【ネタバレ】『天気の子』のあらすじを結末まで考察・解説!この狂った世界に馴染めない全ての人へメッセージ
『天気の子』のあらすじ
公開年 | 2019年 |
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キャスト | 森嶋帆高役/醍醐虎汰郎 , 天野陽菜役/森七菜 , 須賀夏美役/本田翼 , 天野凪役/吉柳咲良 |
監督 | 新海誠 |
主題歌 | 愛にできることはまだあるかい/RADWIMPS |
田舎に住む高校1年生の森嶋帆高は、着の身着のままで家出し、東京にやってきます。知り合いもおらずツテもない帆高は、怪しげな男・須賀の編集プロダクションで働きながら細々と生活することに。 そしてある雨が降り続いた日、帆高は天野陽菜という少女と出会います。アルバイトをしながら弟と2人で暮らしているという陽菜は、祈るだけで天気を変えられる不思議な力を持っていました。
【ネタバレ】『天気の子』の結末までのあらすじ
起:東京に逃げてきた1人の青年
2021年。故郷の離島から家出してきた高校生の森嶋帆高は、フェリーで東京にやって来ます。東京は異常気象で長期間雨が降りつづいていました。 ネットカフェで寝泊まりするも、帆高の所持金は底をつき、身分証がないためにバイトにもありつけません。そんなある日、彼は偶然、ゴミ箱に捨てられていた拳銃を手に入れます。 その後帆高はフェリーで知り合った須賀に連絡し、彼のもとで住み込みで働くことに。
承:「100%の晴れ女」と出会う
ある日、帆高は以前ハンバーガーを恵んでくれた少女がガラの悪い男たちに囲まれている場面に出くわします。とっさに彼女を救おうとした帆高は、男に向けて銃を発砲。弾は当たりませんでしたが、少女は彼を連れて、廃ビルの屋上にある社へ逃げます。 彼女の名前は天野陽菜。そこで彼女が手を組んで祈りのポーズをすると、降りつづいていた雨が止み、辺り一面が晴れわたりました。陽菜はネットで噂になっている「100%の晴れ女」だったのです。 帆高と陽菜、そして彼女の弟・凪は陽菜の能力を使って「晴れ女ビジネス」をはじめます。事業は成功しますが、依頼が殺到しすぎて対応しきれなくなったため、陽菜たちはしばらく休業することにしました。
転:陽菜の力の悲しい正体
休業前の最後の仕事として、須賀の娘のために公園一帯を晴れにした陽菜たち。しかしその後、陽菜の体が宙に浮き、少しずつ半透明になっていきました。 陽菜は自分が「晴れ女」になった経緯を帆高に話します。1年ほど前、偶然あの社を訪れた陽菜は、死の床にある母と晴れた空の下を歩きたいと強く願ったことから、不思議な力を手に入れたというのです。 そんななか、帆高が拳銃を発砲したことで警察は彼を追っており、3人はホテルに逃げ込みます。そこで帆高は、陽菜に誕生プレゼントを渡しました。 しかし陽菜は帆高に、須賀の姪・夏美から聞いた「天気の巫女」について話します。それは自分が天気の巫女として人柱になることで、天気を安定させられるというものでした。彼女の体が半透明になり始めた理由は、彼女が「人柱」だったからなのです。
結末:青空よりも俺は陽菜がいい!!
翌朝、帆高が目を覚ますと空は晴れ渡っていました。しかし陽菜の姿はなく、彼は陽菜が人柱になったことを悟ります。 受け入れられない帆高は夏美の助けを借り、警察の追跡を振り切って廃ビルへ。なんとか屋上の社にたどり着き強く祈ると、帆高は上空高くへと舞い上がり、積乱雲のなかで陽菜を見つけます。 自分が元の世界に戻れば、東京は再び異常気象に見舞われるという陽菜に、帆高は「天気なんて狂ったままでいいんだ!」と叫び、彼女の手を取って地上へと戻ります。帆高は逮捕され、地上には再び激しい雨が降りはじめました。 3年後。東京には雨が降りつづけ、そのほとんどが水没してしまっていました。高校を卒業した帆高は東京に戻り、陽菜と再会します。そして「僕たちは大丈夫だ」と、一緒に生きていく決意をするのでした。
【感想・レビュー】『天気の子』のラストがひどいと言われた理由
映像はもちろんめちゃくちゃ綺麗だけど、主人公が身勝手すぎて無理だった。やってること普通に犯罪なのに、警察がすごい嫌な奴みたいに描かれてたり……。世界より好きな女を救うっていうのがやりたいのはわかるけど、ちょっとどうなのか?
かなり攻めた内容だなとは思ったけど、嫌いじゃない。よく働いてお金を貯めて、彼女の両親に認められてからプロポーズしなきゃとか考えてる自分には、帆高の無鉄砲さがとても羨ましかった。新海誠も帆高みたいな少年が羨ましくてこんな話作ったのかな
亡くなった妻ととられた娘を思い続ける須賀さんかっこいい……。切ない色気……。帆高と陽菜にはあんまり感情移入できなかったけど、須賀さんの葛藤に痛いほど共感できたからこの話すごく好きになった。
『天気の子』の評価については賛否両論あり、特にそのメッセージ性が特に議論の的になりました。若者の無鉄砲さを称賛し羨むようなメッセージに共感の声があがる一方で、「身勝手すぎる」、「悪い影響を及ぼす」といったようなマイナス評価も多数上がっています。 以下ではそのメッセージ性について、映画に登場したモチーフやタイトルから細かく読み解いていきましょう。
【考察1】タイトル『天気の子』に込められた皮肉
タイトルに込められた2つの意味
- 陽菜 (天気の巫女) のこと
- 狂った世界に振り回される無力な人間
タイトル『天気の子』の意味は、シンプルに考えれば“天候を操る”能力を持つ陽菜のこと。「天気の巫女」の響きにも通じますね。 しかしこのタイトルにはもう1つ、人間への、そして社会への皮肉が込められているのではないかとciatrは考察します。まずは「天気」と「子」、それぞれの意味について考えていきましょう。
天気=狂った世界・運命
映画パンフレットによると「天気はたんなる自然現象ではなく、思いや運命や世界そのものの象徴」であり、誰もに身近な「天気」のように、みんなの物語だという意味があるとのこと。 須賀の「天気なんてさ、どうせもともと狂ってるんだから」というセリフからわかるように、この物語は「世界」や「運命」というものを、とことんネガティブで理不尽なものとして描いています。 そう考えると、タイトルにある「天気」という言葉も、気まぐれで狂った世界や運命を表しているのではないかと考察できます。
子=非力な人間・言いなりになるしかない存在
子というのは一般的に、大人よりも未熟で無力な存在です。しかし天気や世界にとっては、人間皆がそのような「子」ではないでしょうか。 映画の中でも、「天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、ただ借り住まいさせていただいているのが人間」というセリフを神主が口にしていました。 無力な私たちは、世界や運命という大きなものを前にして、ただ言いなりになるしかないのです。黙って従うことが「大人になる」ということなのです。須賀は帆高に「大人になれよ」と言っていましたが、それは、世界や運命を自分で変えることをあきらめる、ということと同じ意味ではないでしょうか。
帆高と陽菜の反逆
しかし帆高と陽菜は、大人になりませんでした。「青空よりも俺は陽菜がいい!天気なんて狂ったままでいいんだ!」「僕たちの心が言う。(中略)恋が言う。生きろと言う」。これらのセリフからもわかるように、帆高は「世界」よりも「愛」を選びました。大多数よりたった1人の大事な人の命を守ったのです。 この選択が正しいかどうかはわかりません。しかし生半可な覚悟でこんな選択をしたわけではありません。結果的に、帆高が愛する陽菜の尊い命が救われました。それが新海誠が描いた「愛にできること」ではないでしょうか。
世界に従わなくても「大丈夫」
非力な人間は、本当に世界という大きなものの犠牲になるしかないのでしょうか。そうではないということを、帆高と陽菜は見せてくれました。 世界の正義も自分の正義もどちらも正しい、だからこそ自分の正義を選択したとしても「大丈夫」だと帆高は伝えてくれています。選択には痛みが伴うこともありますが、それでも自分の大事なものを守れるのなら「大丈夫」だと。
生きづらさを感じるすべての人へメッセージ
帆高や陽菜と同じように、この世界に生きづらさを感じている人はたくさんいると思います。黙って従うことが「大人」だと信じて、日々耐えている人もたくさんいるかもしれません。 そんな人たちに監督は、自分にとって本当に大事なものを守れる選択なら、反対されても周りに迷惑をかけても「大丈夫」、生きづらくても、反対されても、大事なものを大事にすることを怖がらないでほしいというメッセージを届けたかったのではないでしょうか。 「天気の子」というタイトルには、不満を溜め込み大人でいようとする私たちへの、皮肉と挑発が込められているのではないでしょうか。
【考察2】RADWIMPSの曲から読み取れる「大丈夫」の意味
前作同様、RADWIMPSが担当した『天気の子』の音楽。その歌詞を読み解くと、映画に込められたメッセージや登場人物たちに込められた思いを、より深く理解することができます。
「愛にできることはまだあるかい」
「愛にできることはまだあるかい」が流れるシーンは、帆高が陽菜を救いに廃ビルへ向かう場面とエンドロール。 帆高が必死で屋上へ向かうシーンで響く「愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ」という歌詞は、まさに彼の気持ちを代弁しているかのようです。 特別番組では、帆高が廃ビルの階段を駆け上がるシーンを楽曲に合わせて制作していたら、階段が足りなくなって伸ばしたという秘話を明かしています。
「グランドエスケープ feat.三浦透子」
「グランドエスケープ」は「壮大な逃亡」という曲名の通り、帆高の選択を後押しするような一曲でした。映画を観た人なら、壮大な合唱の中、天上で帆高と陽菜が再会する感動的なシーンを思いだしてしまいますね。 「怖くないわけじゃない でも止まんない ピンチの先回りしたって僕らじゃしょうがない 僕らの恋が言う 声が言う 『行け』という」という歌詞とともに加速する曲に乗せて、帆高と陽菜は地上へと降りていきました。 RADWIMPSの野田洋次郎によれば、あの場面で帆高と陽菜が出会う理屈を通すための「圧倒的なもの」が、サビに合唱を持ってくるアイデアだったそう。力強い合唱と挑戦的な歌詞に背中を押された人も多いのではないでしょうか。
「大丈夫」
映画のラストからエンドロールにかけて流れる「大丈夫」は、実は『天気の子』という物語の結末に大きな影響を与えた曲だといいます。 「世界が君の小さな肩に乗っているのが 僕にだけは見えて泣き出しそうでいると 『大丈夫?』ってさぁ 君が気付いてさ 聞くから 『大丈夫』って僕は慌てて言うけど なんでそんなことを言うんだよ 崩れそうなのは 君なのに」という歌詞からは、愛する人が巫女として苦しんでいる姿を見ている帆高の気持ちが伝わってくるようです。 最後の「君にとっての『大丈夫』になりたい」というフレーズは、帆高が陽菜にたいして抱いている決意そのものなのではないでしょうか。 フルバージョンは「Movie edit」に違う曲調の前半部分を加えたもので、歌詞も帆高の心境にさらに寄っていった内容になっています。彼らが目指した「より高い次元で音楽と映像を融合させた」完成形がここにあります。
【考察3】水の魚やチョーカーに込められた意味は?
アニメーション映画には往々にして暗喩的なモチーフが登場するように、『天気の子』にもさまざまな意味合いを持ったモチーフが登場していました。今回は以下の3つについて、込められた意味を考察していきます。
①水の魚 | 陽菜が天気を操っていることの伏線? これまでに亡くなった「巫女」の魂? |
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②銃 | 帆高が抱える社会への怒りの象徴 |
③チョーカー | 陽菜に与えられた「天気の巫女」という鎖 |
①水の魚
雨が降り続く『天気の子』の劇中には、鯨の形をした空に浮かぶ水の塊のようなものが登場します。 最初に現れるのは、帆高が船で東京へ向かっている時、大きな水の塊が一気に落ちてきたシーン。その後鯨の形をした水の塊は、東京でも目撃されます。水の塊のほかにも、雨のしずくが魚のように跳ねて見える場面も登場します。これらは一体、何を表しているのでしょう。 水の鯨は、陽菜が度々祈って天気を晴れにしていたことで、降るはずだった雨が一塊になってしまったもののかもしれません。つまり陽菜が天気を操っていたことの伏線だったのではないでしょうか。 また水の魚は、感情を持った生命そのもののように見えます。陽菜が廃ビルの神社をくぐって天気の巫女になった時、そして人柱になって天上の雲に召し上げられた時、周りに水の魚たちが寄り集まってきました。 このように感情や命を持った存在に見えるということは、水の魚はこれまで亡くなった人々や人柱の魂たちなのではないでしょうか。実際陽菜も、天に召されるときが近づくにつれ体が透明になっていました。亡くなった人の思いが、水の魚や鯨となって天気を動かしているのかもしれません。
②銃
帆高が歌舞伎町のゴミ箱から拾った銃は、物語の冒頭でニュースとして流れた「16丁の銃が押収された」中の押収から逃れた銃かもしれません。つまり、これは反社会勢力が持っていた「暴力」を行使する代物です。 この銃を拾った帆高はカバンに入れて持ち歩きます。完全に反社会的な銃所持の家出少年となった帆高は、銃を劇中で2回撃ちます。1度目は風俗店のスカウトマンから陽菜を助ける時、2度目も廃ビルでやはり陽菜を助けに行くためでした。 ことさら劇中で銃が強調されているのは、帆高にとっての「銃」が彼の心に秘められた社会や大人に対する「怒り」を象徴しているから。1度目はその怒りを暴発させましたが、2度目は確信的です。これは作品の底に流れる「無責任な大人たちに対する若者の反抗」を表すメタファーなのです。 帆高が家出の際持って来たサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も、同じく欺瞞的な社会に対する若者の怒りを示すアイテム。冒頭からこのテーマは明示されていたのですね。
③チョーカー
陽菜が身につけている青い石のついたチョーカーは、彼女の母親の形見です。映画冒頭で入院中の陽菜の母は、このチョーカーをブレスレットとして手首につけていました。このチョーカーもしくは青い石は、陽菜の母も「天気の巫女」だった可能性を示しています。 作中では冒頭から東京は雨がつづいていますが、これは天気の巫女である陽菜の母が病気で力を使えなくなったためと考えられます。そして彼女が亡くなり形見のチョーカーを身につけるようになった陽菜は、巫女の役割を継承したのではないでしょうか。 その後、人柱になろうとしていたところを帆高に救われたシーンで地上に戻ってきたときには、陽菜のチョーカーは壊れていました。これは彼女が天気の巫女の役割から解放されたことを表しているのでしょう。
【原作情報】須賀圭介の描かれなかった過去が切ない
#小栗旬 さんが声を務める須賀圭介の新カット✨
— 映画『天気の子』 (@tenkinoko_movie) July 2, 2019
小さな編集プロダクションを営むライター????
手に抱えているのは猫の「アメ」☂️#天気の子 pic.twitter.com/FJUz3CKGe4
家出少年の帆高を助け、住み込みで雇った須賀圭介は、一時は「大人になれよ」と帆高を突き放しますが、結局最後は力を貸します。実は圭介自身も親に反抗して、10代で東京へ来た元家出少年。社会や大人に反抗する帆高に過去の自分を見て、放っておけなかったのでしょう。 劇中で度々須賀が自分の指輪に触っているのは、亡くなった妻の明日花のことが忘れられないから。帆高と陽菜と同じように、明日花とは東京で出逢いました。 互いの両親には反対されながらも結婚して娘の萌花が生まれ、明日花が事故で亡くなり、何らかの理由で明日花の母親である間宮夫人が萌花の養育権を持つことになったようです。 帆高を探す安井刑事が須賀の事務所に来て話をするシーンで、須賀はなぜか無意識に涙を流します。泣いていると言われて気づいた須賀はおそらく、帆高が陽菜にすべてをかけて会いに行こうとしている純粋さに、かつての自分を思い出したのでしょう。 すべてを捨てても今でも会いたいのは、やはり明日花だったのです。
【トリビア】新海誠の過去作品や他キャラクターとのつながり
『君の名は。』の結末を変えてしまった?
何と前作『君の名は。』から、主人公の立花瀧と宮水三葉、勅使河原克彦、名取早耶香、宮水四葉がゲストキャラクターとして登場!瀧は入社面接で「東京だっていつ消えるか……」と言っていましたが、まさにそうなっていると思うと感慨深いですね。 瀧は「晴れ女ビジネス」で立花家を訪れたシーンの冨江の孫で、三葉は帆高が陽菜の誕生日プレゼントを買いに訪れた、アクセサリーショップの店員です。勅使河原と早耶香はフリーマーケットのシーンほか、四葉は陽菜が人柱となり、一気に晴れていくシーンで窓の外を眺める女子中学生(あるいは高校生)として、成長した姿で描かれました。 ちなみに、神木隆之介と上白石萌音をはじめ、キャストたちは全員続投しています。
「佐倉アヤネ」「花澤カナ」ってもしかして……
凪の元カノ、今カノとして「アヤネ」「カナ」と言う名前の少女が登場しますが、それぞれフルネームは「佐倉アヤネ」「花澤カナ」です。エンドクレジットには、「佐倉綾音」「花澤香菜」と表記されており、声優自身の名前が使用されていました。 実はこの2人、過去の新海作品でヒロインを演じた女性声優なのです! 佐倉はZ会のCMフィルム『クロスロード』の倉橋海帆役、花澤香菜は『言の葉の庭』、そして『君の名は。』にも登場した雪野百香里役の声優。『君の名は。』とのクロスオーバーだけでも驚きなのに、まさかの演出が憎いですね。
新海誠監督作『雲のむこう、約束の場所』のセルフオマージュ?
『天気の子』の「一人の少女の存在が世界の命運を左右する」というストーリーに、新海監督の『雲の向こう、約束の場所』を重ねた人もいるのでは? 「雲の向こう」で”世界か、少女か”の選択を迫られた少年は、どちらも救う方法を編み出し平穏を取り戻すも、最後に想い合う2人の別れが示唆されました。しかし本作の帆高は、ただ陽菜と一緒にいたいという思いだけで行動を起こし、彼女がいなくなるなら意味がないと、狂った世界を救わないことを選択したのでした。 どちらの選択が良い、悪いというのではなく、新海監督が2019年の現代に向けて描いたセルフオマージュだったのかもしれません。運命や宿命に翻弄され、喪失を抱えて生きていく悲劇に対し、自らの意志でそれを翻して生きていくのが『天気の子』。 世界とか、最大多数の最大幸福よりも、自分自身の幸せをもっと追い求めていいんじゃないか、という新海監督のメッセージかもしれません。
「ソフトバンク白戸家のお父さん犬」の出演
#天気の子 に
— SoftBank (@SoftBank) July 18, 2019
白戸家お父さんが出演❗️❓
出演シーンを見つけて#白戸家お父さんを探せ でつぶやくと
抽選で新海監督のサイン入りポスターが当たる????
キャンペーンは7/19(金)~9/30(月)まで!
『天気の子』公開当時、ソフトバンクとのコラボで「#白戸家お父さんを探せ」というキャンペーンが行われました。これはCMでおなじみの“白戸家のお父さん”が映画本編の2箇所に出演しているのを見つけよう!という企画です。 1箇所はCMでも教えてくれている新宿のシーン。しかしもう1箇所は難しくてわからない、という声が多数あがりました。正解は、須賀と娘が公園で遊んでいるシーン。奥の方で散歩している姿が見られます。 知らなかった!という人は、ぜひもう1度観て、探してみてください。
【製作陣の紹介】新海マジックを生み出す実力派スタッフたち
原作・脚本・監督を務める新海誠を始め、スタッフには新人声優を支える実力派スタッフが集結しました。 キャラクターデザインには『君の名は。』の他にアニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』の田中将賀が、総作画監督はスタジオジブリで活躍してきた田村篤が担当します。 さらには『言の葉の庭』『君の名は。』で新海監督とタッグを組んだ滝口比呂志が、美術監督として参戦。『君の名は。』ヒットの立役者ともいわれる名プロデューサー・川村元気も製作に携わります。 映画『天気の子』では、「雨」が3人目の登場人物と言われた『言の葉の庭』からさらに進化し、雨の量や振り方、水たまりを弾き、窓を伝う様、どれも詩的で美しく描写されています。 新海作品では「空模様」が重要なモチーフだけに、雲の一つひとつ、雲間から射し込む陽の光まで、細かなシーンも見逃せません。
読み解けばさらに興味深い!『天気の子』の底に流れるテーマ
気象を操る「天気の巫女」をヒロイン、理不尽な大人や社会に反抗する少年を主人公とした『天気の子』。タイトルが表す意味やラストシーンに込められたメッセージなど、深読みすればするほど興味深いテーマが全体に流れていることがわかります。 それは、現在の「狂った世界」に対する責任を肩一つに負うことはない、という未来を担う若者に対する渾身のメッセージ。 もちろん須賀のような「あきらめた大人たち」にも、帆高を助けるという行為で「がむしゃらな若者の背中を押す」というメッセージを送っています。 誰もが身近に感じる天候を題材に純愛を描き、反社会的とも思えるサブテーマを底辺に流した本作は、新海監督の新たな挑戦として大きな爪痕を残したのではないでしょうか。