2017年7月6日更新

『火垂るの墓』は実話なの?スタジオジブリ作品の真実

このページにはプロモーションが含まれています
火垂るの墓
Ⓒ 野坂昭如/新潮社,1988

AD

スタジオジブリ作品としての『火垂るの墓』について

『火垂るの墓』は同名の野坂昭如さんによる短編小説が原作です。野坂さんの戦争体験をもとに、兄弟の餓死までの悲劇を描いた映画です。 戦争の狂気や生々しさをリアルに描いており、一度見たらもう見たくないという声もある戦争映画アニメで高畑勲監督の名作です。実話だとしてもおかしくないとてもリアルな物語のため、どこまでが実話なのかを気にする人が数多くいます。

公開後に原作者が語った『火垂るの墓』の実話

原作者の野坂昭如氏は実際には2人の妹がいて、2人とも亡くなっています。本作品の妹の年齢設定は4歳ですが、実際の原作者の下の妹は1歳4ヶ月でした。 上の妹が病気で亡くなってしまった時には、まだ生活に余裕があったので野坂さんは愛情を注ぐことができていたそうです。しかし、家をなくし家族も失ってしまい、残されたのは自分と下の妹だけという状況となってしまい、野坂さんは当時は下の妹のことを疎ましく思ってしまったといいます。

妹のことよりも2つ年上の少女への恋に夢中だった

兵庫県の西宮にある、親戚の家に滞在していた当時、野坂さんはその家の娘に夢中だったそうです。その家の三女の京子さんで、野坂山より2つ年上でした。 幼い妹のことよりも年上の女の子に興味がある、14才の中学生らしい淡い恋をしていたのですね。 また、食糧は不足していましたが、小説や映画の中にあるようなひどい扱いは受けておらず、家を出て防空壕で生活していたというような事実はないとのことです。

AD

『火垂るの墓』は亡くなった妹への後悔と願望が込められている

映画では最後まで妹思いの兄が描かれていますが、原作者はあそこまで優しくなかったとのこと。実際は妹に食べさせるつもりの食糧まで自分が食べてしまい、生後1年半の妹を死なせてしまったと現在でも悔やんでいるのです。 どんどん悪くなっていく食糧事情のために妹にろくに食べ物を与えることができませんでした。妹はやせ衰えて骨と皮だけになり、誰にも看取られることもなく餓死してしまったのです。 そして妹の亡骸を兄自身が火葬し、その骨をドロップ缶に入れるというエピソードも、実際の話です。 野坂さんは、もっとかわいがってやれば良かったという贖罪(しょくざい)の思いを込めて『火垂るの墓』という小説を書きました。そのため、作品の中では優しいお兄さんとして精一杯妹のために尽くしているのです。

事実を記した『わが桎梏の碑』で明らかになった衝撃的な過去

『わが桎梏の碑』とは、『火垂るの墓』の執筆の背景と、もとになった実話を克明につづった原作者の懺悔の手記です。映画で描かれているものとはまた違う、その時の背景や感情などを赤裸々に記してあります。 手記では、敗戦の混乱の中で弱っていく妹の食糧を自身で食し、妹の太腿にも食欲を感じていたことなど、衝撃的な内容の数々が綴られています。また、泣き止まない妹を殴り脳震盪を起こさせたこともあったといいます。

AD

後に高畑勲が語った『火垂るの墓』の矛盾

『火垂るの墓』の主人公である清太の父親は海軍大佐であり、海軍大佐が戦死した場合、遺族には相当な額の補償金が入り保護もあったはずですので、映画のような壮絶な貧乏暮らしはする必要がなかったと思われます。 実際には飢え死にするはずのない、お金に余裕のあったはずの「海軍士官の息子」という設定にあえてした理由は、戦争の悲惨さと共に「社会から孤立した結果」を描く必要性があったからなのかもしれません。 こういったエピソードをふまえたうえで改めて『火垂るの墓』を鑑賞すると、またその戦争の悲惨さを感じる事ができそうですね。