2024年4月3日更新

『すずめの戸締まり』要石の正体は人間だった?元ネタ・モデルとなった場所と閉じ師の伝統を解説

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『すずめの戸締まり』
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

『すずめ戸締まり』冒頭で引き抜かれ、ストーリーを動かしていくアイテム・要石(かなめいし)ダイジン・サダイジンという猫の姿で描かれますが、その正体は何なのでしょうか?要石は謎が多く、元々は人間だったのではないか、という説も囁かれています。 この記事では、要石の元人間説や閉じ師との関連、元ネタなどを考察・解説します!映画『すずめの戸締まり』のネタバレを含むため、未鑑賞の場合はご注意ください。

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『すずめの戸締まり』要石とは?

2つ
効果 地震(ミミズ)を止める
場所 後ろ戸の手前 ミミズの頭と尾
正体 ダイジン→草太 サダイジン
元ネタ 鹿島神宮の要石?

『すずめ戸締まり』の要石は、ミミズの頭と尾を封じている2つの石。日本では数百年に一度、大きな災害が起こるのですが、それは戸締まりでは抑えきれません。 時代ごとに決められた場所に要石を刺して、地震を起こすミミズを鎮める必要があります。 鈴芽が引き抜いた時、最初はキツネか猫のような見た目の石像だったダイジン。草太を子ども椅子の姿に変え、彼に要石の役割そのものも引き継がせました。

そもそも要石はなぜ抜けた?最後はどうなったのか解説

『すずめの戸締まり』の要石は最後どうなった?
  1. 西の要石宮崎県の廃墟にあった要石。すずめが抜いてしまったことで、ダイジンが顕現、全国でミミズが発生する。巨大地震の発生を止めるため、そして草太を好きなすずめのために、ダイジンが要石として戻る。
  2. 東の要石東京の皇居地下にあった関東大震災を沈めた要石。抜けた後、サダイジンが顕現。巨大地震をとめるため、サダイジンが要石として戻る。

物語のはじめ、西の要石が抜けたのは、すずめが抜いてしまったからです。その後、要石はダイジンという猫の姿になって、すずめたちを翻弄します。 要石は東西の一対で完全に機能するため、西の要石(ダイジン)が抜けてしまったせいで東の要石(サダイジン)だけではミミズを抑え込むことができなくなり、抜けてしまったのかもしれません。 一方で、草太の祖父は病院の窓際に現れたサダイジンを見て、「とうとう抜けてしまわれましたか」と言っており、もともと抜けやすくなってきた可能性もあります。 映画中盤、東京ですずめは草太を要石として刺しますが、彼を救うために後ろ戸から常世に行こうとします。しかし人が生涯で通れる後ろ戸は1つだけ。すずめは幼い頃、岩手県にある後ろ戸から常世に迷い込んだので、そこから常世に入り、自分が草太の代わりに要石になることで彼を助け出そうとします。 常世に入ったすずめは要石となっている草太を引き抜くことに成功します。しかしそこでダイジンが自分が要石になると言い、すずめは再びダイジンを要石として刺すことでミミズを鎮めたのでした。

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閉じ師の運命?要石の正体が人間の可能性を考察

草太は要石の役割をダイジンから譲渡された後、皇居の巨大な後ろ戸でミミズを封じました。つまり、要石は代々人間が背負ってきた役目だと考えられます。

草太の祖父の発言

『すずめの戸締まり』
©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

元人間説の根拠として、「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」「それは人の身には望み得ぬほどの誉れ」という宗像羊朗(草太の祖父)の台詞を取り上げます。 鈴芽が病室を訪ねた際、彼は要石が人間だったと知っている様子でした。 しかし「誉れ」と言うからには、誰にでも資格があるわけではないはずです。完成披露試写会にて、新海誠監督が「(草太は)世の中の出来事を自分の出来事と同等に悲しんでしまう」と表現したことから、共感力の強さが条件かもしれません。 閉じ師の仕事は、土地や人々に想いを馳せて後ろ戸を戸締まりすること。共感力も必要になるので、閉じ師はほぼ条件を満たしていると言えます。

ダイジン・サダイジンについての描写

『すずめの戸締まり』ダイジン
(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

ダイジン(・サダイジン)の猫の姿は、草太曰く「あの形は、かりそめの顕現だよ」とのこと。ダイジンがスナックに現れた時、鈴芽以外には渋くて素敵な富豪に見えました。他の人間の目をごまかすため、生前の外見を模していた可能性も……。 とは言え、要石になった椅子は草太じゃないという表現や、精神(魂?)が椅子から抜け落ちる描写があるため、元の人格は消滅すると思われます。ダイジン・サダイジンが言葉を話すのは、あくまで知性ある神が宿っているからでしょう。 これらのことから、人間は要石に神を降ろし、宿すための器ではないかと考察します。 ちなみに、羊朗とサダイジンが既知だと示唆する台詞もありますが、サダイジンは百年前にミミズを鎮めた要石で、生前の知り合いとは考えにくいです。閉じ師として封印を確認しに行っていたので、懐かしげに話しかけたのかもしれません。

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要石は人身御供の話だった?

『すずめの戸締まり』 宗像草太
(C)2022「すずめの戸締まり」製作委員会

古来の日本や一部の国では、疫病や災害は神の怒りが原因だと考えられていました。 人間や動物などを捧げて災いを防ぐ儀式を「人身御供」といい、そして同時に、生贄に選ばれることは栄誉だと考える地域もあったようです。 閉じ師や資格がある人間の間で、代々受け継がれてきたと解釈できる要石(の器)の役割。劇中の情報だけでは不明な点も残りますが、人身御供と結び付けずにはいられません。ダイジン・サダイジンの依代がいるとしたら、どんな人だったのか気になりますね。

要石は実在する!モデルとなった場所は?

鹿島神宮と香取神宮

茨城県の鹿島神社境内に祀られた要石は、「武甕槌大神(たけみかづちのかみ)」の象徴にして国家鎮護の石剣。鹿島の神々が、地震を起こす大鯰の頭を釘刺した石剣なのだとか!形は凹形をしていて、千葉県の香取神宮で大鯰の尾を抑える凸形の要石と対になっています。 一説では、祭神の武甕槌大神と経津主大神が大鯰の頭から尾までを刺し通した石棒とも……。そのため、鹿島神宮と香取神宮の要石は地中で繋がっていると考えられています。

徳川光圀の言い伝え

「水戸黄門」で有名な徳川光圀は、鹿島神宮と香取神宮の両宮を崇敬していました。 1664年、彼は要石(どちらの要石かは資料により一定しない)の周りを掘らせましたが、作業を中断した日没から朝までの間に穴が埋まっていたそう。同様の現象が2日続き、次は昼夜兼行で7日7晩掘らせ続けたものの、要石の根本に到達することはできませんでした。

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そのほかの要石

三重県伊賀市の大村神社

土地の鎮め・地震除災の守り神様「大村の神(息速別命)」を祀る大村神社の要石。高さ46cm、周囲は190cmほどで、地中の大鯰を押さえているそうです。 神護景雲元年(767年)、上記の鹿島神宮と香取神宮の両祭神が三笠山遷幸の途中、大村神社で休泊した際に「要石」を奉鎮したと伝えられてきました。

宮城県加美町の鹿島神社

老杉の根本にある要石は、茨城県の鹿島神宮の要石を模したもの。『風土記』などに記述が確認でき、地中にいる大鯰の背中を刺している要石です。1973年に約10トンの要石が新たに奉納され、古来からある要石と共に祀られています。 鈴芽の故郷も宮城県なので、設定になんらかの関係があるかもしれませんね。

要石について書かれた古文書とは?

劇中に登場する古文書『寅ノ大変 白要石』は、嘉永7年に当時の閉じ師によって記されたものです。そこには連続した巨大地震「寅の大変」を鎮めるため、三輪山(現在の奈良県桜井市)の震災遺児が自ら要石となることを志願し、「白き右大臣」と呼ばれる新たな要石になったという逸話が残されています。 本作に登場する猫のダイジンはおそらくこの子どもで、すずめの手で要石の役割から解放され、彼女と一緒にいたいために草太に要石の役割を押し付けようとしたと思われます。一度は要石になることを志願したものの、長い時間、1人きりでいたために気が変わったのかもしれません。 一方、安政2年に記された『黒要石収拾之圖』には、同年の安政江戸地震を起こした災いを鎮めるために、多くの民衆の願いを受けた黒要石が災いに打ち勝ったと書かれています。またこの文書には、光る鍵を首から下げた人物も描かれており、当時の閉じ師が災いに挑んだ様子がうかがえます。 これらの古文書は要石の重要性を説くために書かれたもので、草太の家に代々大切に引き継がれてきました。

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『すずめの戸締まり』要石は実在していた!正体を信じるかはあなた次第

『すずめの戸締まり』の要石が本当に元人間だとしたら、切なくて複雑な裏設定ですね。 日本各地の神宮・神社には、地震を鎮めていると伝わる霊石が実在します。それらは由緒あるものですが、劇中の要石に似た石像には近づかない方が良いでしょう。もしかしたら、草太のように神様に要石に変えられてしまうかもしれません!