2018年4月16日更新

世界のクロサワを支えた男、伝説の脚本家・橋本忍の魅力に迫る!【遂に100歳!】

戦後の日本映画界を代表する伝説の脚本家・橋本忍。とりわけ黒澤明の名作を裏で支えた男として有名な橋本忍について、経歴や代表作、そして現在をまとめてご紹介します!

日本映画界を代表する伝説の脚本家・橋本忍

1950年代から70年代にかけ、日本映画が世界でも非常に高い評価を受けた黄金期にめざましい活躍をした伝説の脚本家が橋本忍です。手掛けた作品のそうそうたるラインアップは驚くばかりです。 完成度の高い構成と緻密なストーリーテリングの手腕を駆使し、数々の名匠と組んで作品を発表していますが、とりわけ巨匠・黒澤明の名作を裏で支えた立役者としてよく知られています。 2018年4月18日にはついに100歳をむかえる大御所脚本家・橋本忍。まずはプロフィールと経歴をご紹介し、次にあまたある代表作の中から選りすぐりの7作品、最後に気になる現在についてまとめてみたいと思います。

橋本忍の生い立ちとプロフィール

橋本忍は1918年4月18日、兵庫県神崎郡鶴居村(現在の神崎郡市川町鶴居)に生まれました。実家は小料理屋を営んでおり、実父が芝居好きだったようです。 中学卒業後、いったん軍隊に入隊するものの粟粒性結核にかかったことで永久服役免除に認定されます。療養所で隣の兵士が持っていた映画の本を手にして興味を持ち、さらにその兵士が名を挙げた脚本家の伊丹万作に憧れて自ら脚本家を志すようになりました。 1942年、執筆した脚本『山の兵隊』を伊丹万作本人に送り、弟子入りを認められます。姫路市にあった軍需関連会社で働きながら、1946年に伊丹が亡くなるまで彼のもとで脚本家修業を続けました。

華々しいデビュー、そしていきなり人気脚本家へ

1949年、芥川龍之介の短編小説『藪の中』をもとにした脚色シナリオが完成します。それが伊丹万作夫人から紹介されていた佐伯清監督の手を経て、黒澤明の目に留まります。 黒澤と共同で手を入れて映画脚本として完成させ、ついに橋本忍の脚本家デビュー作となった『羅生門』が1950年に公開されるに至りました。同作は、いきなりヴェネツィア国際映画祭グランプリに輝き、黒澤明はもちろんのこと橋本忍の名も広く知られるところになります。翌年には兼業をやめてプロの脚本家となりました。 その後は、黒澤組の一人として複数の作品にたずさわったほか、佐伯清、小林正樹、野村芳太郎ら数々の監督と組んで名作を世に送り出し、日本を代表する脚本家としての地位を確立していきました。

「橋本プロダクション」の設立とキャリア後半

1973年には「橋本プロダクション」を設立し、配給会社とは独立した映画製作を主導します。第1作めとして手掛けた『砂の器』は大ヒットを記録し、批評家筋からも絶賛されて映画賞を席巻しました。 その後も、『八甲田山』『八つ墓村』と次々と記録的ヒット作品を手掛け、橋本忍はまさにヒットメーカーの名に欲しいままにする活躍ぶりをみせます。 ところが1982年に脚本のみならず製作や監督も手掛けた大作映画『幻の湖』がたった1週間で打ち切りという大失敗作の烙印を押されてしまいます。その後は80年代に2本の脚本を担当しただけで、体調不良もあって事実上の引退状態となりました。

巨匠・黒澤明と橋本忍の知られざる関係は?

1943年に監督デビューしていた黒澤明ですが、「世界のクロサワ」の評価を確立した作品といえば、やはり1950年の『羅生門』であることは言うまでもありません。 その意味で、同作の共同脚本を手掛けた橋本忍の存在はやはり特別だと言えるでしょう。続く『生きる』『七人の侍』『隠し砦の三悪人』にもたずさわっており、黒澤明の黄金期を支えた立役者の一人と言われる所以です。 しかし、黒澤と共同脚本を手掛けたチームの中では、12作に関わった小国英雄、9作に関わった菊島隆三より少なく、橋本忍は8作品に留まっています。1960年の『悪い奴ほどよく眠る』を最後に黒澤組から離れ、その後は1970年の『どですかでん』で1度復帰しただけ、という事実を意外に思う人もいるかもしれません。

橋本忍のデビュー作にして映画史に燦然と輝く不朽の名作【1950年】

橋本忍が黒澤明と共同で、芥川龍之介の『藪の中』と『羅生門』をもとにシナリオを完成させ、映画化にこぎつけたのが本作です。処女作がたまたま黒澤の目に留まった、幸運なデビュー作となりました。 平安時代を舞台に、一人の侍の死に関わった4人がそれぞれ別の視点から証言することで、事件の様相と事実そのものの多面性、さらには人間の持つエゴが見事に浮かび上がります。 三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之ら名優たちの熱演はもちろん、美しいモノクロの映像や大胆な構成は世界をあっと驚かせました。日本映画界のみならず、世界の映画史に燦然と輝く不朽の名作です。

世界で何度もリメイクされた侍映画の金字塔【1954年】

黒澤明がジョン・フォードの西部劇から着想を得、橋本忍らと脚本を完成させて映画化した侍映画の傑作です。戦国時代の貧しい村を舞台に、用心棒として農民たちに雇われた7人の侍と、村を襲撃する野武士たちの闘いを圧巻の映像と迫力で描きました。 ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞して黒澤明の代表作となったばかりか、世界中の映画人に多大な影響を与えました。1960年公開の西部劇『荒野の七人』、2016年にデンゼル・ワシントン主演で映画化された『マグニフィセント・セブン』などは、ともに本作のリメイクです。 三船敏郎、志村喬、木村功らが演じた個性あふれる7人のキャラクターの秀逸さは、もちろん緻密で練り込まれたすばらしい脚本のよって生み出されたものです。

橋本忍が脚本のほか初の監督も手掛けた秀作人間ドラマ【1959年】

1958年に橋本忍が脚本を手掛けて放送され、大好評を博したテレビドラマを翌年、橋本自身が初メガホンをとって映画化したのが本作です。 軍隊生活を終え、妻子と平和に暮らしていた男がある日戦犯のレッテルで逮捕され、ついに死刑に処せられる不条理を描きます。実話ではなく、元陸軍中尉の手記をもとに着想を得た橋本忍が創作したオリジナルストーリーです。 フランキー堺が主演したオリジナルのテレビドラマ版と本劇場版のほか、所ジョージ主演による1994年のテレビドラマ版、中居正広主演による2008年の劇場版など、何度もリメイクされ続けている日本を代表する悲劇人間ドラマの秀作です。

小林正樹監督の代表作にもなった社会派時代劇の傑作【1962年】

滝口康彦の原作小説を橋本忍が見事な完成度で脚色し、大作『人間の條件』の小林正樹が監督した時代劇映画の傑作です。カンヌ国際映画祭で審査員特別賞に輝いたほか、国内でも毎日映画コンクールの日本映画大賞、橋本忍自身もブルーリボン賞の脚本賞を受賞しています。 彦根藩井伊家の屋敷にやってきて庭での切腹を願い出た浪人の姿から、武士社会の闇と虚実が見事に浮き彫りになっていく様相を斬新なカメラワークとともに描きました。 仲代達也、三國連太郎、丹波哲郎らがみせる緊迫の人間関係は見ごたえじゅうぶんです。また、三池崇史監督、市川海老蔵主演で映画化された2011年の『一命』は本作のリメイクです。

日本を代表する社会派医療ドラマの決定版!【1966年】

医学界の内幕を描きセンセーションを巻き起こした山崎豊子のベストセラー小説が、社会派で知られる山本薩夫監督、橋本忍脚本、田宮二郎主演で見事に映画化されました。 主な舞台になるのは国立浪速大学の第一外科です。財前五郎と里見脩二という対照的な2人の医師の生き様を軸にしながら、医療現場の闇と医学界の腐敗、熾烈な権力闘争を鋭い視点で描いて大ヒットしました。 同年のキネマ旬報ベストテン第1位に選ばれたほか、その後も複数回に渡ってテレビドラマ化され、そのたびに社会現象にも似た大きな話題をよんでいるのは周知の通りです。

橋本忍と野村芳太郎コンビによる邦画史に残る名作の一つ【1974年】

松本清張の傑作推理小説の映画化であり、「橋本プロダクション」が手掛けた記念すべき第1作目にあたります。モスクワ国際映画祭審査員特別賞など作品そのものの高評価はもちろん、脚本を担当した橋本忍、監督の野村芳太郎ら個人も複数の賞に輝きました。 大都会の片隅で起きた一つの殺人事件。執拗に真犯人を追いかける刑事の姿と、やがて浮かび上がる父子の悲劇を日本的風土の中でドラマチックかつ叙情的に描きました。丹波哲郎、加藤剛ら俳優陣による珠玉の演技も必見です。 橋本忍は野村芳太郎とのコンビで数々の傑作を送り出しており、本作のほかにも1958年の『張込み』や1961年の『ゼロの焦点』などが有名です。

横溝正史原作による数ある映画化作品の中でも異彩を放つ一作!【1977年】

1970年代に巻き起こった横溝正史ブームに合わせ、東宝で製作された石坂浩二による一連の「金田一耕助」シリーズとは異なり、松竹が製作したのが本作です。野村芳太郎監督、橋本忍脚本、音楽が芥川也寸志など『砂の器』のチームが再結集し、主演にはあらたに渥美清が抜擢されました。 室町時代に平家の落武者8人を惨殺したという暗い歴史を持つ山村で、28年前に発生した大量殺人事件。それから8年後、再び起こった連続殺人の解明に金田一耕助が挑みます。 作品の持つ雰囲気そのものが東宝版とは大幅に異なるほか、事件の謎解きにも「祟り」という新たな視点が取り入れられるなど異色さが際立っています。公開されるや異例の大ヒットを記録し、劇中のセリフは流行語にもなりました。

橋本忍は2006年に著作『複眼の映像 私と黒澤明』を発表!

橋本忍は、1986年公開の映画『旅路 村でいちばんの首吊りの木』で製作・脚本を担当したのを最後に、長らく第一線から姿を消していましたが、2000年代に入って久しぶりに表舞台でその名を耳にする機会が訪れます。 映画では2008年に、中居正広を主演にむかえたリメイク作品『私は貝になりたい』の脚本を自らリライトし話題になりました。 また2006年には黒澤明との関係を軸に綴った自伝的著作『複眼の映像 私と黒澤明』を発表。数々の名作が誕生した秘話、また脚本家の目からみた黒澤明の姿や二人の葛藤など、映画ファンであれば必読の著書となっています。

伝説の脚本家・橋本忍の現在は?

2018年4月18日で満100歳という百寿を迎えた橋本忍。脚本家としての新しい仕事をみることはもう難しいかもしれません。しかし、これまで残してきた数々の名作が放つ輝きはもちろん、数々のリメイク作品があり、世界中の映画人に多大な影響を与え続けていることは今も変わりません。 また橋本忍の実子である橋本信吾と娘の橋本綾も、父の後を継ぎ脚本家として活動しています。 2000年には、生まれ故郷である兵庫県神崎郡市川町に「橋本忍記念館」が開館しました。シナリオの生原稿や台本、手掛けた映画のポスター、受賞したトロフィーなどが展示されていますから、一度訪ねてみてはいかがでしょうか?