2025年6月10日更新

『火垂るの墓』お母さんの死因は全身火傷?包帯を巻いた痛々しい姿はトラウマ注意

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火垂るの墓
Ⓒ 野坂昭如/新潮社,1988

戦時下での幼い兄妹の姿を描いた、スタジオジブリの名作『火垂るの墓』。主人公である清太と節子の母は映画冒頭で命を落としてしまいますが、彼女の生前の行動の理由や死因はなんだったのでしょうか。 この記事では、『火垂るの墓』の清太と節子のお母さんについて解説していきます。

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『火垂るの墓』お母さんに死因は何だったのか?

『火垂るの墓』(1988) 清太 , 節子
© 野坂昭如/新潮社,1988

清太と節子のお母さんの死因は全身やけどです。彼女は空襲の際に焼夷弾で全身にやけどを負い、もともとは小学校だった病院に運ばれました。 全身にやけどを負いながらも、その後はしばらく生きていたようですが、清太が駆けつけたころには昏睡状態に陥っており、そのまま命を落としました。 心臓のあたりの包帯に多く血が滲んでいることから、一部では爆撃を受けて即死したのではないかといわれていますが、前述の通り病院で治療を受けているので、即死ではなかったと思われます。

なぜお母さんと清太は別行動をとったのか

空襲があった際、清太と彼の母は別行動をとっています。これは、母が心臓の疾患を抱えており、走ることができなかったためで、清太は彼女に先に防空壕へ行くように促しました。 このころは焼夷弾の恐ろしさもあまり知られておらず、「焼夷弾が落とされたら、逃げずに消火しろ」などと教えられていたそうです。そのため、お母さんもかなりのんびりした様子で行動しています。しかしこのことが、後に取り返しのつかない事態を招いてしまうのでした。

包帯で全身ぐるぐるに…… 生前のラストシーンはトラウマ注意

病院で清太と節子の母は、包帯でぐるぐる巻きにされていました。全身にやけどを負っているので、そうする以外に手の施しようがなかったわけですが、溶けた皮膚に包帯が貼り付き、取れなくなった包帯にはウジがわいていました。 かなりショッキングな映像なので、ここで視聴者は大きなショックを受けるでしょう。それは清太も同じで、母の最期の無惨な姿に彼も大きな衝撃を受けました。そのため、節子には母が死んだことを言えずにいたのではないでしょうか。

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お母さんの火葬は?

清太と節子の母の遺体は、ほかの死亡者たちの遺体とともに、大きな穴に投げ込まれ、そこで火葬されます。大勢の遺体が一緒に燃やされてしまうので、どれが誰の遺骨かを判別することはできず、そのまままとめて共同墓地に埋葬されました。 当時はこの方法が普通でしたが、母親を失った清太には大きなショックだったことには違いなく、しかし遺骨がないことで、節子に母の死を知らせずに済んだという側面もあるのではないでしょうか。

『火垂るの墓』お母さんの包帯にウジ虫がわく姿はトラウマ注意

映画冒頭、上品な美人として登場する清太と節子の母。しかしその最期は無惨なもので、観客である私たちにとっては、最初にこの映画、そして戦争の厳しさを訴えかける存在となっています。 彼女の死のシーンはかなりショッキングなので、そこで視聴を断念してしまう人もいるかもしれませんが、これこそが『火垂るの墓』の物語が始まるきっかけとなっているので、ここを乗り越えその先の兄妹の生き様を見届けましょう。