ジブリ『かぐや姫の物語』をネタバレ徹底考察!高畑勲が込めた想いを紐解く!
稀代のアニメーション監督でありプロデューサー・高畑勲の遺作となったのが、ジブリ作品『かぐや姫の物語』です。 2013年に公開されたこの作品は、高畑にとってアニメーション監督としてのライフワークと言っていほど、長い時間とさまざまな紆余曲折を経て完成にこぎ着けた労作でした。構想は2000年代初頭、「竹取物語」を原作とすることが決まってからさらに4年もの歳月がかけられています。 ファンタジーの古典ともいうべき不朽の名作に、アニメーションという手法で新しい世界観を生んだ高畑のこだわりは、作品のそこかしこに感じられます。そこで今回は『かぐや姫の物語』の見どころをチェックしながら改めて、高畑が届けようとしたメッセージの厚みを紹介していきたいと思います。 ※ciatr以外の外部サイトでこの記事を開くと、画像や表などが表示されないことがあります。
ジブリ映画『かぐや姫の物語』あらすじ【ネタバレなし】

その昔、とある山奥に竹取の翁と媼が住んでいました。翁が見つけた1本の光り輝く竹の根元に筍が伸び、中から現れたのは美しい小さな姫。 翁は姫を神からの賜り物と思い、連れ帰って媼とともに大切に育てることに。姫は筍のようにぐんぐん育ち、すぐに近所の童たちと野山を駆けまわるようになります。しかし不思議な竹から金や着物を賜った翁は、高貴な姫として都で育てるべきだと考え始めるのでした。
『かぐや姫の物語』全編ネタバレ解説!
竹から生まれ山で育つかぐや姫

むかしむかし、竹取の翁と媼が竹林のある山に住んでいました。翁がいつものように竹を取っていたところ、1本の光り輝く竹を見つけます。その竹の根元に筍が伸び、中から美しい小さな姫が現れました。 翁は姫を神からの賜り物と思い、連れ帰って媼とともに大切に育てることにします。姫は媼が抱くと途端に普通の大きさの赤ん坊になり、不思議なことに媼は乳も出るように。姫は筍のようにぐんぐん育ち、山の童たちに「タケノコ」と呼ばれ一緒に野山を駆けまわるようになりました。 童の兄貴分は捨丸で、タケノコは彼を慕い、ずっと一緒だと信じていました。しかし不思議な竹から金や着物を賜った翁は、タケノコを高貴な姫として都で育てるべきだと考え始めます。
やがて都で暮らすことに

翁は金で都に大きな御殿を建て、タケノコと媼を連れて都へ。タケノコは捨丸たちに別れを告げることもできませんでした。都に着いたタケノコは、立派な御殿や豪華な着物に胸を躍らせます。 身の回りの世話は女童が、姫としての教育は宮中から招いた相模が受け持ちました。しかしタケノコは山での暮らしが忘れられず、ふざけてばかりで相模を困らせます。それでも作法はなぜか身についていました。 やがて「なよたけのかぐや姫」という名を付けられ、初潮を迎えて成人の儀式とお披露目の祝いが行われます。その席で姫を侮辱する客たちの声が聞こえ、我を忘れて屋敷を飛び出し、かつての山へたどり着いたかぐや姫。力尽きて雪に倒れ込んだはずなのに屋敷の中で目を覚ました姫は、それ以来行儀よく過ごすようになります。
貴族や帝からの求婚がかぐや姫を追い詰める

かぐや姫の評判は都中に広まり、屋敷の前には大勢の求婚者たちであふれかえっていました。特に身分の高い5人の公達が屋敷を訪れ、手に入れられないような宝物に例えてかぐや姫を褒め称えます。ところが姫は、5人にそれぞれが例えた宝物を持ってこられたら求婚に応じると言い放ちました。 困惑した5人が去った後、屋敷の回りも途端に静かに。姫は喜んで媼と女童を連れて桜の花見に出かけますが、そこで身分の低い家族に平伏されたことに衝撃を受け、早々に引き上げてしまいます。その帰り道、偶然にも捨丸と遭遇し、盗みを働いていた彼が殴られるのをなす術もなく見つめていました。 3年後、5人の公達が宝物を持って再び現れますが、偽物であったり甘言であったり。ところが石上中納言が宝物を手に入れようとして事故で亡くなったことで、姫は自分を責め悲嘆に暮れます。ついに御門にもその評判が届き、女御として出仕するよう通達が来ますが、姫は頑として拒みました。
かぐや姫は記憶を失い月へ帰ることに

余計に興味を示した御門が屋敷にお忍びで訪れ、突然後ろから抱きしめて連れ去ろうとしますが、その途端に姫の姿は消えてしまいました。 この件があってから、姫はただ月を見つめる日々を過ごします。翁と媼がその理由を問うと、姫は自分は「月から地上に降ろされた者」であり、帝の一件で月に助けを求めたことを告白。しかし本当は地上を去りたくないと泣いて訴えました。 媼のはからいで故郷の山を訪れた姫は捨丸と再会し、2人だけで自由に空を飛び回る不思議なひと時を過ごします。しかし月が現れた瞬間に終わり、捨丸はこれは夢だったのかと思うのでした。 満月の晩、翁は武士たちを呼んで警護に当たらせていましたが、月からの迎えの一行は彼らの矢をすべて花に変え、全員眠らされてしまいました。かぐや姫は引き寄せられ、天人のもとへ。姫は天人に育ての親である翁と媼に別れを告げる猶予を求め、涙ながらに別れを惜しみました。
【考察】原作「竹取物語」との違いは?人間性をより深く描く作りに

高畑は構想段階から一貫して、「竹取物語」のストーリーをできる限り尊重したいと考えていたようです。一方でキャラクターや演出などには、アニメオリジナルの脚色を積極的に加えています。 たとえばかぐや姫誕生(登場?)のシーン。原作は竹から生まれますが、アニメではタケノコの頭がふわりと広がって、中からお雛様のような愛らしい姿が現れます。それからの里山暮らしや、仲間たちとともにのびのびと成長していく姿を丁寧に描いているところも、アニメならではの魅力です。 幼馴染であるとともに異性としても需要な役割を果たす捨丸というキャラクターは、原作には出てきません。そうした独自の解釈に基づくオリジナリティのすべては、かぐや姫の人間らしさを強く印象付けたかった、高畑ならではのアレンジと言えそうです。 ちなみにかぐや姫の声を担当したのは、幼少期が子役の内田未来。成人してからは女優・朝倉あきが演じています。
【考察】姫の罪と罰とはいったいなんだったのか

映画公開時のキャッチコピーとなっていたのが、「姫が犯した罪と罰」。映画では、地上に憧れを抱いてしまったことがそのまま「罪」であり、その「罰」として月の住人から見れば穢れに満ちた地上に追放されたことが語られています。 彼女が「罪」を犯すきっかけになったのが、劇中で歌われる「わらべ唄」。地上に対する憧れ心を呼び起こしたこの唄をくちずさむたびに、かぐや姫は我知らず涙を流します。 ラストシーンで、姫が正気を取り戻すきっかけとなったのもこのわらべ唄でした。そして彼女は羽衣をまとって地上での記憶を失い、月へと戻っていきます。その時、背後に姫は背後に浮かぶ地球を振り返り、再び涙を浮かべます。 美女の涙は鉄板の「もらい泣きアイテム」ですが、高畑はそんなところにもしっかり、謎めいたメッセージを仕込んでいました。このように観るたびに新たな発見がある『かぐや姫の物語』は、高畑が全霊を込めた底知れない「深さ」を持っているのです。
【考察】捨丸との関係は許されぬ愛だった?

アニメのオリジナルキャラとして前半部分にかぐや姫と深く関わってくるのが、里山の幼馴染・捨丸です。「お兄ちゃん」気質で子供たちのリーダー格、狭い里山にあってはまさにヒーローのような存在なのかもしれません。声は俳優・高良健吾が子供時代から大人まで、通して担当しています。 子供時代のかぐや姫と捨丸の交流には、幼いながらも淡い想いが交わされている様子がはっきりと描かれています。ですから突然の別れの後、互いに大人になって再会した時に、その想いが年齢相応に盛り上がるのは当然でしょう。 成人した捨丸は結婚し妻子ある身。それでもふたりは大人の男女として、幸せな時間を共有します。それは確かにある意味「不適切な関係」だったかもしれません。それでもこと恋愛に関しては不遇だったかぐや姫が精一杯、人として生きようとしているように思える重要なエピソードなのです。
『かぐや姫の物語』に登場する魅力的なキャラクターを解説!
誰かに似ていると大人気!「女童」とは何者なの?

「女童」も読み方は「めのわらわ」。平安時代に、貴族などの身の回りの世話をしていた幼女のことをそう呼んでいたそうです。『かぐや姫の物語』では個性的な存在感を持つ女優・田畑智子が声を演じ、幼女らしからぬユーモラスかつ強烈な存在感を振りまいて穏やかな笑いを生んでくれました。 そんな女童、実は別の意味でもファンに大人気です。理由は「どこかで見たような」ルックス。同じ二次元キャラでは『猫の恩返し』のナトルが激似だと評判に。ちょっと変化球ですが『パタリロ』もかなり造作が接近しています。 ちなみに三次元でも諸説ありますが、満面の笑顔がピンポイントで驚くほど似ているのが、元モーニング娘。のメンバー、鞘師里保。「さやしりほ」でamazonを検索すると2011年発売の1st写真集の表紙が出てきます。その愛らしさ、確かに女童級かも。
顎のカタチが大人気!「御門」のパワハラとセクハラに学ぶ

ある意味、女童以上にインバクトのあるキャラクターが御門。大河ドラマにも出演した歌舞伎俳優、2代目中村七之助が声を演じました。かぐや姫の評判を聞きつけ宮廷に入るように命じるなど、現代ならそうとうパワハラな第一印象ですが、物語の舞台となった平安初期にはごく当たり前のことだったそうです。 彼の「人気の秘密」は個性的なその顔だちにあります。脚光を浴びたのが2015年に地上波で初放送された直後でした。Twitterなどでは通称「顎祭り」で盛り上がりまくり。御門の人並外れてシャープな顎の形状が、さまざまなネタとしてネット上で話題を呼んだのでした。 ちなみに彼の行動はパワハラにとどまらず、明らかなセクハラレベルまでエスカレートして行きます。天然系ナルシストな御門の軽率な行動は、かなり顰蹙もの。これもまたちょっとした、高畑流の反面教師的メッセージと言えるかもしれません。
高畑勲のこだわり「プレスコ手法」が生んだ感動秘話

制作が進んでいた頃に「鳥獣戯画のよう」と言われていた作画は、水彩画調の背景に手書きのようなタッチで注目を浴びました。同様に、高畑のこだわりが発揮されていたのが、すべての高畑作品に共通する「プレスコ手法」と呼ばれるセリフの収録スタイルです。 できあがった映像を見ながら声を収録していく「アフレコ」とは逆に、セリフと音声から作品を作り上げていくこの手法は、声優の演技力や臨場感をより生々しく伝えることができるのだそう。ですが『かぐや姫の物語』では、このやり方がひとつのドラマを生みました。 発端は、翁役の俳優・地井武男の急逝。すでに収録は終えていたものの、セリフの変更でアフレコが必要になってしまいます。その代役としてやはり俳優の三宅裕司が選ばれ、6つのシーンを吹き替えたのでした。公開時、観客のほとんどが気づかなかったという「熱演」ぶりは、高畑のこだわりが生んだ本作の見どころのひとつです。
『かぐや姫の物語』のすべてを物語る主題歌

独特のタッチが強く記憶に残る作画に負けない、印象的な劇伴を担当したのは久石讓。東京交響楽団による演奏など、音楽にも高畑勲らしいこだわりが感じられます。ちなみに劇中の「わらべ唄」や「天女の歌」は、作詞・作曲に高畑自身が携わっています。 そしてなによりも胸を打つのが、二階堂和美が歌う主題歌「いのちの記憶」です。せつせつと穏やかに語りかけるような歌声が伝えるのは、愛してくれた人々と別れて地球を去っていくかぐや姫の、おぼつかない想いそのもの。 頭の中の記憶は失われても、命そのものに刻まれているかのように深まっていく寂しさと切なさを歌ったこの曲は、作品全体のテーマを強く心に響かせてくれました。
高畑勲監督の遺作であり最高傑作となった『かぐや姫の物語』

第87回アカデミー賞で長編アニメ映画賞にノミネートされ、海外での評価も高まった『かぐや姫の物語』。高畑勲監督の遺作であり、最高傑作として世に残されました。この機会に、深いテーマと革新的な映像美をぜひ堪能してみてください!





