2020年12月28日更新

映画『天気の子』森嶋帆高について考察!家出少年が愛の力で社会に立ち向かう

『天気の子』
(C)2019「天気の子」製作委員会

140を超える国と地域で公開され、世界中で話題となったアニメ映画『天気の子』。しかし主人公・森嶋帆高の行動には賛否両論が巻き起こりました。帆高はどんな人物だったのでしょうか?映画を振り返りながら考察していきます!

目次

映画『天気の子』主人公・帆高に込められたメッセージを考察

映画『天気の子』は、新海誠が監督・原作・脚本を手がけた長編アニメーション作品です。世界中で爆発的ヒットとなった前作『君の名は。』(2016年)以来の待望の新作とあって、公開前に140を超える国と地域への配給が決定し、公開後も大きく話題となりました。 離島から東京に家出してきた少年・帆高と、祈るだけで天気を晴れにできるという不思議な力を持つ少女・陽菜。2人が出会った事で動き出す運命に翻弄されながらも、まっすぐに生きる姿を描いています。 しかし新海誠監督自身も「賛否が分かれるメッセージを込めた」と語っていたように、主人公・帆高の反社会的な行動や身勝手とも取れる決断には賛否両論が巻き起こりました。 この記事ではそんな帆高の人物像や魅力に迫っていきたいと思います。ネタバレを含みますので、まだ映画を見ていない方はご注意ください。

帆高の活躍をおさらい!「天気の子」と出会いピュアな恋に落ちる【ネタバレ注意】

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(C)2019「天気の子」製作委員会

離島から東京まで家出してきた高校1年生の少年・帆高は、仕事も住む場所も見つからず彷徨い、フェリーで出会ったライター・須賀の元で働き始めます。その夏の関東地方は異常気象で雨が続いており、一時的な晴天を呼ぶ「100%の晴れ女」の都市伝説が流れていました。 ある日帆高は、少女が男に襲われていると勘違いし、以前拾った拳銃を衝動的に発砲します。助けた少女・陽菜こそが「100%の晴れ女」であり、彼女は“祈るだけで晴れにできる”という不思議な力を持っていたのです。 中学3年生にして身寄りがなく弟と2人暮らしで、経済的に困窮している陽菜の様子を見た帆高は、その力を商売にする事を提案。しかしスカウトマンに発砲した件で須賀の元に刑事が訪れ、陽菜たち姉弟に児童相談所が介入してきたことから、ともに逃避行を決意します。

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逃避行中に異常気象が進み、夏だというのに雪が降り始めます。そして“天気の巫女が人柱として犠牲になる”という伝承のとおり陽菜の身体は消失し、東京に数か月ぶりの晴天が訪れました。 廃ビル屋上の神社で帆高が祈ると、奇跡的に陽菜が復活します。しかし降り止まなくなってしまう雨。東京の荒川、江戸川下流域の広範囲が徐々に水没していくのでした。

陽菜と恋に落ちたのはなぜ?年下の姉弟と出会い、責任感を育てる帆高

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東京に出てきてすぐ、帆高が出会った不思議な少女・陽菜。彼女は14歳ながらに、年齢を詐称してアルバイトをしながら、弟と2人、大人に頼らない自立した暮らしを送っていました。 陽菜が頑なに施設を拒んだのは、たった1人の家族である凪と自分を引き離すような、大人や社会に対して不信感を抱いていたためではないでしょうか。 大人に嫌気がさしたという点は、家出をした帆高も似ています。2人は大人や社会に抗おうとして互いに仲間意識のようなものを感じ、その気持ちが恋に発展していったのではないでしょうか。 帆高と出会って陽菜は、14歳らしく、少し年上の帆高に頼ることができるようになっていきます。一方帆高は恋を経て、少し年下の陽菜たちを守ろうと、責任感のようなものを育てていきました。だから帆高は陽菜を呼び捨てで呼ぶようになるのです。 重要になるのはこの年齢設定。1歳差というのは大人にとっては大した違いには感じられないかもしれません。しかし14、15歳くらいの、大人でも子供でもない年頃の2人にとっては、絶対的な価値観になり得ます。 2人は同じ願望を持った同年代の仲間として親近感を感じつつも、年齢に応じた役割や頼りがいから互いに理想のパートナー像を見出して、恋に落ちたのかもしれません。

小学生をセンパイ呼び?恋愛マスターの凪と帆高の関係

陽菜の弟・凪は同級生の女子をさらっと褒めて喜ばせるなど、小学生にして女心を完璧に理解している恋愛マスター。見た目もカッコよくスポーツもできて、男子からも人気があります。 帆高が陽菜の誕生日プレゼントを相談しに行った際も、的確で核心を突くアドバイスをくれる凪。驚いた帆高は、その時から凪を「センパイ」と呼ぶようになるのです。 このシーンでは小学生なのに大人びている凪の存在によって、帆高が純真な少年であることがより浮き彫りになっています。 両親がおらず、ここまでしっかりするほど苦労してきたであろう凪に比べ、帆高は少年のまま。しかし警察署で陽菜の年齢が判明すると、「俺が1番年上じゃねえか!」と2人を守る責任感を感じ始めます。凪に対する呼び方も「センパイ」から「凪」に変わりました。 辛くても笑顔で懸命に生きる2人を尊敬しつつも、守っていけるくらい更に強い人間になるために、子供だった帆高は、物語を通して踠き成長していくのです。

帆高を雇ってくれた編集長・須賀の思惑

東京で生活に困窮した帆高は、ライター・須賀の元を訪ねます。東京へ向かうフェリーの甲板上で、帆高が船から落ちそうになるところを救ったのが須賀でした。 須賀は帆高に食事とビールを奢らせるのですが、彼が家出少年であることを察し、「もし東京でなんか困ったことがあったらさ、いつでも連絡してよ」と言いながら名刺を手渡しています。 須賀自身もまた、10代のころに東京に1人で出てきた家出少年でした。帆高が昔の自分の姿と重なったからこそ雇ったのでしょう。 しかし大人になってしまった須賀は、刑事が訪ねてきた時点で帆高を追い出し、その後も帆高の行動を制するような「常識のある行動」をします。 いつのまにか社会に染まったかつての家出少年・須賀との対比により、帆高の純真さが際立って見えてくるのです。

反社会的な少年・帆高を肯定的なキャラクターとして描く訳

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家出をしたり、銃を発砲したり、陽菜を守るために暴走したり……。反社会的な少年・帆高を、ピュアな恋をするまっすぐで純真な少年であると描く『天気の子』。そのギャップに戸惑う人や疑問に思う人も多いようです。 新海誠はいったいなぜ、彼を肯定的なキャラクターとして描いたのでしょうか。込められたメッセージを探って行きます。

家出の理由を映画で描かなかったわけ

帆高が家出をした理由について、小説では父親と仲が悪く、序盤で帆高の顔に貼られている絆創膏は父親に殴られたためだと触れられています。ですが劇中では帆高が「苦しくなって」家出したのだと説明しただけで、それ以上詳しくは説明されません。 劇中で家出の理由を説明しなかった理由について、新海誠は映画パンフレットで以下のように語っています。 「帆高は家出をして東京に出ていますが、その家出の理由を劇中では明確に語っていません。トラウマでキャラクターが駆動される物語にするのはやめようと思ったんです。映画の中で過去がフラッシュバックして、こういう理由だからこうなったんだっていう描き方は今作ではしたくないな、と。内省する話ではなく、憧れのまま走り始め、そのままずっと遠い場所まで駆け抜けていくような少年少女を描きたかったんです。」 父親の暴力のような具体的な要因と紐付けず、ここではない憧れの場所に行きたいという漠然とした感情に従って行動させることで、より多くの人が共感しやすいようになっているのではないでしょうか。

銃と考える正義、2回の発砲をくらべる

東京で生活が困窮する中、倒してしまったゴミ箱の中にあった紙袋から銃を発見した帆高。思わずカバンの中に隠します。この拳銃はおそらく、物語冒頭のニュースで流れていた、反社会勢力から押収された16丁と関係があるものでしょう。 手に入れた過程から、銃は反社会性と暴力の象徴だとわかります。これを帆高が拾い発砲したことには、どんな意味が込められているのでしょうか。 1回目の発砲は、怪しい男に絡まれている女の子を助けるためという、物語としては王道で正当な正義の行使のように見えました。しかし実際は、陽菜はその店で働きたかっただけで、危険に陥っていたわけではなかったのです。帆高の勘違いであり、のちに陽菜からきつく叱られました。 このように1回目の発砲は、ありふれた正しさを打ち砕く、過ちの経験として描かれています。 2回目の発砲は、警察という社会権力を相手になされました。その様子は、誰かを犠牲にすることで成り立つ理不尽な社会に対して、帆高が怒りを爆発させたようにも見えます。 平然と誰かを犠牲にするような社会の悪を止められるのは、愛という正義でした。「青空よりも陽菜がいい」というセリフからは、帆高の真っ直ぐな愛が感じられます。社会権力という欺瞞的な正しさに、愛が勝利したのです。 1回目の発砲は「過ち」で、2回目の発砲を「正しい」とする。物議を呼ぶポイントではありますが、愛こそが何よりも正しいという、メッセージを感じることができます。

「世界を変えてしまった」けど「大丈夫だ」ってどういうこと?

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帆高の願いが届いて、陽菜は世界に戻ってきました。しかし同時に東京は荒天に襲われ、やがて水没します。 2人の愛は社会権力に打ち勝って、ついに世界の仕組みを壊してしまいました。世界のサイクルを壊したということは、多くの人々の日常も壊したということでもあります。それを「大丈夫」と言う帆高の発言は、いったいどういう意味なのでしょうか。

「世界を変えてしまった」

まず「世界」について考察すると、そもそも元の世界が「大丈夫」ではないという前提が、映画の根本にあることがわかるのです。これは須賀の「世界は元々狂ってる」や、冨美の「ここは元々海で、人間が自然を壊したのだから、元に戻っただけだ」というセリフからわかります。 そして帆高は「世界を壊した」のではなく「世界を変えた」のです。完璧な世界を壊したのではなく、もとから狂っている世界を、また別の形に変えたのでした。 帆高や陽菜がとった行動が、世間一般から肯定されることはないでしょう。しかしそもそも狂っている世界から、肯定される行動を常に選択しようとする必要があるのでしょうか。

川村元気と新海誠のコメント「根拠なく『大丈夫だ』と言ってほしい」

プロデューサーの川村元気は、「ルールから外れたことを言うと袋叩きにあうような息苦しさが世の中に蔓延」していると語っていました。そして新海誠監督は「何の根拠や保証もないが、若者に『大丈夫だ!』といってほしい」のだとコメントしています。 これらの考え方が映画に反映されており、帆高の行動は、世の中の批判に縮こまったり、責任を負うことを恐れたりせずに、愛や憧れに向かって何も考えず真っ直ぐ行動して良いのだと思わせてくれました。 世界を変えてしまっても大丈夫と言って良いのです。むしろ監督は若者に、社会の状況を考えるよりも、自分の感情、衝動にしたがって真っ直ぐ行動してほしいと考えていました。

RADWIMPSの楽曲「君にとっての大丈夫になりたい」

このセリフをさらにわかりやすく補足してくれているのが、RADWIMPSの「大丈夫」という楽曲です。 「君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての『大丈夫』になりたい」という最後の歌詞は、状況について案じるのではなく、根拠なく心配せずに駆け抜けてほしい、『天気の子』はそう安心させられるような作品になりたい、と言っているように聞こえます。 帆高と陽菜はきっとこれからも、「大丈夫」と未来を信じて、前向きに駆け抜けてゆくのでしょう。 しかしこの「大丈夫だ」というセリフは、物議を醸したポイントでもありました。あなたは帆高の「大丈夫」に共感できましたか?

帆高と陽菜のモデル!?神話と考える残酷な自然と社会

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新海誠作品に日本の古典をモチーフにしたものが多いことはご存知でしょうか?例えば『言の葉の庭』( 2013年)には万葉集の引用があり、『君の名は。』(2016年)は、男女が入れ替わる古典「とりかへばや物語」や小野小町の和歌から着想を得ているのです。 帆高と陽菜のモデルではないかと考えられる神話や言い伝えを紹介し、その話の教えから作品に込められたメッセージを考察していきます。

洪水を生き延びた男女の伝説

新海誠の故郷は信州で、そこには穂高神社という神社があります。そこに祀られているのは、島から船に乗って日本各地へ移住していった安曇族の氏神・穂高見命(ホタカミノミコト)です。帆高が船に乗ってきたのはここに着想を得ているのかもしれません。 安曇野はかつて安曇平と呼ばれ、新海監督の故郷の佐久市も佐久平と呼ばれていました。信州の「平」がついていた場所には、共通して「洪水神話」と呼ばれる神話が残っています。実はそこは元々水に覆われていて、人間が山を崩して水を排出し、人が住める村になったというのです。 その地域に共通するものとして村の守り神のような石像・双体道祖神(そうたいどうそじん)が残っています。双体道祖神は男と女のペアで、洪水から生き残った2人なのだとか。 ちなみに双体道祖神は『君の名は。』の中でも何度か登場しているんですよ。

陽菜に似ている、てるてる坊主の元になった中国の娘

陽菜を悩ませた、「天気の巫女になる」という運命。この話の原点にあるのは、「てるてる坊主」の起源であるとされる中国の「掃晴娘」という言い伝えではないかと考えられます。 むかしむかし、北京に頭が良く手先が器用で美しい少女・晴娘がいました。ある年の6月、北京は連日続く大雨によって水害が起こり、人々を悩ませます。 晴娘が天に向かって雨が止むようにと祈りを捧げると、天から「東海龍王の妃となるなら雨を止ます。ならないのであれば北京を水没させる」と声が聞こえました。晴娘は北京を水害から守る為に、自らの身を天に捧げる決意をします。 すると雨は止み空が晴れ渡りました。しかし晴娘の姿はそこにはありません。それ以来北京の人々は雨が続くと、晴娘を偲んで切り紙で作った人形を、門に掛けるようになったのだそう。 陽菜のことは帆高が救いましたが、この言い伝えの晴娘は天気の巫女によく似ていますね。

『天気の子』は現代版の人身御供譚だった

「掃晴娘」は1種の人身御供譚です。人身御供譚とは、人間を神への生贄とする物語のこと。 その役割はかつて絶対的な災いに、生贄という残酷な手段で対処してきたことを語り継ぐことです。今は生贄を出す必要はなくなったけれど、自然やかつて生贄となった者への感謝と畏敬の念を、人々に忘れさせないようにします。 つまり過去の自然と共同体の残酷さを再認識し、今後そのような暴力的な過去を繰り返さないようにするための話なのです。 しかし現代においてもまだ、直接「生贄」という形でなくとも、世界の秩序のために犠牲を強いられている存在がいます。『天気の子』は、「人身御供」を過去の悲劇ではなく、現代の問題として投げかけているのです。 帆高が人柱となった陽菜を助けたことには、「世界というのは元来、『生贄』なくしては成り立たない理不尽なものだから、そんな世界のために自分を犠牲にするな、愛をもって世界の残酷性に立ち向かおう」というようなメッセージが込められていたのではないでしょうか。

帆高の声優は醍醐虎汰朗、新人男優賞を受賞した期待のルーキー

帆高の声優には、2000年生まれ・東京都出身で注目のイケメン俳優、醍醐虎汰朗が抜擢されました。 彼は2017年に「舞台『弱虫ペダル』新インターハイ篇〜スタートライン〜」の一般公募オーディションで主人公・小野田坂道役に選ばれてデビューした、期待の新人俳優です。 帆高役も、オーディションで2000人の中から選ばれて決定。彼に決めた理由を、新海誠は舞台挨拶にて「見た目も、一生懸命だけど周りに気を使いすぎて少し空回りしてしまうような性格も、僕の中の帆髙のイメージ通りでした。」と語っています。 『天気の子』声優出演で注目を集め、第十四回 声優アワードでは新人男優賞を受賞しました。その後も映画『宇宙でいちばんあかるい屋根』(2020年)や『太陽は動かない』(2021年公開予定)などに出演。今後の活躍が期待されるルーキーです。

『天気の子』帆高に学ぶ、愛にできること

反社会的な行動に「理解できない」「無責任だ」という批判の声もあった帆高。しかし痛いほど共感した人もたくさんいるでしょう。帆高は「理解できない」と世界から見放されたような存在や、世界に怒りを抱く若者たちに向けたメッセージが込められたキャラクターなのかもしれません。 まっすぐな愛をもって社会に立ち向かうことは、本当に悪なのでしょうか。本当に社会は正しくて、社会を犠牲の上で成り立たたせるような暴力は起きていないでしょうか。帆高の行動と物語を通して、もう一度考えてみてださい。