『コクリコ坂から』が気持ち悪い・意味不明と言われている理由は?映画の評価・感想を正直レビュー
2011年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画『コクリコ坂から』。ジブリには珍しく少女漫画を原作としており、宮崎吾朗監督の第2作でしたが、大きく賛否の分かれた作品でもあります。 この記事では、『コクリコ坂から』の批評と魅力の両方を取り上げ、厳しい批判の理由も掘り下げていきます。 ※この記事は『コクリコ坂から』の重要なネタバレを含みます。
『コクリコ坂から』が気持ち悪いと言われている理由は?
①ストーリーがつまらない
原作漫画と映画版では物語の流れはおおよそ同じですが、原作にはない設定「カルチェラタン」など、俊と海の恋愛模様の他にエピソードを詰め込みすぎていて、説明不足に感じる人も多いようです。 2人の恋の行方がメインなのか、カルチェラタン取り壊し反対の闘争がメインなのか、最終的に何を伝えたかったのか、その辺りが結局よくわからず、なおかつ人物描写が浅いといった意見もありました。
映画版とは違う原作漫画を
②兄弟の恋愛だと思うと気持ち悪い、恋愛に感情移入できない
何より批判の的となっていたのは、ジブリ作品にはあるまじき禁断の「近親相姦」を扱っていたこと。最後には兄妹ではなかったことが判明しますが、その途中で俊と海が「兄妹でも好き」と告白し合うシーンがあります。 「気持ち悪い」という批評の声が多いのも、これが第一の理由のようです。しかも兄妹の恋愛だと思って観ているのに“キュンキュンしてしまう”自分が気持ち悪い、といった感想も散見されました。
③時代背景を理解していないと意味がわからない
物語の舞台が1963年であるため、時代設定は太平洋戦争終結の1945年から18年後と、まだ戦争が遠い昔ではない頃のお話です。海の父親が朝鮮戦争の機雷で、俊の親戚がみな「ピカドン(原爆)」で亡くなっているなど当時の時代背景を取り込んでいるため、その辺りの知識がない世代が観ても「意味不明」と感じるでしょう。 また60年代初めは、世界的に学生が権威に対抗する学生運動が広がった時期。カルチェラタンの闘争もその時代の空気を反映しているため、当時を知る世代には懐かしくとも、若い世代にはその空気感が“古臭い”と感じてしまうのかもしれません。
『コクリコ坂から』の魅力とは?
原作にはない「カルチェラタン」
原作漫画には登場しない学園の文化部棟「カルチェラタン」ですが、だからこそ本作のオリジナリティがカルチェラタンにすべて詰まっていました。建物の外観から部室がごちゃ混ぜになった“汚くも美しい”内観まで、詳細な設定をもとに描かれていることがよくわかります。 ちょうど高度成長期や学生運動盛んな時代背景も相まって、背景や人物などすべてに勢いを感じるのも本作の魅力。それを古臭いと感じるか、そこにノスタルジーを見出すかで意見は分かれそうですね。
原作漫画と映画版の違いを
昭和の青春時代に思いを馳せる
昭和の古い町並みが事細かに描かれているのが本作の特徴の1つ。60年代の港町・横浜の風情に思いを馳せると、なぜか不思議と懐かしさも感じるせいか、「こんな時代に生きてみたかった」という感想もあります。 キャラクターもキャラ立ちするような派手な人物はいないものの、みんな魅力的。昭和ならではの昔風の言い回しや、古き良き日本の風景にもノスタルジーを感じられるという声もありました。
「安っぽいメロドラマ」なのが良い
ジブリといえばワクワクするファンタジーや冒険譚をイメージしがちですが、本作は現実的なヒューマンドラマに重きを置いていて、恋愛要素も少々重めで物静か。しかしそこに“落ち着いた”印象を持つ人もいるようです。 俊の「安っぽいメロドラマかよ」というメタ発言にも現れているように、昔のメロドラマであることを自覚して作られているため、ある意味これまでのジブリ作品とは一線を画すものにもなっています。
ジブリの独特な空気感は健在
さすがジブリ作品!と思うようなシーンも少なからずあります。これまでも乗り物の描写にはひとかたならぬ情熱を注いできた宮崎駿監督。2005年の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』にも登場した、昭和ならではの三輪自動車で坂を走り降りるシーンもそんな場面の1つです。 昔懐かしい簡素な自転車に二人乗りしたり、帰りに買った揚げたてコロッケを2人で分け合ったりと、いかにも昭和な恋愛描写にもジブリテイストを感じます。
『コクリコ坂から』賛否両論あるものの心に響く作品だった
兄妹同士の恋愛模様が「気持ち悪い」と批判されたり、あるいは昭和テイストにノスタルジーを感じたりと、賛否両論が巻き起こった『コクリコ坂から』。ただ批評を読むだけでなく、実際に鑑賞してみると思わぬ発見があったりもします。 宮崎駿監督と宮崎吾朗監督の親子が意見を闘わせながら作り上げたという本作、ぜひ一度鑑賞してみてください!