2017年7月6日更新

宮沢りえ、お騒がせベテラン女優のデビューから結婚まで!意外と知らない10の事実

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宮沢りえ

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1:三井のリハウスのCMで一躍人気に!

11歳でティーン雑誌『週刊セブンティーン』のモデルとして芸能界デビューした宮沢りえ。 彼女を一躍有名にしたのは、14歳のときに出演した三井のリハウスのCM出演でした。CM出演を機に宮沢の愛らしいルックスは日本中に知られることとなり、一躍人気となりました。 彼女の出演後、三井のリハウスのCMに出演した女優は“リハウスガール”と呼ばれ、若手女優の登竜門とも言われるようになりました。歴代のリハウスガールには、蒼井優や夏帆、川口春奈などがいます。

2:実はハーフ!美少女ブームの火付け役

当時の日本中を震撼させた宮沢りえの美貌。その秘密は、その出自にあったようです。 実は彼女は、父親はオランダ人で母親が日本人のハーフ。しかし、父親と母親は離婚しており父親との交流はないそう。 一見、正統派大和撫子のようにも見えますが、言われてみればたしかに西洋人の面影も感じられます。 バブル全盛期の80年代後半から90年代にかけて、日本では「美少女ブーム」が訪れたと言われていますが、その火付け役となったのも宮沢りえだったと言われています。 90年代には、当時「美少女」として人気だった、牧瀬里穂と観月ありさとともに、3M(スリーエム)として時代を席巻しました。

3:初主演映画『ぼくらの七日間戦争』で日本アカデミー賞新人賞

16歳のときに、オーディションで映画『ぼくらの七日間戦争』で1万人の中から主役に抜擢された宮沢りえ。宗田理による文庫書き下ろし小説の第1作を映画化した作品です。 宮沢は学級委員長の中山ひとみ役に挑戦し、日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。 この当時の、宮沢の勢いは凄まじく、モデル、映画女優としてだけではなく、アイドルとしてバラエティ番組に出演したり、数多くのCMに起用されたり、歌手デビューを果たしたりと、多面的な活躍をし、国民的スターへと上り詰めていきました。 宮沢りえの出演したバラエティ番組としては、「とんねるずのみなさんのおかげです」が有名です。この番組は、高視聴率を獲得しとんねるずの人気を確立した番組のひとつで、宮沢は学園コントに出演していました。 また、歌手デビュー作は、作曲・編曲・プロデュースを小室哲哉が担当するなど、高い注目を浴びました。

4:人気絶頂期にヌード写真集を発売

10代後半を人気絶頂で駆け抜けた宮沢りえ。彼女は人気絶頂期の18歳の頃に、なんと、ヌード写真集を発売します。 「美少女」と称され、清純なイメージの強かっただけに、彼女のヌードには多くの人が衝撃を受けました。有名写真家の篠山紀信が撮影を担当したということもあり、大きな話題となり、売上部数は155万部にも達しました。 今もなお、この売上部数は日本における芸能人写真集の中で最多を記録しています。 彼女のヌード写真集発売に対する世間の動揺は、“社会現象”とも言われるほどでした。

5:自殺未遂?タトゥー?絶えない奔放な噂

ヌード写真集の発売から、スキャンダルが絶えない宮沢りえ。

派手な恋愛遍歴

デビューから今まで、恋愛の噂が絶えません。 特に、貴乃花との婚約騒動は、宮沢りえの大きなスキャンダルとして有名です。 1992年の10月に、現在の貴乃花親方(当時の貴花田)との婚約を発表しましたが、翌1993年1月に、「最高のパートナーになれなかった」と婚約解消を発表。 婚約発表当時は、大物スター二人の婚約ということで、「世紀のカップル」と称され話題となりましたが、わずか3ヶ月ほどの婚約解消でさらに世間を騒がせました。 他にも、宮沢りえとの交際疑惑があがった芸能人は数多くいます。元サッカー選手の中田英寿や、歌舞伎役者の中村勘三郎(当時勘九郎)、市川右近、市川海老蔵、DA PUMPボーカルのISSA、ジュエリーデザイナーの幹田卓司、俳優の古田新太、小久保寿人、劇作家の赤堀雅秋などが噂されています。

自殺未遂?タトゥー?拒食症?

恋愛遍歴以外にも、奔放な噂は尽きません。 1994年9月、宮沢がホテルで手首から血を流して倒れていたのが発見されました。これは、中村勘三郎(当時勘九郎)との交際疑惑があがった当時、彼に捨てられたのを理由に自殺未遂を図ったと言われています。 また、首筋にタトゥーをいれている、拒食症だった過去があるとの噂もあります。 たしかに、貴乃花との破局後、一気に細さがエスカレートし、骨ばった体形に変化しているのが伺えます。 しかし、結婚後はもとの体形を取り戻していったようです。

6:芸能界でも広く愛される宮沢りえ

数々の大物との交友関係があると言われています。芸能界の大物たちも、彼女の魅力に魅せられているのでしょう。 交友関係のある芸能人には、ビートたけしや、笑福亭鶴瓶、鈴木京香、神田うの、木原光知子、水川あさみ、後藤久美子、井川遥などがいると言われています。 彼女の愛されエピソードも度々バラエティなどで紹介されています。 特に美川憲一は、宮沢の母とも交流があり、貴乃花との婚約の際には美川が婚約を解消するよう説得したそうです。

7:舞台のバーター出演で、一流女優として名を知らしめた

宮沢りえが、ベテラン女優としての伝説を築いたのが、舞台『おのれナポレオン』へのバーター出演です。本作は、三谷幸喜が脚本・演出を務めた、2013年の舞台です。 ヒロインを演じていた天海祐希が軽度の心筋梗塞にかかってしまい舞台が存続の危機に陥った際に、白羽の矢がたったのが宮沢りえ。 天海が緊急入院した5月8日の夜から、台本を読み始めて稽古を始めた宮沢でしたが、なんと、その二日後の10日夜から代役として出演。 わずか2日の練習にもかかわらず、すべての場面を完璧にこなしたことで、大きな話題となりました。 その後12日の千秋楽まで宮沢りえは演じきり、客席はスタンディングオベーションで、彼女の努力と才能をたたえたそうです。

8:ヨルタモリで人気再燃

2014年10月からバラエティ番組『ヨルタモリ』で、司会を務めるようになった宮沢りえ。 同じくメインを務めるタモリや、石橋貴明や秋元康など豪華ゲストとのトークに注目が集まっています。大物ゲストの発言に対する宮沢の切り返しに、知性や品が感じられると、彼女の魅力を再認識した視聴者が多いようです。

9:2016年3月離婚で再び話題に

壮絶な恋愛遍歴を持つ宮沢りえですが、2016年3月には、元プロサーファーの実業家との離婚を公式に発表しました。 2012年から離婚協議中であることが明かされてきましたが、娘の親権についての協議に時間がかかり、4年かけて離婚が成立しました。 16年4月から小学生になる娘の親権は、宮沢が持つのではと言われています。 公式文書では、
新たな気持ちで、役者として、母として、一人の人間として、これからも前進していこうと思います。何卒ご理解いただき、温かく見守っていただけましたら幸いです。 2016年3月18日
と語っています。

10:森田剛と結婚!

2018年3月、V6の森田剛と1年半の交際を経て結婚を発表しました。2人の交際は、2016年の年秋頃から報じられていました。2人が共演した舞台『ビニールの城』を機に交際を報じられるようになった二人の恋は、ファンからも温かく見守られていました。