で受賞したコンラッド・L・ホール。1926年アメリカ生まれのカメラマンで、当初はテレビドラマやドキュメンタリーを中心に手がけていました。 映画界進出後もドキュメンタリー撮影時に使っていた、独特のリアリズム的な照明を組み合わせた撮影技法で映画を撮り続けました・そしてその技法が当時活躍していた監督陣に好評で、引っ張りだことなりました。 代表作に『明日に向かって撃て!』や『テキーラ・サンライズ』『めぐり逢い』『アメリカン・ビューティ』などがあり、1969年公開の『明日に向かって撃て!』で見事アカデミー賞撮影賞を受賞しました。受賞時の年齢は76歳で、史上最高齢での受賞となり、現在もその記録は破られてはいません。

第1回アカデミー賞撮影賞受賞カール・ストラス

映画に携わる人にとって最高峰となるアカデミー賞。その第1回目は1928年5月に開催されました。 その記念すべき第1回目でアカデミー賞撮影賞を受賞したのはチャールズ・ロッシャーとともに受賞したカール・ストラスです。 カール・ストラスは1886年生まれのドイツ系アメリカ人で、カメラマンとして活動開始時は、ヴォーグやバニティ・フェアなどのファッション誌のカメラマンとして活動していましたが、その後活動の場を映画に移行させました。 そして映画界に移ってからはチャールズ・チャップリン主演の『独裁者』や『ライムライト』などの作品を手がけたことでも有名です。 1927年公開の『サンライズ』でチャールズ・ロッシャーとともに第1回アカデミー賞撮影賞を受賞しました。またその後1931年公開の『ジキル博士とハイド氏』でも撮影賞にノミネートされています。