2019年11月28日更新

『キングダム』合従軍編に登場する各国武将を一挙紹介!戦国七雄それぞれの動きは?

キングダム

『キングダム』の「合従軍編」は戦国七雄全てが関わった最大規模の戦いを描くストーリー。今回は、合従軍編で登場した各国武将の来歴と活躍を、史実を交えながら紹介していきます。作中でも屈指のアツいエピソードに注目です!

目次

『キングダム』の合従軍(がっしょうぐん)編とは?

函谷関(かんこくかん)の戦い

『キングダム』の第25巻から第33巻に収録されている「合従軍編」は、趙・魏・楚・燕・韓・斉の6ヶ国が秦を滅ぼすために同時侵攻を仕掛けてくるというストーリーです。 秦趙同盟を結んだ秦は魏を侵攻するために、魏の要所・山陽(さんよう)を攻略します。山陽攻略は秦による中華統一を実現させる第一歩であり、その真意を読み取ったのは趙の「三大天」の一角・李牧(りぼく)だけでした。中華を詰ませる一手を打ってきた秦をいち早く滅亡させるため、彼は秦以外の6ヶ国による合従軍という一計を企てます。 合従軍を一国で相手取ることになった秦は、これまで一度たりとも抜かれたことのない「国門」函谷関に全軍を投入することを決意。戦国七雄それぞれの思惑が入り乱れる、中国戦国時代史上最大規模の戦いが繰り広げられます。

蕞(さい)の戦い

合従軍を相手に函谷関の防衛を見事に成功させた秦ですが、南部側から国都・咸陽(かんよう)に向かい侵攻してくる軍の報告を受けます。李牧は合従軍すらも囮に使って、自ら率いる別動隊によって咸陽を攻略しようとしていたのです。 李牧の動きを察知した秦の大将軍・麃公(ひょうこう)が猛追するも、李牧と同じ「三大天」の一角・龐煖(ほうけん)が彼の前に立ちはだかります。 更に国内では丞相・呂不韋(りょふい)が暗躍を始め、秦は国内外から危機が迫る状況に陥ります。 秦王・政(せい)はこの最大の危機に立ち向かうべく、秦国最後の拠点である蕞(さい)を防衛するため自ら出陣。秦の滅亡をかけた極限の戦いが繰り広げられます。

史実における函谷関(かんこくかん)の戦いを解説

李牧(りぼく)は居なかった?春申君(しゅんしんくん)が率いた合従軍

『キングダム』では李牧が発案した合従軍ですが、史実では李牧は関わっておらず、楚の宰相・春申君(しゅんしんくん)が率いた軍でした。『キングダム』でも彼が合従軍の総大将に推挙されていましたが、史実では最初から春申君の発案だったようです。 春申君率いる合従軍を相手にした函谷関(かんこくかん)の戦いですが、歴史書にはその結果のみが簡単に記されているだけあり、秦の勝利に終わったことだけが分かっています。そして春申君はこの敗戦をキッカケに楚国内での地位を落としていき、最終的に同じ楚の宰相・李園(りえん)によって暗殺されてしまいます。 基本的に史実の函谷関の戦いの結末をそのままに、史実では関わっていない人物やオリジナルキャラクターの活躍を描いたのが『キングダム』の「合従軍編」となります。

龐煖(ほうけん)自ら軍を率いた蕞(さい)の戦い

『キングダム』では個の武力を信奉する武将としての側面が強い龐煖(ほうけん)ですが、史実の彼は文武両道の才人であり、秦の将軍・王翦(おうせん)すら直接の戦いを避けたとされる程の名将です。 そんな龐煖ですが、春申君率いる合従軍が函谷関に攻め入ったのと同年に、彼もまた趙・楚・魏・燕の4ヶ国による合従軍を率いて蕞に侵攻したという記録が残されています。春申君と龐煖のつながりは分かりませんが、タイミングの良さから考えるに連携していたとしてもおかしくはありません。 しかし、龐煖率いる合従軍もまた秦に敗北してしまい、秦は国力をさらに増すことになります。史実における「合従軍編」は秦がその国力を示す結末になり、中華統一へと大きな一歩を進めた戦いとなりました。

李牧(りぼく)

「合従軍編」最大のキーマン

李牧は趙国の軍師であり、趙国最強の武将「三大天」の一角です。 初登場の「馬陽攻略編」からその知略は発揮され、秦の大将軍・王騎(おうき)は彼の戦略によって討ち取られたと言っても過言ではない程の働きを見せました。 合従軍編では秦の中華統一という詰みへの一手をただひとり見抜き、6ヶ国による合従軍で秦への侵攻を決行します。更には自ら別働隊を率いて敵の裏をかくことで咸陽に進軍、秦の滅亡を図りました。 秦をあと一歩のところまで追い詰めましたが、結果的に敗戦した李牧はその後左遷させられます。しかし2019年11月現在連載されている「鄴(ぎょう)攻略編」では再び「三大天」として秦の前に立ちはだかり、秦の将軍・王翦(おうせん)との知略戦を繰り広げます。

史実での登場はまだ先の話

『キングダム』内でもその知略は随一であり、秦にとって最大の敵のひとりとして立ちはだかり続ける李牧ですが、史実での活躍は「鄴攻略編」より後の時代になります。 史実の彼は元々北方の国境軍の長官として活躍していた人物です。漫画でもかつての彼が北方の騎馬民族・匈奴(きょうど)と長年戦い続けていたことが語られています。彼が表舞台に立つのは悼襄王(とうじょうおう)の次代、幽繆王(ゆうぼくおう)の代に変わってからになります。

幽繆王の代になると、李牧は北方での功績を認められて大将軍に抜擢されます。大将軍に任命された後は秦の将軍・桓騎(かんき)を撃退し、王翦、楊端和(ようたんわ)、羌瘣(きょうかい)らが率いる秦の大軍との戦いでも相手を苦戦させるほどの活躍を見せました。 しかし王翦は厄介な李牧を排除するために離間作戦(敵国内の不和を誘う作戦)を行います。その結果、幽繆王は李牧への疑心に駆られ彼を誅殺してしまいます。趙最後の大将軍の最期はあまりにも報われないものでした。

春申君(しゅんしんくん)

「三大天」李牧(りぼく)に並ぶ知略を持つ合従軍総大将

春申君は楚国の宰相であり、その活躍から「戦国四君」の1人として中華全土に名が知れ渡るほどの人物です。「合従軍編」では李牧によって合従軍総大将へと推挙され、合従軍を率いて秦へと攻め入りました。 春申君は秦が中華統一への詰めの一手を打ってきたことを李牧以外で唯一見抜いた人物であり、李牧の誘いに乗る形で合従軍を率いました。しかし合従軍は秦に敗北、せめてもの戦果として斉国の饒安(じょうあん)を落としますが彼も李牧同様敗戦の責任を取る形で左遷されてしまいます。 その後宰相として再び中央に戻った春申君ですが、考烈王(こうれつおう)の崩御直後に起きた王位継承問題を理由に、食客であった李園(りえん)によって暗殺されるという最期を遂げました。

「戦国四君」に訪れた、あっけない最期

『キングダム』では李牧に並ぶ頭脳の持ち主であり、考烈王と共に楚を支える二大巨頭として君臨していた春申君ですが、史実でも漫画と同様に傾いていた楚を立て直した名宰相として名を残しています。 しかし、史実の彼も合従軍での敗北から考烈王の信頼を失い、考烈王の崩御後に李園によって暗殺されるという最期を迎えます。暗殺の切欠である王位継承問題については『史記』に顛末が記されています。 史実の暗殺事件も大筋は漫画と同様ですが、史実の彼は李園を軽んじたため自身の暗殺計画への対処を怠ります。そして考烈王の葬儀に向かう途中で彼は暗殺されてしまうのです。史実の春申君は「戦国四君」の一角としてはあまりにもあっけない最期を遂げてしまいました。

呉鳳明(ごほうめい)

「函谷関の戦い」の主攻を担った魏国軍総大将

呉鳳明(ごほうめい)は魏国の大将軍であり、「合従軍編」で魏国軍総大将として登場しました。父・呉慶(ごけい)譲りの知略と独自に開発した戦略兵器を用いて戦う彼は魏国最強の智将として名を馳せています。 「合従軍編」は6ヶ国による同時侵攻が秦の国都・咸陽へと告げられる場面から始まりますが、呉鳳明率いる魏国軍は合流前に秦の大将軍・麃公(ひょうこう)及び信(しん)が率いる飛信隊と激突します。 呉鳳明は独自に開発した「巨大井闌車」などの戦略兵器を投入して函谷関を攻め続けましたが、秦の将軍・桓騎(かんき)に「巨大井闌車」を焼かれ、合従軍自体も敗北してしまいます。 そして秦が中華統一を果たすため魏の要所・著雍(ちょよう)への侵攻を行った「著雍攻略編」にて、再び彼は秦の前に立ちふさがります。

再起を誓う呉鳳明との決戦は?

「著雍攻略編」での呉鳳明は父に並ぶ実力者でありながら、同士討ちの罪で幽閉されていた「魏火龍七師」の凱孟(がいもう)、霊凰(れいおう)、紫伯(しはく)を解放。14年間秘匿されてきた圧倒的な戦力を以て秦軍に対抗しますが、三軍同刻突破という「若い策」を前に敗走することとなります。 しかし呉鳳明自身は霊凰を身代わりにして生き延び、佳境に入った戦国時代で勝つための力をつけることを誓います。したがって彼も今後の登場が期待される武将の1人です。 魏が秦に滅ぼされるのは景湣王(けいびんおう)の次代、王假(おうか)の代です。紀元前225年に秦の王賁(おうほん)によって国都・大梁が陥落させられ滅亡したという記録が残っているため、魏と秦の決戦を描くならばおそらくこの戦いとなるでしょう。

ほとんどがオリジナルの魏国軍

ちなみに、魏国の武将は呉鳳明や「魏火龍七師」といった多くの実力者が揃っていますが、そのほとんどが漫画オリジナルの人物です。 秦による魏への侵攻の始まりを描いた「山陽攻略編」で秦の前に立ちはだかった元・趙国「三大天」の一角・廉頗(れんぱ)も、史実では魏で大軍を率いた記録は残っていません。 史実では有名な武将がほとんどいない魏を描くため、多くのオリジナルキャラクターが産み出されたのでしょう。

汗明(かんめい)

「至強」たる楚国軍総大将

汗明は楚国の大将軍であり、天性の巨躯と圧倒的な武力から「楚の巨人」の異名で恐れられる人物です。 「合従軍編」で楚国軍総大将として登場した彼は、函谷関攻めの開戦の号令を任される程の地位と実力を兼ね備えた「至強」として15万の兵を率いて、秦の騰(とう)軍及び蒙武(もうぶ)軍を相手取ります。 初陣から無敗という驚異の経歴を誇り、「自分を強者だと勘違いしている敵」を戒めるために正面から叩き潰すことを「至強」の責務としている彼は、函谷関の戦いの最終局面にて蒙武との一騎打ちを行います。 「中華最強」を自負する2人の男が死力を尽くした真っ向勝負を繰り広げた結果は蒙武の勝利、函谷関の戦いも事実上の決着となり、合従軍は撤退を余儀なくされます。

史実では戦場と無縁の人物だった?

「合従軍編」の函谷関の戦いでは事実上のラスボスとして蒙武の前に立ちはだかった「至強」汗明ですが、史実の彼は戦場とは無縁の遊説家でした。 史実の汗明は楚の宰相・春申君(しゅんしんくん)に仕えた遊説家であり、「才ある人間が世に出ないこと」を意味する故事成語「塩車(えんしゃ)の憾み(うらみ)」の元となったとされる人物です。 本来は全く戦場に関する逸話がない遊説家でしたが、漫画では大胆な設定変更によって函谷関の戦いの結末を左右する程の大将軍となったのです。

成恢(せいかい)

猛毒を操る異形の韓国軍総大将

成恢(せいかい)は韓国の大将軍であり、独自の毒兵器部隊を率いて敵を毒殺するという極めて特異な戦術を用いる猛毒使いです。 成恢は中国国内だけでなく、大陸の遥か先からも多種多様な毒をかき集めて、独自の猛毒兵器を開発しています。ドス黒い血管が浮かぶ異様な姿は、毒の研究の代償で、元は絶世の美男子だったそうです。自らの肉体を代償にして得た猛毒兵器の効果は絶大であり、毒矢を用いた戦術で函谷関を攻め立てました。 函谷関の戦いでは主戦力を出さない凡戦が命じられている中、7日目に本隊を動かし秦の張唐(ちょうとう)軍の本陣に対して猛毒兵器「轟丹丸」を使用。合従軍の総攻撃が始まる15日目に合わせて発揮された効果によって張唐軍の指揮官達は次々と倒れていきます。 しかし毒により瀕死となった張唐は秦の将軍・桓騎(かんき)の援護を受けて韓軍本陣への奇襲を成功させ、成恢は逃げようとするも背中から両断されるという最期を遂げました。

オルド

「山読み」の王にして燕国軍総大将

オルドは燕国の大将軍であり、北方にいる50の山岳族を纏め上げた山岳族の王でもあります。 「合従軍編」で燕国軍総大将として登場した彼は、秦の王翦(おうせん)軍と戦うことになります。山岳地帯に陣取る王翦軍に対して、山岳族の混合軍という強みを活かして断崖絶壁の上に位置する中央砦を突破します。 平地の民の生まれでありながら、山岳で育ったオルドの「山読み」は山岳族の部隊長すらも凌駕するものであり、王翦軍の心臓部を一目で見抜いたのです。 函谷関の裏にある大断崖へと辿り着いたオルドですが、王翦は函谷関の戦いの当初から大断崖の向かいに本陣を構えており、背後を取られることになります。窮地に追い込まれた彼は何とか山間部からの脱出に成功しますが、王翦軍を見つけられない燕国軍は動けなくなります。 この時王翦は函谷関裏の救援に向かっており、オルドの判断は函谷関攻め失敗の決定打となってしまったのです。

慶舎(けいしゃ)

時に李牧(りぼく)すら凌駕する「沈黙の狩人」

慶舎は李牧傘下の趙国の将軍であり、「合従軍編」では李牧に代わって軍の総指揮を執った趙国軍副将です。 李牧すら模擬戦で何度か敗北しているという慶舎は、函谷関の戦い初日に「本能型の極致」とまで呼ばれる秦の大将軍・麃公(ひょうこう)を罠に嵌めます。信(しん)が率いる飛信隊が咄嗟に強行反転をしなければそのまま討ち取られかねないほどの危機へと麃公を追い詰めた彼もまた本能型の武将だったのです。 函谷関の戦い15日目には麃公を囮にした飛信隊による攻撃を完全に見抜いて早々に離脱、汗明の討ち死にによって合従軍は失敗に終わり慶舎は撤退しました。

「黒羊(こくよう)編」では趙国軍総大将に

「合従国編」で勝利を収めた秦は国内の動乱を治めた後、遂に天下統一のための戦いを始めます。そして桓騎(かんき)を総大将とした趙国軍が黒羊へ侵攻、秦と趙との間で黒羊攻防戦が行われます。 黒羊攻防戦を描いた「黒羊編」で慶舎は趙国軍総大将として桓騎軍と飛信隊を相手取ります。地の利を生かす趙国軍に対して桓騎は手段を選ばぬ戦いを行い、一進一退の戦いを繰り広げます。 そして黒羊攻防戦の趨勢を決める慶舎と信の一騎打ちが行われ、慶舎は討ち取られてしまいます。慶舎の死は士気を維持するために隠されましたが、桓騎は非道ともいえる手法で戦いを進め、黒羊の奪取に成功します。こうして「黒羊編」は秦の勝利に終わりました。

媧燐(かりん)

「本物」の戦いの天才

媧燐は楚国の将軍であり、「合従軍編」では楚国第二軍を率いた人物です。 汗明(かんめい)にも劣らない巨体の持ち主で、非常にサディスティックな性格から楚の宰相・春申君(しゅんしんくん)からは「性格に問題あり」と評されると同時に「戦いの天才」とも呼ばれる女傑です。 「合従軍編」では戦い初日に敗死した楚国第一軍担当の臨武君(りんぶくん)の兵士の半分を引き継ぎ、本陣の李牧(りぼく)と春申君に対して「全軍凡戦を続け、10日後に函谷関を落とすべし」という進言を送ります。 進言の真意を見抜いた李牧は、彼女を「本物」だと認めることになります。

楚国で大出世を続ける女傑

合従軍の総攻撃では秦の騰(とう)軍相手に「戦象」を用いた陽動作戦を仕掛け、騰軍の方陣を完全に包囲します。そして項翼に軍を預けて騰を誘い出した媧燐はその隙をついて方陣に突撃します。 方陣への突撃で自身に目を向けた彼女は汗明軍と戦う蒙武(もうぶ)軍に向かい、背後から蒙武を討ち取ろうとしますが、彼女の刺客は蒙恬(もうてん)によって防がれ汗明は蒙武に敗北してしまいました。 しかしそれすらも彼女の本命ではなく、秘密裏に精鋭隊を函谷関裏に送り込むことに成功しますが、すんでのところで王翦(おうせん)軍の救援が間に合い、函谷関攻めは失敗に終わります。 帰国後の彼女は春申君を暗殺した李園(りえん)に請われて楚国の大将軍兼宰相という地位に立つことになります。「本物」の戦上手であり手段を選ばない狡猾さも併せ持つ彼女は、楚における最大の敵として立ちはだかることになりそうです。

媧燐は漫画オリジナルキャラクターであり、史実による彼女自身の未来予測はできません。しかし楚が秦に滅ぼされる流れは、紀元前223年に楚国公子でもあった秦の昌平君(しょうへいくん)が反旗を翻し楚王の座に就いたのを王翦と蒙武が討ち取ったというものです。 昌平君、王翦、蒙武といった秦の重要人物が深く関わる戦いであり、間違いなく作中でも最大規模のスケールで描かれるであろう楚最後の戦いに媧燐も関わってくる可能性は大いにあります。

項翼(こうよく)

宝刀・莫耶刀を振るう「楚の雷轟」

項翼は楚国の千人将であり、「合従軍編」では臨武君(りんぶくん)率いる楚国第一軍に所属していました。 函谷関の戦い初日では楚国第一軍として白麗(はくれい)と共に秦の騰(とう)軍に配属された蒙恬(もうてん)・王賁(おうほん)を相手に戦います。中国五大宝剣の一振り「莫耶刀(ばくやとう)」を所有しており、その剣技は王賁の槍とやり合うほどです。 臨武君が討ち取られた翌日からは媧燐率いる第二軍へと合流しますが、2日目は指揮官も無しで元第一軍だけで騰軍と戦わせられることになります。何とか生き延びた項翼は15日目に媧燐によって五千人将に任命され、臨武君の仇を討つため騰軍に攻め込みます。 媧燐による騰軍の方陣への突撃に対して項翼は騰を抑え込む役割を担い、戦いの最後まで騰を相手に斬り負けることのなかった彼は合従軍撤退後も媧燐の部下として動くことになります。

楚との大戦で主力となる可能性も?

「合従軍編」では楚の千人将として参加していた項翼ですが、戦いの中で五千人将へと昇格、さらに秦の大将軍・騰を相手に長きにわたり斬り合いを続けるなど、彼の成長力は目を見張るものがあります。 媧燐も彼に対して最も見どころがあると評しており、宝剣「莫耶刀」の持ち主であることや主人公である信(しん)達と同年代の武将であることを強調されている彼が重要な立ち位置に上り詰めることは明白です。 元・趙の「大三天」の一角・廉頗(れんぱ)が執り行わせた媧燐と李園(りえん)の面会においても白麗と共に同席しており、楚の重要局面のほとんどに居合わせる彼は間違いなく楚における信のライバルになるでしょう。 「合従軍編」から多くの伏線が張られてきた項翼が、来たる大国・楚との決戦において重要な人物として登場することも期待できます。

白麗(はくれい)

正確無比な射を放つ弓の名手

白麗は楚国の千人将であり、「合従軍編」では臨武君(りんぶくん)率いる楚国第一軍に所属していました。 函谷関の戦い初日では楚国第一軍として項翼(こうよく)と共に秦の騰(とう)軍を相手に戦います。長距離から正確無比な一射を放てるほどの弓の腕前を持ち、義兄でもある臨武君を襲う秦の鱗坊(りんぼう)を射殺しました。その後も弓隊を率いて項翼軍らを援護する射撃を続け、その危険性に気付いた蒙恬(もうてん)と戦うこととなります。 臨武君が討ち取られた翌日からは項翼と同じく媧燐率いる第二軍へと合流しますが、怪我を癒す間もなく2日目以降の戦いに身を投じることとなります。 15日目の総力戦では媧燐軍の進撃を後方から弓隊で支援し、騰軍の方陣を追い詰めました。戦いを生き延びた彼は合従軍撤退後に項翼と共に媧燐の部下となります。

未来に立ちふさがるだろう「中華十弓」

「合従軍編」では楚の千人将として参加していた白麗の弓の実力は極めて高く、「中華十弓」の1人にも数えられるほどです。 「合従軍編」の後に起こった「嬴政加冠編」の嫪毐の乱では媧燐の命で項翼と共に楚国軍として秦へ侵攻、蒙武(もうぶ)軍を相手に戦います。しかし一連の黒幕だった呂不韋(りょふい)が政との権力争いに敗北したことによって撤退を余儀なくされました。 現時点で超一流の弓の腕前を持ち項翼と共に事実上の媧燐の側近として行動している彼が、将来起こる楚との戦いで重要な人物になることは大いに期待されます。

臨武君(りんぶくん)

強者を喰らい続けた「楚の剛将」

臨武君は楚国の将軍であり、「合従軍編」では楚国第一軍を率いた人物です。非常に独特な髪形をしており、敵からは何度も指摘されて苛立つ様子を見せたりもします。 南方の蛮族・百越(ひゃくえつ)を相手に自ら身を晒して強者と戦い続けたことによって強靭な肉体と怪力を手に入れており、楚国の将軍に上り詰めたことを誇り高く思う愚直な武人でもあります。 「合従軍編」の冒頭、未だ合従軍の実態に気付いていない秦の騰(とう)軍と接敵し、第五軍長・同金(どうきん)を瞬殺。函谷関の戦いでは楚国第一軍の大将として、敵討ちと迫る騰軍の録嗚未(ろくおみ)を圧倒します。しかし王騎の副将として戦い続けた騰には力及ばず、その強さを認められつつも討ち取られます。

貝満(べいまん)&剛摩諸(ごうましょ)&仁凹(じんおう)

「至強」汗明を支える軍師にして将軍

貝満、剛摩諸、仁凹は燕国の軍師であり、同時に将軍(仁凹のみ軍師に専任)でもある汗明の部下です。 「合従軍編」では汗明率いる楚国第一軍に所属し、合従軍側の総攻撃が始まった15日目に秦の蒙武(もうぶ)軍を相手に汗明を支えました。蒙武は楚軍に対して高等戦術である「斜陣がけ」を仕掛け、彼らも対応すべく動きます。 蒙武軍の「斜陣がけ」に対して貝満と剛摩諸は自ら軍を率いて応対、強烈な守りを見せて蒙武軍の勢いを完全に止めてしまいます。しかし蒙武軍の真の狙いは「蒙武自らの正面突破」という完全に武力頼みの戦いであり、貝満と剛摩諸は蒙武軍による足止めを喰らい、仁凹は2人の一騎打ちを見守ることしかできませんでした。 一騎打ちによる汗明の討ち死にの後、彼らは速やかに兵を撤退させますが楚国の損害は大きく、また蒙武軍による追撃から逃れるので精一杯でした。

万極(まんごく)

終わらぬ戦いが生んだ怨念の化身

万極は趙国の将軍であり、「合従軍編」では「長平の戦い」の遺族・遺児のみで構成された特別な軍を率いていました。 万極の初登場は「馬陽攻略編」であり、秦の馬央(ばおう)一帯の集落を執拗に壊滅させました。馬陽での戦い以降においても、幾度も同様の虐殺を繰り返し秦軍の要注意人物として名が上がっています。彼は「長平の戦い」唯一の生き残りであり、家族達を残酷な形で失って以来恐ろしいほどの憎悪に囚われ、秦の人々を執拗に虐殺するようになったのです。 函谷関の戦い初日の最後に万極は信との一騎打ちを行い、「長平の戦い」や戦争によって生まれる怨嗟の渦について信に語り続けます。信は万極に憑りつく怨念を幻視するほどに追い詰められますが、政(せい)の目指す中華統一によって憎しみの連鎖を断ち切ることを宣言、彼を怨念から解き放つように討ち取ります。

悪名高き「長平の戦い」

万極が秦の人々を憎悪する切欠となった「長平の戦い」は、史実でもその残酷さが語られる戦いでした。秦の将軍・白起(はくき)は紀元前260年、長平で趙の将軍・廉頗(れんぱ)との戦いに勝利しますが、両軍の疲弊は凄まじく勝者の秦軍にも余力は残されていない状況でした。 戦いに敗れ投降した趙軍の兵士は20万人に昇り、彼らを捕虜として連れ帰ることは補給が足りず、かといって野放しにすれば秦への復讐の芽を見逃すことになると判断した白起は投降した兵士を全員生き埋めにしたと伝えられています。 白起は死の間際に「長平の戦い」での自らの行いを懺悔し、「私は死ぬべきなのだ、天に向かい罪を犯したのだから」と述べたそうです。漫画では冷酷に生き埋めを命じていましたが、史実の白起は最期の瞬間にも思い返すほど後悔していたのです。

李白(りはく)&公孫龍(こうそんりゅう)

「守備」の李白、「万能」の公孫龍

李白と公孫龍は趙国の将軍であり、「合従軍編」では副将・慶舎(けいしゃ)が率いる趙国軍で秦の麃公(ひょうこう)軍を相手取りました。 「馬陽攻略編」でも登場した彼らは麃公軍と信(しん)が率いる飛信隊による猛攻をも防ぎきる守備力を見せました。汗明を討ち取った後の蒙武(もうぶ)軍が戦場に現れた際も、慶舎は即座に李白による守勢を指示する程に信頼されており、函谷関の戦いの最後まで大きな損害を出すことなく撤退することに成功します。

趙国屈指のいぶし銀の活躍

李白と公孫龍は趙の戦いでは度々登場し、派手さこそ無いものの堅実な戦いを見せ続ける武将です。 「鄴攻略編」でも指揮官として登場しますが、公孫龍は秦のバジオウを相手に重傷を負わされます。決して大きく目立つ戦いをしてこなかった彼らですが、「鄴攻略編」ではまた違った側面も見ることができるかもしれません。

龐煖(ほうけん)

突如現れた「武神」

龐煖(ほうけん)は趙国の武将であり、趙国最強の武将と謳われる「三大天」の一角です。 「合従軍編」では函谷関の戦いが秦の勝利に終わった直後に李牧(りぼく)は南部から咸陽への侵攻を行います。李牧の策を直感で見抜き追撃してきた麃公(ひょうこう)軍の前に突如現れたのが「武神」龐煖でした。 彼は麃公を一騎打ちで討ち取りますが、引き換えに片腕を持っていかれます。信(しん)が率いる飛信隊は何とか彼らより先に蕞(さい)に辿り着き、政(せい)と共に咸陽の喉元である蕞での籠城戦を行います。 秦の大王・政直々の鼓舞により驚異的な粘りを見せる民兵、主を失った怒りに燃える麃公軍、そして山の民の王・楊端和(ようたんわ)の加勢によって戦況は逆転しますが、突如龐煖が戦場に現れました。

龐煖の「強さ」と「弱さ」

李牧軍が敗北を決意した瞬間に戦場に降り立った龐煖は圧倒的な武力で秦国軍と楊端和の部下達を殲滅していきます。たった一人で戦況を再び覆した彼の前に立ちはだかったのが、麃公の盾を受け継いだ信でした。 龐煖と信は最後の一騎打ちを始めます。「武神」龐煖の力は絶大でしたが、麃公によって片腕を奪われたこと、彼自身も見つけていない「何か」が足りないことから信の一撃を顔に受けてしまいます。 一騎打ちを続けようとする龐煖ですが、蕞の戦い自体は明確に秦の勝利に終わっており、李牧は全軍撤退を命令。なおも一人で戦い続けようとする龐煖に対し、李牧は「足元を静かに見直せ、すでに答えは出ている」と伝えて彼を撤退させます。 こうして蕞の戦いも秦の勝利に終わり、「合従軍編」は幕を閉じたのです。

「武神」が求める「答え」とは?

圧倒的な武力を誇る龐煖ですが、宿敵・王騎(おうき)や麃公との戦いで勝利を収めても彼らの「強さ」の理由が理解できないという悩みを抱え続けています。 蕞の戦いでの信との一騎打ちでも真の大将軍達が持つ「重み」が足りていないことを指摘された彼は、「答え」を探すべく修行を重ね、「鄴攻略編」において再び信の前に立ちはだかります。

「鄴攻略編」にて再び登場した龐煖ですが、おそらくこの戦いで彼は作中から退場すると考えられます。理由は史実における彼の記述が鄴の戦いを最後に途絶えているからです。 史実の龐煖もまた趙国の大将軍として名を馳せており、合従軍を率いて蕞を攻めたことも記録に残っています。しかし鄴の戦いは彼が燕への遠征に出向いている最中に起きた戦いであり、急いで転進するものの趙は多くの領土を秦に奪われ悼襄王(とうじょうおう)も死亡しました。 次代の幽繆王(ゆうぼくおう)は龐煖を用いることは無く、以降彼は歴史の表舞台から姿を消すことになるのです。

合従軍編――史実では語られない、『キングダム』ならではの熱き戦い

「合従軍編」は、史実における2つの合従軍による秦への侵攻の記述を元に描かれたストーリーです。しかし史実の記録は極めて簡潔なものしか残っておらず、「春申君と龐煖がそれぞれ率いた合従軍に秦が勝利した」ということしか分かりません。 しかし漫画では史実で多くを語られていないことを逆手にとり、様々なオリジナルキャラクターの登場や後の大戦にて主力になりそうな人物を示唆することに特化しました。 2019年11月現在連載されている「鄴攻略編」では趙との戦いが激化しており、その先には各国を滅ぼす戦いも待っています。「合従軍編」は戦いそのものも熱い展開が多い話でしたが、後につながる多くの伏線を張るための物語でもあったのです。