『火垂るの墓』の衝撃の都市伝説!節子の死因は?死んでも兄を待っていた?
『火垂るの墓』の都市伝説
高畑勲監督作品『火垂るの墓』は1988年に『となりのトトロ』と同時上映されました。野坂昭如の短編小説が原作の文芸アニメで、あの黒澤明も感動したそうです。黒澤明は宮崎駿の作品と勘違いし、宮崎駿に賞賛の手紙を送ったというエピソードもファンの間では有名です。 涙なしでは見られない戦時中の兄妹を描いた物語『火垂るの墓』ですが、実はある都市伝説がささやかれていたのです……。
節子の死因は栄養失調のせいじゃなかった!?
全体のコピーは「忘れものを、届けにきました。」
— アンク@金曜ロードショー公式 (@kinro_ntv) August 14, 2015
糸井氏はこのコピーに2つの作品が描く舞台が、現在と地続きの過去であるという意味を込めたそうです。そして「火垂るの墓」に「4歳と14歳で、生きようと思った。」が決定。#火垂るの墓 pic.twitter.com/aH3ckzrbHK
作中で再三描写されている兄妹の貧しさ。妹である節子が死んだのも、貧困からの栄養不足というのは実に妥当な考えに見えます。ですが、本来なら栄養が必要なのは兄の方であり、先に死ぬのは妹ではなく兄のはず。そこで、妹である節子が死んだ原因としてこんな都市伝説があります。 それは節子が死んだのは、工場の出荷によって有害物質が混じった雨を左目に受けてしまったのが原因というものです。その証拠に節子は左目の痛みを訴えています。つまり、節子の死は体内に有害物質を取り込んだことで免疫力が低下し、衰弱したからということなのです。 これが本当ならば、兄がいくら努力しようと節子の死を食い止めることが出来なかったということになります。
節子は異世界の駅でずっと兄を待っていた!?
これは『火垂るの墓』ではなく、同じジブリ作品である『千と千尋の神隠し』が原因で産まれた都市伝説です。それによれば、節子はずっと兄が死んだ駅にいるというもの。その証拠に『千と千尋の神隠し』で千が電車に乗っていると、途中で通り過ぎる駅に節子そっくりの少女がいるのがわかります。 節子の兄、清太は妹の死後まもなく駅で野垂れ死ぬことになります。そして『千と千尋の神隠し』は文明社会から遠く離れた神々の住まう世界です。そこで映る駅に佇む節子そっくりの影。これは節子は清太が来るのを駅でずっと待っているということです。 この映画は清太の霊が過去を振り返るという形で進む映画でもあり、節子は駅で清太が来るのを待っているという都市伝説は筋が通っています。
『火垂るの墓』節子の声優、白石綾乃の都市伝説
妥協を許さない2人は近藤氏に選択を迫りましたが、最終的に鈴木敏夫プロデューサーが「火垂るの墓」に近藤氏を入れ、「天空の城ラピュタ」の原画スタッフのほとんどが「となりのトトロ」に参加することになりました。 pic.twitter.com/8WYQmn3YQC
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『火垂るの墓』で節子の声を演じたのは、当時5歳11ヶ月の白石綾乃でした。無名の子役を声優に起用するというのは前例がなく、当時も関係者を驚かせたとのことですが、白石綾乃は見事に節子の声を演じきりました。 しかし『火垂るの墓』の名演でブレイクしたかと思いきや、その後の活動はドラマ『部長刑事』に1エピソードだけ出演したのみで、2015年現在では消息がわからないそうです。 最後に確認されたのは2009年10月、Fantastic Plastic Machineの田中知之のブログの写真です。2012年にジブリのイベントをした際に、関係者が出演依頼しようとしたところ、消息がわからなかったとのことです。 どうやら現在は一般人として生活をしているようです。
清太の死に関する都市伝説
節子が亡くなった後、しばらくして三宮の駅で清太も死を迎えます。会話もほとんどなく、衰弱や栄養失調による死、という説が濃厚ですが、死因についてははっきりと言及されていません。 お金はあっても食料にありつけないような描写があり、節子が栄養失調で亡くなっているようにも見てとれることから、清太も同じく食料にありつけず、衰弱していったという説。 飢える状態に至るまでに、節子の死によって生きるための力が失われてしまい、うつ病のような状態になってしまった。そのため厳しい食糧事情についていけず、自身の食料が確保出来なくなり、栄養失調のような状態になってしまったという説もあります。 いずれにしても、当時の食料事情が密接に関わっているということは確かなようです。
節子と清太は幽霊だった……?
神戸のまちは昭和20年1月から終戦までの間に、128回もの空襲を受けたそうです。#火垂るの墓#kinro pic.twitter.com/tAyj9eJOd3
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この都市伝説は、監督である高畑 勲の発言によって生まれました。それというのは、「劇中に節子と清太と幽霊を登場させましたが、彼らは気の毒なことに同じ体験を繰り返していくしかないのだ」というもの。 この発言から、もともと映画の最初から登場している節子と清太は幽霊であり、映画の内容は彼らが幽霊として記憶を再び経験しているのではないかという説が浮かび上がってくるのです。 尚、冒頭のシーンで古いドロップが新しくなる点も彼らが幽霊になったイメージを表していると言われています。
『火垂るの墓』はノンフィクションだった!?
スタジオジブリの映画としてあまりにも有名な『火垂るの墓』ですが、実は原作となる小説があるのです。作家、野坂昭如が1967年に発表した小説『火垂るの墓』は、野坂の実体験に基づく自伝的な小説であり、実の母と死別したことや、空襲に遭い、家を焼かれたこと。幼い妹を亡くしたことなど、清太が体験した数多くの出来事を野坂も体験していたのでした。 当時、野坂も大人とは呼べない年頃であり、妹に対して常に思いやりをもって接することが出来なかったことを悔やんでおり、清太には節子に優しくしてほしい、と自身の思いを託して小説を執筆したそうです。
『火垂るの墓』の都市伝説を紹介しました。
節子が大切にしていた唯一のお菓子が「サクマ式ドロップス」でした。戦前・戦中の昭和を生きた子供たちにとってサクマ式ドロップスはかけがえのないもので、貧しい暮らしの中に甘い彩りを与えてくれた宝物でした。#火垂るの墓#kinro pic.twitter.com/ymxwzm205L
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『火垂るの墓』は今でも多くの人を涙させている名作映画です。こういった都市伝説を知った上で再び映画を観てみると新たな発見があることでしょう。