2025年6月18日更新

『火垂るの墓』の都市伝説は怖い?放送禁止説や「千と千尋」との関係を解説

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火垂るの墓
Ⓒ 野坂昭如/新潮社,1988

スタジオジブリ屈指の名作として知られる『火垂るの墓』。高畑勲が監督を務めた本作は、戦時下を懸命に生きる兄妹の愛と悲劇を描いた作品です。 しかしそこには、さまざまな都市伝説が隠されているとか。この記事では、そんな『火垂るの墓』の都市伝説を紹介します。

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『火垂るの墓』の都市伝説を一覧にして紹介(150)

高畑勲監督作品『火垂るの墓』は1988年に『となりのトトロ』と同時上映されました。野坂昭如の短編小説が原作の文芸アニメで、あの黒澤明も感動したそうです。黒澤明は宮崎駿の作品と勘違いし、宮崎駿に賞賛の手紙を送ったというエピソードもファンの間では有名です。 涙なしでは見られない戦時中の兄妹を描いた物語『火垂るの墓』ですが、実は様々な都市伝説がささやかれていたのです……。

節子の死因は栄養失調のせいじゃなかった?

作中で再三描写されている兄妹の貧しさ。妹である節子が死んだのも、貧困からの栄養不足というのは実に妥当な考えに見えます。ですが、本来なら栄養が必要なのは体が大きい兄の方であり、先に死ぬのは妹ではなく兄のはず。そこで、妹である節子が死んだ原因としてこんな都市伝説があります。 それは節子が死んだのは、工場の出荷によって有害物質が混じった雨を左目に受けてしまったのが原因というものです。その証拠に節子は左目の痛みを訴えています。つまり、節子の死は体内に有害物質を取り込んだことで免疫力が低下し、衰弱したからということなのです。 これが本当ならば、兄がいくら努力しようと節子の死を食い止めることが出来なかったということになります。

節子は「千と千尋」の世界でずっと兄を待っていた?

千と千尋の神隠し

これは『火垂るの墓』ではなく、同じジブリ作品である『千と千尋の神隠し』が原因で産まれた都市伝説です。それによれば、節子はずっと兄が死んだ駅にいるというもの。その証拠に『千と千尋の神隠し』で千が電車に乗っていると、途中で通り過ぎる駅に節子そっくりの少女がいるのがわかります。 節子の兄、清太は妹の死後まもなく駅で野垂れ死ぬことになります。そして『千と千尋の神隠し』は文明社会から遠く離れた神々の住まう世界です。そこで映る駅に佇む節子そっくりの影。 『火垂るの墓』は清太の霊が過去を振り返るという形で進む映画でもあり、彼の魂はまだ死後の世界に行っていないと思われます。『千と千尋の神隠し』に出てくる電車は死者を運ぶものですから、節子は駅で清太が来るのを待っているというのも、筋が通ります。

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『火垂るの墓』には節子と清太の遺影に見えるシーンが?

『火垂るの墓』の名シーンの1つに、清太と節子が防空壕で捕まえてきたホタルを放すシーンがあります。ホタルの光に照らされた彼らを映したカメラが引いていくと、そこには防空壕の柱と梁が見えてきます。 柱に支えられた四角い壁と、左右に斜めに貼られた梁は、リボンがかけられた遺影の縁のようです。このシーンで、2人はやがて命を落とすことが示されているのです。 画面全体が暗いのでわかりづらいですが、彩度を上げるとはっきりと見えてきます。このあたりは、ポスターのB29と同じ手法が使われていますね。

『火垂るの墓』節子の声優は失踪した?

『火垂るの墓』で節子の声を演じたのは、当時5歳11ヶ月の白石綾乃でした。無名の子役を声優に起用するというのは前例がなく、当時も関係者を驚かせたとのことですが、白石綾乃は見事に節子の声を演じきりました。 しかし『火垂るの墓』の名演でブレイクしたかと思いきや、その後の活動はドラマ『部長刑事』に1エピソードだけ出演したのみで、2025年時点では消息がわからないため、失踪したという噂がながれてしまったのでしょう。 最後に確認されたのは2009年10月、Fantastic Plastic Machineの田中知之のブログの写真です。2012年にジブリのイベントをした際に、関係者が出演依頼しようとしたところ、消息がわからなかったとのことです。 どうやら現在は一般人として生活をしているようです。

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清太の死に関する都市伝説

節子が亡くなった後、しばらくして三宮の駅で清太も死を迎えます。会話もほとんどなく、衰弱や栄養失調による死、という説が濃厚ですが、死因についてははっきりと言及されていません。 お金はあっても食料にありつけないような描写があり、節子が栄養失調で亡くなっているようにも見てとれることから、清太も同じく食料にありつけず、衰弱していったという説。 飢える状態に至るまでに、節子の死によって生きるための力が失われてしまい、うつ病のような状態になってしまった。そのため厳しい食糧事情についていけず、自身の食料が確保出来なくなり、栄養失調のような状態になってしまったという説もあります。 いずれにしても、当時の食料事情が密接に関わっているということは確かなようです。

『火垂るの墓』の節子と清太は幽霊なのか?

この都市伝説は、監督である高畑 勲の発言によって生まれました。それというのは、「劇中に節子と清太と幽霊を登場させましたが、彼らは気の毒なことに同じ体験を繰り返していくしかないのだ」というもの。 この発言から、もともと映画の最初から登場している節子と清太は幽霊であり、映画の内容は彼らが幽霊として記憶を再び経験しているのではないかという説が浮かび上がってくるのです。 尚、冒頭のシーンで古いドロップが新しくなる点も彼らが幽霊になったイメージを表していると言われています。

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『火垂るの墓』はノンフィクションだった?

スタジオジブリの映画としてあまりにも有名な『火垂るの墓』ですが、実は原作となる小説があるのです。作家、野坂昭如が1967年に発表した小説『火垂るの墓』は、野坂の実体験に基づく自伝的な小説であり、実の母と死別したことや、空襲に遭い、家を焼かれたこと。幼い妹を亡くしたことなど、清太が体験した数多くの出来事を野坂も体験していたのでした。 当時、野坂も大人とは呼べない年頃であり、妹に対して常に思いやりをもって接することが出来なかったことを悔やんでおり、清太には節子に優しくしてほしい、と自身の思いを託して小説を執筆したそうです。

実は『火垂るの墓』は放送禁止だった?

『火垂るの墓』は、長い間テレビで放送されなかったため、「放送禁止になったのでは」との噂が囁かれていました。それは、作品を象徴するあるアイテムが原因とも言われています。 節子は「サクマ式ドロップス」というドロップをとても気に入っていて、大切に食べています。 戦前・戦中に「サクマ式ドロップス」は佐久間製菓という会社が製造していました。しかし戦時中の材料不足によって一時廃業。そして終戦後、佐久間製菓の兄弟は分離して別々の会社を作ります。そして両者はそれぞれ「サクマ式ドロップス」「サクマドロップス」という商品を発売しました。 この商標を巡った争いに『火垂るの墓』が巻き込まれたというのです。それが解決するまで、一時的に放送禁止の措置が取られていたとか。 また、『火垂るの墓』は1989年にテレビで初めて放送されたときには、視聴率20%を獲得しましが、2018年に放送された際の視聴率は6.7%にまで落ち込みました。単純にほかのジブリ作品と比べて視聴率が取れないというのも、放送されなかった理由の1つでしょう。

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『火垂るの墓』の都市伝説を知って作品を味わおう

不朽の名作として知られながら、長い間テレビ放送がされなかった『火垂るの墓』。そんな名作が、2025年7月15日からNetflixで配信されることが発表されています。 また、8月15日には金曜ロードショー(日本テレビ系)での放送も決定。終戦80年という節目に約7年ぶりに地上波放送されます。 この記事で紹介した都市伝説を知ったうえで再び映画を観てみると、新たな発見があることでしょう。