『るろうに剣心』(るろ剣)の名言を厳選して紹介!【研ぎ澄まされた鋭さ】
「るろ剣」キャラの名言集!
緋村剣心(ひむらけんしん)の名言
幕末に名を馳せたかつての「人斬り抜刀斎」こと主人公・緋村剣心。維新後は逆刃刀を携え不殺(ころさず)を誓い、流浪人として全国を旅し贖罪に命を賭する悲しき罪を背負った男なのです。
剣は凶器 剣術は殺人術 どんな綺麗事やお題目を口にしてもそれが真実
平和な世界を作るという理想のためとはいえ、幾たびも剣を振るい、人の命を奪ってきた剣心。殺人術としての剣術の「現実」を肌身に感じて理解している剣心だからこそ、重みのあるこの言葉です。 そしてこの言葉は、「けれども拙者は、そんな真実よりも、薫殿の言う甘っちょろい戯れ言の方が好きでござるよ」と続きます。だからこそ、薫の信じる理想を信じたかったのかもしれません。剣心の心と過去を垣間見ることのできる第1話の名台詞でした。
時代を創るのは「刀」ではなく それを扱う「人」でござる
激しい戦いの末折れてしまった、剣心の持つ逆刃刀。それを打った新井赤空の息子であり唯一の後継者である青空に対して、剣心が放った印象的な名言です。この言葉が青空の心を動かし、逆刃刀・真打と共に新たな戦いの場へ向かう事になるのです。
剣一本でも この瞳に止まる人々くらいなら なんとか守れるでござるよ
第2幕「流浪人・街へ行く」にて登場。かつて一緒に剣を振るっていた長州派維新志士・山県有朋へ向けて放った言葉です。時代が代わり、剣だけでは何もできないと有朋に言われた剣心。続けて剣心は彼に、もう1度力を貸してほしいと頼まれます。 これまでは誰かのために剣を抜いていた剣心ですが、今は自分にとって大切な人のために力を使いたいと思ったのでしょう。そんな剣心の気持ちや心境の変化が見られるような名言です。 また、かつて幕末最強の緋村抜刀斎と言われていた剣心だからこそ、説得力のある言葉ですよね。
拙者は流浪人(るろうに)、また……、流れるでござる
志々雄真実を倒すため、神谷道場門前で神谷薫と別れる際に言ったこの言葉。第57幕「明治十一年五月十四日―午後―」にて登場した名言です。 斎藤一との戦いを終え、『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』の第2部である「京都編」へと繋がる、印象深いシーンでもあります。 「今までありがとう、そして、さよなら。」に続く言葉で、感謝と別れを述べている剣心ですが、その表情はどこか寂しげ。剣心はこれまでも流浪人としてひとつの場所に留まることなく、流れるようにさまざまな土地を転々としてきました。 そのため別れにはどこか慣れているのではないかと思われがちですが、そんな剣心の人間らしい一面が見られるようであり、薫は特別であることがにじみ出ているような名言・名場面です。
斎藤一(さいとうはじめ)の名言
警官・藤田五郎の正体が幕末の京都でその名を轟かせた新撰組の三番隊隊長、斎藤一であることは「るろうに剣心」ファンには説明不要でしょう。史実でも斎藤は幕末の動乱を生き残り、警視庁に活躍の場を移したことで知られています。
犬はエサで飼える。人は金で飼える。だが壬生の狼を飼うことは何人にも出来ん
京の都で「壬生の狼」と怖れられた新撰組ですが、近藤、土方らトップや主要メンバーを失ってもなお、生き残った隊士たちに新撰組の目指した理想と志は生き続けています。それが生き続ける限り、斎藤一はどんな敵にも屈することなく、堂々と戦いを挑んでいくのです。
己の信念を貫けなかった男など、死んでも生きてても惨めなものだ
これは、十本刀の一人「盲剣の宇水」を倒した時の名言ですが、同時に彼自身の生きざまを表す言葉でもあります。かつての「志々雄を倒す!」という信念を忘れ、地位と名誉に溺れていた宇水に対して男の生きざまを説いたこの言葉は、斎藤自身がそうなってしまわないための戒めでもあるのかもしれません。
お前の全てを否定してやる
斎藤といえば、第52幕「牙を剥く狼」にて登場するこの言葉。不殺の誓いを守りながら流浪人として過ごしてきた剣心に対して放った言葉です。 かつては同じように多くの人々を殺めてきた剣心と斎藤。敵同士ではありましたが、お互いの強さは認め合っているような関係でした。 しかし剣心は、今では正反対ともとれる不殺を守った生き方に。それを知った斎藤は裏切られたような気持ちになったのでしょう。かつてのライバルである彼と再び戦うため、今の強さを確かめるためにふっかけた言葉ともいえます。 不殺の誓いを守る剣心と、「悪・即・斬」という信念に基づいて容赦なく刀を抜く斎藤。そんな相反する思いを持つ2人が激突した場面での名言です。
志々雄真実(ししおまこと)の名言
るろうに剣心、最凶の悪役。漫画、アニメ、映画で「るろうに剣心」に触れた人で、志々推真実という男が印象に残らなかった人は、殆どいないはずです。剣心の後継として「人斬り」として暗殺に手を染めた志々雄は、維新後、明治政府により闇討ちにあい、その功績ともども闇に葬られます。
所詮、この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ
明治の世に甦った志々雄は、かねてより抱いていた「国盗り」の計画を実行に移すべく決起。新政府に戦争を仕掛けるのでした。そのやり方は決して称えられたものではありませんが、この名言は、人間社会の不変の真理を表現したシンプルな名言といえるでしょう。
決まってんだろ。閻魔相手に地獄の国盗りだ。
十本刀の一人、佐渡島方治が死に際に見た地獄で志々雄が放った名言。「行く?何処へです?」と尋ねる方治に対して彼はこう言ってのけるのです。 天国だろうが地獄だろうが、どこにいても戦える相手と戦って頂点を目指す。弱肉強食の世界で常に上を目指し生き続けてきた志々雄真実という人間のぶれない信念が一言で表されています。
緋村が折っちまったもんは逆刃刀じゃねぇ……信念だ!
瀬田宗次郎らとの戦いの中で折れてしまった、剣心の愛刀・逆刃刀。そんな中、志々雄が放った言葉が「緋村が折っちまったもんは逆刃刀じゃねぇ……信念だ!」でした。 不殺の誓いを基に生きていた剣心にとって殺傷力のないこの刀は、自らの生き方を象徴しているものともいえる大切な刀。そんな剣心の愛刀が折れたということは、彼の信念が折れてしまったというのと同等ともいえるでしょう。 志々雄との戦いが残る中、逆刃刀が折れてしまった剣心。しかしここで逆刃刀以外の刀を持つと、不殺の誓いに反することになってしまいます。そのため、折れた逆刃刀を鞘におさめて志々雄のいる京都へ向かった剣心ですが、心中は穏やかならぬ状況であったことでしょう。 そんな剣心の状況を的確に表したような志々雄の名言です。
四乃森蒼紫(しのもりあおし)の名言
時代劇「暴れん坊将軍」でも知られる御庭番は、八代将軍・吉宗の時代から導入された役職の一つで、情報収集を行う幕府の隠密でした。四乃森蒼紫は、そんな御庭番の最後の頭領です。15歳でこの地位を継いだ優秀な男であり、剣心の最大のライバルとなる存在です。
抜刀斎。俺がお前を殺すまで、誰にも殺されるなよ。
剣心をライバル視する蒼紫ですが、それは幕末最強の「人斬り抜刀斎」である剣心を倒すことで、御庭番の威信を示すためでした。敵対心だったものが次第に変わって行ったとしても...。そんな蒼紫の、一途な思いが生んだ剣心への名言でした。
随分とぶ厚い紙一重だ...。
緋村剣心との接戦の末、紙一重で負けてしまった四乃森蒼紫がつぶやいた言葉です。「紙」一重なのにも関わらず、そのわずかな差が勝負を決める。長きにわたって倒すことを目標にしてきた剣心に負けてしまった悔しさと、ライバルの本当の強さを認めているような印象的な一言です。
「最強」という名の華をこの手にするまで オレの闘いは終わらない
第86幕「蒼紫と翁」に登場するこの言葉。幕末最強といわれていた人斬り抜刀斎を倒し、隠密御庭番衆が最強であることを証明しようとこだわる蒼紫らしい名言です。 幼い頃から厳しい鍛錬を積み重ねてきた蒼紫。現実主義者でありながらも人間味に溢れ、カリスマ性も高く、人望の厚い人物です。 読者としては厳しい現実を生きてきた剣心を応援したいと思いつつも、彼に勝ちたい蒼紫も応援したくなるのは、そのキャラクター性にあるでしょう。ひたむきであたたかい彼の人柄を知ってしまうと、思わず背中を押したくなってしまいます。 この言葉と共に描かれる彼の後ろ姿からは、最強になるまで諦めないという覚悟すら見て取れます。そんな蒼紫を象徴したような名言です。
比古清十郎(ひこせいじゅうろう)の名言
剣心の師匠にあたる凄腕の剣士、比古清十郎。43歳には見えない若々しい見た目と肉体で、未だ衰えない恐ろしい剣の腕を誇っています。その強さは本作でも屈指のレベルで、一部では「作中最強キャラではないか?」と囁かれているようです。 また「比古清十郎」は飛天御剣流継承者が受け継ぐ名前であり、本名は不明となっています。
剣は凶器 剣術は殺人術 どんな綺麗事やお題目を口にしてもそれが真実
こちらは飛天御剣流の奥義を伝授してもらおうと訪れた、剣心に対して放った言葉です。そしてそれと同時に、剣心自身が作中で放った言葉でもあります。 清十郎がこの言葉を伝えたとき、剣心は人斬りに戻らないまま強さを得て、何とか志々雄を倒そうと考えていました。しかし清十郎は剣術はあくまで殺人術であり、剣心の誰も殺さないという理想との両立は難しいと断言。 厳しい言葉に見えますが、剣心に現実を思い出させるために必要だった「師匠らしい発言」と言えるでしょう。
自由の剣でなくばその強さ故 必ずどこかに歪みを生みだす
こちらはかつて「人斬り」として、長州藩にその剣術を利用された剣心に対し放った一言。剣心は己の正義を信じ様々な敵を葬ってきましたが、それゆえに生まれたのが志々雄という幕末の亡霊でした。飛天御剣流はその強さ故、権力に与すれば必ずそちらを勝たせ、敗者を生み出してしまいます。 強力な力を正しく振るうためには真に自由でなければいけないという、清十郎の信念が垣間見える発言でした。
この勝負最後まで俺のバカ弟子を信じ抜いたお前の勝ちだ
こちらは十本刀の襲撃により満身創痍となった弥彦にかけられた言葉。強大な敵を打ち倒し窮地を脱したと思われた弥彦たちの前に現れたのは、常人の何倍も大きな身体を持つ巨人の「不二」。とんでもない戦力を前に誰もが戦意を失うなか、弥彦だけが剣心を信じ立ち上がりました。 そんななか、彼を救うために現れたのが清十郎だったのです。この言葉は最後まであきらめなかった弥彦への敬意と同時に、自分の弟子が誰かに信頼されているという喜びも込められているように思えます。
瀬田宗次郎(せたそうじろう)の名言
十本刀の1人として剣心たちを苦しめた瀬田宗次郎。常に笑みを浮かべた可愛らしいルックスで、女性人気も特に高かったキャラです。 しかしその柔らかな雰囲気に反し、志々雄のためであればあっさりと人を殺してしまう残忍さも持ち合わせていました。また「天剣」と称されるほどの剣術の才能と、「縮地」と呼ばれる超高速移動術を使いこなしており、その戦闘力は作中でもトップクラスを誇っています。
アノ雨ノ中デ笑ッテイタケド ホントハ泣イテイタンダ
幼少期は妾の子として家族から虐待を受け、自己防衛のために常に笑顔で過ごすようになった宗次郎。なんと彼は志々雄を匿ったことをきっかけに家族を殺してしまうのですが、そのときですら笑顔を絶やすことはありませんでした。 しかし剣心との戦いの中で過去を思い出し、自分の心は泣いていたと悟るのです。宗次郎の辛い過去、そしてそれ故に歪んでしまった心を感じさせる切ない名言でした。
一瞬で死ねますから痛みは感じません
こちらは剣心との戦いのなかで、自身が唯一名前をつけた奥義「瞬天殺」を繰り出す前に放った言葉です。 宗次郎の最大スピードから放つこの技はその名の通り一瞬で決着が着くため、痛みを感じる間もなく絶命してしまうのだとか。普段は温和な宗次郎が冷たい口調で言い放った言葉であり、彼のなかに潜む冷徹さを感じさせる一言でした。
簡単に答えを出させてくれないなんて志々雄さんよりずっと厳しいや
こちらは剣心に敗北したときにこぼした言葉です。宗次郎は剣心に負けたことをきっかけに、自分の考えではなく剣心の考えが正しいのだと思い込もうとします。しかし剣心は勝者こそ正しいという考え方は志々雄の考え方であり、本当の答えは自らと向き合い見つけねばならないと諭すのです。 それを聞き涙を一筋こぼしながら納得する宗次郎。この言葉には剣心の言う通り、これから自分で答えを見つけていこうという宗次郎のほのかな決意が込められているように思えます。
雪代縁(ゆきしろえにし)の名言
剣心の妻だった巴の弟、つまり剣心の義弟にあたる雪代縁。姉の死に深く関わる剣心を心底憎んでおり、彼に対する復讐のため様々な方法で剣心に襲い掛かります。 性格は残虐かつ陰湿で、趣味は「死んだ姉との会話」というかなりの危険人物。そのうえ驚異的な身体能力や優れた剣の技術までもっており、剣心を心身ともにボロボロにした作中屈指の強敵でした。
貴様に姉さんの何がわかる!!
縁と再会を果たした剣心は彼に対し「巴は復讐は望んでも殺戮は決して望まないはず」と言葉をかけますが、縁はこれに激怒し「貴様が姉さんを語るな!」と叫んだうえでこのセリフを吐き捨てます。 縁が持つ「姉への強い執着」と「剣心への深い憎悪」を感じさせる、異様な迫力に満ちる一言となりました。
さあ、人誅の時間だ
縁が自身の集めた「六人の同志」とともに神谷道場を襲撃する際に放った一言。このセリフと共に恐ろしい六人の姿が登場し、これからの激闘を思わせる場面に仕上がっていました。 ちなみに「人誅」とは本作で作られた造語であり、天が裁かないなら人の手で罪を裁くという意味が込められているようです。縁はこの言葉を掲げ、剣心への復讐を断行しました。
殺してやる 夢でも!現でも!幻でも!
剣心との繰り広げた激闘のなかで縁が叫んだ言葉。剣心への怒りが収まらない縁は自らの感情を爆発させるように、彼に対する剝き出しの憎悪をあふれさせます。狂気に満ちた縁の姿はまさにラスボスそのもの。 徹底的に剣心を叩き潰そうとする縁の深すぎる憎しみが、痛いほど伝わってくるセリフとなっていました。
『るろうに剣心』のなかには名言が盛り沢山!
大人気漫画『るろうに剣心』にはかっこいい戦闘だけでなく、心に響く名言も盛り沢山。 そのなかにはあなたの人生に影響するような、素敵な言葉が隠れているかもしれません。これを機に本作を改めてチェックし、その名言や熱いストーリーに心震わせてみてはいかがでしょうか!