2018年11月17日更新

映画『魔女の宅急便』に見える宮崎駿のコンプレックスと優しい眼差し

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魔女の宅急便
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『魔女の宅急便』は何故キキの原点だけを描いたのか?

巨匠・宮崎駿が手がけた映画『魔女の宅急便』。1989年に劇場公開されて以降、2018年10月時点で13回にわたってテレビ放送されるなど、今なお幅広い世代に愛される不朽の名作です。 実は本作は、角野栄子の同名児童文学を原作とした作品です。原作版は、魔法使いの少女・キキが生まれ育った町を出て、都会で職を手に入れ、やがて母として家庭を築くまでを描いたシリーズとなっています。 宮崎駿による映画版もさることながら、原作も人気作であり、実写版の映画が作られたり、ミュージカルとして上演されることもありました(1990年代のミュージカル版では蜷川幸雄が演出を手がけたり、同じく2017年のミュージカル版では上白石萌歌がキキ役を演じています)。 このように、様々な形で描かれてきた『魔女の宅急便』ですが、この記事では特に「宮崎駿監督が原作のどこに焦点を当て、本作で何を伝えようとしたのか」という点に主題を置き、考察していきたいと思います。また、全体的に作品のネタバレを含む内容となっているので、ご注意下さい。

「お姫様しか描けない」宮崎駿のコンプレックスと、作品に込めた意図

宮崎駿
©︎Orban Thierry/MCT/Newscom/Zeta Image

宮崎駿は自著『出発点 1979〜1996』の中で、「(自分が描く女性キャラクターは)お姫様のようだ」と揶揄されることがあったと明かしています。実際、それまでの代表的な監督作を紐解くと、『ルパン三世 カリオストロの城』や『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』など、ヒロインがお姫様の作品が続いていました。 前述の言葉がいつ頃かけられた物かは不明ですが、『魔女の宅急便』の直前の監督作である『となりのトトロ』もヒロインが普通の少女である事を思うと、監督にとっては「お姫様しか描けない」というのは相当強いコンプレックスだったのではないでしょうか。 『魔女の宅急便』のヒロイン・キキも、魔女という点を除けばあくまで普通の女の子。監督は本作を通じて、一人の女性が都会へとやって来て、社会人として成長する姿を描こうとしたのです。 そこには「お姫様以外の女性だって魅力的に描いてやるぞ!」という、宮崎監督の作り手としての矜持と、「お姫様以外の女性も大変だな!」という観客への暖かい目線があるように思います。

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女性が都会に出て、自立するまでを描く普遍的な物語に再構築

魔女の宅急便
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「女性の自立」をテーマに物語を構築する上で、監督はキキの少女期だけに焦点を当てています。映画が公開された1989年時点で原作は未完だった事も理由の一つだとは思いますが、少なくともその時点ではキキが町を出て2年目を迎える原作の2巻は刊行されていました。 それでも監督がキキの旅立ちの最初期を描いた原作1巻のみを取り上げたのは、女性が上京し、都会に馴染むまでの最もスリリングな時期を描こうとしたからではないでしょうか? 例えば物語冒頭では、キキの幼さが特に強調されています。お父さんに「高い高いして、小さいころみたいに」という場面などは象徴的ですね。お父さんは「いつの間にこんなに大きくなったんだろう」と感嘆するも、それは肉体的な成長について述べているものであり、キキの内面はまだまだ未熟。旅立ちも衝動的で、行き先もロクに決めていない為、旅立ちの日から嵐に遭います。 そんなキキは、微笑ましくもとても危なかっしく、文字通り右も左もわからないような少女。けれど、住みなれた街を離れる時に、こうした経験をしたと思い当たる方も多いのでは?物語は冒頭から、未熟な少女の成長を描くために機能しているのです。

宮崎駿が「描いたもの」と「描かなかったもの」とは?

魔女の宅急便
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『魔女の宅急便』では様々な年代の女性が登場します。そして、そのほとんどがキキより年上の女性です。彼女たちは、「女性の自立」を描く上で、非常に効果的な役割を果たしています。 例えば、キキが親しくなる画家志望の少女・ウルスラは、キキより年上である19歳の「青年期」(キキは13歳の「少女期」)。お世話になるパン屋のおソノさんは「中年期」。そして、キキにニシンのパイの配達を依頼し、優しく接してくれる老婦人は「熟年期」です。 原作では、全6巻という巻数を重ねることでキキという一人の女性の成長を描いていました。一方映画版では、こうした様々な世代の女性との交流を通してキキの成長を描いています。 映画という限られた時間の中で、一人の女性が母になるまでの一代記を描くのは難しいですが、こうした形であれば、無理なく様々な女性を描ける上に主人公の成長を促すことも出来ます。 また、先の3人の女性は皆魅力的で「もしかしたらキキは将来こういう女性になるのではないか」という想像も掻き立ててくれます。 監督はキキ自身が大人になるまでを描くことはありませんでしたが、このようにキキの将来を予感させる人物を配置しつつ、あくまで彼女が都会に馴染む最初期に焦点を当てる事を徹底しているのです。

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「私、このパイ嫌いなのよね」に込められた「働くこと」への眼差し

そうした成長を描く上で、本作で特に焦点が当てられているのが、宅配便の仕事です。 本作を代表する台詞として、キキが必死になって届けたニシンのパイを受け取った少女が、「私、このパイ嫌いなのよね」と吐き捨てるシーンがあります。ニシンのパイを作った老婦人がキキに優しかった事もあり、観客としてはとても胸が痛む場面ですよね。 しかし、これは宮崎監督の仕事観を示す極めて重要な場面なのです。監督は先述した『出発点 1979〜1996』の中で、「宅配便を受け取った時に、いちいち感謝しない」という旨の発言をしており、「仕事とはいちいち感謝されるようなものではなく、むしろ感謝される事の方が珍しくありがたいものである」と語っています。 これは2018年時点から見て20年以上前の話ですが、特にAmazonが普及した今なら、なおさら共感できることでしょう。 「それでも人は生きるために働かないといけない、それが働くということである」というのが、この短いシークエンスに監督が込めた思いなのではないでしょうか。

高山みなみが演じたウルスラは、キキの半歩先を行くキャラクター?

魔女の宅急便
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とは言え、そんな仕事が続いては、誰しも落ち込んでしまいますよね。 そんなキキが心を開き、悩みを相談したりするのが、先述の画家志望の少女・ウルスラです。彼女はキキと同じ高山みなみ(『名探偵コナン』の江戸川コナン役などで有名)が声優を務めたキャラクターで、キキとは姉妹のような関係を築いていきます。 ウルスラもまた、画家という一芸に秀でた女性なのですが、それでもスランプに陥ってしまう事があります。そんな時、彼女は無心に絵を描いたり、ほっぽり出したりと、様々な対処法を試し、克服しようとします。彼女自身様々なことを模索中ですが、それでもキキよりは半歩先を行くような存在です。 年の近いウルスラという友人を得られた事は、キキにとって大きな財産ではないでしょうか?また、声優が同じという事もあって、いつかキキがウルスラのように成長できるのではないかという希望も感じられます。 実は本作のテーマとして、宮崎監督は冗談めかして「渡る世間に鬼はなし」と語っています。「ニシンのパイ」の一件のような悲しい事がある一方で、ウルスラやおソノさんといった優しい人との出会いもある。ウルスラはその一端を担うキャラクターで、いつかキキも誰かにとってのウルスラのような存在になれるのかもしれませんね。

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キキが持つ「魔法以外の才能」とは?

『魔女の宅急便』
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本作で描かれる「魔法」が、誰しもが持つ「特技」の一種のようなものである、というのはよく語られていることです。そして魔法の才能は、「血」、つまり持って生まれた才能として劇中では語られています。 では、キキが持つ魔法以外の才能、後天的に得た才能とはなんでしょうか? 魔法が使えなくなり、猫のジジとも会話が出来ず、空も飛べなくなってしまったキキの転機となったのが、先述したウルスラとのやり取り。 ウルスラはスランプになった時、とにかく絵を描いたそうです。そしてキキもまた、箒で空が飛べない状態であっても、宅急便の依頼を引き受けるのです。 彼女たちの持つ才能とは、最悪の状態にあっても、少しでも自分に出来ることを全うしようとする意思の力です。そしてそれは、観客一人一人に向けられた監督のメッセージのようにも思えます。

映画『魔女の宅急便』は宮崎駿のキャリア最重要作品の一つ

「トトロ」から『魔女の宅急便』、そして『紅の豚へ』と続く物語の系譜

紅の豚
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「お姫様しか描けない」と言われていた宮崎監督は、「トトロ」での普通の姉妹を経て、本作では「女性の自立」という、より普遍的なテーマを描きました。監督の「働く女性」への目線は本作の次に作られた『紅の豚』へと受け継がれ、そこでも2人の魅力的な「働く女性」のキャラクターが登場します。 そして監督はその後、再びある種のお姫様を描いた『もののけ姫』を経て、少女の労働にフォーカスした『千と千尋の神隠し』を発表します。その後、『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』、『風立ちぬ』といったより多様な作品を手がけていくのです。 こうして監督のフィルモグラフィーを振り返ると、本作は監督がお姫様を脱却し、普通の女性を描くにあたって極めて重要な一本だったように思います。『風立ちぬ』後の引退を撤回し、再び長編映画『君たちはどう生きるか』の制作に取り掛かっている監督ですが、次回作ではどのような女性像を描くのか。 女性の権利や男女平等が特に活発に議論される昨今だからこそ、本作に続く、監督の女性に向けた新たなメッセージが描かれることに期待したくなります。