『火垂るの墓』清太は働かないからクズ?死因やカメラ目線の理由を徹底考察

戦時下での美しい兄妹愛を描き、涙なしには観られないスタジオジブリの名作『火垂るの墓』。しかしその主人公、清太について「実はクズなのでは?」という疑問の声もあがっています。 この記事では、清太がクズと言われる原因やラストシーンの謎に迫っていきましょう。
『火垂るの墓』清太のプロフィール
名前 | 清太 |
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年齢 | 14歳 |
身長 | 不明 |
誕生日 | 1931年 |
死亡日 | 1945年9月21日 |
声優 | 辰巳努 |
神戸大空襲により、通っていた学校や学徒動員先の神戸製鉄所が全焼し、家も焼き出されてしまった清太。さらに母を失くし、4歳の幼い妹・節子とともに西宮の遠い親戚のもとに身を寄せることになりました。 妹思いで、節子にできるだけつらい思いをさせないようにと奮闘しますが、プライドが高いせいで疎開先のおばさんとうまく折り合いをつけられず、家を飛び出してしまいます。
清太がクズと言われるのはなぜ?
清太の母は心臓が弱く、神戸大空襲の際に命を落としてしまいました。父は海軍大尉で、清太たち一家は戦火が激しくなる前は裕福な生活をしていたことが描写されています。 そんな環境で育った清太は、疎開先の西宮の親戚のもとでも働かずに毎日節子と遊んだりして過ごしていました。戦時中の大変な時期に子どもを2人も引き取っただけでも大変なのに、そんな清太におばさんが腹を立てても無理もないことです。 その後、おばさんとの折り合いがつかず、節子とともに家を出る決意をした清太。それでも彼は働かずに貯金を切り崩して生活していましたが、この決断が節子が命を落とした原因と言っても過言ではありません。 そういった経緯から、「清太はクズ」という意見が出ているのでしょう。
清太が働かない理由は?
清太が働かない最も大きな理由は「節子と一緒にいたいから」です。 監督である高畑勲は、清太のこの行動について「社会生活ぬきの家庭を築きたかった。周りの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も、積極的に人とのつながりを求めるどころか、次々とその機会を捨てていく」と語っています。 もう1つの理由と考えられるのは、清太のもとの家庭環境です。前述の通り彼の家はかなり裕福で、「生活のために働く」という選択肢は清太の頭にはなかったのかもしれません。
清太が亡くなった場所・死因は?
清太は三宮駅構内で、栄養失調によって衰弱死しました。 実は清太には、両親が遺した貯金が7000円(現在の価値で約1000万円)もありましたが、戦時下では物々交換が主流で、お金があってもあまり意味がなかったのではないでしょうか。お金があっても物が売っていないので、物々交換の方が効率が良かったのです。 当時は闇市もありましたが、子どもの清太には勝手がわからず、食べ物を手に入れることはできなかったのだと思われます。
清太がカメラ目線の理由を考察!
『火垂るの墓』は「昭和20年9月21日の夜、僕は死んだ」という清太のナレーションから始まります。そしてラストシーンでは彼が現代の高層ビル群を眺めていることから、時間軸は現代にあることがわかります。 そしてラスト直前には、清太はカメラ越しに現代を生きる観客の私たちに視線を投げかけています。*その視線は、戦時中の彼らの生き様を知った現代の観客たちに、平和を訴えかけているようでもあります。
ラストシーンは現代?その意味は?
ラストシーンでは、、前述の通り、幽霊になった節子を膝枕した清太が高層ビル群を眺めている姿が映し出されています。彼は戦時中という「過去」から、平和な「現在」を見つめているのです。 清太や節子のような、罪のない子どもたちをも苦しめた戦争。そのなかで必死に生きようとした彼らの思いを、現代の私たちはきちんと受け止めているでしょうか。この兄妹のように苦しむ子どもたちを増やしてはいけない。そんな反戦のメッセージがこのラストシーンにはつまっているように思えます。
映画『火垂るの墓』清太のカメラ目線は現代への眼差し

戦争の厳しい現実が幼い兄妹に与えた影響を描いた『火垂るの墓』。かなりヘビーな作品ではありますが、一生に一度は観ておきたい名作です。 最後に清太が現代の私たちに投げかける眼差しに、あなたはなにを感じるでしょうか。