映画『紅の豚』ポルコ・ロッソの人物像を掘り下げてみる!
『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソ。豚の姿でありながら、大人の男の渋いかっこよさを備えた彼は、ジブリでも人気の高いキャラクターの1人です。今回はそんなポルコの人物像を深堀りしていきましょう! フィオとの関係やジーナとの恋愛の結末、そもそもなぜ豚になったのかの仮説も紹介。 大人の魅力あふれる彼のプロフィールから、その後どうなったのかまでを解き明かしていきます。
ポルコ・ロッソのプロフィール
ポルコ・ロッソは、1893年生まれのイタリア・ジェノバ出身で、元イタリア空軍エースパイロット。第一次世界大戦後に退役し、豚になった後はアドリア海の無人島を拠点にして、空賊狩りの賞金稼ぎをしています。 ポルコ・ロッソとはイタリア語で「赤い豚」を意味しており、本来はかなり過激な蔑称であるとのこと。ポルコを恨む空賊たちがニックネームとして名付けました。本名はマルコ・パゴットといい、いわれのない罪状によって政府から追われる身となっています。 賞金稼ぎとしてのモットーは「戦争じゃないので殺しはしない」という、とにかくかっこいい男(豚)!その生き様はハードボイルドそのもので、大人の魅力溢れるキャラクターなのです!
イタリア空軍時代は人間の姿だったポルコ・ロッソ
ポルコ・ロッソは元々人間で、第一次世界大戦中の空戦の回想シーン、ジーナの店にある写真(顔が黒く塗り潰されている)では人間の姿が描かれています。 かつて彼は、イタリア空軍の大尉マルコ・パゴットとして戦争に参加していました。仲間が次々と戦死するなか唯一生還し、彼は自ら魔法をかけて豚になったといいます。決定的な動機は不明ですが、ジーナの夫でもあった親友のベルリーニを戦争で失ったことなどから、人間に嫌気が差した、という説がファンの間では主流のようです。 そもそも『宮崎駿の雑想ノート』では、擬人化した動物が特に理由も無く存在していました。映画でもポルコは豚で通すと決定しますが、映画化にあたって、物語は戦争や世界恐慌を背景とした複雑なものになります。そのため豚の姿になんらかの設定が必要となってしまい、「魔法」を後付けしたのでは?とも言われています。
なぜ豚の姿に?ポルコが魔法にかかった理由を考察
説1:生き残ってしまったことに罪悪感があったため
第一次世界大戦でイタリア空軍のエースパイロットだったポルコは、次々と仲間が命を落とすなか、たった1人生き残りました。英雄と讃えられる一方で自らは多くのものを失い、彼は罪悪感を抱いていたのかもしれません。 さらにポルコは、人間だったころの自分を憎んでいるようです。ジーナの店には、彼が人間だったころの写真が1枚だけ飾ってありますが、その顔は塗りつぶされ、ポルコ自身はジーナがその写真を飾りつづけていることが気に入らないと言っています。 また彼は戦争の経験から、「いいやつはみんな死ぬ」とも言っており、戦争で生き残った自分は「いいやつ」ではないと思っているようです。 特に欧米では侮辱の対象になりやすい豚になったのも、そういった思いがあったからなのかもしれませんね。
説2:欲にまみれた人間の争いから距離を置くため
公開当時のパンフレットには、ポルコが豚になった理由が次のように説明されています。 「迫り来る新たな戦争を前に再び国家の英雄になることを拒み、自分で自分に魔法をかけてブタになってしまいます。」 人間でなければ軍隊に入ることもなく、戦争とも距離を置くことができると彼は考えているのでしょう。 また本作は、第二次世界大戦が間近に迫る世界恐慌の時代を舞台としています。作品の随所にそういった描写やセリフはありますが、特に印象的な2つのシーンを紹介しましょう。 飛行艇のローンを払い終わったポルコは、銀行で愛国債権を買うように勧められます。それに対して彼は「そういうのは人間同士でやんな」と答えました。また空軍時代の同僚フェラーリンに軍への復帰を求められたときには「ファシストになるより豚の方がマシさ」と返します。 これらのセリフから、彼が「自分は人間ではない」と主張し、世俗から離れて生きることを望んでいることがわかります。
説3:宮崎駿監督自身を主人公としているため
作品の内容とは関係のない話になってしまいますが、宮崎駿はいつも自画像を豚の姿で描いています。そのため、ポルコは監督自身を投影したキャラクターと考えることもできるのではないでしょうか。 大のミリタリー好きの宮崎駿は、反戦主義者としても知られています。戦争に使われる飛行機などには惹かれるものの、戦争自体は大反対という立場です。 これはかつて戦争中にエースパイロットとして活躍し、今も飛行艇と空を愛するポルコが、これから起こる戦争には加担すまいとする姿に重なります。 ポルコの空を飛ぶことに対する思いと、宮崎駿の飛行機をはじめとするメカに対する思いは、“純粋さ”の点で共通しています。『紅の豚』は、宮崎駿にとって自分自身を描いた作品と言えるのかもしれません。
愛機の飛行艇はサボイアS.21試作戦闘飛行艇
ポルコ・ロッソの愛機は、全体を赤く塗ったサボイアS.21試作戦闘飛行艇。1920年代に一機のみ試作されるも、”過激なセッティング”による難があり、倉庫で埃を被っていた所を購入しました。 この機体のモデルは、宮崎監督が小学生の時に一度だけ見た飛行艇の写真です。実在した同名の飛行艇とは機体が異なっており、後の対談で実機モデルは「マッキM.33」だと判明。制作時に資料が無く、名前すら確かではない状態での再現になった結果、2つの機体が混同したと語られています。 また、映画版の撃墜前とピッコロ社での改修後、漫画版で機体に差異が存在するとのこと。計4タイプのバリエーションを区別するため、「F」や「後期型」と呼称される場合もあるそうです。
男勝りな飛行艇設計士フィオとの関係
フィオ・ピッコロは、ミラノの飛行艇製造会社「ピッコロ社」の設計士。愛機の修理が終わりポルコがミラノを去る際、「自分の仕事に最後まで責任を持ちたい」との思いから同行を申し出ます。 ポルコに強い憧れを抱いており、かつてポルコと同じ部隊の所属だった父親から、エースパイロットの逸話を聞かされていたのだとか。ポルコもフィオの真っ直ぐな部分を見て、「人間も捨てたものじゃない」と発言するなど、彼女との出会いを通して心境に変化が現れていました。 物語の終盤、イタリア空軍の襲撃から守るために、ポルコはフィオをジーナの飛行艇へ預けます。別れ際にフィオからキスが贈られ、それが本編における2人の最後のシーンになりました。フィオがミラノへ帰る日にも姿を現さなかったそうなので、その後の関係については不明です。
幼なじみジーナとの関係 ラストで結ばれた?
マダム・ジーナは、ポルコが豚になる以前からの昔なじみで、ホテル・アドリアーノの経営者にして飛行艇乗りたちのマドンナ的存在。「アドリア海の飛行機乗りは、みんな1度はジーナに恋をする」と言われています。 過去に3回、ポルコと結成した「飛行艇クラブ」のメンバーと結婚するも、全員と死別しました。劇中において数少ない、ポルコを本名の”マルコ”と呼ぶ人物であり、そのことからも親密な関係がうかがえます。ホテルの名前も、遊覧飛行でポルコに乗せてもらった飛行艇「アドリアーノ」が由来です。 ポルコも昔からジーナに惚れていましたが、最後まで明確な関係にはならなかった2人。本編終了後、ファンの間ではジーナの賭けの勝敗が大きな話題になりました。その賭けというのは、彼女が昼間庭にいる時にポルコが訪ねてくるかどうか、もし来たら今度こそ愛そうというもの。 フィオ曰く「賭けがどうなったかは、私たちだけのひみつ」。大人の雰囲気溢れる2人の恋愛の結末は、果たしてどうなったのでしょうか。
ポルコのその後は?
ポルコ・ロッソのその後については、大きな謎が主に2つあります。 その1つ目は、「ジーナと結ばれたのか?」ということ、2つ目は「人間に戻ることはできたのか?」ということです。 前述したジーナの賭けの結果は、ラストでフィオのナレーションとともに映る、「ホテル・アドリーノ」のシーンに勝敗が隠されていると言われています。非常に小さく見えにくいのですが、ポルコの愛機と思われる赤い飛行艇が、ジーナの裏庭側の桟橋に停められているのです。 この描写から、ジーナは賭けに勝ったという考察がなされており、最終的に“ポルコとジーナは結ばれた”と解釈されるようになりました。 次に、人間に戻ることはできたのかについてですが、ポルコはフィオの別れのキスによって、人間に戻ることができたと言われています。 しかし劇中では、一瞬だけ人間に戻っているかのようなシーンがいくつかあるため、完全に戻ったかどうかは疑問が残るところです。 監督はポルコが完全に人間に戻ることに対し否定的で、「またすぐ豚に戻り、十日もすれば飯を食いにジーナの店に現れる」と語っています。
続編として構想された「ポルコ・ロッソ 最後の出撃」
宮崎駿監督は、2010年公開の『借りぐらしのアリエッティ』制作時に受けたインタビューにて、「続編として『ポルコ・ロッソ 最後の出撃』を作りたい」と語りました。 原作『飛行艇時代』でも構想は語られており、ポルコ・ロッソがサボイア・マルケッティSM.79で雷撃する、「ポルコ・ロッソ 最後の出撃」。豚の整備兵ハンスの物語「虎の豚」という、2つのタイトルが挙げられましたが、「やっぱり道楽だ」との思いから制作には至らなかったようです。 監督の言葉を誤訳・意訳したのか、アメリカでは複数のメディアで『紅の豚』続編を企画中!と記事が出され、大きな話題になりました。あくまで道楽と語られていること、監督が長編作品から引退したことを考えると、続編が日の目を見る可能性は低いかもしれませんね。
ポルコのかっこよすぎる名言
「金貨は半分くれてやる、残りと人質を置いて失せろ!」
映画冒頭、バカンスツアー中の学校の生徒たちを人質にとり、身代金を要求した空賊マンマユート団。ポルコは依頼を受け、彼らを撃退しに行きます。 空中戦の結果、見事に彼らを倒したポルコは人質の少女たちを無事に救出しました。そしてこのセリフを放ちます。 ボロボロの飛行艇に乗った彼らに、その修理代に充てられる金貨を渡してやるポルコの粋なはからいも感じられるこのセリフ。空賊たちも人質の少女たちを優しく扱ったりと、微笑ましいシーンでもあります。
「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」
『紅の豚』で最も有名なセリフがこちら。映画本編を観たことがない人でも知っているでしょう。 ジーナは、賞金稼ぎとして危険な生活をおくるポルコを心配していました。そんな彼女と電話で話したときに、彼が言ったセリフです。 長年パイロットとして生きてきたポルコには、空を飛ぶことこそが人生。それをやめたら、自分は自分でなくなってしまうと考えているのでしょう。 パイロットとしてのプライドと、彼の生き様をあらわすセリフにしびれます。
「俺は、俺の稼ぎでしか飛ばねぇよ」
ある日、ポルコは空軍時代の同僚フェラーリンと再会し、軍に戻るよう誘われます。「冒険飛行家の時代は終わったんだ、国家とか民族とかくだらないスポンサーを背負って飛ぶしかないんだよ」と言う彼に対して、ポルコはこの言葉を返しました。 賞金稼ぎとしての彼の生活は、不安定で危険なものです。しかしポルコは自由であることを求め、今の生き方に誇りを持っていることがこのセリフからうかがえます。 また、今空軍に戻れば、迫りくる新たな戦争に駆り出されることは間違いありません。戦争を憎み、豚の姿になってまで距離を置こうとしている彼にとって、空軍に戻るという選択肢はありえないことなのでしょう。
ポルコ・ロッソを演じた声優は森山周一郎
『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソ、マルコ・パゴットの声を演じた声優は森山周一郎です。 元々は舞台出身の俳優で、刑事ドラマへの出演やアクション作品などの悪役を演じる一方、吹き替えの草創期から数多くの洋画吹き替えで活躍。渋い声質を活かし、アメリカの人気ドラマ『刑事コジャック』のテリー・サバラス、ジャン・ギャバンといったハードボイルド系の俳優を担当しました。 ナレーションも多く手掛けており、近年は老紳士役などで円熟した演技を披露しています。当たり役の1つであるポルコは、宮崎監督が『刑事コジャック』のファンだったことが、森山の起用に繋がったそうです。 2021年2月8日、86歳で惜しまれつつも逝去しました。
ポルコ・ロッソはジブリ随一の謎多き男
ジブリキャラクターのなかで、最も大人の魅力を持つポルコ・ロッソ。作中では彼について多くは語られず、考察しがいのあるキャラクターとも言えます。 彼が豚になった理由や、ジーナとのその後などについて、いくつかの説を紹介してきましたが、納得のいくものはあったでしょうか。この機会にもう1度作品を鑑賞して、自分なりの考察を深めてみるのも良いかもしれませんね。