2025年6月9日更新

『火垂るの墓』節子の本当の死因や年齢とは?ドロップ好きな哀しいヒロインのセリフをおさらい

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『火垂るの墓』(1988) 清太 , 節子
© 野坂昭如/新潮社,1988

80年代に公開されたスタジオジブリ作品『火垂るの墓』。戦時下でも愛し合って生きた兄弟の物語として、心に深く訴えかけるものがある名作です。特に注目を浴びたのが、戦争の悲惨さをより一層濃く描くうえで重要なキャラクターである節子。 この記事では、節子のキャラクター情報をおさらいし、戦時下での兄との生活を振り返り、その死の原因を考察していきます。

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『火垂るの墓』節子の年齢は?キャラ概要をおさらい

名前 節子
年齢 4歳
家族構成 父:海軍大尉(出征中) 母:心臓病を抱えた色白の美人 兄:旧制中学に通う14歳の少年
死因 栄養失調による衰弱死
格好 白いブラウスと青いモンペ姿
性格 天真爛漫で甘えん坊

子どもらしい純粋な発想や表情、健気な様子、そしてその行く末に涙を禁じ得ない節子というキャラクター。この作品の核といっていい重要な登場人物です。 心臓が悪い母親と14歳の兄・清太と3人で、神戸に暮らしている節子。父親は海軍大尉で出征中です。神戸の空襲で母親を亡くして西宮の叔母の家に身を寄せますが、叔母との折り合いが悪くなった清太に連れられて横穴生活を始めることに。 4歳の子どもらしく無邪気に生き物に興味を抱き、兄に多少わがままを言うような甘えん坊な一面も持ちつつ、母の死を叔母から聞かされても気丈にふるまう芯の強い女の子です。その強さは、体調を崩してからも健気に振舞う姿にも表れています。

『火垂るの墓』節子の死因は栄養失調?有害物質?

節子の体調の変化・死因
  • 最終的な死因は栄養失調による衰弱死
  • 頭にシラミ、体にノミなど不衛生な生活
  • 体中に湿疹、疥癬(ダニの寄生による皮膚の病気)
  • 下痢が止まらない
  • 目の痛み(化学物質によるもの?)

節子の死因は、貧困で食事をとれなくなったことによる栄養失調であるとされていますが、他のことが原因であるという説も唱えられています。 体中に汗疹ができ下痢気味の状態に陥った症状も、最終的な要因は栄養失調になるようですが、それだと体が大きく栄養がより多く必要な兄の清太が先に亡くなるはずであり、不自然です。 では、なぜ節子が先に亡くなってしまったのでしょうか?それは作中に登場する不自然なシーンに原因があるといわれています。 物語の冒頭、空襲によって2人で避難をしている途中で休憩しているシーンに注目してみてください。いつの間にか下駄が片方無くなったことを訴えた節子とのほのぼのしたやりとりの最中に、戦闘機からの爆撃の影響で雨が降ってきました。 その時ふと見上げた彼女の左目に雨粒が入っており、場所を移動し学校に避難するよう連絡が入った時にも目の痛みを訴えています。 この雨粒の中には、近くにあった工場の化学物質が含まれており、爆撃により街に降り注いだようです。有害物質が彼女の体に悪影響を及ぼし、衰弱させることで、栄養失調の症状が急速に悪化したのではないでしょうか。

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節子が『火垂るの墓』を作った兄との二人暮らしを振り返る

『火垂るの墓』(1988) 清太 , 節子
© 野坂昭如/新潮社,1988

空襲により家を焼かれた2人は、まず避難所である学校へ。目に痛みを覚える節子の目を洗浄していたところ、母親が怪我をしたとのこと。節子を知り合いに預けた清太は、大怪我をした母親と対面しますが病院に搬送される前に亡くなってしまいました。 父親も出征中で拠り所を失ったふたりは、もしもの時に来るよう言われていた叔母の家に行きます。 始めは叔母一家と仲良さそうに暮らしていましたが、学校が焼けてしまったことを理由に清太が節子と遊んでいることに叔母が腹をたて居心地が悪くなってしまうという結果に。 ついに、節子の要望もあり叔母の家を出て行った2人は、人が来ないという理由から防空壕で暮らすという決断をして、亡くなってしまいました。 『火垂るの墓』の中には、戦争の悲惨さの反面、2人の小さな幸せを描いている印象的な場面がたくさんあります。ここでは、『火垂るの墓』で印象に残ったシーンを紹介していきます

蛍が飛び交うシーン

戦争や兄妹の奮闘劇が多く存在する中で、ひときわ映像美に心惹かれるシーンです。 叔母の家を去り、防空壕に住んだ2人が灯りの為に大量の蛍を捕まえて放しています。 このシーンの時だけは、戦時中であることを忘れてしまう。そんな魅力的な演出なのです。

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おはじきとドロップを間違えるシーン

物語の終盤には、栄養不足により衰弱し目も虚ろになった節子が、ドロップとおはじきを間違って舐めてしまった悲しいシーンが……。この時、清太が節子に「これおはじきやろ、ドロップちゃうやんか」とたしなめる姿さえ辛く、2人だけの生活の破綻をここに見るのです。 節子が大切にしていたドロップ缶が、最終的に彼女の遺骨を入れる箱になるということにも哀しさを通り越した恐ろしさすら感じます。

節子の火葬シーン

節子が亡くなった時に清太が火葬しているシーン。現代社会においては、身内が亡くなると葬儀屋に頼むのが一般的です。 しかし清太は叔母の家から出て、大人に頼らずに生きていたため、葬儀を自分で行うしかありませんでした。 両親は既に他界。唯一の心の拠り所であった妹も亡くなってしまい、自ら妹を火葬しなくてはならなかった清太の気持ちを考えると、涙なしでは見られません。

ドロップは『火垂るの墓』で節子の宝物だった

『火垂るの墓』を語るうえで重要なアイテム「ドロップ」。ドロップは劇中で度々登場し、重要な役割を担っています。 最初の登場は物語の冒頭。いきなり清太が駅で亡くなり、発見した駅員が草むらに無造作に投げ捨て中から節子の遺骨が転がる印象的なシーンを演出しています。 このドロップは、清太が自宅の勝手口に梅干しなどの非常食と一緒に保存してあったのを、戦災後に持ってきていました。 その後は避難生活を送っていた時の水分補給として舐めたり、中身を食べつくした後も水を入れて砂糖水として飲んだりと戦時中で荒んだ2人の心を癒していました。

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節子が『火垂るの墓』で残した印象的なセリフ

戦時中を明るく平凡に過ごしていた節子。これから紹介するセリフには、とても戦時中とは思えない印象を与えてくれます。

「ちょっきん、ちょっきん、ちょっきんな。ちょっきん、ちょっきん、ちょっきん……。」

叔母の家に居候することになった2人。久しぶりのお風呂で、節子の背中に汗疹が出来ていることを見つけます。 汗疹を治そうと海へ出かけ、楽しく遊んでいる所に蟹が現れついつい後を追っかけて行く。そんな長閑な光景です。戦争を描いた作中で、数少ない癒しのシーンと言えるのではないでしょうか?

「何でホタル、すぐ死んでしまうん?」

叔母の家を飛び出し、2人で防空壕に暮らし始めたときに蛍を捕まえて綺麗な光を発していました。 次の日には死んでしまう。そんな一瞬の命の儚さを質問されたら、どう答えたらよいのでしょう? 蛍の死と同時に、母の死も知っていたことを兄に打ち明ける節子。この何気ない質問は、なぜ生き物は死を迎えるのか考えさせられるそんなセリフです。

『火垂るの墓』節子を演じた声優は白石綾乃さん

節子の声は白石綾乃が担当していました。1982年5月生まれ。スタジオジブリ作品は、本職の声優よりも俳優や女優を多く起用しており、白石も劇団に所属する子役でした。 節子の声を収録した当時は5歳11か月だったらしく、監督の要望により、節子と同じくらいの年齢で関西弁を話せる子役の声をいくつか聞いていた時にピンときて起用されたそうです。 収録はマネージャーから聞いたセリフを繰り返して喋った声を先に録音し、後から絵をあてるプレスコ方式が採用されました。 節子役の声優を務めた白石綾乃は現在は芸能活動をしておらず、連絡が付かないことで「失踪した」などといわれていたようです。

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『火垂るの墓』節子は可愛さと悲しさを内包した愛おしいキャラ

高畑勲監督によるスタジオジブリ作品『火垂るの墓』が時代を越える名作となったのは、キャラクターに合った声優の起用も要因の1つだったのではないでしょうか?愛おしくも哀しい節子というキャラクターに今一度注目して、鑑賞してみてください!