2018年8月14日更新

21世紀の映画を支える女性の映画カメラマン10人

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まだまだ少ない女性の映画カメラマン

映画は何よりもまず視覚芸術です。そのため、撮影監督が一本の映画において極めて大きな役割を果たしていることは、言うまでもありません。 カメラの種類や位置、角度や動き、絵の構図や色を決めるのは、撮影監督です。ハリウッドではそれに加えて、照明を決めるのも撮影監督なのです。 しかし、そんな撮影監督のほとんどは男性。世界的に見て、女性の撮影監督は極めて少数派なのが現状です。 とはいえ、女性の撮影監督が全くいないわけではありません。むしろ、非常に優秀な女性カメラマンは徐々に現場の第一線に現れてきており、彼女たちが撮影を手掛けた映画の中には話題になったものもたくさんあります。 そこで今回は、世界で活躍する女性カメラマンを10人ご紹介します。

1. 芦澤明子

2000年代以降の日本映画界において目覚ましい活躍を見せているのが、芦澤明子です。 1951年、東京で生まれた芦澤は、学生時代に観たジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』に感化され、映画を志ざします。その後、ピンク映画の現場で撮影助手や広告のカメラマンを経て1990年代以降、映画撮影を担当。 特に『LOFT ロフト』、『トウキョウソナタ』、『岸辺の旅』、『散歩する侵略者』といった黒沢清監督作品の撮影で知られ、ホラー映画のような不気味な黒の表現や動きを意識した画作りで、昨今の日本映画に貢献しています。 他の作品に、『もらとりあむタマ子』(山下敦弘監督)、『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』(矢口史靖監督)、『モヒカン故郷に帰る』(沖田修一監督)、『羊の木』(吉田大八監督)などがあります。

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2. カロリーヌ・シャンプティエ

カロリーヌ・シャンプティエ
©Jean-Claude Cohen / VISUAL Press Agency

カロリーヌ・シャンプティエは、フランスで最も高く評価されている撮影監督の一人です。 1954年生まれのシャンプティエは高等映画学院で学んだ後、ジャック・リヴェット監督やジャン=リュック・ゴダール監督の映画の撮影で知られるウィリアム・リュプチャンスキーのもとで助手を務めます。 1979年に一本立ちしてからは、『北の橋』(ジャック・リヴェット監督)、『ゴダールのマリア』(ジャン=リュック・ゴダール監督)、『ポネット』(ジャック・ドワイヨン監督)と、作家性の高い監督たちのあらゆる要求に答えてきました。 2000年代に入って以降はより高度な活躍を見せ、『神々と男たち』(グザヴィエ・ボーヴォワ監督)でセザール賞撮影賞を、『ホーリー・モーターズ』(レオス・カラックス監督)でシカゴ国際映画祭撮影賞を受賞しました。 諏訪敦彦や河瀬直美といった日本の監督とも仕事をしている彼女の撮影は毎回様々なスタイルを見せますが、劇的でありながらも自然な光の表現に定評があります。

3. マリース・アルベルティ

マリース・アルベルティ
©︎OCTOBER FILMS

同じくフランス出身のシャンプティエとは違い、アメリカを中心に活動するマリース・アルベルティは、19歳の時に渡米。ドキュメンタリー映画やポルノ映画のスチールカメラマンとして活動を開始した後、インディーズ映画の撮影を手掛けます。 そして1998年に撮影した『ベルベット・ゴールドマイン』(トッド・ヘインズ監督)で、1970年代ロンドンの音楽シーンをトリッキーな撮影手法で意欲的に表現し、インディペンデント・スピリット賞撮影賞を受賞。その名を知られるようになります。 その後も『ハピネス』(トッド・ソロンズ監督)、『テープ』(リチャード・リンクレイター監督)といった低予算映画の撮影を手掛け、『レスラー』(ダーレン・アロノフスキー監督)で二度目のインディペンデント・スピリット賞を受賞。 2010年代以降は『ヴィジット』(M・ナイト・シャマラン監督)や『クリード チャンプを継ぐ男』(ライアン・クーグラー監督)といったメジャー映画も手掛けています。

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4. エレン・クラス

エレン・クラス
© Imago/Photoshot

エレン・クラスもアメリカにおける数多くのインディーズ映画の現場に携わってきた女性カメラマンです。 ロードアイランドのデザイン学校で写真を学んだのち、ドキュメンタリーの現場でキャリアをスタート。1999年には、スパイク・リー監督の『サマー・オブ・サム』の撮影を担当。 そして2004年、ミシェル・ゴンドリー監督の話題作『エターナル・サンシャイン』を撮影。記憶を失いつつある主人公の、虚実入り混じった世界を映像化することに貢献しました。 その他にも、『僕らのミライへ逆回転』(ミシェル・ゴンドリー監督)、『お家(うち)をさがそう』(サム・メンデス監督)、『ヴェルサイユの宮廷庭師』(アラン・リックマン監督)といった映画を撮影。スタイリッシュでありながらどこかノスタルジーを感じる映像が特徴です。

5. ジャンヌ・ラポワリー

ジャンヌ・ラポワリー
©︎PHOTOPQR/NICE MATIN/MAXPPP

独創的なサスペンス映画の数々で世界中にファンのいるフランスの鬼才・フランソワ・オゾン監督。彼の映画作りに貢献したのが、ジャンヌ・ラポワリーです。 1963年にパリで生まれたラポワリーは、リュック・ベッソン監督の現場などで撮影助手としての経験を積み、1984年にカメラマンデビュー。『野性の葦』や『夜の子供たち』といったアンドレ・テシネ監督の映画の撮影を手掛けたのち、フランソワ・オゾン監督の映画に参加するように。 『焼け石に水』や『まぼろし』では、自然光を意識したシンプルな映像を志向していましたが、2002年の『8人の女たち』では一転してキッチュでカラフルな画面を表現。実験精神溢れるオゾン監督の映画作りに大きく貢献しました。 2009年の『Ricky リッキー』を最後にオゾン監督とのコンビ作は見られなくなっていますが、エヴァ・イオネスコ監督の問題作『ヴィオレッタ』や1990年代のHIV感染者への差別と闘った市民団体を描き、世界中で絶賛された『BPM ビート・パー・ミニット』(ロバン・カンピヨ監督)といった作品を手掛け、コンスタントに活躍を続けています。

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6. マンディ・ウォーカー

マンディ・ウォーカー
©MARCOCCHI GIULIO/SIPA/Newscom/Zeta Image

1963年に生まれたマンディ・ウォーカーは、オーストラリアが誇る撮影監督の一人です。 ドキュメンタリー映画などの経験を積んだ後、『ラブ・セレナーデ』や『女と女と井戸の中』といったオーストラリアの映画でキャリアをスタート。同時に、ナイキやシャネルといったCMでも活躍します。 2003年の『ニュースの天才』からはハリウッドにも進出。2008年には同じオーストラリア出身のバズ・ラーマン監督やヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマンらと共に『オーストラリア』を手掛けます。この映画の雄大な映像が高い評価を得ました。 その後は、『赤ずきん』(キャサリン・ハードウィック監督)や『奇跡の2000マイル』(ジョン・カラン監督)、そしてアカデミー賞作品賞にもノミネートされた2016年の『ドリーム』(セオドア・メルフィ監督)などを撮影。 2006年には、「バラエティ」誌が選ぶ「見るべき10人の撮影監督」にも選ばれています。

7. ナターシャ・ブライエ

ナターシャ・ブライエ
©︎UK FILM BREAKTHROUGH BRITS LUNCHEON

1974年にアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれたナターシャ・ブライエは、イギリスの国立映画テレビ学校で学び、2005年から長編映画の撮影に着手。 そして、ホセ・ルイス・ゲリン監督による2007年の映画『シルビアのいる街で』を撮影。自然かつシンプルでありながらもサスペンスフルな映像は、世界中のシネフィルから絶賛されました。 その後はベルリン国際映画祭で金熊賞に輝いたペルーの映画『悲しみのミルク』(クラウディア・リョサ監督)やセドリック・クラピッシュ監督による「グザヴィエ三部作」の最終章『ニューヨークの巴里夫(パリジャン)』を撮影。自然光を生かしたシンプルな絵作りで、国を問わず様々な監督と組んできました。 しかし、2016年に手掛けたニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ネオン・デーモン』では、今までの担当作品とは全く異なるカラフルな画面を創造。各国で様々な賞にノミネートされました。

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8. リード・モラーノ

リード・モラーノ
© Everett/Avalon.red

一見すると女優のようなこの女性は、リード・モラーノ。彼女も、今アメリカで最も注目される撮影監督の一人です。 1977年、アメリカ、ネブラスカ州オマハで生まれたモラーノは、少女時代からカメラを回して家族の記録を撮影することを好んでいました。家族に勧められてニューヨーク大学に進学した彼女は、映画制作を学びます。 その後、撮影監督としてデビューした彼女は、2008年に『フローズン・リバー』の撮影を担当。アメリカにおける様々な問題を浮き彫りにした本作は、低予算ながらサンダンス映画祭でグランプリを受賞。モラーノの手による映像は、生々しくも的確な構図でアメリカ北部の雪景色で繰り広げられるドラマを物語っています。 その後も、『最高の人生のはじめ方』や『最高の人生のつくり方』といったロブ・ライナー監督の映画や、ダニエル・ラドクリフ主演の『キル・ユア・ダーリン』などの撮影を担当。 2015年には、『ミッシング・サン』で監督デビューも果たしています。

9. レイチェル・モリソン

レイチェル・モリソン
© JIM RUYMEN/UPI/Newscom/Zeta Image

1978年、マサチューセッツ州ケンブリッジのユダヤ系の家庭で生まれたレイチェル・モリソンは、ニューヨーク大学に進学。この時、彼女は写真家になるか映画の道に進むかを決めかねていましたが、やがて映画の道を志し、アメリカ映画協会(AFI)で映画撮影を学び直します。 その後、テレビドラマからキャリアをスタートさせたモリソンは、2007年の『パロアルト・グラフィティ』で長編映画の撮影監督としてデビュー。『チョコレートドーナツ』(トラヴィス・ファイン監督)や『フルートベール駅で』(ライアン・クーグラー監督)、『DOPE/ドープ!!』(リック・ファムイーワ監督)といった数々のインディーズ映画で活躍する一方、2015年にはテレビシリーズ『アメリカン・クライム』の監督も手掛けています。 そして2017年には、『マッドバウンド 哀しき友情』で第90回アカデミー賞撮影賞にノミネート。これは、女性カメラマンとしては史上初の快挙となりました。 さらに翌2018年には『フルートベール駅で』のライアン・クーグラー監督の『ブラックパンサー』の撮影に参加し、メジャー大作にも対応できる柔軟さを見せつけました。

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10. 中村夏葉

最後に紹介するのは、日本の女性カメラマンです。 神奈川県出身の中村夏葉は、日本映画学校(現・日本映画大学)を卒業後、撮影助手として業界入り。小林達比古や篠田昇といったカメラマンの助手として『スワロウテイル』や『源氏物語 あさきゆめみし Lived in A Dream』といった映画の現場に参加します。 その後、2005年に『三年身籠る』(唯野未歩子監督)で撮影監督デビュー。『幸福のスイッチ』(安田真奈監督)や『コトバのない冬』(渡部篤郎監督)、『でーれーガールズ』(大九明子監督)などの撮影を担当。 また、『ACACIA』や『その後のふたり』、『醒めながら見る夢』といった辻仁成監督の作品で撮影を手掛けていることでも知られています。 そして2017年には、大九明子監督の映画『勝手にふるえてろ』の撮影を担当。松岡茉優が「イタい」女子を演じた本作は大ヒットしました。中村は、手持ち撮影中心の映像で主人公・ヨシカの妄想と現実を鋭く活写し、本作の虚実入り混じった独特の世界観に貢献しています。

女性カメラマンが当たり前になる世の中を願って

今回は世界的に活躍する女性の撮影監督を10人紹介しましたが、まだまだその数は少ないのが現状です。そのことは、いまだにアカデミー賞撮影賞を受賞した女性が存在しないことからも明らかです。 特に、日本をはじめとするアジア圏の映画業界には、女性のカメラマンがほとんどいません。今回紹介した2名の日本の女性カメラマンは、例外中の例外といっても過言ではありません。 昨今、「me too」運動などに端を発し、世界的に映画業界における女性の地位の低さが浮き彫りになっています。女性のスタッフや監督がまだまだ少ないことも問題となっています。2018年度のカンヌ国際映画祭では、82人の女性参加者たちによる抗議パフォーマンスが行われ、話題になりました。 女性のカメラマンについて扱ったこの記事がなんの意味も持たなくなるような世の中になることを願いたいものです。