2023年7月4日更新

『もののけ姫』シシガミ様の正体とは?デイダラボッチ消滅のその後も考察

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『もののけ姫』

1997年に公開された映画『もののけ姫』は、宮崎駿が監督を務めたスタジオジブリの作品です。宮崎駿監督の考えたメッセージが込められており、時代を問わず観客に訴えかけるものがあります。 作中では様々な神が登場し、一際強い存在感を放っているのがシシ神(シシガミ)。昼は人間の顔を持った鹿のような姿をしており、夜は巨大なデイダラボッチに姿を変えます。 この記事では、そんなシシ神様って結局一体何なのか?という疑問を解消していきます!

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『もののけ姫』シシガミ様の特徴を解説!他の神にとってどんな存在だった?

『もののけ姫』

シシ神は人間の命だけを奪い、罰しているわけではありません。自然界に生きる乙事主(おっことぬし)は、森とシシ神を人間から守ろうとしたにも関わらず、その命を奪われました。 このことから、シシ神はもののけ達や自然界を守るだけの神というわけではなく、生きるものすべてに対しての神であるということがわかります。 とはいえ、シシ神に関しては明確な答えは劇中では語られず、観た人にゆだねられる形になっていました。

『もののけ姫』

モロ一族や乙事主は人の言葉を解して話しますが、シシ神は劇中で一言も言葉を発することはありません。シシ神が他の神々とは違う「超常の存在」として描かれていることがわかります。 また昼と夜の姿が違う点も特殊で、昼は複数の動物を取り込んだような不思議な姿であり、夜は日本古来の国造り伝説で知られる存在「デイダラボッチ」となっていました。つまり、昼の姿はあらゆる生き物の生命を、夜の姿はすべての自然を表していると考えられます。 さらに他の神々との決定的な違いは、あらゆる生き物に対してその命を与えることも奪うこともできるという点。人間を含め生き物にとっては、それは大いなる自然そのものといえるのではないでしょうか。自然は命を育むことができる反面、災害などで命を奪うこともあります。 謎を含んだ不思議な存在であることが、今なお私たちを惹きつけているのではないでしょうか。

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デイダラボッチとはどんな存在だったのか?

『もののけ姫』

一般的にデイダラボッチは日本で伝承される、山や湖を作ったとされる巨人のことを指します。 劇中では日が暮れて晩になってから、シシ神の森をゆっくりと歩き回る姿が描かれていました。その姿は半透明の身体に銀河のような無数の光を持つ巨神で、自然の中の生命の与奪を司っているといいます。 昼の姿からデイダラボッチになる時は、首が伸びて巨大化していき、次第に身体が透き通っていきます。終盤に首を打ち落とされた後は首のない状態で巨大化し、ドロドロした黒い液体を出しながら森からタタラ場をすべて枯らしてしまいました。

シシガミがアシタカを助けた理由を考察

『もののけ姫』

物語の序盤で、アシタカがタタラ場の女性に銃で撃たれて瀕死の状態になりますが、その時にアシタカの傷を癒して救ったのがシシ神です。しかしなぜ、タタリ神の呪いを受けた人間の命を救ったのでしょうか。 それはおそらく、アシタカにその呪いの運命を「全うさせる」ため、あえて傷だけを治して生かしたとも考えられます。ここで呪いまで治してしまうと、アシタカが自身で運命を切り開くのを妨げてしまうからとも読み取れるでしょう。 実際、最後までアシタカはその呪いを一身に引き受けつつも、自らの意志で運命を切り開き、その呪いの跡を手のひらに薄く留めるまでにしました。 またこの呪いは、シシ神の森のもののけたちとタタラ場の人間たちをつなぐ架け橋となるようアシタカを導いているとも感じられます。呪いを受けたことで森が失われつつあるもののたたちの悲しみを知り、なおかつ人間の営みにも理解を示すことができる「共に生きる人」としての彼の立ち位置が重要なのです。

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なぜ人間たちに首を狙われたのか

『もののけ姫』

『もののけ姫』はシシ神を中心に物語が展開します。なぜシシ神は人間たちから狙われることとなったのでしょうか。 それはシシ神の血にどんな病も治ると言われていたことや、首に不老不死の力が宿っていると言われていたため。 これらはあくまで噂や憶測でしかなく、実際にその力があったのかは不明。しかしシシ神自身は傷を治したり命を吸い取ったりといったことができ、アシタカの言葉を借りれば「生命そのもの」といえます。シシ神の肉体にそれだけの力が宿っていても不思議ではありませんね。

シシガミは結局どうなった?その後を考察

『もののけ姫』

劇中で結局シシ神は首を獲られます。そして不気味な液体が森を枯れ果てさせてしまいますが、アシタカとサンが首を戻したことで、森は再生しデイダラボッチは消えていきました。 サンは「シシ神様は死んでしまった」と言いますが、アシタカは「シシ神は死にはしないよ。生命そのものだから。生と死と2つとも持っているもの」と返します。 このアシタカのセリフにあるように、シシ神は生と死を司る存在。つまりシシ神には一般的な死という概念はなく、死すらもシシ神の一部になっていると考えられます。 消えた後も、シシ神はどこかの森にいるのかもしれません。

シシガミのモデルとなった動物は?

『もののけ姫』

シシ神は基本的には鹿のような見た目をしていますが、様々な動物の要素が混在しています。 人間のような顔に、猫のような鼻とヤギのような耳。そして猪のような胴体に、カモシカのような体毛を持っています。さらに犬のような尻尾と鳥のような足と、それらの特徴を持ち合わせていることで、シシ神を異質な存在に感じさせているのです。

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シシガミの顔が変わるのはなぜ?トラウマ級に怖いシーンを解説

『もののけ姫』

『もののけ姫』は戦のシーンで腕や首が切り落とされるといった、割と幼い子ども向きではない場面がそこそこ登場しますが、中でも“トラウマ級に怖い”と言われているのが、シシ神の顔が急に変わるシーン。 序盤では前述のアシタカの傷を癒す前、登場した場面での顔が異様に赤く、まるで年老いた猿のように変わっていました。ここでは、命を与える業を行うため顔が変化したように感じました。 終盤のエボシに撃たれるシーンでは、一度目に撃たれた時は急に両目がグルっとホラーのように縦になりますが、まったく効いていないように無表情に戻ります。その後すぐ、夜になってデイダラボッチに変わる直前に、二発目が首に命中して頭が落ちてしまいますが、その顔が不気味な笑みを浮かべていてかなり恐ろしい! ここでの顔の変化は、人間が踏み荒らす度に歪んでいく自然を表現したのではないかとも考えられます。

シシガミの森は日本に実在する?

『もののけ姫』

シシ神の森は、特に場所が特定されてはいませんが、中国地方をイメージして描かれたそうです。全体的な山々、俯瞰で見る山の連なりの様子は確かに山陰の深い森林を想起させます。 また、シシ神の森の内部が、鹿児島県にある世界自然遺産で国立公園となっている屋久島がモデルになっていることは有名。特にその中でも「屋久杉」が神秘的に描かれていることは、ジブリファンならずともよく知られており、劇中でも印象的なシーンとなっています。

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シシガミ様は生と死を併せ持つ自然の神

生命そのものと呼べる神で、物語の中心となっているシシ神。昼と夜で姿を変える人知を超えた存在で、サンなど森に生きる者たちをも超えた存在とも考えられます。 その身体には様々な生物の特徴が見られ、自然を体現していると言えるでしょう。生命を司っているようにも思えるシシ神は、『もののけ姫』の中でも印象が強く、そして重要なキャラクターであることは間違いありません。

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