2026年6月12日更新

『国宝』武田創世演じる一豊(かずとよ)はその後どうなった?事故の真相や原作との違いを徹底解説

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『国宝』
©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会

2025年に公開され、邦画実写映画歴代興行収入1位を獲得した『国宝』。歌舞伎の世界を舞台に“血”か“芸”かをテーマにした、のちに人間国宝となる男の一代記です。 この記事では、『国宝』に登場する大垣一豊について、映画では描かれなかったその後やキャストなどを紹介します。

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『国宝』武田創世演じる一豊(かずとよ)のプロフィール

名前 大垣一豊
年齢 2歳(俊介と喜久雄が再会した時点)
父:大垣俊介 , 母:大垣春江
俳優 武田創世

大垣一豊は大垣俊介と春江の次男です。俊介が家に戻ったときには2歳で、“血”を継ぐ者として喜久雄の前に現れました。映画では触れられていませんが、俊介と春江には長男の豊生(とよき)がいましたが、幼くして命を落としています。 両親とともに俊介の実家に戻った一豊は、映画でも病気の父を見舞ったり、喜久雄から稽古をつけてもらうシーンが描かれています。原作でも歌舞伎役者になっており、俊介の“血”と喜久雄の“芸”の両方を受け継いだ者といってもいいでしょう。

喜久雄と一豊の関係は?稽古をつけるシーンも

『国宝』
©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会

ひたすら芸の道に身を捧げ、子どものいない喜久雄にとって、一豊は「芸の後継者」であり、歌舞伎の未来を託す者です。喜久雄は病によって脚を失った俊介に代わって、一豊を立派な歌舞伎役者にしようと尽力します。 映画でも喜久雄が一豊に稽古をつけるシーンは描かれており、良好な関係であることが窺えます。 俊介の“血”と喜久雄の“芸”を受け継ぐ存在となるのです。

その後一豊はどうなった?紆余曲折を経て名役者に

映画 国宝
©吉田修一/朝日新聞出版 ©2025映画「国宝」製作委員会

喜久雄から厳しくも深い愛情を受けた一豊は、歌舞伎役者として稽古をつけてもらいます。しかし父や喜久雄といった圧倒的な才能に囲まれ、2人と比較されながらなかなか芽が出ないプレッシャーに苦悩します。 その後、父の死や自身が起こした事故など、多くの出来事を経験した一豊は、一人前の歌舞伎役者に成長。最終的には「五代目花井白虎」を襲名する名役者となりました。 また美緒という女性と結婚して子どもを授かり、“血”はさらに受け継がれていきます。

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一豊も糖尿病になるのか?受け継がれる“血の呪い”を考察

祖父・二代目半二郎も父・俊介も糖尿病を患い命を落とした一豊。原作にも描かれていませんが、本作のテーマの1つが「血の継承」であることを考えると、一豊も同じ病を患う可能性があるのではないでしょうか。 糖尿病は病気そのものではなく、「罹りやすい体質」が遺伝すると言われています。両親のどちらかが糖尿病の場合、子どもの発症リスクは約30〜40%とされています。

原作小説における一豊を紹介!映画では描かれなかった場面も

国宝

俊介と一豊の親子同時襲名披露

一豊は16歳のとき、「花井半弥」を襲名することになります。それと同時に俊介は丹波屋の大名跡であり、亡き父が最後に襲名した「花井白虎」を襲名。親子同時襲名披露が行われます。 喜久雄はその部隊で口上役を務めました。俊介は亡くなった長男のことを明かし、涙ながらに長男も含めた親子3人で芸の道に精進していくと語ります。

一豊が起こしたひき逃げ事故とは?

俊介の七回忌のあと、一豊はにひき逃げ事件を起こしてしまいます。相手は命に別状はなかったものの、世間から強い非難を浴びることに。 母の春江は自身の母の恋人で、自分たち家族の雑用をしていた野田に罪を被せようとします。しかし一豊の親代わりである喜久雄がこれを阻止。真摯に謝罪会見を行います。これが好感を与え、一豊の役者としての道も絶たれずに済みました。 喜久雄はこれを期に歌舞伎のイメージアップを図るため、歌舞伎以外の仕事は受けなくなり、神格化されるようになります。

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映画『国宝』一豊(幼少期)を演じたキャストは武田創世!

映画で少年期の一豊を演じたのは、武田創世(たけだ・そうせ)です。 2009年生まれの彼は、2022年からEBiDAN NEXTとして活動を開始。2023年には6人組メインボーカル&ダンスグループ「Lienel」のメンバーとしてデビューしました。 俳優としては、本作が映画初出演となります。

『国宝』武田創世演じる一豊は”血”を引き継いだ俊介の息子

俊介の息子である一豊は、間違いなく“血”を受け継いだ者であり、親代わりの喜久雄からも“芸”を継承する者として期待されていました。 小説でもその後は描かれていませんが、彼もまた歌舞伎役者として成功し、その”血”と“芸”を後世につなげていったのでしょう。