2021年4月9日更新

【ゲド戦記】アレンはなぜ父親殺しに?“影”の正体やテルーとのその後についても徹底解説!

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ジブリ公式画像 ゲド戦記

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映画『ゲド戦記』の悩み多き王子アレンについて徹底解説【ネタバレ】

宮崎駿の息子、宮崎吾朗の初監督作品として多くの注目を集めた映画『ゲド戦記』。公開当初から今もなお多くの人に観られている作品ですが、1度見ただけでは分からない難解な内容も話題となりました。 なかでも多くの人が疑問に思うのが、なぜアレンは父親殺しを行ってしまったのかということ。そこで今回は、アレンに父親を殺させた動機とは何なのか紐解いていくとともに、悩み多きアレンという人物は一体どういうキャラクターなのかを解説していきます。 この記事には映画『ゲド戦記』のネタバレが含まれるので、未見の場合は注意してください。

まずは『ゲド戦記』のあらすじをおさらい

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本作の舞台となる世界アースシーは、世界の均衡が崩れて、竜が現れたり干ばつが発生したり、疫病が流行ったりと混沌の中にありました。 心が闇に囚われた王子アレンは、父親を殺し国から逃走することとなります。そしてハイタカと出会い、旅を始めることに。道中でハイタカの友人テナーと、虐待されていたところをテナーに救われた少女テルーに出会います。 4人で生活していくなかで徐々に心を取り戻したようだったアレンでしたが、影につきまとわれ続け再び心が闇に侵されていくことに。 ハイタカは世界の均衡を乱しているのが、魔法使いのクモだと気づきましたが、テナーがクモの部下に捕われたことから、続いてハイタカ自身も捕まってしまいました。 ハイタカたちを救うためにアレンのもとへ向かうテルー。闇に心を支配されたアレンでしたがテルーの“ある一言”で光を取り戻し、2人は救出へと向かいます。

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原作では主人公ではない!

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映画では主人公として描かれているアレンですが、実は映画の原作となった小説では主人公ではありません。アーシュラ・K・ル=グウィン著のゲド戦記1巻『影との戦い』では、映画にも登場する賢者ハイタカが主人公です。 ハイタカの真(まこと)の名はゲド。ゲド戦記というタイトルからも分かるように、原作における主人公はハイタカとして描かれています。

アレンが犯した“父親殺し” そこに至るまでの生い立ちと葛藤とは

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アレンは映画『ゲド戦記』の冒頭で父親を殺してしまいますが、彼は父親を殺したいと望んでいたわけではありません。「わからないんだ、どうしてあんなことをしたのか」と打ち明けるシーンからも、彼が望んだ行いではなかったということが分かるでしょう。 彼が暮らしている世界アースシーでは、世界の均衡が乱れてしまった結果、作物は枯れて動物たちも次々と息絶えていました。 そんな世界を目の当たりしていた王子アレンは、彼自身の真面目さ故にこの現状を嘆き、悩み、苦しみます。それが心の闇を育ててしまい、闇を抑えきれなくなったアレンはついに父親を殺してしまうのです。

これも原作にはない設定

王子アレンが父親を殺してしまったが故に国を出るという設定は、映画オリジナルのもの。原作では父親を殺す設定は一切出てきません。 先にも述べている通り、本来の主人公はゲド=ハイタカ。原作においては、世界の均衡の乱れをなんとしても直すため、ハイタカから知恵をもらってこいと国王に命じられたが故に、アレンは旅に出ていきます。 父親を殺してしまったため、国から逃げなければならなくなった、という設定は完全に映画オリジナルなのです。

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アレンが逃れられなかった“影”!その正体とはいったい?

アレンに父親を殺させ、その後も彼を終始怯えさせる“影”。その正体は一体何なのでしょうか。 映画『ゲド戦記』と原作小説はいくつかの異なる点がありますが、実は“影”の描き方もその1つ。 原作では心の闇の実体化として襲ってくる存在である一方、映画『ゲド戦記』では、アレンの内にある弱さが“影”として描かれています。 「いつも不安で自信がないんだ。それなのに時々、自分では抑えられないくらい、凶暴になってしまう」というアレンのセリフからも分かるように、彼の心には弱さが見え隠れしました。 そんな弱さ、つまり影のために、本来共存しているべき“光”から逃げ続けたアレン。彼が前に進むには、再び“光”と共存するしかありませんでした。

なぜアレンは“父親殺し”になったのか?そこには若者の葛藤があった

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原作小説では描かれていないにもかかわらず、映画『ゲド戦記』のアレンは父親殺しの罪を背負っています。一体それはなぜなのか、そこに見え隠れするのは、製作陣が描きたかった若者の葛藤です。 王子アレンは自身を取り巻く環境から、抑圧や重圧を感じてきた青年です。彼が殺してしまった父親という存在は、父親であるというよりも抑圧を象徴する存在として描かれているのではないでしょうか。 つまりアレンの“父親を殺す”という行為は、親や環境からの抑圧に屈したくないという思いと、抑圧に甘える未熟な自分との、はざまにある若者の葛藤を描いていると言えるのです。 原作通りハイタカが主人公のままだと、この若者の葛藤は描きづらかったでしょう。アレンが主人公とされているのは、若者の葛藤を描くためなのかもしれません。

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世界の均衡が崩れたことによって、闇が解放された

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世界の均衡は、魔法使いクモによって崩されました。世界の均衡が乱れたことで王子アレンの心のバランスも崩れていきます。 結果心に大きな闇を抱えたアレンの体からは、もう1人の自分、つまり“闇の自分”が抜け出してしまうのです。アレンにとってはそれが、常につきまとってくる恐れでした。 闇はもともとアレンの弱さなので、アレンを悲劇に突き落としたのはクモではなくアレン自身だったとも言えるかもしれません。しかし若者というのは本来弱いものです。その弱さを増大させたり、漬け込んだりするような世界では人は育てません。 世界の不均衡に翻弄され自分の弱さを抑えきれなかったアレンは、クモの犠牲者の1人。心の闇が暴れるままに、理由もわからず父親を殺してしまうのです。 このことについて宮崎吾朗監督は、「若い頃には自分で自分をコントロールできなくなる、なぜ自分がそんなことをしたのかわからないことがあるんです」と語っています。

テルーとの交流を通して、「生きること」の意味を噛み締めていく

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なぜそうしてしまったのかわからぬまま、父親を殺してしまったアレン。彼はその結果自暴自棄となり、自身の「生」から逃げてしまっていました。それはつまり、自身の「死」とも向き合えないということを意味していたのです。 しかしテルーや他の人々との出会いを通し、アレンは自分自身の「生」や「死」と向き合っていくことに。最終的に彼は、生きることの意味を噛み締めてこれからも生きていくことを選びます。 テルーから言われた、「1つしかない命だからこそ、精一杯生きなければならない!自分だけの命じゃないんだから」という言葉に彼は大きく動かされたことでしょう。 こうしてアレンは生きることの意味を学んでいきます。 最終的にアレンは、クモと対決するシーンにおいて、「光から目を背け、闇だけを見ている!他の人が他者であることを忘れ、自分が生かされていることを忘れているんだ!」と強い眼差しで言い放つまでに成長するのです。

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アレンの真の名は「レバンネン」!その名に隠された意味とは

アレンの真の名は「レバンネン」ですが、この名前にはある意味が隠されています。実は「レバンネン」とは、「ナナカマド」という樹木のこと。「ナナカマド」は命を与える樹木とも呼ばれており、ナナカマドの枝に掴まることによって命が助かる、という神話も残されているようです。 映画『ゲド戦記』でテルーの声を演じた手嶌葵は、「ナナカマド」という楽曲で「ナナカマドは生命(いのち)の木よ」とも歌っています。 アレンが生きる意味を噛み締めていくその様子と、レバンネン=ナナカマドという名前がリンクしているようです。

その後アレンはどうなる?テルーと結婚したという都市伝説も

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映画『ゲド戦記』のラストでは、テルー、テナーの2人と別れ、ハイタカと共に旅立ち去っていくアレンの様子が描かれます。 原作小説ではその後アースシーに戻り国王の座につくことから、映画におけるアレンも罪を償ったのち、国に貢献するのではないかという憶測がされているようです。 一方でテルーと結婚したのでは?という都市伝説もあるようですが、映画を観る限り、2人の間にある感情は恋愛とは少し異なるもの。王子と彼を支える存在として、恋愛や結婚とは異なった関係性が成り立っているのではないでしょうか。

宮崎駿の息子・宮崎吾朗が監督を務める!"父親殺し"に重ねる声も

映画のオリジナル・シーンである“父親殺し”については、作品の監督が宮崎駿の息子である宮崎吾朗だったことがさまざまな憶測を呼びました。 なかでも多く見られたのが、「宮崎吾朗は父親の宮崎駿とあまりうまくいっておらず、本当は殺したいと思っているほど憎んでいるのでは?」というものです。 しかし実際はそのようなことはなく、このオリジナルのシーンも宮崎吾朗監督が考えたものではありませんでした。この“父親殺し”を追加しようと提案したのは、宮崎吾朗監督ではなく鈴木敏夫プロデューサーだったのです。

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監督は“そのような意図はない”と説明

アレンが父親を殺すというオリジナル・シーンについての「宮崎駿と宮崎吾朗の関係性を映し出しているのでは?」という憶測を、監督を務めた宮崎吾朗はそれを真っ向から否定。 そもそも宮崎吾朗が用意した最初の絵コンテでは、お母さんに逃してもらえるアレンというシーンでしたが、アレンが父親を刺すシーンを鈴木敏夫プロデューサーから提案され、それに差し替えたと言います。

しかしこの作品で監督自身が一皮むけたのも事実

鈴木敏夫プロデューサーが父親殺しの提案をした理由の1つが、「吾朗くん(宮崎吾朗)だって父親のコンプレックスを払拭しないと、世の中に出られないのではないか」という思いがあったから。 鈴木プロデューサーからの「父親に対するコンプレックスを払拭してほしい」という願いが隠されていたのです。 その結果もあってか、宮崎吾朗監督が『ゲド戦記』で一皮むけ、日本アニメーション界における名監督の1人となっていったのも事実でしょう。その後も『コクリコ坂から』(2011年)や、ジブリ史上初となる長編3DCGアニメ『アーヤと魔女』(2021年)の監督を務めています。

声優を務めたのは、V6の岡田准一

映画『ゲド戦記』で主人公・アレンの声を演じたのは、V6の岡田准一。彼はこの作品が声優初挑戦でありながらも見事に演じきり、その後も宮崎吾朗が監督を務めた『コクリコ坂から』(2011年)では主人公の風間俊役を好演。 本業はアイドルでありながらもキャラクターたちの感情を巧みに演じ、多くの話題を呼んできました。ジブリ作品において重要な存在として確立されているでしょう。

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映画『ゲド戦記』葛藤を抱えるアレンは現代の若者そのものだった!

父親や周囲の環境から感じられる抑圧、それに反抗したい思い、どうしたらいいのかもわからない複雑な感情……アレンが抱えている闇は、現在の若者が抱えているものと言っても過言ではありません。 決して簡単なストーリーではなく解釈の難しい部分も多々あるものの、『ゲド戦記』を繰り返し観ることによって、私たちは多くのものを学べるのではないでしょうか。 現在の若者そのものとも言える主人公・アレンの生き様。すでに『ゲド戦記』は鑑賞済みであるという人も、生きることについて考えながら、再び鑑賞してみるのもいいかもしれません。 若者が抱える葛藤や悩みを知り、歩み寄るきっかけにもなる。そんな映画が『ゲド戦記』ではないでしょうか。