【ネタバレ考察】『すずめの戸締まり』 すずめの人間関係から「行ってきます」の意味がわかる?あらすじ・伏線を全解説!
『すずめの戸締まり』あらすじ【ネタバレなし】
九州の静かな港町。この街で叔母と暮らす17歳の女子高生・岩戸鈴芽(いわと すずめ)は、ある日の登校中、長髪の美しい青年・宗像草太(むなかた そうた)とすれ違いました。 扉の「閉じ師」であるという草太を追った先にあったのは、廃墟に取り残された白い扉。扉の向こうには“すべての時間が溶け合ったような”空が広がっていました。 しかし扉の向こう側からは“災い”がやって来るため、開いた扉は閉じなければいけません。椅子に変えられてしまった草太の「戸締まり」を助けるため、すずめは彼と旅に出るのでした。
- トラウマを象徴する3つのキーワードダイジンの役割や三本脚の椅子・蝶の意味は?
- 震災を通して伝えたかったことを考察すずめが最後に「行ってきます」と言った理由
- ラストシーンの意味・伏線「戸締まり」に込められたメッセージとは?
- 常世・要石・後ろ戸の元ネタは?すずめが入った常世が燃えている理由
【ネタバレ】『すずめの戸締まり』結末までのあらすじ
以下ではすずめの旅を、地域ごとにネタバレ解説していきます。理解しきれなかったところを中心に読み返してみてください!
【①宮崎県】要石を抜いてしまったすずめ
女子高生のすずめはある日、宗像草太という不思議な美青年と出会います。廃墟に向かった青年が気になり後を追うと、寂れたホテルの中庭に1つの扉が立っていました。 扉をあけるとそこにはすべての時間が混ざり合ったような空が。すずめが何度も夢に見てきた景色です。それは死者が行くという常世の世界でした。 すずめがその扉の前に刺さっていた「石」を抜くと、石は猫の姿になって逃げていきます。しかしその石は地震の元凶である「ミミズ」を抑えていたのです。 地震を止めるためにはもう一度要石を刺す必要がありました。しかしもともと要石であった猫「ダイジン」は、閉じ師である草太の魂を椅子に閉じ込め、船に乗って逃げ出してしまいます。
草太に会った瞬間すずめは「どこかで会ったことがある気がする」と感じ、彼に強く惹かれます。この感覚がラストシーンの伏線になっていました。
【②愛媛県】みかん畑に住む高校生と女子トーク
すずめと草太(が乗り移った椅子)は、ダイジンを追いかけて船で愛媛県の西にある八幡港に到着。ダイジンは白いひげが昔の大臣みたいだとSNSで人気になり、すずめたちはその足跡を追います。 途中、すずめと同い年の女子高生・千果と仲良くなり、宿に泊めてもらえることになりました。しかしここでも扉が開いていたのです。赤黒い煙を頼りに山奥に進むと、廃墟になった学校の玄関口からミミズが噴き出していました。椅子の姿になった草太に代わって、鈴芽が鍵を差し込んで後ろ戸を閉じます。 その後、テレビで明石海峡大橋を歩くダイジンの姿を発見したすずめたちは、千果と別れてダイジンがいると思われる神戸を目指しました。
寝起きがどんどん悪くなる草太。彼がなかなか目覚めないのは、要石になりかけていた前兆だったようです。
【③兵庫県】スナックのママとゆかいな子どもたち
すずめがヒッチハイクをしていると、松山から神戸へ帰る途中のルミさんという女性が車に乗せてくれました。 ルミさんはスナックを経営していました。すずめと草太は、ルミさんの子供たちの面倒を見ます。夜になってスナックを手伝っていると、店にダイジンを発見します。ダイジンが逃げたので後を追って外に出ると、またもミミズを発見。 ミミズが出ていたのは閉園した遊園地の観覧車でした。観覧車に苦戦したすずめたちでしたが、なんとか後ろ戸を閉じることに成功。 すずめは次のダイジンの行方をSNSでみかけ、ルミさんに別れを告げて旅立ちます。今度は新神戸駅から新幹線に乗り東京へ向かいました。 LINEには叔母で義母の環さんから、55件のメッセージが溜まっています。
ダイジンが赴く先では、どこも急にお客さんが集まっていました。これはダイジンが福を呼び込んだからではないか?と考察されています!
【④東京都】ダイジンはもう要石じゃない……?
草太の家へ向かうと地震速報がなり、神田川の電車用トンネルから巨大ミミズが現れました。 あまりに巨大なミミズを前に、要石が必要なことを悟った草太。ダイジンを使おうとしますが、ダイジンは「もう要石じゃない」と言い放ちます。 椅子になってから、徐々に意識がある時間が短くなっていた草太は、自分が要石になる運命だったことを悟ります。椅子の姿に変えられた時、要石の役割も引き継いでいたのです。 すずめは受け入れられず戸惑いましたが、巨大地震の発生を止めるため、泣く泣く要石となった草太をミミズに刺しました。 地震は止まりましたが、ひとりぼっちになってしまったすずめは草太の祖父を訪ねます。そして自分が通れるたった1つの扉から常世に入り、草太を連れ戻すことに決めました。
東京の後ろ戸はなんと皇居の地下にありました!その事実を隠蔽するために古文書は黒く塗りつぶされていたのです。新海誠監督は閉じ師を「裏天皇のような存在」だと語っていました。
【⑤岩手県】すずめが入れる唯一の扉へ
すずめが通れるのは、すずめが幼い頃に迷い込んだことがある実家近くの扉。東京から岩手まで、草太の友人である芹澤朋也のボロ車で向かうことにします。 なんとそこにすずめの過保護な養母である環さんも追いついてきて、ダイジンとサダイジン(!)という2匹の猫も車に乗り込み旅が再スタートしました。 すずめは環さんとやっと本音でぶつかることができ喧嘩になりましたが、結局は環さんが故障した車の代わりに自転車ですずめを実家まで送り届けてくれます。すずめは実家で幼い頃の日記を見つけ、被災の記憶とともに、自分が入れる唯一の扉の位置を思い出しました。
サダイジンが環さんを乗っ取ったのは、親子に本音を言い合わせてすずめを前に進ませるためだと『新海誠本2』に記述がありました。すずめの心を治療するためのショック療法です!
【⑥常世】夢で見た景色、幼い自分
とうとう扉を見つけ出し、ダイジン・サダイジンとともに常世の国へ入っていったすずめ。常世は見る人によって姿を変えるようですが、すずめの目には常世が津波の瓦礫と燃えている街に見えていました。 その中から黄色い小さな椅子を見つけダイジンと力を合わせて引き抜くと、椅子から本来の姿の草太が戻ってきます。ふたたび要石となってくれたダイジンとサダイジンを、草太とすずめはそれぞれ打ち込み、ミミズを鎮めたのでした。 顔を上げると常世の向こうに幼い頃の自分がいます。迷い込んだかつての自分に形見の椅子を渡したのは、大きくなったすずめ自身だったのです。 落ち込む自分に「すずめはちゃんと大きくなる」と声をかけ、常世から現世に戻ってきた2人。「行ってきます。」と戸締まりをしてすずめは環さんたちの元に帰っていきます。
ここで受け渡した三本脚の椅子はすずめの心の傷の象徴でした。新海誠監督は四本脚になるのではなく「三本脚でもきっと立てる」ことを描きたかったと語っています。
エピローグ
すずめは駅のホームで「必ず逢いに行く」と言った草太とハグをして別れます。そして環さんと共に、助けてくれた人たちに会いに行きながら宮崎に帰っていきました。 冬になった頃、いつもの暮らしをしているすずめの元に、草太は会いにきたのでした。
【考察①】カギとなるダイジン・2匹の蝶・三本脚の椅子の意味
ダイジンは幼い日のすずめの写し鏡
宮崎ですずめに抜かれた要石であるダイジンは幼いすずめと対をなすキャラクターになっています。 震災で母を失った4歳のすずめは、環に「うちの子になる?」と声を掛けられ共に暮らすことになります。そうして、仕方がないこととはいえ、環の自由を無自覚に奪っていました。 同じように、ダイジンもすずめに「うちの子になる?」と声を掛けられ、大好きなすずめに喜んでもらおうと奔走します。「じゃま」な草太を椅子に変えてしまうなど、ダイジンの無邪気で無神経でさえある行動は、無自覚にすずめを傷つけていました。 また、ミミズを抑えるために草太が要石となった際にすずめが「あんたなんか大っ嫌い」とダイジンを拒絶するシーンは、サービスエリアで環がすずめへの本音を吐き出すシーンと共通しています。すずめもダイジンもこのシーンを通して、自分自身が環の自由やすずめの好きな人を奪っていたことを明確に自覚したといえるでしょう。 共通点の多い幼いすずめとダイジン。ラストシーンで、大好きなすずめの代わりに要石に戻ったダイジンの決断もまた、環に心配をかけないようにトラウマを負った自分を隠すという自己犠牲を選んだ幼いすずめとリンクしているのではないでしょうか。
2匹の蝶は亡くなったすずめの母の象徴
#すずめの質問箱????
— 映画『すずめの戸締まり』公式 (@suzume_tojimari) April 5, 2024
【Q】劇中で何度も黄色い蝶々が舞っているシーンがありとても印象的なのですが、彼らにはどんな意味が込められているのですか?… pic.twitter.com/3zw4IWu0fu
物語の冒頭、夢から覚めたすずめの近くを飛んでいた2匹の蝶。この蝶は、東京で地震が起きた際や、東北へ向かう途中など旅の随所で登場していました。物語のラストでは、常世でもすずめたちの近くを飛んでいます。 新海誠監督によると、この2匹の蝶は死者の魂の象徴で、すずめが亡き母に導かれるイメージなんだそう。実際に、仏教においても蝶は極楽浄土に魂を運ぶ生き物として考えられています。蝶がすずめの母・つばめを暗喩しているとすると、登場する蝶が母との思い出の椅子と同じ黄色であることにも納得ですね。 また、蝶と言えば夢と現実がないまぜになる古い説話「胡蝶の夢」にも登場する生き物。全ての時間が混在する常世と関係がある存在として描かれていても、不思議ではない気がしますね。
思い出の椅子が三本脚なのは「三本脚でもきっと立てる」というメッセージ
すずめの母・つばめが手作りした黄色い椅子。震災を経て脚が1本なくなっているのは、震災で母を亡くしたすずめのトラウマを象徴しています。 また、ラストシーンでは高校生のすずめが、母を亡くし常世に迷い込んだ幼いすずめに、この椅子を渡していました。そして、「今は辛くてもちゃんと大きくなれる」と幼いすずめへ言葉を掛けます。このことからも、心に傷を負っていてもそのままで生きていける、三本脚でも大丈夫、というメッセージがあると考えられます。
【考察②】「行ってきます」に隠された『すずめの戸締まり』が伝えたかったこと
すずめの全国を巡る旅路そして執拗ともとれるほどリアルな震災の描写を通して、新海誠が描きたかったこととは何なのでしょうか。 それはずばり、震災というトラウマからの脱却に他ならないでしょう。震災で母を失ったすずめはもちろん、『すずめの戸締まり』を観る私たちが東日本大震災という経験を消化し前を向くための後押しになっているのが本作ではないでしょうか。 この見出しでは、すずめがトラウマを乗り越えるまでの旅路を考察していきます。
東日本大震災というトラウマで傷を負ったすずめ
すずめは12年間、被災や母にまつわる記憶を黒塗りにして考えないようにしていました。何度も夢に見ながらも、涙を隠して生きてきたのです。 しかし椅子とともに旅に出ることですずめは母との思い出を振り返っていくことになります。最後には草太を救い出すために被災の記憶とも向き合いました。 すずめの心の中で被災地はまだ燃えたままでした。しかし草太とともに戦ったことでトラウマを鎮火することに成功します。常世の戦いはすずめの「トラウマとの戦い」を暗喩していました。 環との関係で、すずめはトラウマを克服したように振る舞っていました。しかし草太と出会い、ダイジンを追いかけて日本各地の「後ろ戸」を閉じる旅に出たことで、過去の傷と本格的に向き合わざるをえなくなります。
【環とすずめ】トラウマを乗り越えた「ふり」で自分を騙す
すずめが苦しい記憶とともに母との幸せな記憶まで封印してしまったのは、育ててくれた環への遠慮もあったかもしれません。 環は重いくらい大事に大事にすずめを育ててくれました。だからすずめは「キャラ弁を作らなくていい」とも言えないくらい環に気を使っていたのです。「母が恋しい」とも「あのときの記憶をまだ悪夢に見る」とも言えなかったのではないでしょうか。 すずめがトラウマに強く苦しまなかったのも、今当たり前に平和な毎日を送れているのもすべて環のおかげです。しかし環に遠慮したせいで、トラウマと直接向かい合うことができなかったのかもしれません。 環のもとを離れてはじめて、母との幸せな記憶に浸ることができました。環と本音でぶつかってようやく、母を失った苦しみや被災の記憶と向き合うことができました。 今あなたがだれかに遠慮して幸せを取り繕っているなら、一度1人になって、思い切り苦しんで泣いて見るのも良いかもしれません。大事な記憶と向き合うことを、遠慮しないでください。
【草太とすずめ】生き残ってしまったからこその投げやりさ
すずめは最初に草太が「後ろ戸」を閉じるのを手伝ったとき、「死ぬのが怖くないのか」と聞かれ「怖くない」と答えています。また、要石になってしまった草太を救うため、彼の祖父のもとを訪ねたときには、「生きるか死ぬかなんて、ただの運なんだって小さい頃からずっと思ってきた」と言っています。 すずめは自分だけが震災を生き残ったことに罪悪感を持っているのではないでしょうか。そのため、自分が死ぬことも大したことではないと考えているのかもしれません。 草太もまた、閉じ師としての役割を全うするなかで、自分の命がどうなるのかについては、あまり考えていないようです。弱い者を守ろうとする優しさの一方で、親友の芹澤から「あいつは自分の扱いが雑なんだよ」と心配されるほど、自分を顧みないところがあります。 草太は閉じ師としての使命と責任感から、自分の命を粗末にしがちなところがあるようです。
当たり前の明日が、苦しい過去の自分を救う
戦いのあとすずめは、苦しかったあの頃の自分に「あなたはちゃんと大きくなる」「私はね……すずめの、明日!」と声をかけます。ちゃんと大きくなり明日がやってくるという「当たり前」が、過去の自分を救うのだとすずめは気づいたのです。 辛かった過去と向き合い、当たり前の毎日のありがたさを知ること、そして未来を一層大事に生きていことが、苦しかった過去の自分を救うのだと新海監督は伝えたかったのではないでしょうか。
「明日」に踏み出したからこその「行ってきます」
常世を出たすずめは後ろ戸を戸締まりして、なぜ「行ってきます」と言ったのでしょうか。それはすずめが故郷や母への思いを整理して、ようやく「明日」に踏み出すことができたと示すためです。 すずめは高校生になってもずっと母を探し続けていました。ごく普通の日常生活を送っているように見えても、夜にはいつも夢の中で母を探し続け、泣いていたのです。 最初に後ろ戸を見つけたときや神戸の観覧車でも、扉の向こうに母親の影を求め、すずめは中に入っていこうとしました。 しかし被災地を悼み、土地を鎮め、母からもらった椅子を手放したことでようやく、すずめは被災地から出ていくことができます。本当の意味で故郷・岩手を出発することができたのです。 過去にとらわれていたすずめの再出発を意味する言葉として、「行ってきます」という言葉が選ばれたのではないでしょうか。
新海誠“災害三部作”と比較!違いを解説
近年に新海誠監督が出した、長編映画3作品。大ヒットした『君の名は。』、『天気の子』、そして今作『すずめの戸締まり』を合わせて、一部のメディアは“災害三部作”と呼んでいます。 以下ではこの三部作を比較して、変遷やつながり、監督の心境の変化を読み解いていきましょう。
①震災をダイレクトに描くようになった
全体としては上質なボーイ・ミーツ・ガールだったが、東日本大震災を直接示す描写があり鑑賞するのが苦しかった。仮に震災を描くのだとしても、あえて現実に起きた震災を出さなくてもよかった気がする。
震災を強く思い出させる描写やそこに暮らしていた人々を思わせる場面があり、震災を体験した身からすると見ていて辛い部分は多かった。ただ主人公に共感できる部分もあり、鑑賞できたことはよかったと感じる。
新海誠は東日本大震災を「多くの人にとって世界が書き換わった出来事」と語り、自身の描くテーマにも大きな変化があったと明かしています。 『君の名は。』(2016年)と『天気の子』(2019年)では彗星や自然災害を地震のメタファーとして描き、主人公は災害の当事者を救う存在として登場。 そして『すずめの戸締まり』では直接地震を描き、主人公自身を被災者とすることで今まで以上にメッセージ性が強い作品となりました。 震災から10年以上経った今、子どもたちの中には震災を知らない世代も増えています。新海誠は「今描かなければ10代や20代の観客と経験が共有できなくなる」と感じ、今作を震災映画にすることを決めたようです。 震災に関わるあらゆるものをしっかり若者へ伝えるため、『すずめの戸締まり』ではあれだけ鮮烈に震災が描かれたのではないでしょうか。
②救われる物語から自分で救う物語へ
前前作である『君の名は。』も前作『天気の子』も、苦しんでいる女の子が男の子に救われる話でした。しかし今作は自分で自分を救う物語。主人公の成長や変化にはっきりとフォーカスが当たっています。新海誠監督も、他者と出会うことで自分自身を再発見し成長する物語を作りたかったと語っていました。 弱い自分を救ってくれるのは、成長した自分自身なのです。イケメンが救ってくれるのを待っているような女性ではなく、主体的な人物像が打ち出されていました。 そのために草太はあくまで無力な椅子である必要があったのではないでしょうか。
③「君」と「世界」を救ったその先
『君の名は。』は「君」を救うために「世界」を救う物語が描かれ、『天気の子』では「君」を救って「世界」を捨てる物語が描かれました。 しかしなんと今作は、「君」と「世界」を救うためにすずめ自身が「自分」を救うことになります。 ここには何かを救うために何かを諦めるのではなく、どちらも救われる道があること。むしろ何かを救おうとする強い想いは、自分自身をも救うという希望にあふれたメッセージが込められていたのではないでしょうか。
『すずめの戸締まり』ラストシーンの意味・伏線とは?
「過去」と出会えたラスト
ラストシーンですずめは過去の自分と対面します。過去と現在のすずめが対面できたのは常世が、時間が溶け合っている『君の名は』の「黄昏時」のような空間だったから。泣き叫ぶ幼い自分を救ったのは自分自身だったのです。
ラストシーンまでの伏線
- 空夢の中の空は常世の不思議な光に満ちた空
- ワンピース成長したすずめが、草太から借りたロングシャツをワンピースのように着ていた
- 母だと思っていた人はすずめ自身常世で会った女性は、成長し草太を救いに来た高校生のすずめだった
- 椅子草太が変身させられた椅子は、津波で流されたすずめの母の形見だった
冒頭から登場するすずめの夢には、ラストシーンにつながる伏線が散りばめられていました。 幼いすずめが母を探してさまよっていたいたのは常世で、その空は不思議な輝きに満ちていました。また、彼女はワンピースを着た女性に出会いますが、それは成長し、常世に草太を救いに来たすずめの姿だったのです。 彼女が着ていたワンピースは、実は草太から借りた彼のロングシャツでした。すずめが最初に草太に会ったことがあると感じたのは、幼いころに常世で未来の自分を一緒にいる草太を見たからです。
ラストシーンの後味は「人間社会の戸締まり」意図している?
ラストシーン、すっかり前を向いたすずめとは裏腹に、どこかすっきりしていないような、問題は根本的に解決していないような気持ちになった人も多いのではないでしょうか。 ダイジンは要石になってしまったし、草太も戸締まりを続けています。そもそも日本全国で開く戸を戸締まりして回るなんて、閉じ師の仕事内容、いくらなんでも不毛すぎますよね……。 しかも閉じ師の仕事が間に合っていないからなのか、今もなお地震は起き続けています。緻密な計算で映画を作り込むはずの新海監督なのに、なぜ肝心のラストは締まりきっていないのでしょうか。
そもそも後ろ戸が開く原因は?
それにはまず、後ろ戸が開く理由を理解する必要があります。劇中では「人の思いが、その土地を鎮めている」と語られていますが、それは単に、人がいない土地で戸が開いてしまうという話ではありません。東京のど真ん中、大都会でも戸は開くのです。 後ろ戸が開くのは人が足りないからではなく、「歪み」が溜まるせいです。「歪み」とは何なのか、劇中では明確には語られませんが、先ほど解説した天孫降臨の神話と結びつけて読み解くと理解が深まります。 そもそも日本という国は産土を抑えてその上に天皇が築いた国だから、人間の圧力によって土地に歪みは溜まり続けるのです。それを閉じ師がなんとか裏で支え続けているというのが、この物語の隠された裏設定だと考察できます。
犠牲の上で成り立つ人間社会
この恐ろしい裏設定が正しければ、日本には今も歪みが溜まり続けています。ダイジンや草太が人生を投げ打ってミミズをなんとか鎮めていても、歪みはますます蓄積されて、結局またミミズは出てきてしまうのです。 だとすれば、本当に戸締まりされるべきは常世ではなく、現世の私たちなのかもしれません。『すずめの戸締まり』は実は、そんな人間社会への皮肉と絶望が裏テーマとして込められている恐ろしい作品なのではないでしょうか。
救われなかった裏主人公・ダイジン
救われたすずめたちとは対照に、ラストで犠牲になることを選んだ存在もいます。それは要石としてミミズに刺されたダイジン。 ダイジンはおそらくもともと人間で、しかしあるとき要石の役割を背負わされました。だからすずめに役割から解放してもらえたとき、すずめに懐いて「うちの子」になることを望んだのです。 しかし大好きなすずめが草太を失って悲しんでいる姿を見て、サダイジンからも説得されダイジンは心変わりします。再び自分が要石の役割を背負うことを決意しました。 ダイジンはきっとその後も、常世で要石としてミミズを抑え続けてくれるのでしょう。そして草太の祖父が話していたように“神を宿した”存在になるのです。 それは「名誉なことだ」と草太の祖父は言っていましたが、犠牲の上で世界が成り立っているという『天気の子』のような皮肉も映画ではこっそり描かれていたのではないでしょうか。
神話モチーフの意味・元ネタを解説
常世 | ・死者の世界 ・すべての時間が同時にある場所 ・各人のトラウマを反映させて姿を変える |
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祝詞(のりと) | ・戸締まりに必要な言葉 ・「土地を産土(土地の神)にお返しします」という意味 |
要石 | ・ミミズを抑える2つの霊石 ・ダイジンとサダイジンが担っていた ・人間(閉じ師)が交代で担う? |
ミミズ | ・地震の元凶 ・日本列島の下をうごめく力 ・意思や目的はない ・地気(金の糸)を吸ってふくらむ |
後ろ戸 | ・常世と現世をつなぐ扉 ・棄てられた土地で開く ・入れるのは1人1箇所だけ |
岩戸すずめと宗像草太 (アメノウズメと宗像三女神) | ・扉を開きアマテラスの国造りを手伝った者 ・天皇の国家を陰で支える者 |
①常世
本作における常世とは、後ろ戸の向こう側にある裏側の世界。ミミズの棲家であり、「すべての時間が同時にある場所」「死者の赴く場所」と語られます。 神話における常世は「常夜」や「隠世」、「幽世(かくりよ)」とも呼ばれ、『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』などに登場する用語。死者が逝く黄泉の国や神々・仙人が住む不老不死の理想郷、永久に変わらない(時間軸がない)神域とされ、日本神話や古神道では重要な場所です。
なぜ燃えているのか?
常世は見る者によって姿を変えると言いますが、すずめが入った常世では町の瓦礫が燃えていました。 実は東日本大震災当時にも、300件近くの火災が発生しています。幼いすずめの目にも、火に飲まれる故郷が焼き付いたはず。 すずめの時間が止まった瞬間の風景、彼女が今向き合うべき過去という意味を込めて、常世は燃えていたのかもしれません。
②祝詞(のりと)
かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ | 声に出して言うのも憚られるほど畏れ多い ひみずもぐら(モグラ科の哺乳類)の神よ |
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遠つ御祖の産土よ | はるかな先祖たちの時代の土地神よ |
久しく拝領つかまつったこの山河 | 長い間、あなた様からいただいた山と川 |
かしこみかしこみ | 恐れ多くも |
謹んで | 心からの敬意と礼を尽くして |
お返し申す | お返しいたします |
後ろ戸を閉める際に唱える祝詞。いなくなった人たちの心や生活に思いを馳せながら祝詞を唱えれば、後ろ戸に鍵穴を出現させることができます。 本来、祝詞というのは神道の祭祀において、神に崇敬の意を述べて加護を願う言葉です。 こまかい内容は上記の表の通りですが、ざっくり言うと土地を本来の持ち主である産土(その土地の神)にお返しするというような意味合いでした。 ちなみに日不見(ひみずもぐら)はモグラ科の哺乳類で、ミミズにとっては自身を捕食する天敵です。
③要石
要石は日本の東西に分かれ、ミミズの尾と頭をそれぞれ封印する2つの石。片方はすずめが暮らす宮崎に、もう片方は皇居の地下深くにありましたが、それぞれダイジン、サダイジンとなり抜けてしまいました。 サダイジンは草太の祖父の知り合いだったようなので、2人とももともと人間であった可能性が高そうです。 要石の元ネタは各地の神社の境内にある霊石。『日本書紀』にも記述がある有名な石です。大部分が地中に埋まり、大鯰が引き起こす地震を鎮めているとされる信仰の対象でした。 今回のモデルになったと考えられる茨城県鹿島神宮の要石は、鯰の頭を抑えており、千葉県香取神宮の要石がその尾を抑えていると解釈されます。
④ミミズ
作中におけるミミズは、草太曰く「ミミズは日本列島の下をうごめく巨大な力」。何かしら目的や意志があるわけでもなく、歪みが溜まれば暴れて災害を起こします。 ミミズの直接的な元ネタは、村上春樹の短編小説『かえるくん、東京を救う』です。この物語でも地震がミミズとして登場していました。 しかし日本では古来より、伝説上の大鯰(ナマズ)が暴れると地震が起こると言い伝えられてきています。 大地震の直前にナマズが異常な行動を取る現象が多発したため、昔の人は地中深くに棲む大鯰を想像し、地震の原因だと考えていたそう。見た目もミミズと似てるので、鹿島神社の要石の事例をみても、鯰も参考にされたのではないでしょうか。
⑤後ろ戸
劇中において、現世と裏側にある常世を繋いでいる後ろ戸。棄てられた土地に開く扉で、現世へ噴き出したミミズが地震などの災いをもたらしてきました。 仏教における「後ろ戸(後戸)」は、仏堂の背後にある扉のこと。後戸からは鬼が出現すると考えられ、扉の正面には仏法・仏教徒を守護する「護法神(後戸の神)」や、釈迦などの神仏が安置されます。 後ろ戸の神は古典能楽とも結びつきがあり、正月の修正会では後ろ戸の神に能を奉納するそうです。 そういえばすずめの名前の由来になった「アメノウズメノミコト」も岩戸の前で舞を踊っていました。後ろ戸はもしかすると「天岩戸」もモデルになっているかもしれません。
⑥アメノウズメと宗像三女神
主人公・岩戸鈴芽のモデルになったのは、天照大神(アマテラス)が閉じこもる天岩戸を開いた、芸能の神・アメノウズメです。そして宗像草太のモデルになったと考察されるのは、素戔嗚尊(スサノオ)が生み出した宗像三女神という神だとされています。
宗像三女神とは
アマテラスは太陽の神であり、天皇の祖先と言われます。その弟がスサノオですが、彼は少々乱暴な性格だったので、アマテラスはスサノオがやってきたとき彼を怖がり、武装して待ち構えました。 スサノオは誤解を解くために、誓約をしようと持ちかけます。姉弟の誓約で生まれたのが宗像三女神です。今では「道」の最高神として交通安全などを祈願される存在となっています。 しかし結局スサノオはその後、高天原で暴れ始めました。怯えたアマテラスは岩の扉(天岩戸)に閉じこもり、世界は真っ暗闇になってしまうのです。
アメノウズメとは
アメノウズメは、天岩戸に籠ったアマテラスを外に誘き出すときに活躍した踊り子です。彼女は裸体をさらして岩戸の前で踊り、八百万の神々を笑わせて場を盛り上げることで、アマテラスを岩戸から誘き出しました。 アメノウズメは岩戸を開き、世界に光を取り戻した神だったのです。すずめの大胆な行動力や光を取り戻す勇気は、このエピソードから着想を得ているのかもしれませんね。
アメノウズメと宗像三女神の共通点
アメノウズメと宗像三女神の共通点は2人とも「天孫降臨」の助けとなっていること。天孫降臨とはアマテラスの孫が天から降臨し、大地を平定した「国づくり」のことで、天皇家の由来となった出来事です。 宗像三女神は天孫降臨より前に道を整備しておく役目を担い、アメノウズメは天孫降臨にお供して土地を開いた存在でした。 2人とも古代の天皇の国づくりを支えた存在だったのです。
国に起こった歪みを鎮め続ける宗像家
アメノウズメも宗像草太も、天岩戸や道や国を開いてきた存在です。彼らやアマテラスは、日本の土地にいきなりやってきて勝手に天皇中心の国を作ったとも言えます。 そんなふうに中ば強引に土地を押さえつけて作った国を、陰ながら支えるのが宗像家・閉じ師の一族。皇居の地下でもミミズをなんとか押さえつけて、後ろ戸の場所を隠蔽し、その上に天皇を生かしていました。 陰ながら天皇を支える様子はまるでアマテラスを支える宗像三女神。新海誠はこのような重荷を影で背負い続ける存在として閉じ師たちのことを「裏天皇」だと言ったのではないでしょうか。
なぜ開いた神が戸締まりをするのか?
そしてもとはと言えば、アマテラスが天孫降臨を始めたことでこの歪みは起こっています。そしてそんなアマテラスを世界に呼び出したのはアメノウズメ。 開いてしまった彼女に戸締まりをさせる、つまり土地を開墾した人間に責任をとらせるという暗喩を込めて、すずめに戸締まりの旅をさせたのかもしれません。
『君の名は。』や『魔女の宅急便』とリンクしているところ
新海誠の過去作品とのつながり
『君の名は。』『天気の子』の挿入歌が!
劇中使用曲として、『君の名は。』の「糸守高校」、それをアレンジして作られた『天気の子』の「K&A 初訪問」が採用されています。 エンドロールが流れた時、あるいは本編の途中で、「あれっ?」と思った人もいるかもしれません。 どちらも曲も、それぞれの主人公にとって大切な場所がタイトルになっています。「すずとじ」ではどのシーンが流れているのか、ぜひ探してみてください!
『秒速5センチメートル』第2話の冒頭世界とのつながり
『すずめの戸締まり』舞台挨拶で新海誠監督が、後ろ戸の向こう側、つまり常世と、監督の過去作品『秒速5センチメートル』第2話「コスモナウト」の冒頭に出てくる貴樹がいる場所が同じであると発言していました。 『秒速5センチメートル』を観返して、たしかめてみましょう!
『君の名は。』の組紐が芹澤の腕に?
『君の名は。』で瀧役だった神木隆之介が声優を務めている芹澤朋也。『すずめの戸締まり』ではかなり人気キャラクターである彼の腕に、『君の名は。』で瀧が三葉からもらった組紐がついていたとか……。 2回目を観に行くならぜひ確認してみてください!
『天気の子』夏美のヘルメットが!
すずめが愛媛県で出会った千果のバイクのヘルメットが、『天気の子』の夏美のものと同じだったという目撃証言が! 真偽のほどは定かではないので、もう一度見てぜひ確かめてみてください。
ジブリとの関連
『魔女の宅急便』からの影響
新海監督はパンフレットで、少女が旅に出て成長する物語の先行作品として、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』を参考にしたと明かしました。 明確に影響されたと語ったのは、すずめが各地で出会う女性たち。「魔女宅」はキキの未来の姿として、各年代を代表する女性が登場します。すずめもキキと同じように、自分自身とも言える千果やルミさん、(環さん)を見つめながら、成長する物語として描かれました。 その他にも、キキと黒猫のジジが故郷を旅立った時に流れる「ルージュの伝言」。本作はすずめの故郷へ向かう車中のシーンで使用されていて、猫が一緒にいるのも同じです。「恋人関係ではなく、戦友みたいなものだ」というすずめと草太の関係性も、キキとトンボから着想を得たのだとか!
「ハウル」と似ている!?
宗像草太のビジュアルから、『ハウルの動く城』(2004年)を連想した人もいるようです。 2つの作品について、男性側が不思議な扉の関係者、しゃべる生き物、人間がものに変えられるといった類似点が指摘されています。 ロードムービーである点や、どちらも(人災と天災の違いはあるが)「戦争」と「地震」という災害が戦う相手としてのモチーフになっていることから、ストーリー系統は似ているかもしれません。 しかし『すずめの戸締まり』の舞台はあくまでも日本。神話に因んだ設定も日本由来のもので、だからこそ世界規模でみると「ハウル」より高く評価される可能性も高いかもしれません!
『すずめの戸締まり』の感想
前半はたくさん笑ったけど、後半は『君の名は。』以前の作品に近い空気感で重たく胸が苦しい。地震が日本人にとってすごく身近で、リアリティが強かったからかも。地震を丁寧に扱っているのは好印象だけど、それだけに少し怖いと感じるシーンもあった。「いってらっしゃい」「いってきます」。そう言えるのは当たり前じゃない、奇跡なんだと改めて気付かせてもらった。
重低音が劇場にビリビリ響いて、本当に地鳴りが起きてるみたい。大地震は経験していませんが、途中怖いと感じるシーンもありました。個人的に胸に響いたのは環さんと鈴芽の関係。20代後半から姉の子を育ててきた環さんの苦労も、重いと感じるすずめちゃんの気持ちもわかる気がして、どうにも切ない気持ちに……。あと地元のオレンジフェリーが出てきたのが嬉しかった!
映画と原作小説との違いは?
映画では尺の都合上、細かい描写や台詞を省略している一方で、原作小説にない「宗像羊朗とダイジンの会話」が追加されました。 すずめが故郷へ向かったすぐ後、羊朗の病室の窓際に現れたダイジン(サダイジン?)。羊朗は再会の挨拶をして、「とうとう抜けてしまわれましたか」と話しかけます。 そしてあの子(おそらくすずめ)のことをダイジンに託していましたが、原作小説では両者の関係を示唆するシーンはありませんでした。
『すずめの戸締まり』のあらすじ・伏線をネタバレ考察しました
『君の名は。』から一貫して、自然災害をテーマに描かれた『すずめの戸締まり』。本作は新海監督の創作意欲の根底にある「東日本大震災」を想起させる作品です。集大成にして最高傑作とも噂され、映像や音楽もこれまで以上の迫力になっています。 すずめは戸締まりの旅の最後で何に気づくのか、ぜひその目で確かめてくださいね。