ジブリ映画『ゲド戦記』を徹底解説【アレンと父親は宮崎親子のメタファー?】

2017年7月6日更新

2006年に劇場公開したスタジオジブリの長編アニメーション『ゲド戦記』。アーシュラ・K・ル=グウィンの原作小説をもとに、宮崎駿の息子・宮崎五朗監督が描き出す独自のストーリーを解説したいと思います。

ジブリ映画『ゲド戦記』あらすじ

『ゲド戦記』

『ゲド戦記』は、5部作からなる原作『ゲド戦記』の第3作目『さいはての島へ』のエピソードを中心に、命の大切さなどをつたえる宮崎五朗監督の初監督作品です。

世界の均衡を失いつつある世界で、巨大な国の王子であるアレンも、心の均衡を失い、父親を殺してしまいます。国を捨てて逃げている途中で、賢者ハイタカに命を助けられ、世界に異変を起こしている災いの元を探す旅に2人は出ることになります。

旅の途中で止まったハイタカの友達のテナーの家でアレンは、顔の半分が赤いテルーという女の子に出会い、最初は嫌われるも徐々に仲良くなっていきます。

永遠の命を望むハイタカの敵・クモに、アレンが利用され、さらにハイタカとテナーを人質に取られたテルーは、アレンたちを助けるべく動き出します。

アレンはなぜ父親を殺したの?

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監督自身、本人もなぜそんなことをしたのかわからないだろうと語っています。原作にはない、映画ならではのシーンのためにいろんな解釈がされていますね。

一説によると、『ゲド戦記』の主人公と父親の関係は、そのまま宮崎五朗と宮崎駿の関係を比喩しているといわれています。

ゲドがテルーを見たときに驚いたのはなぜ?

『ゲド戦記』

ゲドはテルーに初めて会った時、テルーの中に龍としての素質があることを見抜いたからです。

テルーは冒頭のシーンで落ちてきた龍?それとも先祖返りして龍になった?

冒頭に描かれている龍はテルーではありません。冒頭シーンは、本来すみ分けられていた人間世界と龍の世界が混じり合い、世界の均衡が崩れていることを示唆するシーンです。

「人は昔、龍だった」はどういう意味は?

厳密に言えば、「龍の一部が人間になる道を選んだ」ということです。龍が人間の姿になり、人間とともに生きていたのです。混血になるものの、龍の血は受け継がれていて、時に龍の血を色濃く受け継ぐテルーのような存在が出てきます。

クモとゲドの関係性

『ゲド戦記』

昔、クモが魔法で黄泉の世界の扉を開き悪さをしていた時に、ゲドに捕まえられました。クモは、心を入れ替えるからと命乞いをしますが、本当は改心せずにゲドを恨み続けていました。

まことの名

『ゲド戦記』

魔法が存在するこの世界のすべてのものには、「まことの名」という名前があり、その名前を知ることで魔法を使ったり、相手を支配することができます。なので無暗に「まことの名」を知られることがないよう、偽名を使って生活するのが普通です。

いかがでしたか?初監督作品でもあり、セリフのみの説明であったりわかりにくいところがあるかもしれませんが、前情報として知っておくと深い見方ができて楽しいかもしれませんね。