「ゴッドファーザー」三部作を完全解説 男と家族と人生の美学が詰まった最高傑作
「ゴッドファーザー」トリロジー(三部作)はどこが名作なのか?
1972年に一作目が公開されて以降、2本の続編が製作された「ゴッドファーザー」三部作。 マリオ・プーゾの小説を元にフランシス・フォード・コッポラが監督してきたこの物語は、アメリカにやってきたシチリア移民がマフィアとしてのし上がっていく様を家族ドラマの形式で描き、いずれも極めて高い評価を得てきました。 しかし、マフィアの物語という「男臭く」「渋すぎる」イメージに加え、それぞれが3時間前後の長尺であることも相まって、実はきちんと観たことがなかったり、そのスゴさや世界観を整理しきれていないという人も多いのではないでしょうか? そこで今回は、家族共々「ゴッドファーザー」を愛してやまず、好きな映画を問われたらまずは『ゴッドファーザー!』と答えることにしている筆者が、この映画がどう凄いのか解説していきたいと思います。
「ゴッドファーザー」の1~3作それぞれのストーリー
『ゴッドファーザー』 (1972年)
1945年のニューヨーク。裕福なコルレオーネ家では、娘のコニー(タリア・シャイア)の結婚パーティが行われていました。そこへ、海兵隊帰りの三男・マイケル(アル・パチーノ)が、恋人のケイ(ダイアン・キートン)とともに帰宅します。 パーティーに人気歌手ジョニー・フォンテーンが登場したのを見て驚くケイに対し、マイケルは父であるドン・ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)をはじめとする家族が皆、非合法組織の幹部であることを告白。とはいえ、国の英雄として帰ってきたマイケルはあくまでも堅気として生きていくつもりであり、それを家族は認めていました。 しかしある時、父が他の組織によって銃撃され、重傷を負ったことがきっかけとなり、マイケルは徐々に組織の活動に足を踏み入れることになります。 第1作目となる本作は1972年に公開されるやいなや、当時の興行収入記録を塗り替えるほどの大ヒットを記録。アカデミー賞3部門に輝くなど高い評価を受け、当時無名だったコッポラ監督やアル・パチーノを一躍スターダムに押し上げました。
『ゴッドファーザー PART II』 (1974年)
1901年、イタリア、シチリア島にあるコルレオーネ村。ヴィトー少年は地元マフィアのボスであるドン・チッチオによって家族を殺されてしまいます。命からがら逃げてきた彼は、船に乗り込みアメリカへ。 やがて成長したヴィトー(ロバート・デ・ニーロ)は仲間とともに、同じイタリア移民を搾取して私腹を肥やし続けるドン・ファヌッチの暗殺を企てます。 一方、前作から5年が経ちドンとなったマイケルは、カジノのあるラスベガスを収入源にするため、組織の拠点をニューヨークからタホ湖畔に移していました。しかし、息子・アンソニーの初聖体拝領のパーティーをした晩、マイケルはケイとともに何者かによって銃撃されます。 マイアミを拠点とするユダヤ系マフィアのハイマン・ロスが裏にいると睨むマイケルでしたが、同時に身近な人物が裏切っていることを確信していくのでした。 シリーズ2作目となる「PART Ⅱ」では、ドンとなって様々な問題に直面するマイケルがやがて家族を失っていく様と、マイケルの父であるヴィトー・コルレオーネがファミリーを築いていく過程を交互に映し出した大作。単なる続編ではなく、前日譚も描かれているのが特徴です。
『ゴッドファーザー PART III』 (1990年)
「PART Ⅱ」ラストから20年後の1979年。マイケルは長年の犯罪稼業による罪の意識にさいなまれ、組織の合法化に尽力します。その結果、バチカンからも認められたマイケルは、引退を決意。甥のヴィンセント(アンディ・ガルシア)を後継ぎにしようと考えます。 しかし、対立するマフィアであるジョーイ・ザザ(ジョー・マンテーニャ)によってマイケルは狙われ、ヴィンセントがそれに報復する形で抗争が勃発。さらに、マイケル自身も病に蝕まれていき……。 前作から16年を経て公開された「PART Ⅲ」では、罪の意識に苛まれて弱りゆくマイケルの晩年と家族の悲劇にスポットが当てられています。 しかし、実際にあった枢機卿の急死やバチカンの銀行頭取の暗殺などを基にした事件が劇中で描かれ、イタリア政財界・バチカン・マフィアの三者が癒着している様をそのまま描いたため、大きな論争を巻き起こした作品でもあります。
「ゴッドファーザー」の名作ポイント1:二転三転する展開
筆者の母は日本で『ゴッドファーザー』が初めて公開された1972年当時、中学生でした。映画館で『ゴッドファーザー』を観に行った帰りの電車内で、周りに座る客が皆、自分を殺そうと企んでいるように見え、怖い思いをしたそうです。 しかし、それもこの映画を実際に観てみればうなずけるはず。仲間だと思っていた人物がいつの間にか対立する組織に寝返っていたり、平和的な交渉の場が突如血の海と化したり、突然何の前触れもなく殺されたり。そういった予想できない展開が次々と待ち構えており、一体誰を信じればいいのか全くわからないのが、このシリーズの特徴です。 観客は実に3時間もの間、誰がいつ裏切るかわからないというマイケルが抱く苦悩と恐怖を追体験することになるのです。
「ゴッドファーザー」の名作ポイント2:数々の名言が生まれた
「ゴッドファーザー」の魅力を語る上で欠かせないのが、その名台詞の数々。 特に、一作目でドンが口にする “I'm gonna make him an offer he can't refuse.(彼が断ることのできない申し出をする)” は、まさにマフィアの仕事そのものを示す象徴的な台詞として有名。AFI(アメリカン・フィルム・インスティチュート) が2005年に発表した「アメリカ映画の名セリフベスト100」では2位に選ばれています。 その他にも、一作目で運転手のポーリーが殺される場面でマフィアのクレメンザが口にする “Leave the gun. Take the cannoli.(銃は置いていけ、カンノーリは取って行け ※カンノーリはシチリアのお菓子のこと)” は、殺しと日常が同居しているマフィアの生き様を上手く表現した台詞として知られています。 「PART Ⅱ」では、ニューヨークに住むファミリーの幹部フランクを訪ねたマイケルが、かつて父に言われた言葉として語る “keep your friends close, but your enemies closer.(友人は近くに、敵はもっと近くに)” が印象的。敵対している者を遠ざけずに近くに寄せることでその懐に入り、その本質を知れ、という意味です。マフィアが抗争に打ち勝つための手段を選ばない様を表していると同時に、「いつ裏切られてもおかしくない」状況も暗に示しているといえます。
「ゴッドファーザー」の名作ポイント3:映画史に残る名シーンの数々
もちろん、名場面が多いこともこのシリーズの特徴です。中でも、一作目は名場面の宝庫。 その名場面の多さは枚挙にいとまがないほどで、それは『シンプソンズ』をはじめとするアニメや映画などで数え切れないほどのパロディを生んでいることからも明らかです。 一作目の名場面を中心に、いくつか紹介しましょう。
ベッドの中に馬の首!
一作目の冒頭で登場する歌手ジョニー・フォンテーンは、女性問題のために映画出演の話がご破算に。助けを乞われたヴィトーは、一計を案じます。 フォンテーンを干した映画会社の社長がある朝目を覚ますと、なんとベッドの中には可愛がっていた馬の首が! 恐怖のあまり絶叫するその場面は、コミカルでありながらも恐ろしく、トラウマになる人も多いのでは?
「シチリアからのメッセージ」
敵対するタッタリアの狙いを探るため、寝返るふりをして出向したファミリーの殺し屋ルカ。しかし、逆に怪しまれて殺されてしまいます。 そんな中、ヴィトーが襲撃。戻ってこないルカと連絡が取れないことに苛立ち、皆が話し合っていると、そこへ荷物が届きます。 荷物の中身は生の魚。これはシチリア式のメッセージで、つまりルカは魚のように「海の底にいる」ということ。もしこれが、電話や手紙を使って「ルカは始末した」などと伝えていたら、この場面はもっと凡庸なものになっていたかもしれません。
マイケル、初めての殺人
ドンであるヴィトーを半殺しにされたコルレオーネ家。結局、堅気であるはずのマイケルが手を打つことに。麻薬の売人ソロッツォと汚職警官マクラスキーを交えたレストランでの会食をセッティングします。 途中トイレに立ったマイケルは、あらかじめそこに仕込まれていた銃を取りに行き、再び席へ。すぐそばを走る電車の騒音がうるさくて相手の声がかき消される中、マイケルは覚悟を決めます。 突然立ち上がり、響く銃声。倒れる二人。かくしてマイケルは、初めて人を殺すのでした。
ソニーの死
映画の冒頭、兄ソニーの紹介で知り合ったカルロと結婚した末娘のコニー。しかしある時、カルロの女癖の悪さにヒステリーを起こし、食卓や家財を無茶苦茶に。激怒したカルロは、コニーに暴力を振るいます。 この二人の喧嘩の場面も恐ろしいのですが、問題はここから。コニーが暴行されたことを聞いたソニーは怒りに身を任せて二人の元へ車で向かいますが、その途中、高速道路の料金所で足止めを食らいます。苛立つソニー。 すると突然、周囲を人影が取り囲みます。マシンガンによる一斉射撃を受けたソニーは、あっけなく死亡。そう、これは罠。カルロは裏切り者だったのです。
恐ろしすぎるクライマックス
そして、クライマックス。ヴィトー亡き後、マイケルはコニーの息子の名付け親になることを頼まれます。 まだ生まれたばかりのコニーの息子が洗礼を受けている厳かな場面。マイケルの表情は固いです。 しかし、そこで交互に映し出されるのは、マイケルの命令によって裏切り者や敵対組織の面々が次々と始末されていく様。この一連のシークエンスの恐ろしさは、とても文字では表せません。まさに、映画史に残る恐ろしい場面といえるでしょう。
“逆”裏切りのキス
もちろん「PART Ⅱ」にも名場面はたくさんありますが、中でも印象的なのはキューバにおける大晦日の場面です。 とある一言で兄のフレドが裏切り者であることを理解したマイケル。大晦日のパーティーでマイケルは、一時間後に飛行機でハバナを発つことをフレドに告げてキスをし、「残念だ」と告げます。 聖書には、裏切り者のユダがイエスにキスをすることで、周囲にいた対立する宗派の者たちにイエスがどの人物なのかを指し示す場面があります。このことから「裏切りのキス」というモチーフが生まれたのですが、この「PART Ⅱ」の場面では裏切られたと悟ったマイケルが裏切り者のフレドにキスをするという、聖書の場面とは逆のことが行われているのです。
「ゴッドファーザー」の名作ポイント4:最高の演技の数々は必死の努力で生まれた
ヴィトーを演じたマーロン・ブランド以外の多くの出演者は当時、ほとんど無名でした。しかもマーロン・ブランドはその気難しい性格故にハリウッドから煙たがられていて落ち目となっており、当初はイギリスの名優ローレンス・オリヴィエが起用されることになっていたといいます。 しかし、ブランドが必死に自分を売り込み努力を重ねた結果、ようやく起用。歴史に残る名演を見せ、結果的にアカデミー賞主演男優賞まで受賞したのです。 また、パラマウントの重役は当初、マイケル役にロバート・レッドフォードを推していましたが、コッポラ監督は役柄同様のイタリア系であるアル・パチーノを起用するといって譲りませんでした。 アル・パチーノは当時は無名であり、最初のうちはそこまで演技が上手くなかったといわれていますが、撮影が進むにつれて目に見えて成長。次々と名演を見せるようになり、以降、三部作すべてに出演しています。 その他にもソニー役のジェームズ・カーン、トム・ヘイゲン役のロバート・デュヴァルがアル・パチーノとともにアカデミー助演男優賞に同時ノミネートされる快挙を見せ、いずれも無名だったスターたちが名演を見せたのです。 「PART Ⅱ」では、ロバート・デ・ニーロが前作でのマーロン・ブランドの演技を研究し、イタリア語を習得してヴィトーの青年期を熱演。アカデミー助演男優賞を受賞します。この時も、フランク役のマイケル・V・ガッツォとハイマン・ロス役のリー・ストラスバーグが同賞に同時ノミネートされるという快挙を見せました。
「ゴッドファーザー」の名作ポイント5:撮影技術のスゴさ
監督したフランシス・フォード・コッポラは、抜擢された当時31歳で、まだ作品をヒットさせたことがない無名の監督でした。そのため発言権が小さかったのですが、あらゆる面でこだわりを見せてパラマウントの上層部と度々対立したため、いつクビになるかわからない状況だったといわれています。 そんなコッポラをサポートするために優秀なスタッフたちが用意されましたが、特に偉大なのは、撮影監督のゴードン・ウィリスです。 それまでのハリウッド映画は、被写体となる役者やセットに大量の照明を横からガンガン当てて撮影することが一般的でした。そのため、画面全体が明るくなる代わりに陰影ができず、リアリティに欠けたものになっていたのです。しかしウィリスは、意図的に陰影を作ることにこだわりました。 例えばヴィトーを演じるマーロン・ブランドのほぼ真上から照明を当てることで目に影を作ったり、室内の照明を限定して暗部を増やしたりすることで、キャラクターに深い味わいをもたらしたり、絵画のような情景を生み出したのです。これらの技法は当時としては斬新なものであり、ウィリスは「ゴッドファーザー」の作品世界を構築することに多大な貢献を果たしたのでした。 その斬新すぎる手法故か、ウィリスはアカデミー賞を受賞することができませんでしたが、三部作すべてで撮影監督を務めました。
「ゴッドファーザー」サーガを時系列順に紹介!
最初のドン=ヴィトー・コルレオーネの生涯
1892年:イタリア、シチリア島のコルレオーネ村で、アントニオ・アンドリーニの息子として生まれる(なお、生年については、一作目に登場するヴィトーの墓石には1887年と刻まれているが、『PART Ⅱ』における設定では1892年の12月7日に変更されている) 1901年:ヴィトーの父アントニオ・アンドリーニが地元マフィアのボスであるドン・チッチオに敬意を表さなかったため、殺される。復讐しようとしたヴィトーの兄・パオロとヴィトーへの慈悲を求めて出向いた母も殺害。村人の助けを借り、ヴィトーは村から脱出する。 その夜、貨物船に乗って一人、アメリカへ。ニューヨークの移民局において職員の勘違いで出身地である「コルレオーネ」が名字として受理されてしまい、以降「ヴィトー・コルレオーネ」を名乗る。
1910年前後:ニューヨークのリトル・イタリーにあるアッバンダンド食料品店で働き、主人の息子であるジェンコと親友になる。しかし、地元の元締めであるドン・ファヌッチが自分の甥を店で働かせることを要求。ヴィトーは店をやめさせられ、仲間たちと窃盗などの軽犯罪を働くことに 1914年:カルメラと結婚。2年後には長男サンティーノ(ソニー)が、さらにその3年後には次男フレデリコ(フレド)が生まれる 1920年:ピーター・クレメンザとサルヴァトーレ・テシオという2人の仲間を得て、小規模な犯罪組織を築く。しかし、それを知ったファヌッチがみかじめ料を要求してくる。リトル・イタリーでパレードが行われた日、ヴィトーはファヌッチを殺害。これが初めての殺人である。以降ヴィトーは、イタリア移民社会で絶大な尊敬を集めるようになる その後、親友の名にちなんだ「ジェンコ・オリーブ・オイル」というオリーブオイルの輸入会社を立ち上げる。この会社は組織犯罪の隠蔽のために長年使われることに 1925年頃:ビジネスを拡大させるため、アメリカに移民して以来初めてシチリアに帰郷。そこでドン・チッチオに再会し、その腹を切り裂くことで父の復讐を達成する
1930年代:クレメンザとテシオを幹部に、アッバンダンドを相談役に据え、コルレオーネ・ファミリーを築く。表向きはオリーブ・オイルの輸入で富を築いていたが、酒の密造や賭博、殺人などの違法行為で財を成し、不況を乗り越える。仲間やファミリーからの忠誠と引き換えに様々な仕事やアドバイスを与えることで尊敬を集めていくのがヴィトーのやり方だった (『PART Ⅱ』より) 1945年:敵対するタッタリアファミリーを後ろ盾にしていた麻薬密売人ヴァージル・ソロッツォが麻薬ビジネスへの協力を持ちかけるが、ヴィトーはこれを拒否。その見返りとしてソロッツォが雇った刺客に撃たれ、瀕死の重傷を負う 1948年:ヴィトーの代理はソニーが務めていたが、罠にはめられて殺されてしまう 1949年:回復したヴィトーは再びドンの座に戻り、ニューヨークの五大ファミリーを集めて会合を開催。一連の抗争を収め、報復はしない代わりにマイケルの身の安全を保障することを全ファミリーに求める。一方で、五大ファミリーの一つであるバルジーニが全ての黒幕であることを見抜く マイケルがシチリアから帰還すると、ヴィトーは組織を維持するための方法を伝授していき、半ば引退。やがてマイケルがドンになる 1955年:孫であるアンソニーと庭で遊んでいる時に心筋梗塞になり、死去。死の直前、ヴィトーはマイケルに、これからバルジーニが会合を持ちかけ、その場でマイケルを殺す可能性を示唆。そして、会合の仲介役になった者こそが裏切り者だ、と警告していた (以上、『ゴッドファーザー』より)
2代目のドン=マイケル・コルレオーネの生涯
1920年:ニューヨーク、マンハッタンでヴィトーとカルメラの三男として生まれる 1941年:大学を中退して、海兵隊に入隊。真珠湾攻撃があった12月7日、父ヴィトーの誕生日パーティーの場でこれを発表し、家族の猛反対に遭う (以上『PART Ⅱ』より) 1945年:大戦が終結し、海兵隊を除隊。最終階級は大尉だった。これを機にダートマス大学に復学し、そこで出会ったケイ・アダムスと婚約 同年末、父ヴィトーの暗殺未遂事件が発生。マイケルはファミリーとは無関係な堅気であったが、入院中の父を警護し、暗殺を阻止する 1946年:ヴィトー暗殺の報復としてソロッツォとマクラスキーをレストランで射殺。これが初めての殺人である。 その後、シチリアに逃亡し、父の旧友であったドン・トマシーノにかくまわれる。現地で出会った女性アポロニアと結婚 1947年:ニューヨークにおけるコルレオーネとタッタリアの抗争が激化。その関係でシチリアにいたマイケルも狙われ、アポロニアが爆殺される 1949年:アメリカに帰国。ヴィトーは相談役に退き、マイケルがドンに。再会したケイと再婚。2年後に長男アンソニーが、その2年後には長女メアリーが生まれる 1955年:ヴィトー死去。同時に、古参幹部のサル・テッシオがバルジーニとの会合を持ち掛けてくる 妹のコニーの長男の名付け親になったマイケルは洗礼式に出席。同じ時、マイケルの命によって五大ファミリーそれぞれのドンやマイケルの怒りを買っていたラスベガスのモー・グリーン、裏切者であるテッシオとコニーの夫カルロ・リッツィらが一掃される (以上『ゴッドファーザー』より)
1957年:ファミリーの古参幹部だったクレメンザが死去。同じく幹部であったフランク・ペンタンジェリとロサト兄弟が抗争を始める。フロリダのマフィアであり、モー・グリーンを目にかけていたハイマン・ロスが動き始めたことからフランクがマイケルから離れていき、FBIに組織の悪事について供述し始める 1958年:ネバダ州のタホ湖畔に組織の拠点を移す。長男アンソニーの聖体拝領を盛大に祝うが、その晩、マイケルとケイは何者かの銃撃に遭う マイケルはキューバのハバナに向かい、そこでロスと会見。キューバのバティスタ大統領に支払うための賄賂を持って兄フレドが到着するが、マイケルは彼こそが裏切者であったことを知る 1959年:キューバ革命が成功。アメリカに逃げるマイケルは、裏切者のフレドを見捨てる。帰国後、トム・ヘイゲンからケイの流産を知らされる その後、マイケルは上院委員会に召喚。しかし圧力をかけられたフランクは偽の証言をし、マイケルは追及を受けずに終わる。ケイが実は堕胎していたことがわかり、激怒したマイケルは彼女を追放。 冬、母カルメラが死去。トム・ヘイゲンに助言されたフランクが自殺する一方、マイケルの命を受けてハイマン・ロスが空港で射殺。一度は和解したかに見えたフレドも、タホ湖で粛清される (以上『PART Ⅱ』より)
1960年:マイケルとケイが離婚。のちにファミリーの拠点を再びニューヨークに戻し、「ヴィトー・コルレオーネ財団」を設立する 1975年:バチカンからの加護を受けたことをきっかけに合法ビジネスへの完全転換を考え、財団の表向きの顔として長女メアリーを立てる 1979年:バチカンから叙勲される。バチカン銀行総裁でもあるギルディ大司教のために損失を穴埋めする代わりに、バチカンが支配的な投資会社「インモビリアーレ」の株を買収。一方、インモビリアーレの会長ドン・ルケージやかつて父と交流のあったドン・アルトベッロが暗躍し始める ファミリーの一員ジョーイ・ザザと甥のヴィンセントが対立。幹部理事会でザザの部下によるヘリコプターでの襲撃を受け、多くの幹部が皆殺しに。難を逃れたマイケルも糖尿病に倒れ、入院。マイケルがいない間にヴィンセントがジョーイ・ザザらを暗殺してしまう 1980年:長男アンソニーのオペラデビューのため、一家はシチリアのドン・トマシーノのもとへ 同じ頃、バチカンの資金を運用する銀行頭取カインジックが、マイケルがギルディ大司教に投資した資金を横領。アルトベッロとルケージが結託していることがわかり、アルトベッロの命でトマシーノが殺される マイケルはヴィンセントを後継者に指名。すると、マイケルの協力者だった新法皇ランベルトがギルディ大司教によって毒殺される アンソニーのオペラデビュー当日、ドンとなったヴィンセントの命によりルケージとギルディ大司教、カインジック、アルトベッロが次々に殺される しかしオペラの終幕後、劇場の外で襲撃。マイケルではなくメアリーが撃たれ、死んでしまう 1997年:シチリアでマイケル死去 (以上『PART Ⅲ』より)
作品全体で描かれたテーマ、それは「家族愛」
さて、「ゴッドファーザー」三部作の流れを説明してきましたが、では、このサーガが一貫して持ち続けていたテーマとは何なのでしょうか。 それはズバリ、「家族愛」。イタリアにおける年間の有給休暇日数が4週間もあることからも伺える通り、イタリア人は古くから家族を大切にする民族だといわれています。 そのことは、やはりイタリア系であるコッポラ監督も同様。コニー役のタリア・シャイアはコッポラの妹ですし、父カーマインは本シリーズの音楽を手がけた作曲家、娘のソフィアは「PART Ⅲ」のヒロインを熱演しました。他にもコッポラの孫や母が出ているシーンもあります。このことからも、イタリア人の家族愛は並々ならぬものであることが伺えます。 では、この映画では「家族愛」というテーマがどのように描かれてきたのでしょうか?ヴィトーとマイケルを比較してみましょう。
とにかく「ファミリー」を大切にしたヴィトー
少年期にたった一人でシチリアからやってきたヴィトーは、最初はしがないコソ泥でした。しかし、周囲の友人たちや家族を大切にし、忠誠と引き換えに相応の仕事や助言を与えることで、どんどんファミリーを成長させました。 ここで注意すべきは、彼が必ずしも血縁関係にある者だけを大切にしていたわけではないこと。仕事上の部下である幹部なども「ファミリー」として家族同様に扱い、イタリア系ですらない孤児であったトム・ヘイゲンの面倒も見るなどして、厚い信頼を得ていたのです。 その一方で、同じ血縁関係にある者であっても女性と子供はあくまで家庭だけのことに集中させてビジネスには一切参加させず、インテリ気質のマイケルが跡を継ぐことに難色を示すなど、それぞれの役割分担をハッキリさせているのも特徴です。 彼が家族を大切にしていたことは、ヴィトーが孫のアンソニーと遊ぶ中で安らかに亡くなっていることからも明白でしょう。
「ファミリー」に対してどこか懐疑的だったマイケル
一方、マイケルはどうでしょう。彼の生き方と性格は「PART Ⅱ」のラストでわかりやすく描かれています。 ファミリーの一同が父ヴィトーの誕生日の準備をしている場面。皆が楽しそうにする中、マイケルは一人無口を貫きます。そして突然、自分が大学を辞めて海兵隊に入ったことを宣言。なぜ父に相談しなかったのかと問われても「自分の人生だ」と意に介しません。他のみんなが玄関に向かってヴィトーを迎え入れても、マイケルはただ一人タバコを吸い続けるのです。 この場面からも伺えるように、マイケルの人生はヴィトーに比べて「ファミリー」を大切にしてきたとはいえないものでした。彼が相応の役割や見返りを与えることを怠り、また必要以上に周囲を疑ったため、「PART Ⅱ」以降は多くのファミリーから裏切られるのです。 決定的なのが、フレドの裏切り。お人好しだがもともと不器用で情けないところのあるフレドが一時的に裏切ったことを、マイケルはついに許すことができませんでした。実の兄であるにも関わらず、最後は粛清してしまうのです。 「PART Ⅲ」では一転してファミリーを合法化させるため、暴力から手を引こうとするマイケルの苦悩が描かれています。しかし今までの振る舞いを鑑みると、少し虫が良すぎたのかもしれません。マイケルに対するファミリーや敵対組織の不満は根強く続いており、そこから逃れることはできなかったのです。 最愛の娘であったメアリーを失ったマイケルは、ただ一人、失意のうちにこの世を去るのでした。
「ゴッドファーザー」から学ぶ人生の美学
仲間や家族を大切にし、厚い信頼を得続けたヴィトーと、家族や仲間を信頼しきることができず、苦悩の果てに孤立していくマイケル。二人の人生は見事なまでに対照的です。 仕事を取るか、家族を取るか、という話は古くからつきものですが、この映画ではそれらに区別はありません。いずれも厚い信頼関係があってこそ、成功できるものなのです。 しかし、信頼関係が揺らいだりお互いが疑心暗鬼になれば、それは裏切りを呼ぶことに繋がります。ビジネスも家庭生活も途端に崩壊を始め、取り返しのつかない事態に陥ることでしょう。 「ゴッドファーザー」は家族の物語です。しかしそこで描かれているのは、家族を大切にした男と大切にしなかったが故に悲劇的な結末を迎えた男の、それぞれの「人生」に他なりません。