2021年9月9日更新

『千と千尋の神隠し』でなぜ両親は豚になったのか?宮崎駿の言葉をもとに考察

千と千尋の神隠し

『千と千尋の神隠し』豚に関する考察やトリビアを丸ごと解説

『千と千尋の神隠し』(2001年)の物語は千尋の両親が豚に変えられる悲劇で幕を開けます。このシーンは公開当時、子どもたちにトラウマを植え付けました。本作の豚と言えば、千尋が元の世界に戻るため湯婆婆の難題を解くラストシーンも有名です。 この記事では、多くの議論を呼んだ豚の謎やトリビアをまるっと考察および紹介します

“豚”を巡る3つの考察

【考察①】両親が豚になった理由

千と千尋の神隠し

千尋の両親が豚になった理由は、疲れを癒やすため油屋を訪れた八百万の神々に用意された料理に手をつけ、食い散らかしたことへの罰です。 湯婆婆の「それなのにお前の親はなんだい!お客様の食べ物を豚のように食い散らして。当然の報いさ」という台詞から、彼女が両親を豚に変えたと推測できます。 異世界の屋台に並べられた、不思議で美味しそうな食べもの。これは迷い込んだ人間に対する一種の罠で、両親もいずれは豚小屋の他の豚たちと同じ食用にされていたのでしょう。 他人のための料理を貪り、自分が豚に変化していることも気づかない彼らの卑しさと醜さ。ハクがこっそりと渡してくれたおにぎりを食べ、涙を流した千尋との違いが印象的でした。

【考察②】“豚”はバブル時代の人々のメタファー?

『千と千尋の神隠し』千尋と両親

宮崎駿監督が千尋の両親を豚にした背景には、公開当時の時代が関係すると思われます。 「千と千尋」が公開された2001年は、90年代前半に起きたバブル崩壊後の約10年間、“失われた10年”などと評されていた時代でした。 作中と現実の年代が同じと仮定すると、両親は最もバブルの恩恵を受けた世代。当時の世の中は金とモノであふれかえり、望めば何でも手に入りました。屋台の店員がいなくとも、「金はあるから後で払えばいい」と言い放つその貪欲さを監督は豚の雑食性に例えたのでしょう。 豚は雑食でよく肥える性質などから富の象徴とされますが、人間によって猪が家畜化された動物であり、“喰らい尽くされる”側でもあります。 欲深さから身も心も豚に侵食され、理性ある人間に戻れなくなった両親。その姿はバブル期の甘い汁を吸い豚のように肥えた自分に気づかず、崩壊後の不景気に嘆く人と重なります。宮崎監督は今なお金に固執する彼らのメタファーとして、両親やその他の豚たちを描いたのです。

【考察③】なぜ千尋は豚たちを見分けることができたのか

『千と千尋の神隠し』

千尋は当初、ハクに案内してもらった豚小屋で両親を見つけられませんでした。しかし、最後の湯婆婆との取引では「この豚の中に両親はいない」と言い当てます。この時、千尋が豚を見分けられたのは、透視能力などといった特別な理由ではありません。 ジブリは公式の見解として「等身大の現代っ子が世の中とも言うべき、抜き差しならない危機のなかで修行し、“生きる力”を獲得したから」という宮崎監督の答えを述べています。 自分を疎んでいた油屋の者たちと打ち解ける、カオナシの金に欲を出さない、ハクを救うため1人で彼の行いを銭婆の家まで謝りに行く……。そうした経験を経て千尋は成長し、眠っていた適応力や忍耐力、判断力、行動力が開花するうちに本質を見抜く目を養ったのでしょう。 この危機察知能力ともいえる力は、本来であれば誰もに秘められているものです。千尋が未知の料理を食べる両親を必死に止めたシーンからも、その一端が伺えるかもしれません。

“豚”を巡るトリビア

「千と千尋」と「紅の豚」をつなぐもの

紅の豚

両親の豚への変身について。千尋のモデルになった「ちさと」という女の子がいました。宮崎監督と親交のあったちさとちゃん一家の父親は、なんとあの『紅の豚』の主人公、ポルコ・ロッソのモデルだったというのです。 当時力を入れていた『もののけ姫』の海外進出が思うように進まず、失意の底にいたという宮崎監督。自分を元気付けてくれたちさとちゃん一家への感謝をこめて、ちさとちゃんを主人公のモデルにしたのがこの映画の始まり。 そして、両親は先述のとおり、お父さんが紅の豚のモデルであることからブタに。これがブタになった理由ともいわれています。 しかし監督自身がポルコのモデルであるという言説も存在するため、あくまでジブリに関する都市伝説の1つとして捉えた方がいいかもしれません。

『千と千尋の神隠し』の豚は宮崎駿からのメッセージ?

今回は『千と千尋の神隠し』の豚を巡る考察とトリビアについて紹介しました。苦労することなく大人になり、食らい尽くされる豚に変えられた両親(=バブル世代)。娘の千尋が生きる力を得て、数々の危機を乗り越えていく姿とは対照的です。 宮崎監督はこの対比を通じて、生きる力があればどんな時代でも、状況下でも生きられると、現代の若者に向けたエールを込めたのかもしれません。