2022年10月29日更新

『天気の子』森嶋帆高はなぜこんなにも無鉄砲なのか? 監督が込めた思いや声優を解説

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『天気の子』
(C)2019「天気の子」製作委員会

映画『天気の子』は、新海誠が監督・原作・脚本を手がけた長編アニメーション作品です。世界中で爆発的ヒットとなった前作『君の名は。』(2016年)以来の待望の新作とあって、公開前に140を超える国と地域への配給が決定し、公開後も大きく話題となりました。 主人公は、離島から東京に家出してきた少年・帆高。祈るだけで天気を晴れにできるという不思議な力を持つ少女・陽菜と出会い恋に落ちます。運命に翻弄されながらも、まっすぐに生きる2人の姿を描いています。 しかし新海誠監督自身も「賛否が分かれるメッセージを込めた」と語っていたように、主人公・帆高の反社会的な行動や身勝手とも取れる決断には賛否両論が巻き起こりました。 この記事ではそんな帆高の人物像や魅力に迫っていきたいと思います。ネタバレを含むので、未鑑賞の場合は注意してください。

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『天気の子』帆高の基本プロフィール

『天気の子』
©2019「天気の子」製作委員会
氏名 森嶋帆高
年齢 16歳
身長 158cm
声優 醍醐虎汰朗

離島から東京に家出してきた高校生の帆高。彼はそこで、祈るだけで天気を晴れにできる「100%の晴れ女」天野陽菜に出会います。帆高は陽菜の力を借りてあるビジネスをはじめますが、陽菜の体には不思議な変化が起こっていたのでした。

実は陽菜は、人柱になることで異常気象を治めることができる「天気の巫女」だったのです。彼女は人柱になることを覚悟しますが、陽菜と離れたくない帆高は、彼女を連れ戻しに行きます。

反社会的な少年・帆高を肯定的なキャラクターとして描く訳

『天気の子』
(C)2019「天気の子」製作委員会

家出をしたり、銃を発砲したり、陽菜を守るために暴走したり……。反社会的な少年・帆高を、ピュアな恋をするまっすぐで純真な少年であると描く『天気の子』。そのギャップに戸惑う人や疑問に思う人も多いようです。 新海誠はいったいなぜ、彼を肯定的なキャラクターとして描いたのでしょうか。込められたメッセージを探って行きます。

家出の理由を映画で描かなかったわけ

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どうして帆高は家出したの?その背景が描かれなかったから、いまいち行動に説得力を感じられなかった

帆高が家出をした理由について、小説では父親と仲が悪く、序盤で帆高の顔に貼られている絆創膏は父親に殴られたためだと触れられています。ですが劇中では帆高が「苦しくなって」家出したのだと説明しただけで、それ以上詳しくは説明されません。 劇中で家出の理由を説明しなかった理由について、新海誠は映画パンフレットで以下のように語っています。 「帆高は家出をして東京に出ていますが、その家出の理由を劇中では明確に語っていません。トラウマでキャラクターが駆動される物語にするのはやめようと思ったんです。映画の中で過去がフラッシュバックして、こういう理由だからこうなったんだっていう描き方は今作ではしたくないな、と。内省する話ではなく、憧れのまま走り始め、そのままずっと遠い場所まで駆け抜けていくような少年少女を描きたかったんです。」 父親の暴力のような具体的な要因と紐付けず、ここではない憧れの場所に行きたいという漠然とした感情に従って行動させることで、より多くの人が共感しやすいようになっているのではないでしょうか。

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虐待に限定せず、漠然とした不満や憧れを原動力として描くことで、より多くの人に勇気を届けたかったのかも

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銃と考える正義、2回の発砲をくらべる

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拾った銃の発砲を正当化するなんて、さすがにちょっと攻めすぎなストーリーじゃない?

1回目

東京で生活が困窮する中、倒してしまったゴミ箱の中にあった紙袋から銃を発見した帆高。思わずカバンの中に隠します。この拳銃はおそらく、物語冒頭のニュースで流れていた、反社会勢力から押収された16丁と関係があるものでしょう。 手に入れた過程から、銃は反社会性と暴力の象徴だとわかります。これを帆高が拾い発砲したことには、どんな意味が込められているのでしょうか。 1回目の発砲は、怪しい男に絡まれている女の子を助けるためという、物語としては王道で正当な正義の行使のように見えました。しかし実際は、陽菜はその店で働きたかっただけで、危険に陥っていたわけではなかったのです。帆高の勘違いであり、のちに陽菜からきつく叱られました。 このように1回目の発砲は、ありふれた正しさを打ち砕く、過ちの経験として描かれています。

2回目

2回目の発砲は、警察という社会権力を相手になされました。その様子は、誰かを犠牲にすることで成り立つ理不尽な社会に対して、帆高が怒りを爆発させたようにも見えます。 平然と誰かを犠牲にするような社会の悪を止められるのは、愛という正義でした。「青空よりも陽菜がいい」というセリフからは、帆高の真っ直ぐな愛が感じられます。社会権力という欺瞞的な正しさに、愛が勝利したのです。 1回目の発砲は「過ち」で、2回目の発砲を「正しい」とする。物議を呼ぶポイントではありますが、愛こそが何よりも正しいという、メッセージを感じることができます。

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1度間違っても2度目また陽奈のために発砲する。社会的に正しいとは言えないかもしれないけど、それでこそ愛が真っ直ぐな帆高だ!

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「世界を変えてしまった」けど「大丈夫だ」ってどういうこと?

『天気の子』
(C)2019「天気の子」製作委員会

帆高の願いが届いて、陽菜は世界に戻ってきました。しかし同時に東京は荒天に襲われ、やがて水没します。 2人の愛は社会権力に打ち勝って、ついに世界の仕組みを壊してしまいました。世界のサイクルを壊したということは、多くの人々の日常も壊したということでもあります。それを「大丈夫」と言う帆高の発言は、いったいどういう意味なのでしょうか。

「世界を変えてしまった」

帆高と陽菜は昔から脈々と続いてきたであろう“天気の巫女が人柱になることで、天候を安定させる”というサイクルを打ちこわしました。ふたりがとった行動は、世間一般から肯定されることはないでしょう。 しかし帆高の行動を、須賀や冨美は「世界は元々狂ってる」、「ここは元々海で、人間が自然を壊したのだから、元に戻っただけだ」というセリフで擁護していました。 それでも帆高はそんな世界を「狂った」ではなく「変えた」と責任を背負い込みます。この言葉からは、帆高が、被害を理解したうえで自分の大事なものを優先させる決断をした自信と覚悟が読み取れました。 世界を変えるなんて、普通若い2人にとっては平気でいられることではありません。それでも彼らにとっては、お互いがそばにいることが一番「大丈夫」な状態だったのです。 監督は帆高のセリフを通して、観客にも自分のしあわせを優先して「大丈夫」だと伝えてくれているのではないでしょうか。

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川村元気と新海誠のコメント「根拠なく『大丈夫だ』と言ってほしい」

プロデューサーの川村元気は、「ルールから外れたことを言うと袋叩きにあうような息苦しさが世の中に蔓延」していると語っていました。そして新海誠監督は「何の根拠や保証もないが、若者に『大丈夫だ!』といってほしい」のだとコメントしています。 これらの考え方が映画に反映されており、帆高の行動は、世の中の批判に縮こまったり、責任を負うことを恐れたりせずに、愛や憧れに向かって何も考えず真っ直ぐ行動して良いのだと思わせてくれました。 世界を変えてしまっても大丈夫と言って良いのです。むしろ監督は若者に、社会の状況を考えるよりも、自分の感情、衝動にしたがって真っ直ぐ行動してほしいと考えていました。

RADWIMPSの楽曲「君にとっての大丈夫になりたい」

このセリフをさらにわかりやすく補足してくれているのが、RADWIMPSの「大丈夫」という楽曲です。 「君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての『大丈夫』になりたい」という最後の歌詞は、状況について案じるのではなく、根拠なく心配せずに駆け抜けてほしい、『天気の子』はそう安心させられるような作品になりたい、と言っているように聞こえます。 帆高と陽菜はきっとこれからも、「大丈夫」と未来を信じて、前向きに駆け抜けてゆくのでしょう。 しかしこの「大丈夫だ」というセリフは、物議を醸したポイントでもありました。あなたは帆高の「大丈夫」に共感できましたか?

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他キャラクターとの関係性

陽菜:帆高の同志であり愛するパートナー

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(C)2019「天気の子」製作委員会

東京に出てきてすぐ、帆高が出会った不思議な少女・陽菜。彼女は中学生ながらに、年齢を詐称してアルバイトをしながら、弟と2人、大人に頼らない自立した暮らしを送っていました。 陽菜が頑なに施設を拒んだのは、たった1人の家族である凪と自分を引き離すような、大人や社会に対して不信感を抱いていたためではないでしょうか。 大人に嫌気がさしたという点は、家出をした帆高も似ています。2人は大人や社会に抗おうとして互いに仲間意識のようなものを感じ、その気持ちが恋に発展していったのではないでしょうか。 帆高と出会って陽菜は、少し年上の帆高に頼ることができるようになっていきます。一方帆高は恋を経て、少し年下の陽菜たちを守ろうと、責任感のようなものを育てていきました。だから帆高は陽菜を呼び捨てで呼ぶようになるのです。 重要になるのはこの年齢設定。1歳差というのは大人にとっては大した違いには感じられないかもしれません。しかし14、15歳くらいの、大人でも子供でもない年頃の2人にとっては、絶対的な価値観になり得ます。 2人は同じ願望を持った同年代の仲間として親近感を感じつつも、年齢に応じた役割や頼りがいから互いに理想のパートナー像を見出して、恋に落ちたのかもしれません。

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凪:帆高よりかなり年下なのに“センパイ”

陽菜の弟・凪は同級生の女子をさらっと褒めて喜ばせるなど、小学生にして女心を完璧に理解している恋愛マスター。見た目もカッコよくスポーツもできて、男子からも人気があります。 帆高が陽菜の誕生日プレゼントを相談しに行った際も、的確で核心を突くアドバイスをくれる凪。驚いた帆高は、その時から凪を「センパイ」と呼ぶようになるのです。 このシーンでは小学生なのに大人びている凪の存在によって、帆高が純真な少年であることがより浮き彫りになっています。 両親がおらず、ここまでしっかりするほど苦労してきたであろう凪に比べ、帆高は少年のまま。しかし警察署で陽菜の年齢が判明すると、「俺が1番年上じゃねえか!」と2人を守る責任感を感じ始めます。凪に対する呼び方も「センパイ」から「凪」に変わりました。 辛くても笑顔で懸命に生きる2人を尊敬しつつも、守っていけるくらい更に強い人間になるために、子供だった帆高は、物語を通して踠き成長していくのです。

須賀:帆高と似た境遇を持った大人

東京で生活に困窮した帆高は、ライター・須賀の元を訪ねます。東京へ向かうフェリーの甲板上で、帆高が船から落ちそうになるところを救ったのが須賀でした。 須賀は帆高に食事とビールを奢らせるのですが、彼が家出少年であることを察し、「もし東京でなんか困ったことがあったらさ、いつでも連絡してよ」と言いながら名刺を手渡しています。 須賀自身もまた、10代のころに東京に1人で出てきた家出少年でした。帆高が昔の自分の姿と重なったからこそ雇ったのでしょう。 しかし大人になってしまった須賀は、刑事が訪ねてきた時点で帆高を追い出し、その後も帆高の行動を制するような「常識のある行動」をします。 いつのまにか社会に染まったかつての家出少年・須賀との対比により、帆高の純真さが際立って見えてくるのです。

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帆高と陽菜のモデルとなった残酷な神話

『天気の子』
(C)2019「天気の子」製作委員会

新海誠作品に日本の古典をモチーフにしたものが多いことはご存知でしょうか?例えば『言の葉の庭』( 2013年)には万葉集の引用があり、『君の名は。』(2016年)は、男女が入れ替わる古典「とりかへばや物語」や小野小町の和歌から着想を得ているのです。 帆高と陽菜のモデルではないかと考えられる神話や言い伝えを紹介し、その話の教えから作品に込められたメッセージを考察していきます。

洪水を生き延びた男女の伝説

新海誠の故郷は信州で、そこには穂高神社という神社があります。そこに祀られているのは、島から船に乗って日本各地へ移住していった安曇族の氏神・穂高見命(ホタカミノミコト)です。帆高が船に乗ってきたのはここに着想を得ているのかもしれません。 安曇野はかつて安曇平と呼ばれ、新海監督の故郷の佐久市も佐久平と呼ばれていました。信州の「平」がついていた場所には、共通して「洪水神話」と呼ばれる神話が残っています。実はそこは元々水に覆われていて、人間が山を崩して水を排出し、人が住める村になったというのです。 その地域に共通するものとして村の守り神のような石像・双体道祖神(そうたいどうそじん)が残っています。双体道祖神は男と女のペアで、洪水から生き残った2人なのだとか。 ちなみに双体道祖神は『君の名は。』の中にも何度か登場していますよ!

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陽菜に似ている、てるてる坊主の元になった中国の娘

陽菜を悩ませた、「天気の巫女になる」という運命。この話の原点にあるのは、「てるてる坊主」の起源であるとされる中国の「掃晴娘」という言い伝えではないかと考えられます。 むかしむかし、北京に頭が良く手先が器用で美しい少女・晴娘がいました。ある年の6月、北京は連日続く大雨によって水害が起こり、人々を悩ませます。 晴娘が天に向かって雨が止むようにと祈りを捧げると、天から「東海龍王の妃となるなら雨を止ます。ならないのであれば北京を水没させる」と声が聞こえました。晴娘は北京を水害から守る為に、自らの身を天に捧げる決意をします。 すると雨は止み空が晴れ渡りました。しかし晴娘の姿はそこにはありません。それ以来北京の人々は雨が続くと、晴娘を偲んで切り紙で作った人形を、門に掛けるようになったのだそう。 陽菜のことは帆高が救いましたが、この言い伝えの晴娘は天気の巫女によく似ていますね。

『天気の子』は現代版の人身御供譚だった

「掃晴娘」は1種の人身御供譚です。人身御供譚とは、人間を神への生贄とする物語のこと。 その役割はかつて絶対的な災いに、生贄という残酷な手段で対処してきたことを語り継ぐことです。今は生贄を出す必要はなくなったけれど、自然やかつて生贄となった者への感謝と畏敬の念を、人々に忘れさせないようにします。 つまり過去の自然と共同体の残酷さを再認識し、今後そのような暴力的な過去を繰り返さないようにするための話なのです。 しかし現代においてもまだ、直接「生贄」という形でなくとも、世界の秩序のために犠牲を強いられている存在がいます。『天気の子』は、「人身御供」を過去の悲劇ではなく、現代の問題として投げかけているのです。 帆高が人柱となった陽菜を助けたことには、「世界というのは元来、『生贄』なくしては成り立たない理不尽なものだから、そんな世界のために自分を犠牲にするな、愛をもって世界の残酷性に立ち向かおう」というようなメッセージが込められていたのではないでしょうか。

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帆高の声優は醍醐虎汰朗

醍醐 虎汰朗(だいご こたろう)

帆高の声優には、2000年生まれ・東京都出身で注目のイケメン俳優、醍醐虎汰朗が抜擢されました。 彼は2017年に「舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇〜スタートライン〜」の一般公募オーディションで主人公・小野田坂道役に選ばれてデビューした、期待の新人俳優です。 帆高役も、オーディションで2000人の中から選ばれて決定。彼に決めた理由を、新海誠は舞台挨拶にて「見た目も、一生懸命だけど周りに気を使いすぎて少し空回りしてしまうような性格も、僕の中の帆髙のイメージ通りでした。」と語っています。 『天気の子』声優出演で注目を集め、第十四回 声優アワードでは新人男優賞を受賞しました。その後も映画『宇宙でいちばんあかるい屋根』(2020年)や『太陽は動かない』(2021年公開予定)などに出演。今後の活躍が期待されるルーキーです。

『天気の子』帆高に学ぶ、愛にできること

反社会的な行動に「理解できない」「無責任だ」という批判の声もあった帆高。しかし痛いほど共感した人もたくさんいるでしょう。帆高は「理解できない」と世界から見放されたような存在や、世界に怒りを抱く若者たちに向けたメッセージが込められたキャラクターなのかもしれません。 まっすぐな愛をもって社会に立ち向かうことは、本当に悪なのでしょうか。本当に社会は正しくて、社会を犠牲の上で成り立たたせるような暴力は起きていないでしょうか。帆高の行動と物語を通して、もう一度考えてみてださい。