2020年7月22日更新

歴代『笑点』メンバー一覧【司会者から座布団運びまで!意外なあの人も?】

笑点メンバーサムネ

1966年から続く演芸バラエティ番組『笑点』。長寿番組としてギネス世界記録を保持しています。この長い歴史の中、過去にはどんな人が出演していたのでしょうか?歴代の司会者やメンバーを振り返ります。

目次

50年以上続く人気番組『笑点』を盛り上げてきたメンバーを紹介!

『笑点』は、日本テレビ系列で毎週日曜日17時30分から放送されている長寿番組です。 日曜日の夕方、テレビから流れるあのテーマソングを耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか?『笑点』の中でも特に人気があるのが、大喜利のコーナーです。 ルールを簡単に説明すると、出されたお題に対して落語家たちが回答し、司会者が良い(面白い、うまい)と判断した回答をした人には座布団が配られます。逆に、悪い(下品、つまらない)と判断されると座布団は没収。座布団が10枚たまると豪華商品が贈られます。 今回は、この大喜利のコーナーの歴代司会者や出演者を紹介しましょう。

2020年7月現在の笑点大喜利メンバー

2016年5月、それまで司会を務めていた桂歌丸が、「体力の限界」を理由に勇退しました。その後、春風亭昇太が司会者となり、現在のメンバー編成に至ります。 大喜利メンバーは、着用している色紋付(いろもんつき)のカラーが違います。まるでアイドルグループみたいですよね。ここでは、色紋付の色とともに各落語家を紹介します。

【司会者】春風亭昇太(しゅんぷうてい しょうた)

2020年7月現在司会を務めている春風亭昇太は、2006年5月に回答者として大喜利メンバーに加入しました。 4代目司会者であった5代目三遊亭圓楽が勇退したことにより、回答者を務めていた桂歌丸が司会者に昇格。回答者を補充するため、彼が出演することになりました。灰色の色紋付を着用しています。 そして2016年5月、桂歌丸が司会者を勇退したことにより、司会者に就任しました。

林家木久扇(はやしや きくおう)

林家木久扇は、1969年から正式なメンバーとして『笑点』に出演。2020年7月現在、最古参・最年長のメンバーです。着用している色紋付は黄色。司会者から数えて、右に4番目に座っています。 大喜利では、「天然キャラ」「おバカキャラ」などのイメージでおなじみの木久扇。しかし実際は時代劇や日本史に精通していて、インテリな一面も持ち合わせています。

三遊亭好楽(さんゆうてい こうらく)

司会者から数えて右から3番目に座っているのが、三遊亭好楽です。色紋付はピンク。1979年から出演していますが、1980年中盤〜後半にかけての4年半は、落語に専念するため一時降板していました。 大喜利では、やや情けない印象が前面に出ています。しかし「落語界でこの人の文句を聞いたことがない」と言われるほど、人望があるようです。

二代目 三遊亭小遊三(さんゆうてい こゆうざ)

二代目三遊亭小遊三は、1983年から出演しています。着用している色紋付は水色で、司会者の隣に座っています。 自分をイケメンに例える「イケメンネタ」や、どことなく悪人顔であることから始まった「犯罪者ネタ」など、多くの定番ネタを持っているのが特徴です。また、下ネタ発言も多く、司会者から頻繁に座布団を没収されています。

六代目 三遊亭円楽(さんゆうてい えんらく)

司会者から数えて6番目に座り、薄紫色の色紋付を着ているのが六代目三遊亭円楽。1977年、三遊亭楽太郎(さんゆうてい らくたろう)を名乗っていたころから出演しており、林家木久扇の次に在籍期間が長いメンバーです。 番組では、「腹黒」「インテリ」キャラなどを打ち出し、司会者やほかのメンバーに対して毒を吐くのが定番。しかし実際は収録時にパンやうなぎの差し入れをするなど、気遣いのできる人だといいます。

林家たい平(はやしや たいへい)

オレンジ色の色紋付を着用し、回答者の一番右端に座っているのが林家たい平です。 師匠である林家こん平の代役として2004年から出演し、2006年から正式メンバーになりました。動きや声が大きく、番組にパワーを与える存在です。政治や経済を扱った時事ネタも得意としています。

二代目 林家三平(はやしや さんぺい)

司会者から数えて5番目に座り、丁子色(ちょうじいろ・薄いベージュ)の色紋付を着ているのが、2代目林家三平です。 10年ぶりとなる新メンバーとして2006年に迎え入れられました。 答えを噛んだり、ウケなかったりすることが多く、周りからよく突っ込まれています。しかし年齢的にはメンバーの中で圧倒的に若いので、これからさらに活躍してくれることでしょう。

山田隆夫(やまだ たかお)

(画像右側) 山田隆夫は、1984年から6代目座布団運びに就任。赤の色紋付を着ています。 1970年から『笑点』の「ちびっこ大喜利」にレギュラーしていた彼は、座布団10枚獲得の記念賞品として、1973年に「ずうとるび」に加入し歌手デビューしました。マルチタレントとして活躍する彼は落語家でもあり、高座名は鈴々舎鈴丸(れいれいしゃ すずまる)です。 大喜利メンバーが「今日限りで卒業」「その仕事は誰にもできる」などとイジリ、それに対して山田が座布団を投げつけたり蹴飛ばしたりすることも。しかしこれはお馴染みのネタであり、実際はメンバーみんな長年座布団運びをしてくれている山田に感謝しているとか。

『笑点』大喜利の歴代司会者を紹介

個性豊かな落語家たちをまとめる司会者。どんな回答にも鋭い反応をし、番組をまとめ、さらに盛り上げる重要な役割を担っています。 ここからは、2020年7月現在司会を務める春風亭昇太以前の5人の歴代司会者たちを紹介しましょう。

立川談志(たてかわ だんし)

1966年の番組スタート時から初代司会を務めたのは、落語家の立川談志です。 実は、「寄席でやっている大喜利をテレビでやったらどうか」と、談志自ら持ちかけて実現したのが『笑点』の始まり。 番組開始から3年間司会を務めた後、番組の方向性を巡って降板してしまいますが、彼がいなければ『笑点』はなかったでしょう。

前田武彦(まえだ たけひこ)

立川談志の後任として司会を務めたのが、タレントであり放送作家でもあった前田武彦です。前田が落語家ではなかったため、番組のバラエティ色が強くなり、大喜利メンバーがカラフルな色紋付を着るようになったのもこのころからでした。 元々短期間での約束であったため、約1年間で降板しています。

初代 三波伸介(みなみ しんすけ)

1970年から司会を務めた三波伸介は、1982年、解離性大動脈瘤破裂により急逝したことで、12年間の司会にピリオドを打つ形となってしまいました。 三波が残した功績は大きく、番組制作の中で彼が特に意識したのは、「家族で楽しめる笑い」。自身の容姿を回答のネタにされることをよしとし、現在も続く愛のある「司会者イジリ」を定着させたのも彼です。

五代目 三遊亭円楽(さんゆうてい えんらく)

(画像前列右) 三波の後を継ぐ形で1983年に就任、2006年まで司会者を全うした5代目三遊亭円楽は、2020年7月現在、大喜利司会者としての『笑点』出演が、歴代最長となっています。 三波同様、大喜利メンバーからよくイジられ、番組を大いに盛り上げました。また、同時期に就任した座布団運びの山田隆夫も大喜利に巻き込んでいったのも彼。全員で1つのファミリーといった考え方で、番組の雰囲気を形成していったのも五代目円楽の功績です。 後輩たちから尊敬されている一方で、性格的にいい加減な部分もあり、そのギャップを含めてとても愛された人だったようです。

【永世名誉司会】桂歌丸(かつら うたまる)

五代目三遊亭円楽の後任者として司会者になったのは、放送開始当初から回答者を務めていた桂歌丸でした。大喜利メンバーの中では体格が小さい方ですが、歌丸が放つ存在感はメンバー1と言ってもいいでしょう。 番組中、よく六代目三遊亭円楽といがみ合うやり取りを繰り広げていたことでも知られています。しかし、これは新人のころネタに困った円楽(当時:楽太郎)に対して、「俺のことを言えばいいから」とアドバイスしたことがきっかけだったとか。彼に助けられた落語家はたくさんいるのだそうです。 司会者を10年間務め、2016年5月に勇退。その功績を称え「永世名誉司会」の肩書きが与えられました。

歴代メンバー一覧

今でこそ大喜利は、長年出演しているメンバーが多くいますが、過去の出演者の中には数か月〜1年程度で降板した人もいました。 ここからは、過去に大喜利メンバーとして活躍していた人たちを紹介します。

柳亭小痴楽(りゅうてい こちらく)/二代目 春風亭梅橋(しゅんぷうてい ばいきょう)

1965 年、柳亭小痴楽は『笑点』の前身番組であった『金曜夜席』の大喜利メンバーに抜擢され、翌年始まった『笑点』にも引き続き出演しました。 謎かけが得意で高い評価を得ていましたが、番組の方向性を巡って当時司会をしていた立川談志と対立し、1969年3月の放送をもって降板。そして1984年、病に倒れ、49歳という若さでこの世を去りました。

林家こん平(はやしや こんぺい)

林家こん平も『金曜夜席』に出演していた流れから、『笑点』の初期メンバーに抜擢されました。2004年に声帯を患って入院し、数回に渡って大喜利を欠席することに。 こん平と言えば、観客と一緒に「1・2・3、チャラーン。こん平でーす!!」と大合唱する「視聴者参加型挨拶」が有名です。こん平が療養のため大喜利を休んでいた間は、六代目三遊亭円楽を中心とした他のメンバーが「チャラーン」を代行し、観客を喜ばせていました。 2004年12月からは弟子である林家たい平が代役を務めていましたが、2006年、正式に大喜利出演をたい平に託すことを決意し降板しています。

四代目 三遊亭小圓遊(さんゆうてい こえんゆう)

四代目三遊亭小圓遊も、第1回目から出演していますが、やはり司会者であった立川談志との対立により、1969年に一時降板しました。その後、司会者が前田武彦へ交代したことを受け、同年11月に大喜利メンバーへ復帰。 当時の大喜利では、桂歌丸との罵倒合戦が番組の見せ場となっていたようです。 1980年、仕事先で急逝しました。

柳屋かゑる(やなぎや かえる)/五代目 鈴々舎馬風(れいれいしゃ ばふう)

五代目鈴々舎馬風は、柳屋かゑる時代の1969年4〜11月の期間、『笑点』に出演していました。 昭和末期には、みのもんたやとんねるずのバラエティ番組によく出演していた経歴も。2020年12月には81歳になりますが、高座に登場しまだまだ現役の落語家です。

三升家勝二(みますや かつじ)/八代目 三升家小勝(みますや こかつ)

八代目三升家小勝は、三升家勝二時代の1969年から約1年間参加していました。 2020年7月現在は、日本各地で、落語に人権や福祉、交通安全などを絡めた講演を行っています。

柳家さん吉(やなぎや さんきち)

柳屋さん吉は、1969年4月から約1年間大喜利メンバーとして出演していました。 2020年7月現在、落語やテレビ出演などは行なっていなようです。

三遊亭好生(さんゆうてい こうしょう)/春風亭一柳(しゅんぷうてい いちりゅう)

1969年4月、当時司会をしていた立川談志との対立により降板したメンバーの代役として参加しましたが、11月に降板しています。 性格的に繊細な部分があった彼は、1981年に45歳という若さで自らの命を絶ってしまいました。

春風亭栄橋(しゅんぷうてい えいきょう)

春風亭栄橋も、1969年4月から11月までの間だけ出演。短期間ではありますが、軽い芸風が視聴者にうけ、人気メンバーの1人となりました。 パーキンソン病を患っており、25年間という長期にわたる闘病の末、2010年に亡くなっています。

二代目 三遊亭歌奴(さんゆうてい うたやっこ)/三代目 三遊亭圓歌(さんゆうてい えんか)

1969年11月から1970年6月までの7カ月間出演していました。 落語家になる前は鉄道員をやっていたり、1985年には出家し落語家と僧侶の二足のわらじを履いたりと、異色の経歴の持ち主です。2017年にガンのためこの世を去りました。

四代目 三遊亭金馬(さんゆうてい きんば)

4代目三遊亭金馬も、1969年11月から1970年6月まで出演しています。人気落語家であったため、『笑点』を休演することもしばしばあったそうです。 2020年7月現在、最古参の落語家であり、秋には「三遊亭金馬」を弟子であり次男である三遊亭金時に譲り、自身は「三遊亭金翁」を襲名する予定になっています。

九代目 柳家小きん(やなぎや こきん)/六代目 柳家つば女(やなぎや つばめ)

六代目柳屋つば女は、柳家小きん時代の1969年から1972年まで出演していました。落語家になる前は美術大学で油絵を勉強していて、その腕前はかなりのもの。 現在も大喜利に出演している林家木久扇とは、若手大喜利への出演や大喜利メンバーへの昇格も同時期で親交が深いとか。また、大喜利でオレンジ色の色紋付を着た最初のメンバーで、2020年7月現在オレンジ色を着用している林家たい平は、偶然にも彼と同じ大学を卒業した後輩にあたります。

六代目 三遊亭圓窓(さんゆうてい えんそう)

1970〜1977年まで出演していました。破天荒なメンバーが多い中、番組における彼の役割は「常識派」でした。 2020年10月に80歳を迎えますが、近年では小学校を訪問して落語を披露したり、パソコンを使っての通信落語をしたりと、現役で走り続けています。

三笑亭夢之助(さんしょうてい ゆめのすけ)

1977年から1979年までの間、大喜利メンバーとして参加していた三笑亭夢之助。この2年間で3回座布団10枚を獲得するという快挙を成し遂げました。 2020年7月現在、司会やリポーターなど落語以外の場でも活躍しています。

七代目 桂才賀(かつら さいが)

1980年、急死した四代目三遊亭小圓遊の後任者として加入し、8年間出演していました。小圓遊のキザなキャラクターを踏襲し、1983年に自称色男の三遊亭小遊三が加入してからは、2人の罵倒合戦も見どころに。 降板後は、少年院の慰問活動に力を入れ、2008年には『刑務所通いはやめられねぇ』を出版しています。

歴代座布団運びメンバー

『笑点』を語るうえで忘れてはいけないのが、座布団運びです。 5代目三遊亭円楽が司会をした時から、座布団運びである山田隆夫を罵倒する回答が出た場合、司会者の指示を待たずに山田が回答者の座布団を没収するようになりました。これが視聴者にウケて、番組をさらに盛り上げる一助を担っています。 座布団運びと言えば、2020年7月現在も座布団運びを続ける山田隆夫の印象が強い人が多いかと思いますが、過去にはどんな人が担当していたのでしょうか?

三升家勝松(みますや かつまつ)/四代目 桂文字助(かつら もじすけ)

三升屋勝松は、番組開始当初の1966年5月から1967年1月まで座布団運びをしていました。 得意とするのは相撲噺で、実際に相撲部屋を見学するほど研究熱心だったのだとか。立川談志の弟子でしたが、2015年に立川流を脱退。その後は目立った活動はしていません。

毒蝮三太夫(どくまむし さんだゆう)

俳優、タレント、ラジオパーソナリティとして活躍している毒蝮三太夫は、当時司会をしていた立川談志に誘われ、二代目座布団運びとして1967年から番組に参加しました。 2020年7月現在も、講演会や書籍の出版など精力的に活動しています。

三遊亭笑遊(さんゆうてい しょうゆう)/五代目 三遊亭圓遊(さんゆうてい えんゆう)

三代目座布団運びとして、1969年11月から7カ月間出演していました。当時、大喜利はチーム対抗制だったため、三笑亭夢八(初代三笑亭夢丸)と共に座布団運びをしていました。 真打昇進後は落語に集中するため、ほとんどテレビ出演はしていません。

初代 三笑亭夢八(さんしょうてい ゆめはち)/初代 三笑亭夢丸(さんしょうてい ゆめまる)

初代三笑亭夢八は、三遊亭笑遊(五代目三遊亭圓遊)と共に1969年11月から翌年6月まで、三代目座布団運びを務めました。 当時、夢八が二代目三遊亭歌奴(三代目三遊亭圓歌)チーム担当、笑遊が四代目三遊亭金馬チームを担当しています。 2010年に中咽頭ガンが発覚しましたが、闘病しながらも高座に上がり2015年に逝去。最後まで落語を全うしました。

小野千春(おの ちはる)

元アイドルで、『仮面ライダーV3』などへの出演で知られる女優の小野千春は、『笑点』初の女性座布団運びです。1970年6月から1971年7月まで、四代目座布団運びを務めました。 1972年に結婚、その後芸能界を引退しています。

桂米助(かつら よねすけ)/ヨネスケ

『突撃!隣の晩ごはん』のリポーターとして一躍有名になったヨネスケ。タレントのイメージが強いですが、実は落語家でもあります。小野千春の補佐役として、彼女と同時期に座布団運びをしていました。 今でも真打・襲名昇進披露の際には『笑点』に出演することがあります。

松崎真

五代目座布団運びとして、1971年から13年間に渡り出演していた松崎真。本業は俳優です。 座布団をめぐるドタバタの多かった三波伸介司会時代に座布団運びを務めた彼は、力が強く、大量の座布団を1人で運ぶことができました。また、挨拶の締めに使っていた「手を上げて、横断歩道を渡りましょう」は流行語にも。 降板理由は「俳優業に専念したい」ということでしたが、実際には体調不良が理由だったとか。2006年には俳優業も引退、その後は全国で講演活動をしていました。同年、老衰のため逝去しています。

名人揃いの『笑点』メンバー。見ないなんてもったいない!

50年以上続く『笑点』を振り返ってみました。世代によっては、懐かしいと思うメンバーもいたかもしれません。歴代の司会者や座布団運びのなかには、「この人が出演してたの!?」と意外に思う人物もいたのではないでしょうか。 過去を振り返ることで、番組開始当初から出演し、今も現役で大喜利を盛り上げている林家木久扇や三遊亭円楽の凄さを改めて実感させられますね。 番組内ではよくお互いをバカにし合っているメンバーですが、実際にはそれぞれに心温まるエピソードがあるので、これを機に笑点メンバーについて調べてみるのもいいかもしれません。 そして日曜日の夕方は『笑点』を見てたくさん笑って、月曜日からまた頑張りましょう!