2018年10月11日更新

双子や分身、ドッペルゲンガーを題材にした映画15選【夢か現かまぼろしか】

©︎2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINEMAS

自分や愛する人と瓜二つの存在が突然目の前に現れたら、あなたはどうしますか?双子や分身、ドッペルゲンガーといった題材は、昔からサスペンス映画でもお馴染みですね。今回は、そういった相似関係にあるキャラクターが登場する摩訶不思議な映画を15本ご紹介します。

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そっくり?同一人物?双子や分身、ドッペルゲンガーを扱った映画をご紹介

「世の中には、自分に瓜二つな人が3人存在する」 これは昔から言われてきた俗説です。科学的な根拠があるかはともかく、「あれ?この人、あの人にそっくりだ」といったような体験は、誰でも一度はあるのではないでしょうか。 また、自分と姿かたちが一緒の存在「ドッペルゲンガー」を目撃すると死ぬ、といった俗説もあります。もちろん、一つの受精卵が分裂し、姿かたちがそっくりな子供が同時に生まれるという一卵性双生児、いわゆる「双子」といった、科学的に説明のつく事象もあります。 いずれにせよ、人間は「似ている」存在に対し、ミステリアスな関心を抱くことが古くからあるようです。そしてこういった「相似」のモチーフは、古いものから最近のものまで時代を問わず、しばしば映画の題材にもされてきました。 今回は、双子や分身、ドッペルゲンガーといった相似関係にあるキャラクターが登場する映画を15本ご紹介。なお、相似関係であることそのものが結末になっているような映画は意図的に省いているので、ネタバレの心配はありません。

1. 「サスペンスの神様」の失敗作は、映画史上最高の変態映画!?

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最近、評論家が選ぶ名作映画ランキングで一位になったと聞いて!(ヒッチコックさんの映画は「サイコ」「鳥」くらいしかちゃんと見たことがありません。) 映画史分からないけど、この作品は「映画らしい」エッセンスのかたまりで、後世の映画にたくさんの影響をもたらした、お手本みたいな作品なんだろう。 「どっかで見たな~」っていうシーンの大元はむしろこの作品かもしれない(^^)偉大! ストーリーが面白くて飽きない。主人公の狂気が怖すぎる。タイトルにもなってる「めまい」のささやかだけど印象的な使い方。 古いから映像とか音楽とかが不自然に感じてしまうけど、それでも十分に楽しい! 主人公とヒロインが出会うところと、「めまい」のシーンで階下を見下ろしてハッとするイメージのところが好き。

昔の友人から彼の妻・マデリンを尾行するよう依頼された高所恐怖症の元刑事・ファーガソン。マデリンを尾行してみると、彼女は何かに取り憑かれたように奇行に走っていました。やがてファーガソンはマデリンに惹かれていきますが、彼女は錯乱して投身自殺してしまいます。 しかしある時、街角でファーガソンはマデリンに瓜二つな女性を見かけてしまい……。 「サスペンスの神様」として知られるアルフレッド・ヒッチコック監督。彼が生前「失敗作だった」と言っていたのが、この『めまい』という異色のサスペンスです。 監督との相性が悪かったヒロイン役のキム・ノヴァクとの確執や、興行面でふるわなかったことなどが「失敗作」たる所以だと言われています。 しかし、かつて愛した女性の影を追い求めるあまり、容姿の似た女性と出会い、彼女の髪型やファッションをどんどん変えていく、という、美しくも変態的な愛の形はあまりにもミステリアスであり、後のサスペンス映画に大きな影響を与えました。 果たして、ファーガソンが愛したのは、一体誰だったのでしょうか?

2. 舞台女優と看護婦が意識の壁を超えていき、やがて溶け合っていく

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イングマール・ベルイマン監督作品。意味不明な映像を短いカットで繋ぐオープニングのあとに登場するのは閉口してしまった女優と看護を命じられた看護婦。二人は婦長の別荘に移り住むことになる。 その女優がなぜ口を開かないのか、その理由について劇中では誰しもが"自己"という仮面を被ったことに気づいたため、という説明がなされます。しかし看護婦(というより一般寄りな人、多くの人)も自分を偽って生きている。誰しもが仮面を被って生きている…。というメッセージがこめられた前半。二人はどんどん親密な関係になっていき、同性愛かのような演出すらなされます。愛の前では仮面は不必要なのか…。うーん、難しいぞ。 と頭を悩ませますが、後半で驚きの展開。今となってはよくあるアイディアですが、映画のテーマとも寸分違わず一致するのです。これまでボンヤリしていた部分がはっきりしてきます。これがなければ文芸映画(ネガティブな意味も含む)として処理しちゃうところでした。ベルイマンやるじゃん!となります。

失語症になってしまった舞台女優のエリザベートは、海辺の別荘で療養することに。そこで世話をしてくれる看護婦のアルマと親しくなっていきますが、アルマがエリザベートに過去の性的な体験を話したことから、徐々に二人の意識が交わっていきます。 スウェーデンの巨匠・イングマール・ベルイマン監督が放った本作は、二人の女性が親密になるあまり、互いの区別がつかなくなっていき、やがて同一化していく様を描いています。 全編が強烈なコントラストのモノクロ映像で綴られる本作は、説明の少ない観念的な作りをしています。主演のリヴ・ウルマンとビビ・アンデショーンの容姿が似ていることも難解さに拍車をかけており、映画の結末については様々な解釈ができるほど。 公開当時はその難解さと当時としてはやや性的な内容から賛否両論ありましたが、のちに様々なサスペンス映画に影響を与えています。

3. 自分そっくりな他人になりすましたテレビリポーターのたどる運命とは?

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ラストの長回し

テレビリポーターでジャーナリストのデヴィッドは、北アフリカの砂漠のホテルに滞在中、自分と瓜二つの男・ロバートソンの死に遭遇。そこで彼は、今まで築き上げてきた家庭や仕事での成功をすべて棄て、ロバートソンになりすますことを決意します。 世間では自分が死んだことになっていることを知り、ロバートソンが生前考えていたスケジュール通りの行動をとるデヴィッド。しかし、ロバートソンの正体が武器商人であったため、事件に巻き込まれていきます。 『情事』や『欲望』といった不条理映画で知られるイタリアの巨匠・ミケランジェロ・アントニオーニが、『カッコーの巣の上で』で知られるジャック・ニコルソンを主演に描いた映画。自らと瓜二つな人間になりすます男を通して、人間の存在とは何かを問います。 ラストでの7分半に及ぶ驚くべき長回しも必見です。

4. 夢か現かまぼろしか。一枚のレコードに始まる、摩訶不思議な物語。

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まずね、 食事のシーンが多いこと多いこと 弁当、鍋、天そば、満漢全席?、鰻、などを中でも周子が水蜜桃(熟れた桃)を食べるシーンがものすごく妖艶で印象的でした。 きっとこれから桃を食べる時はしょっちゅうこのシーンを思い出すんだろうな^^ それに原田芳雄さんの凄まじい色気だったり大谷直子さんの魅力的な演技だったりが絡んで不思議な展開が深まって行きます^^ 人は死ぬと必ず骨になる。 骨になるまでの過程が問題ではない、 「骸骨が人間存在のもっとも純粋な形態であるということ。(セリフ)」 骨こそが美しい。

大学でドイツ語を教える青地と無骨な彼の親友・中砂は、旅先で小稲という芸者と出会います。のちに中砂の結婚の報せを聞いた青地が訪ねてみると、中砂の結婚相手・園は、小稲と瓜二つでした。 その後も中砂は旅を重ねるごとに小稲と関係を持ち続け、園は幼い娘を残して亡くなってしまいます。再び青地が中砂を訪ねると、彼は小稲を嫁に迎えており……。 サラサーテによる名曲「ツィゴイネルワイゼン」を聴くところからはじまる本作は、内田百閒の『サラサーテの盤』を下敷きに鈴木清順監督が映像化した幻想映画。1980年のキネマ旬報ベストテンで1位になり、日本アカデミー賞最優秀作品賞も受賞した、まさに名作です。 描かれているのは、夢か現実か、誰が死んでいて誰が生きているのかも曖昧な世界。まるで生き写しのような小稲と園、そして中砂の関係性が実にミステリアスです。

5. もう一人の「自分」が死んだことを自覚したとき、彼女の運命は変わっていく

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古くはイザベル・アジャーニとかソフィー・マルソーやシャルロット・ゲンスブールとかのように、当時のイレーヌ・ジャコブありきで、彼女を観るためにあるような…。いや、油絵のような色彩や質感で撮られた街並や、時にダイナミックに動くカメラワークにもうっとりするが、何よりもドラマティックなのがイレーヌ・ジャコブだ。時に物憂げに時に溌剌と、歌ったり泣いたりつまづいたり、その繊細で儚げな表情と一挙手一投足を追うだけで映画になる。ポーランドとフランスに存在する2人のベロニカ、謎めくシンクロニシティはファンタジーというよりも、生々しい肉体を伴った身代わりの幻想。赤と緑が映えるし、既にイレーヌ=赤のイメージは強い。

同じ年の同じ日、同じ時刻に、それぞれフランスとポーランドで生まれた、同じ容姿を持つベロニカ。ともに音楽の才能がありましたが、ある時、ポーランドのベロニカが胸の病で突然亡くなります。 一方、フランスのベロニカはある時、何かを失うような悲しみに襲われます。そして、情熱的な恋に落ちる中で、偶然のいたずらからポーランドのベロニカの存在を認識し始めます。 「トリコロール」三部作で知られるポーランドの巨匠・クシシュトフ・キェシロフスキ監督が、一貫して追い求めてきた「運命」や「偶然」といったテーマを色濃く打ち出した、幻想的な一作。 本作でポーランドとフランスそれぞれのベロニカを見事一人で演じ分けたイレーヌ・ジャコブは、第44回カンヌ国際映画祭の女優賞を受賞。琥珀色の画面に映える彼女の美貌も、本作の幻想性に花を添えています。

6. 突然現れた自分と瓜二つの男に家庭を奪われた男の運命とは?

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過去に捨てられた双子の片割れが、両親を殺し、兄弟を井戸に落とし、復讐をします 塚本監督の独特の退廃した空気が好きでファンなのですが、これもまたキャスト眉全剃りという怪しげな演出… でも見終わったあと、なんというか作品の雰囲気的に眉全剃りでこそこの映画だったな、と思ったのだから不思議

明治の終わりごろ。医院の跡取りとして若くして地位も名誉も手に入れていた大徳寺雪雄は、記憶喪失の妻・りんと共に幸せに暮らしていました。しかしある時、雪雄の両親が不審な死を遂げます。そして雪雄の前に、自分と瓜二つの男・捨吉が出現。雪雄は井戸に投げ込まれ、捨吉は雪雄になりすましてりんと暮らし始めます。 実は捨吉の正体は、生まれてすぐに捨てられ、貧民窟で惨めに生きてきた雪雄の双子の片割れでした。彼は自分を捨てた両親と幸せに生きてきた雪雄に復讐を誓っていたのでした。 『鉄男』や『野火』で知られる塚本晋也監督が、江戸川乱歩の短編を映像化した本作では、本木雅弘が雪雄と捨吉を一人二役で怪演。生き別れてしまった双子の数奇な運命と果たしない復讐の顛末が、おどろおどろしい映像表現で展開されます。

7. 映画の前半と後半で登場人物の名前と役割が変わってしまう極上のサスペンス!

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この映画を観て、謎解きだの解説だの、そんなことばかりいってる人がとっても多いが、それはナンセンスだと思う。 しいていうなら、この映画は、このコーヒーがいかにして作られたか、についての映画である。あるいは、言い換えるならば、この映画がいかにして作られたか、についての映画である。 カウボーイの正体だの、「サンセット大通り」のオマージュだの、ダイアンとリタの関係性だの、そんなことはどうでもいいのだ。 我々は、ただ、この映画の中に漂うだけなのだ。 すなわち、それは、コーヒーを飲むという行為に近い。この映画の謎解きばかり考えるのは、コーヒーを飲みながらこの豆を栽培した小作人が月に何ドル貰うのか、などと考えるのと同じだ。 だが、何杯も繰り返し飲んでいくうちに、そんなことを考えてもいいかもしれない。それだけこの映画は奥が深い。 この映画は漂うだけでも楽しめる。それだけ、我々が漂うこのコーヒーは、濃厚で、香り高く、底がないのだ。ぜひ、濃い目に淹れた、たっぷりのコーヒーを飲みながら鑑賞したい。気付くと、きっと、おかわりがほしくなるはずだ。

ハリウッドの山道・マルホランド・ドライブで事故が発生。唯一生き残った女性は記憶を失い、とある豪邸に逃げ込みます。その豪邸に住み始めた女優の卵・ベティと出会った彼女は、とっさに「リタ」と名乗ります。打ち解けた二人は、リタの記憶を取り戻そうと奔走。やがてベティは女優として成功していきますが……。 ここまでは前半のお話。後半になると、なんと今までの登場人物たちが全く異なるキャラクターとなり、新たな物語を展開し始めます。 前半と後半の登場人物の関係性がどう変化したのかについては様々な解釈があり、公開当時から議論を呼びました。しかし、あらゆるメディアの映画ランキングで上位にあげられるなど、デヴィッド・リンチ監督の作品の中でも特に高く評価されている映画です。

8. 見たら死ぬ……んじゃないの?自分のドッペルゲンガーと上手く付き合っていく方法

医療機器メーカーで人工人体の開発をしている研究員・早崎の前に、ある日突然、彼のドッペルゲンガーが現れます。真面目な早崎に対し、社交的な性格のドッペルゲンガーは、早崎の研究を手伝うようになります。 手段を選ばず、早崎に協力してくれるドッペルゲンガー。しかし、やがて研究に終わりが見えてくると、自らの分身が邪魔になった早崎はドッペルゲンガーを殺害。そこから、完成した人工人体を巡る奇妙な争奪戦が巻き起こり……。 『CURE』や『散歩する侵略者』で知られる黒沢清監督が放った、奇妙なホラーコメディ。遭遇すると死ぬはずのドッペルゲンガーを上手いこと利用することで徐々に身勝手になっていく主人公を、役所広司が一人二役で演じました。 廃墟を舞台にした追いかけっこやどこか滑稽な作りの人工人体など、黒沢清らしいシュールな作りになっています。

9. 愛し合う二人の青年たちの物語が一転、後半は鬱蒼としたジャングルの中へ

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どこまででも見ていられる仲睦まじい二人が、兵士と虎に変容した瞬間、なんと、この映画までもが変容する、という、とんでもない映画だ。 清涼剤の如き前半、情念と欲望の後半。 まるで二つの違う映画を観せられたかのようだが、どちらも結局、愛であることには変わりない。しかし、やはり得も言われぬ愛の恐ろしさ、この凄まじさはなかなか味わえないだろう。 ただ、森の場面があまりにも暗いのが極めて残念。

兵士のケンと村の純朴な青年・トンは、タイのとある村で愛し合っています。映画『トロピカル・マラディ』は、そんな二人の穏やかで爽やかな恋模様を描いた映画です。 しかし、後半で一転。映画は突然、森の中で虎に変身する青年と彼を追う兵士の物語に変貌を遂げます。面白いことに、どちらの物語のキャラクターも同じ二人の俳優が演じているのです。 『ブンミおじさんの森』でタイ人として初めてカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンが監督した本作は、「人間が虎に変貌する」というタイの伝説と中島敦の『山月記』に影響を受けて制作。 前半と後半で青春映画から怪奇映画へ、村から森へ、人間から虎へと、物語も舞台もキャラクターも様変わりしてしまうその構成は、当初は賛否両論を呼びました。しかし、劇映画の新しい可能性を追求し、人間の同一性や変化を考察した興味深い一作でもあります。

10. 突然現れた分身に全てを奪われていく……昭和歌謡が彩る奇妙な世界

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Satoko_Suzuki 4.5

2015/01/25 不条理、なだけなら結構あっても、こんな雰囲気の映画って、そうそう無いかも。軍事政権下の共産主義的な世界で、近未来のようにもとれるレトロさ(又は貧乏臭さ)漂う管理社会に生きる、存在感の無い男の、アイデンティティを探すお話。 すごく好きです、こーゆーの。 「未来世紀ブラジル」「複製された男」あたりが好きな方は、もうツボですね。 音楽も不思議さを倍増しています(九ちゃんやブルコメ!そしてわかんないけど韓国の歌!)。主役の二人が、この映画撮影時に付き合い始めた、って言うのも、なんか感慨深いなあ。 多分、好き嫌いがハッキリ分かれる映画ですね(*_*)

仕事ができず、職場で冷遇されている青年・サイモン・ジェームズ。彼の唯一の癒しは、同僚の女性・ハナでした。ある時、サイモンの職場に新入社員として彼と瓜二つな見た目をしたジェームズ・サイモンという青年が入ってきます。 チャーミングで有能なジェームズは職場で愛されるようになり、サイモンにハナにアプローチをかけるためのアドバイスもくれました。しかし、徐々にサイモンはジェームズに脅威を感じるようになっていきます。 ロシアの文豪ドストエフスキーの小説を映画化した本作は、いつの時代ともわからぬセット、不気味なノイズを中心とした効果音、そして突然流れる昭和歌謡(!)といった独創的な作風で話題を呼びました。 ちなみに1968年には、イタリアでベルナルド・ベルトルッチ監督が同じ原作を映画化しています(『ベルトルッチの分身』)。

11. 自分と瓜二つな俳優を見つけた男の運命は!?

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2014/07/19 シネリーブル梅田 観終わって「えっ!?」となる映画は傑作か駄作かのふたつにひとつである。この映画は間違いなく前者で、観終わってすぐにもう一度見直したくなるだろう(実際二日連続で観てしまった)。宣伝文句として「究極のミステリ」とあるのだが、推理小説のような論理的な回答を求めるとやや不完全燃焼かもしれない。実際初見の時にはその印象が強かったのだが、反芻するうちに「もしかすると?」「あれは実は…」等と様々な仮説が頭の中を駆け巡り、確認のためにまた観たくなると言う、まさに計算され尽くしたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の手腕に唸らされる。パズルのピースを全て提供しながら、その完成形をハッキリと提示しないので、好き嫌いは分かれるかもしれないが、確実に観る者の頭を、そして心を刺激するだろう。

大学で歴史を教えるアダムは、ある時、たまたま見ていた映画の一場面に自分と瓜二つな男が出演していることに気付きます。 俳優はアンソニーといい、アダムは彼に会ってみることに。彼らは姿形はもちろん、声や生年月日、胸にある傷痕まで一致していました。するとアンソニーは、アダムの恋人・メアリーと一晩を過ごすことを迫り……。 ポルトガルの作家・ジョゼ・サラマーゴによる小説を、のちに『ブレードランナー2049』を監督するドゥニ・ヴィルヌーヴが映画化したものですが、度々現れる「蜘蛛」のモチーフは映画独自のもの。ジェイク・ギレンホールがアダムとアンソニーを演じています。 登場人物は少なく、90分というあまり長くない尺でありながらも謎が多い秀逸なサスペンスが展開されており、高い評価を獲得。特に、観客を煙に巻くようなラストは、様々な解釈を生みました。

12. 戦争の下で大人による暴力に巻き込まれていく双子の運命

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戦時中、双子の我が子を疎開させるため町で魔女と呼ばれている祖母の元に預ける。そこで双子の少年たちは父に言われた通り日々の出来事の事実を書き記す。 祖母の家.町では、戦争のしわ寄せが覆いかぶさり彼らの生活を一変される。 今作は映像化が難しいと言われていたらしく、原作よりはソフトに描かれているものの目を閉じたくなる現実を突きつけられました。「悪童日記」とありますが、彼らはそうするしかなく、そうする事で生きる術を身につけたのです。本来第一に守らなければならない対象である子どもたちが理不尽な世界にさらされ、世界に馴染んでいく。とても痛い映画でした。 冒頭、幸せな家族からは想像の出来ない目を彼らがしていた事がこの映画の全てを物語っているような気がします。

第二次世界大戦下のハンガリー。平和に暮らしていた双子の兄弟は祖母の住む田舎に疎開しますが、そこで彼らは祖母からの酷い仕打ちを受けます。しかし双子は、そんな悲惨な日常を父から贈られた日記に記録していき、自分たちで鍛錬を開始。肉体的にも精神的にも強くなっていきます。 映像化不可能とも言われていたハンガリー出身の亡命作家アガタ・クリストフのベストセラーを映画化した本作は、大人の都合によって理不尽な世界に投げ込まれた双子が懸命に生き抜く姿を、詳細でありながらも特定の固有名詞を用いずに映し出していきます。 子供らしい純真さや情緒を失っていき、保身のためであれば大人達にも容赦しない彼らの姿は、たくましくも残酷なことこの上なく、戦争によって荒んだ人間の姿そのものともいえるでしょう。

13. 双子の住む家に帰ってきた母は、どこか様子がおかしい……

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美しい自然と双子の少年という絵になる美しさとは裏腹なストーリーとグロテスクな小ネタ。僕の好きな雰囲気と嫌いな雰囲気が共存するこの映画はなんとも不快。 この映画において不快とは褒め言葉だと思う。

郊外の大きな一軒家で母の帰りを待つ双子の兄弟。帰ってきた母は、顔の整形手術を受け、包帯で素顔がわからない状態になっていました。 二人は物静かで冷たい人格になってしまった母の姿を見て、本当に自分たちの母親なのかを疑い始めます。そこで様々な方法で母を試すようになるのですが……。 シッチェス・カタロニア国際映画祭を戦慄させた本作は、ミヒャエル・ハネケ監督を生み出したオーストリアのホラー映画。そのため、どこかハネケの映画を彷彿とさせる雰囲気があります。 終始静かで不穏な空気の中、徐々に常軌を逸していく双子の姿はトラウマ必至。また、予告編にもあるように大量のゴキブリが登場するため、苦手な方は要注意です。

14. 性格が真逆な双子の精神科医の間で揺れ動くヒロインの秘密とは?

謎の腹痛に悩むクロエは、精神科医であるポールの元へ行き、診察を受けるように。徐々に症状が和らぎ、二人は恋人同士になっていきます。 そんなある時、街でポールと瓜二つの男性を見かけたクロエ。彼の正体は、ポールの双子の兄弟であるルイ。彼も精神科医でした。 クロエはポールを愛しながらも、ルイとの倒錯した関係に溺れていきますが……。 『17歳』のフランソワ・オゾン監督とマリーヌ・ヴァクトが再びタッグを組んだ本作は、全く正反対な双子の精神科医との性的な関係に嵌っていくヒロインを描いたエロティックスリラー。 鏡や螺旋、猫といったモチーフが繰り返し登場する本作は、全編にわたって様々な伏線が仕掛けられ、夢とも現実とも知れない独特な映像が続きます。 果たしてクロエが最後に選ぶのはポールか、ルイか、それとも……。

15. 同じ顔を持つ二人の男の間で迷うヒロインが最後に選ぶのは……

朝子は麦(ばく)という青年と出会い、恋に落ちますが、しばらくすると麦は失踪してしまいます。 2年後、上京してきた朝子はカフェで働くことに。そこでコーヒーを届けに行ったある酒造会社で、麦そっくりな顔をした男性・亮平と出会います。麦のことを忘れられない朝子でしたが、二人は惹かれあっていきます。 やがて一緒に暮らすようになった二人でしたが、そこに麦が再び現れ……。 柴崎友香の原作をもとに『ハッピーアワー』の濱口竜介監督が商業映画デビュー作として手掛けた本作は、カンヌ国際映画祭でも絶賛されました。東出昌大が麦と亮平を演じ分け、独特な魅力を見せています。 まるでファンタジー映画のような不思議な感覚と現実の出来事にリンクしたリアリティが同居した新しい感性が多くの映画ファンを惹きつけました。

そっくりな見た目のものには、サスペンスがある

人間は古来より、自然や人間の美しさを作品という形で模倣することに歓びを感じてきました。また、何か違うもの同士を見て「似ている」と感じることにも快感を感じる生き物です。 そのことからも明らかなように、古くから見た目のそっくりなものに対してはある種の驚異があったのではないでしょうか。 見た目がそっくりな二人の人間に惹かれたり、双子がどんどん暴走していったり、自分の分身によって人生を無茶苦茶にされたり、物語の途中で登場人物が変貌したりと、今回紹介した映画も、そんな「そっくり」に対する驚異や感動が双子や分身、ドッペルゲンガーという形で描かれたものばかりです。 それらは自然が生み出した産物であることもあれば、人間の深層心理が生み出した幻に過ぎないこともありますが、いずれにせよ、この上なく面白いサスペンスを生み出し、我々を楽しませ続けているのです。