2025年3月7日更新

『ゲド戦記』アレンはなぜ父親を刺した?精神性を影の正体・闇堕ちの理由とともに解説

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ジブリ公式画像 ゲド戦記

宮崎駿の息子、宮崎吾朗の初監督作品として多くの注目を集めた映画『ゲド戦記』。公開当初から今もなお多くの人に観られている作品ですが、1度見ただけでは分からない難解な内容も話題となりました。 なかでも多くの人が疑問に思うのが、なぜアレンは父親殺しを行ってしまったのかということ。そこで今回は、アレンに父親を殺させた動機とは何なのか紐解いていくとともに、悩み多きアレンという人物は一体どういうキャラクターなのかを解説していきます。 ※この記事には映画『ゲド戦記』のネタバレが含まれるので、未鑑賞の方はご注意ください。

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『ゲド戦記』アレンの人物像

ジブリ公式画像『ゲド戦記』
年齢 17歳
立場 エンラッドの王子
真の名 レバンネン
声優 岡田准一

アレンは映画『ゲド戦記』の主人公で、エンラッドの王子。純粋で生真面目な性格なため、均衡が崩れた世界に心を悩ませた結果、彼の心の「光」だった分身が暗黒面の「影」になってしまいます。 それが原因で心の均衡も失い、賢王である父親を衝動的に殺害。国を捨てて失踪し、放浪している時にハイタカに命を救われます。それ後、世界の均衡を崩している災いの原因を探すハイタカの旅に同行することになりました。

アレンはなぜ父親殺しに?本人もわからない理由を考察

ジブリ公式画像 ゲド戦記

アレンが暮らす世界「アースシー」では、世界の均衡が乱れてしまった結果、作物は枯れて動物たちも次々と息絶えていました。そんな世界を目の当たりにしていたアレンは、真面目さ故にこの現状を嘆き、悩み、苦しみ、それが心の闇を育ててしまいます。 心の均衡を失い、光だった分身が影に去ってしまったアレン。その心は闇に囚われ、現状への閉塞感が彼を衝動的に父親を刺し殺すという行動に突き動かします。父親が賢王であるが故に、対する自分への劣等感に思い悩み、絶対的な存在である父親を殺すことで現状を変えようとしたのかもしれません。 しかしアレン自身は父殺害の理由を理解しておらず、「わからないんだ……どうしてあんなことをしたのか」と打ち明けています。

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アレンが父親を刺したのは自滅的な現状打破

ジブリ公式画像 ゲド戦記、アレン

アレンは自身を取り巻く環境から、抑圧や重圧を感じてきた青年。彼にとって父親という存在は抑圧の象徴として描かれているようです。つまりアレンの「親殺し」という行為は、親や環境からの抑圧に屈したくないという反抗心と、現状に甘える未熟な自分との狭間にある「若者の葛藤」を描いているといえます。 原作通りハイタカが主人公のままだと、この葛藤は描けなかったでしょう。アレンを主人公にして若者の葛藤を描いたのは、宮崎吾朗監督の若者へのメッセージだったのかもしれません。 その根拠として、宮崎吾朗監督の「自分を取り巻いている隙間のない存在の象徴が父親」という言葉が挙げられます。アレンは隙間のない存在である父親を殺すことで現状を打破して自分の不安を解消しようとした、あるいはそんな強迫観念に取り憑かれていたといえるでしょう。 世界の均衡が崩れているリアルな現代を生きる若者にとって、この時代の社会の閉塞感はアレンの葛藤に似たところがあります。未来に不安になって自滅的になったアレンの行動は、今の時代にこそ多くの共感を覚えるところではないでしょうか。

これも原作にはない設定

王子アレンが父親を殺してしまったが故に国を出るという設定は、映画オリジナルのもの。原作では父親を殺す設定は一切出てきません。 先にも述べている通り、本来の主人公はゲド=ハイタカ。原作においては、世界の均衡の乱れをなんとしても直すため、ハイタカから知恵をもらってこいと国王に命じられたが故に、アレンは旅に出ていきます。 父親を殺してしまったため、国から逃げなければならなくなった、という設定は完全に映画オリジナルなのです。

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アレンは二重人格?影の正体・意味を解説

ジブリ公式画像 ゲド戦記

アレンに父親を殺させ、その後も彼を終始怯えさせる「影」。その正体は一体何なのでしょうか。映画『ゲド戦記』と原作小説はいくつかの異なる点がありますが、実は「影」の描き方もその1つ。 原作では心の闇の実体化として襲ってくる存在ですが、映画『ゲド戦記』ではアレンの内にある弱さが彼の「影」として描かれています。いつも不安で自信がないんだ。それなのに時々、自分では抑えられないくらい、凶暴になってしまう」というアレンのセリフからも分かるように、彼の心には弱さが見え隠れしました。 そんな弱さ=「影」のために、本来共存しているべき「光」から逃げ続けたアレン。彼が前に進むには、再び「光」と共存するしかありませんでした。それが、アレンの影がテルーを助ける動きをしたことで表されています。 テルーはアレンに「アレンが怖がっているのは死ぬことではなく、生きる事だ」と告げていました。死ぬ=影、生きる=光とすれば、まさにテルーの言う通り。そしてアレンはテルーの導きによって再び光を取り戻すのです。

影が意味する映画のメッセージ

ジブリ公式画像 ゲド戦記

世界の均衡は、魔法使いクモによって崩されました。世界の均衡が乱れたことで、アレンの心のバランスも崩れていきます。 その結果、心に大きな闇を抱えたアレンの体からはもう1人の自分である「闇の自分」が抜け出してしまうのです。アレンにとってはそれが、常につきまとってくる恐れでした。 闇はもともとアレンの弱さなので、アレンを悲劇に突き落としたのはクモではなくアレン自身だったともいえるかもしれません。しかし若者というのは本来弱いものです。その弱さを増大させたり、漬け込んだりするような世界では人は育ちません。 世界の不均衡に翻弄され、自分の弱さを抑えきれなかったアレンは、クモの犠牲者の1人。心の闇が暴れるままに、理由もわからず父親を殺してしまうのです。 このことについて宮崎吾朗監督は、「若い頃には自分で自分をコントロールできなくなる、なぜ自分がそんなことをしたのかわからないことがあるんです」と語っています。

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テルーとの交流を通して、「生きること」の意味を噛み締めていく

ジブリ公式画像 ゲド戦記

なぜそうしてしまったのかわからぬまま、父親を殺してしまったアレン。その結果彼は自暴自棄となり、自身の「生」から逃げてしまっていました。それはつまり、自身の「死」とも向き合えないということを意味していたのです。 しかしテルーや他の人々との出会いを通し、アレンは自分自身の「生」や「死」と向き合っていくことに。最終的に彼は、生きることの意味を噛み締めてこれからも生きていくことを選びます。 テルーから言われた、「1つしかない命だからこそ、精一杯生きなければならない!自分だけの命じゃないんだから」という言葉に彼は大きく動かされたことでしょう。 こうしてアレンは生きることの意味を学んでいきます。 最終的にアレンは、クモと対決するシーンにおいて、「光から目を背け、闇だけを見ている!他の人が他者であることを忘れ、自分が生かされていることを忘れているんだ!」と強い眼差しで言い放つまでに成長するのです。

「父親殺し」は宮崎吾朗が父・駿の関係を重ねている?

ジブリ公式画像『ゲド戦記』

映画のオリジナル・シーンである「父親殺し」については、作品の監督が宮崎駿の息子である宮崎吾朗だったことがさまざまな憶測を呼びました。 なかでも多く見られたのが、「宮崎吾朗は父親の宮崎駿とあまりうまくいっておらず、本当は殺したいと思っているほど憎んでいるのでは?」というものです。 しかし実際はそのようなことはなく、このオリジナルのシーンも宮崎吾朗監督が考えたものではありませんでした。この「父親殺し」を追加しようと提案したのは、宮崎吾朗監督ではなく鈴木敏夫プロデューサーだったのです。

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監督は“そのような意図はない”と説明

ジブリ公式画像 ゲド戦記

アレンが父親を殺すというオリジナル・シーンについての「宮崎駿と宮崎吾朗の関係性を映し出しているのでは?」という憶測を、監督を務めた宮崎吾朗はそれを真っ向から否定。 そもそも宮崎吾朗が用意した最初の絵コンテでは、お母さんに逃してもらえるアレンというシーンでしたが、アレンが父親を刺すシーンを鈴木敏夫プロデューサーから提案され、それに差し替えたといわれています。

しかしこの作品で監督自身が一皮むけたのも事実

鈴木敏夫

鈴木敏夫プロデューサーが父親殺しの提案をした理由の1つが、「吾朗くん(宮崎吾朗)だって父親のコンプレックスを払拭しないと、世の中に出られないのではないか」という思いがあったから。 鈴木プロデューサーからの「父親に対するコンプレックスを払拭してほしい」という願いが隠されていたのです。 その結果もあってか、宮崎吾朗監督が『ゲド戦記』で一皮むけ、日本アニメーション界における名監督の1人となっていったのも事実でしょう。その後も『コクリコ坂から』(2011年)や、ジブリ史上初となる長編3DCGアニメ『アーヤと魔女』(2021年)の監督を務めています。

アレンの真の名は「レバンネン」!その名に隠された意味とは

ジブリ公式画像『ゲド戦記』

アレンの真の名は「レバンネン」ですが、この名前にはある意味が隠されています。実は「レバンネン」とは、「ナナカマド」という樹木のこと。「ナナカマド」は命を与える樹木とも呼ばれており、ナナカマドの枝に掴まることによって命が助かるという神話も残されているようです。 映画『ゲド戦記』でテルーの声を演じた手嶌葵は、「ナナカマド」という楽曲で「ナナカマドは生命(いのち)の木よ」とも歌っています。 アレンが生きる意味を噛み締めていくその様子と、レバンネン=ナナカマドという名前がリンクしているようです。

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その後アレンはどうなる?テルーと結婚したという都市伝説も

ゲド戦記

映画『ゲド戦記』のラストでは、テルー、テナーの2人と別れ、ハイタカと共に旅立ち去っていくアレンの様子が描かれます。 原作小説ではその後アースシーに戻り国王の座につくことから、映画におけるアレンも罪を償ったのち、国に貢献するのではないかという憶測がされているようです。 一方でテルーと結婚したのでは?という都市伝説もあるようですが、映画を観る限り、2人の間にある感情は恋愛とは少し異なるもの。王子と彼を支える存在として、恋愛や結婚とは異なった関係性が成り立っているのではないでしょうか。

声優を務めたのはV6の岡田准一

映画『ゲド戦記』で主人公・アレンの声を演じたのは、V6の岡田准一。彼はこの作品が声優初挑戦でありながらも見事に演じきり、その後も宮崎吾朗が監督を務めた『コクリコ坂から』(2011年)では主人公の風間俊役を好演。 本業はアイドルでありながらもキャラクターたちの感情を巧みに演じ、多くの話題を呼んできました。ジブリ作品において重要な存在として確立されているでしょう。

『ゲド戦記』アレンの闇堕ちは現代の若者を反映していた

ジブリ公式画像『ゲド戦記』

父親や周囲の環境から感じられる抑圧、それに反抗したい思い、どうしたらいいのかもわからない複雑な感情……アレンが抱えている闇は、現在の若者が抱えているものといっても過言ではありません。 決して簡単なストーリーではなく解釈の難しい部分も多々あるものの、『ゲド戦記』を繰り返し観ることによって、私たちは多くのものを学べるのではないでしょうか。 現在の若者そのものともいえる主人公・アレンの生き様。すでに『ゲド戦記』は鑑賞済みであるという人も、生きることについて考えながら、再び鑑賞してみるのもいいかもしれません。 若者が抱える葛藤や悩みを知り、歩み寄るきっかけにもなる。そんな映画が『ゲド戦記』ではないでしょうか。